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00-236 誘惑

「塔がほしいのは生産体なんです」


 言ってオオアシトガリネズミが、ヤチネズミの腕をさらに捩じりあげた。


「俺!?」


 ヤチネズミは思わず声をあげる。


「んなわけねえだろ! だって俺のは……」


「『毒』ですか?」


 口籠ったヤチネズミに代わって、オオアシトガリネズミがその単語を口にした。ヤチネズミは口を噤んで顔を背ける。


「そんな落ち込まないでくださいよぉ~。『ネズミ殺しのヤチネズミ』なんてちょっと箔がついていいじゃないっすかあ」


 オオアシトガリネズミは慰めるふりをしてさらにヤチネズミを非難する。


「ヤッさんの薬はなあ…!」


 頭に血が昇ったヤマネがとんでもないことを口走りかけたが、背後からドブネズミに口を塞がれ、横からコジネズミに蹴りこまれる。


「塔が今さらそいつの薬をほしがっているというのか」


 セスジネズミが真顔でオオアシトガリネズミに尋ねると、


「あんたらが消えた後も俺はずっと検査されてたんだよ」


 オオアシトガリネズミはハツカネズミ隊が知らない『その後の話』を語り始めた。



「……とまあそんな感じでアカネズミさんの薬は使えないってことになりましてぇ、」


 それはオオアシトガリネズミとの道中でヤチネズミが聞いてきた話の他に、


「もう一度既存の薬の見直しが始まったんです」


 初耳の情報も含まれていた。


「アカが……何だって?」


 ヤチネズミは腕を固められたまま体を捻ってオオアシトガリネズミに尋ねる。


「ヤチ先輩には話したじゃないっすかあ。で、既存の薬っていうのが…」


「その話は聞いてねえよ! アカが何だって!!」


 必死に顔を突き出すヤチネズミに対してオオアシトガリネズミは飄々と、


「『期待倒れのアカネズミ』って呼ばれてるって話です」


 生産隊内でも特別待遇を受けていたネズミの零落を伝えた。


「『期待倒れ』って……」


 同室の同輩の不名誉な二つ名にヤチネズミは絶句する。


「で、その既存の薬…」


 ヤチネズミを黙らせたオオアシトガリネズミは再び話し始めたが、


「コジネズミさん」


 ドブネズミがコジネズミを呼んだ。他の面々も顧問を囲むように見つめる。


「コージ」


 セスジネズミに促されて、ようやくコジネズミは観念して息を吐いた。


「そいつの言うとおりアカネズミは特別待遇から外れてる」


 初めて聞かされる塔の最新情報にハツカネズミ隊は動揺する。


「だって、アカネズミさんは…」


「いつからだ」


 ワタセジネズミを押し退けて何かを言いかけたカワネズミを遮って、セスジネズミはコジネズミに迫った。コジネズミはセスジネズミから逃げるように視線を逸らす。


「ちょうどお前らが塔出た直後くらいからだよ。アカネズミは体調不良とかでしばらく面会謝絶だったんだけど、……まあそれまでもあいつは特別待遇だったから隊で顔合わすのなんて塔内での会議の時くらいだったんだけど、それ以上に見なくなった。それから妙な噂聞くようになって俺もいっぺん顔見に行ったけど……」


 そこでコジネズミは言い淀む。珍しいというよりもあり得ないその姿にハツカネズミ隊の面々は固唾を飲んだが、


「平たく言えば絶対安静中ってことですよ」


 オオアシトガリネズミが口を挟んだ。ヤチネズミは動揺の眼差しをオオアシトガリネズミに向ける。


―アカネズミを塔から出すのは諦めろ。地上には出られない―


 以前エゾヤチネズミから告げられた言葉の真意を、ようやく理解した。


「それよりもヤチさんの…」


 再び話し始めたオオアシトガリネズミだったが、それに向きあう者は無く、


「なんで今まで黙ってたんですか!」


 カワネズミの怒号が洞窟内にこだました。


「そうですよ! 俺ら何も聞いてませんよ……」


「アカネズミさんはどういう状態なんですか! ちゃんと元気なんですよね!?」


 オオアシトガリネズミが呆気にとられるほど、アカネズミの同室の後輩たちの興奮が響きわたる。カワネズミはコジネズミを責め立て、ワタセジネズミはそわそわと頭を抱え、ヤマネは質問ばかり口にするから、スミスネズミが唸りだす。


「お前ら。ちょっと落ち着けよ……」


 たまらずタネジネズミがカワネズミの肩を叩いたが、思いっきり払い落とされて目を丸くしている。


「あんた何のためにここに通ってたんですか! セージに会うためだけですか? ハツさんたちがいっつもアカネズミさんのこと聞いてたのに適当言ってはぐらかして、俺たちをずっと騙してたん…」


 カワネズミの口は物理的に塞がれた。


 凄むコジネズミの指先が白くなる。掴まれるカワネズミの顎骨が軋む。


「やめろコージ」


 それを止めたのはセスジネズミだ。セスジネズミに腕を掴まれたコジネズミは、カワネズミを解放し、カワネズミは尻から地面に落ちる。


「どうして話してくれなかった」


 セスジネズミはコジネズミの腕を掴んだまま尋ねた。


「話したらお前ら考えなしに塔に突っ込んでただろ」


 腕を掴まれたまま顔を背けてコジネズミが答える。


「そんなに信用無いか」


 手に力を込めてさらに尋ねたセスジネズミに、


「そうだな。信用はしてない」


 手を振りほどいてコジネズミは言う。


「すぐに死にたがる奴に教えることなんてねえよ」


 完全にセスジネズミに背を向けてコジネズミは言い放った。


 オオアシトガリネズミが咳払いをする。コジネズミとセスジネズミと唸り続けるスミスネズミ以外の面々は部外者の存在を思い出したように振り返る。


「そこで改めて注目されたのがこの薬」


 無視され続けたことに若干苛立ちながら、オオアシトガリネズミはヤチネズミを吊り上げた。苦痛に呻いてヤチネズミの爪先が必死に地面にしがみつく。


「あの時ミズラは死んで俺は死ななかった。その違いは何かってのを上階(うえ)の奴らは血眼で探して、見つけた」


 タネジネズミがはっとして息を飲む。


「ヤチさんの薬は生きてるうちに入れれば劇薬だ。でも死んだ奴にとっては最強の薬だ」


 ヤチネズミの薬は蘇生薬、その事実に塔の連中も気付いていたらしい。


「みんな喉から手が出るほど欲しがってるよ。もてもてっすねえ~、ヤチせんぱい!」


 オオアシトガリネズミは妙な節を付けながらヤチネズミに微笑みかけた。


「で、でも俺の薬なんて入れたら一切飲み食いできなくなるんだぞ! 上階(うえ)の奴はわかってんのか!? 例え息を吹き返したとしても…」


「薬に副反応は付き物でしょう」


 オオアシトガリネズミはにっこりと笑ってから、「ちょっとそこ静かにさせて下さい」とスミスネズミを指した。ヤマネがスミスネズミの手を握って、ようやく洞窟内から騒音は消えたが、スミスネズミは再び岩肌を無言で蹴り始める。


「それに改良も進められます。ヤチさんはまた生産隊に戻れるみたいですよ。アカネズミさんが座ってた席ですね、特別待遇ってやつです」


 必要とされている、とヤチネズミを甘く誘う。


「地検体もがんばってます。ヤチさんのための生産体も待機してるんすよ? だから先輩、帰ってきてください」


 『出来そこない』を返上できるかもしれない、そんな期待がヤチネズミに過る。


「聞くな、ヤチ」


 コジネズミが言ったが、


「黙ってろよ、裏切り者」


 オオアシトガリネズミは生産体に向かって強く言った。ジネズミが怯えてコジネズミを盗み見る。オオアシトガリネズミはすぐに笑顔に戻ってヤチネズミに囁きかける。


「ヤチ先輩言ってくれたじゃないですかあ、俺が生きてて良かったって。先輩の薬で俺が生きかえって嬉しかったって」


 そこまでは言っていないのだけれども、


「俺、嬉しかったんすよぉ? あの時は本当にありがとうございました」


 オオアシトガリネズミが突然誠意に満ちた態度を取り始めたから、ヤチネズミは困惑する。


「だから次は子ネズミたちのことを助けてやってもらえませんか?」


 ヤチネズミの肩を捻りあげたまま、オオアシトガリネズミはヤチネズミに懇願する。


「ヤチさんの薬で救える命があるんです。検査で死んだ子ネズミたちが、ヤチさんの薬で復帰できて俺みたいに五体満足で地上に出られるようになるかもしれないんです」


 オオアシトガリネズミは自分の丈夫な体を指し示す。


「信じるな、ヤチ」


 コジネズミが再び言ったが、


「お願いです、先輩」


 子どものような顔になって、


「俺と一緒に塔に帰ってきてください」


 子どもの命を助ける道を選んでくれ、とオオアシトガリネズミはヤチネズミに迫った。


「自惚れんな!」


 コジネズミが怒鳴った。オオアシトガリネズミは舌打ちして横目で睨みつける。


「あんたのことは裏切り者としてアイに…」


 完全に敬語を外して生産体を牽制したが、


「またやらかすのか」


 コジネズミが見ていたのはヤチネズミだった。

 ヤチネズミはコジネズミを見る。


「生産隊に再入隊できるんですよ?」


 ヤチネズミの顔を無理矢理振り向かせて、オオアシトガリネズミが囁く。


「誰もお前なんてほしがってない」


 コジネズミが否定する。


「生産隊! 特別待遇! ネズミ冥利に尽きるでしょう!」


 オオアシトガリネズミが畳みかけるが、


「ハタさんを殺したのはお前だ」


 コジネズミに気付かされてヤチネズミはオオアシトガリネズミから視線を逸らした。


 オオアシトガリネズミがコジネズミに怒りを向ける。同じ部隊員だった頃から滅多に怒っている姿を見せたことが無かった男の素顔に、元上官たちはたじろぐ。


「うるせえなあ? さっきから。あんたの出世はもうないんだから上官ぶってんじゃねえよ」


 オオアシトガリネズミは無抵抗になったヤチネズミからいくぶん体を離してコジネズミを睨み下ろしたが、


「お前また繰り返すのか? お前が調子こいていいことあったか? ないだろ。お前は所詮その程度なんだよ。わきまえろよ、勘違いすんな、お前に出来ることなんて高が知れてる」


 コジネズミは相変わらずヤチネズミだけを睨みつけている。


「あんたこそわきまえろよ。筋肉強化なんてどこにでもある薬、誰でも受け継げんだよ。生産隊にも後任が余ってんじゃん。あんたが欠けて誰が困る? 老害は引退でも考えてろよ、はみ出し者が」 


 無視されたオオアシトガリネズミは口悪しくコジネズミを罵る。その内容が全く自分たちの想像していなかった情報ばかりで、ハツカネズミ隊は少なからず驚く。


「それとも塔でぼっち(・・・)だから、こいつらんとこに入り浸ってたってこと? 寂しん坊かよ。涙ぐましいねぇ、コジネズミさ…」


 セスジネズミがジネズミの手から四輪駆動車の車軸を抜き取った。誰もが「あ」と思った直後には車軸はオオアシトガリネズミの脛を払っていた。

 オオアシトガリネズミの体はくぐもった声と共に傾き、拍子でヤチネズミの手が離れる。苦痛に歪んだ顔の眼前には拳。咄嗟に体を捻ったオオアシトガリネズミだったがセスジネズミの拳からは逃げられなかった。


 鼻っ柱を殴りつけられる。背中から倒れたオオアシトガリネズミの襟首を掴んで引き上げ、セスジネズミはさらに拳を振り上げる。その脇腹に、鼻血を流したオオアシトガリネズミが拳銃の銃口を突きつけた。

 

 ドブネズミが走る。コジネズミが跳ぶ。その他の面々が咄嗟には動けなかった中で銃弾がセスジネズミを掠めた。


「セージッ!!」


 コジネズミが叫ぶ。セスジネズミは噴き出す血液を物ともせずにオオアシトガリネズミを殴りつける。弾き落とされた拳銃が地面を滑った時、ドブネズミがオオアシトガリネズミを羽交い締めにした。


 ヤチネズミは呆然と事の成り行きを目で追っていた。だが弾かれた拳銃が岩肌に当たる音で我に返り、次の瞬間にはすべきことを見つけた。立ち上がり、覆いかぶさるようにして拳銃に取り付き、全身でオオアシトガリネズミからそれを守ろうとした。しかし手の中から拳銃は再び弾き出される。スミスネズミが蹴ったのだ。地面に落ちた拳銃をスミスネズミは思いっきり踏みつけた。


「アイッ!!」


 オオアシトガリネズミが叫ぶ。ヤチネズミは振り返る。ドブネズミに羽交い締めにされ、片足に体重を乗せた曲がった姿勢のままで、ずぼんの隠しの中で眠るアイを呼び起こそうとしている。ドブネズミがその口を手で塞いでいる隙に、タネジネズミが侵入者のずぼんをまさぐり端末を見つけ出した。ジネズミに投げてよこして捨てるように言って、カワネズミとヤマネがセスジネズミに駆け寄る中、


「痛ッ!!」


 ドブネズミが手を噛まれた。


「ブッさん!」


 カワネズミが慌てて駆けつけるが、


「なんか布!!」


 怒鳴られ立ち止まり周囲を見回す。ヤマネが慌てて靴下を脱ぎ始める間にもオオアシトガリネズミは義脳の名を叫んでいたが、


「お、オオアシ!!」


 それまで無言で不動を貫いていたワタセジネズミが全身で叫んだ。

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