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22 ぐーたら令嬢、昔話をきく

 男の名前はヘスマン。名字はなく、公爵に物心ついたときから仕えている。公爵の命令に従って動くことが彼の人生だった。

 あるとき公爵は一人の女性を手籠めにする。私の母だ。

 それまでも何度か似たようなことはあったが、子供ができたのは、厳密に言えば、その事実を公爵家に直接突きつけ、せまってきたのは彼女が初めてだった。

 公爵はその女を煩わしく思い、しかし大人一人を消すのは難しかろうと悩んだ。そして、赤子を殺してしまうように命じたのだ。ヘスマンに。

 生まれる前に流れてくれれば最高、そうでなくとも世に出る前に死んでくれればよいのだ、と。

 ヘスマンは早速、医者を装って母に近づいた。

 異国の生まれだということにして読み書きの不自由をごまかし、最新の方法だと言って腕のなさをごまかして。

 せめて流れてくれればとめちゃくちゃな施術をくりかえしたが、私は母の胎内で順調に育っていった。

 幸運だったというよりは、ヘスマンにそれほど知識がなかったのだろう。医者でないから投薬もできず、そうかと言って暴力を振るうわけにもいかず。そんな素人のやることなどたかが知れている。

 ある夜、ついに私は産まれた。

 医者として、ヘスマンもその場に立ち会った。場にいたのは母とへスマン、それから叔母の3人だけだったらしい。

 産まれた私を取り上げて世話をしたのは叔母で、私を殺す機会を伺っていたヘスマンは近づけなかった。

 叔母が私を連れて部屋を離れ、ヘスマンは母と残された。

 せめて医者のまねごとでもしよう、とベッドに近づき、母の顔をのぞき込む。その腕を、母は掴んだ。

「殺させないわよ、あの子は」

 真っ直ぐにそう言った。

 ヘスマンは誤魔化そうとして、誤魔化しきれないことを悟った。いつから気づいていたのか、など意味のない問いだった。

 人を一人産み落としたばかりの母には何か鬼気迫るものがあり、隠し事など出来そうもなかった。まして逃げることなど。

 掴まれた腕が痺れて、母の言葉を何処か遠く聞いた。

「私達は生きるわ。もう公爵には関わらない。…あんな奴と娘を近づけるだなんて、反吐が出るっ…」

 その宣言で、ヘスマンはここにいる意味を失ってしまった。公爵が自分をここによこしたのは、いつか彼の地位を脅かすのではないかと恐れたからだ。関わらないと言うのなら、子供を殺す必要などないのではないか、と。

「わかったなら、さっさと出ていきなさい。子供は殺したと嘘を付けばいいわ、どうせもう会わないもの」

 指示を得て動く、そうやって生きてきたヘスマンは母の言葉のとおりにした。すぐに部屋を出て、家を出て、そこで行き会ってしまったのだ。

 ぐったりと力の抜けた赤ん坊の体と、それを抱く叔母の姿を。

 誰のせいでもない。衛生など二の次であろう貧乏人の生活で、無事に生まれてくる子供のほうが珍しいのだ。

 青ざめた叔母の顔と動かない私の体。

 ヘスマンの足は、今出てきたばかりの部屋へ動いた。

 そうして、眠りにつこうとしていた母に囁いたのだ。

「命令に従うのが、私の人生です」


 なぜそんなことをしたのか、今もわからないとヘスマンは言った。叔母をかばったことも、母に嘘をついたことも。

 母に囁いたのを最後に、彼の記憶は途絶えている。気づいたら帰り着いていて、公爵邸を離れていた数ヶ月などなかったかのように仕事を命じられていたそうだ。

「長い夢であったのだとすら思いました。まさか、再びお会いする日が来ようとは」

 母と叔母がその後どんな話をしたのか、ヘスマンは知るよしもない。ただ、叔母は私を連れて公爵邸に現われた。それが彼にとって唯一の真実だった。

 腕の中の私にそっと微笑んだ彼は、とても優しい顔をしていた。


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