10+300 違う
ネズミが立ち去ったことを背中越しに感じ取ったクサガメは、それでも腹を押さえたまましばらく身動きがとれなかった。
ヤマカガシがシュウダを呼んでいる。その声は徐々に大きくなり、やがて叫び始める。他のヘビたちも駆けつけて来たらしく、悲鳴と怒号で辺りは一気に騒然とした。
ヤマカガシの様子がおかしい。声しか聞こえないクサガメにもただ事ではないことがわかる。シュウダが一大事なのだろう。ジムグリに呼びかける声もある。皆大変なことはわかるのだが、
「………いし…」
ようやく搾りだした声でクサガメが呼んだのは、動かない兄の名前だった。
「だれか……」
這うようにして上半身を持ち上げたが、か細い声を拾う者はいない。大声を出そうとしたら喉が締めつけられるように軋んで、クサガメは四つん這いのまま蹲る。誰か、誰か来てくれ、イシが動かないんだ、誰か!
「イシッ!!」
頭の上を誰かが駆け抜けた。クサガメは顔を上げる。シマヘビが兄の横で泣き叫んでいた。女たちも来たらしい。
「……ぃシは?」
クサガメはシマヘビに尋ねた。シマヘビは涙目で振り返ると、「息はしとる!」と口早に言う。
「でも頭ひどいが。前にやられたがと同じとこ…」
シマヘビは救急箱から当て布を手にしたが、使う前に床に落とした。震えているのだ、全身が。別の布を取り出そうとするも、今度は取り出すことすらままならない。
「なら…、大丈夫だわ」
クサガメは鼻で笑った。シマヘビが涙目を向けて来る。
「そいつ、頑丈だけが取り柄だ…から」
クサガメは壁伝いに立ちあがる。視界が広がると兄以外の惨状も目に入ってくる。
「だか、ら…」
本当に?
「だいじょぅ……」
本当にそう思っているのか。
壁に手を置き部屋を見回したクサガメは、自ら口にした言葉の嘘臭さに自分の不安を自覚した。
入口がごった返している。入室を試みる者を動けない負傷者が妨害し、機材も担架も邪魔にしかなっていない。至るところに折られたり曲げらたりして壊された小銃が散乱していて、ヘビたちも酷い有様だ。だがあちらは優先的に処置されている。現に一番密度が高いのはシュウダの周辺だ。
それなのにカメは。
なんでみんな倒れている? 本当にイシガメは大丈夫なのか? 本当に? 絶対に?
なんでタイマイは泣き叫んでいる? キボシイシガメはどうして動かない。ホウシャガメはどこに行った? みんな早く、イシが大変なんだよ、早く診てくれ、助けてくれ!!
なんでカメは診てもらえない!! なんで俺たちは後回しになる? なんで! なんで!! なんで……。
別に今に始まったことではない。わかりきっていたことだ、よくあることだ、この駅では。
餓鬼じゃあるまいし、いい歳して何してんだよ、俺。冷静な感想で嘲笑する自分がいる一方、成長しきれていない部分が泣き続けている。
だれも来ない、何もできない、見ているあいだにみんな死ぬんだ、あの時と同じように。
カメの駅が落ちた日の記憶が蘇る。ただの記憶なのに現実に再現されている感覚に襲われる。横たわるシュウダが、燃えて爛れて死んでいったミスジハコガメと重なる。あの時もそうだった。ミスジくんおきて、しなないでとずっと願っていたのに結局ミスジくんはおきなかった。スーちゃんはずっとないてて、リッくんはずっとおこってて、ヒメちゃんはうごかなくなっちゃって。おとうさんも、おかあさんも、ばあちゃんも、おばさんもおじさんも、そしてミナミちゃんが……。
「……イシぃ」
兄の名前を呼んでいた。他に誰もいなかったから。
他はみんな死んでしまったから。兄しかいなかったから。兄だけがいてくれたから。イシだけは生きていてくれたのにイシにまで死なれたらおれ……、
ずぼんを引かれた。
クサガメは引きつけを起こしかけていた息を止めた。ゆっくりと見下ろす。自分のずぼんを掴む指を辿ると、目を覚ました兄がいた。瞼を持ち上げていることすらままならないくせに、その下の黒目はしっかりと自分を見据えている。半べそだったシマヘビが両手で口元を覆って泣き崩れた。
「……ぁした?」
死にそうな声でイシガメは呟く。
「べつに?」
兄からの軽口にクサガメもいつもの憎まれ口で答えたが、自分の鼻声に驚いた。
「なした? そのかぉ…」
「なんぼしてねえし!」
「泣くなや」
「泣いてねえし……!」
言いながら涙がこぼれてきた。こぼしたのではない、勝手にこぼれただけだ。クサガメは奥歯を噛みしめて堪える。しかし悔しいけれども意地よりも嬉しさの方が勝っていて、膝から座りこむとその場で泣き伏した。
背中を叩かれた。また子ども扱いしやがって、と腹が立つ。一歳しか違わないのに、普段は落ち着きがなくてだらしないくせに、どちらが兄と弟かわからないと周囲からも言われるくらい身の周りのこともできないくせに。
「シュウダ!!」
「シュウダさん!?」
シュウダの周りが俄かに騒がしくなった。クサガメは手首で顔を拭いながら顔を上げる。
「……ぁんだよ、あれ」
イシガメがシュウダに気付いた。説明を待たずに兄は立ちあがろうとする。クサガメは手を貸し、自然に肩を貸す形になる。
「……しうダ?」
イシガメが顔を歪めた。その後頭部の傷口がぐじゅぐじゅしていて、クサガメは激しい悪寒に襲われる。
「急に動かれんな!」
シマヘビの金切り声が響いた。シマヘビは背伸びをしてイシガメの応急処置を進めていたが、
「……シュウダ、大丈夫だよな?」
クサガメは協力するそぶりも見せずに、ぼそりと呟いた。
危険な状況だということは、どこからどう見ても明白だった。クサガメでさえも気付いていた。
けれども言ってほしかったのだ。不安を払拭してほしかった。このまま抱え続けることなどできなかった。
「シぅウだが、死ぬわけ…ないべや……」
そして兄は自分のほしかった言葉をくれた。イシガメの言葉にクサガメは安心をもらう。例え駄目だったとしてもその時までの間は、不安を無視できるくらいの心強さをもらう。
「シュウダさん!!」
「「「お頭ぁ!!」」」
イシガメの言うとおり、シュウダは一命を取り留めたようだ。ヘビたちの安堵のどよめきが部屋中を満たした。
ヒメウミガメが座りこむ。夫の生還に腰を抜かした姉にスッポンが寄り添う。姉を抱きしめ、その背中を擦っている。
スッポンは泣いていない。ヒメウミガメも顔は青いが動いている。あの時とは違う。違う。
「……な? 大丈夫だった、べ?」
まだ緩慢さを残した言い方で、イシガメが自分の手柄のような顔を向けてきた。
「ヤマのおかげだべや」
クサガメは本当の功労者を見遣る。だが当のヤマカガシは、歓喜の輪の中でも神妙な顔つきを崩さなかった。
「ヤモ……?」
シマヘビがヤモリの存在に気付いた。クサガメもそちらに顔を向ける。ヤモリが通路で泣いていた。あまり見ない景色にクサガメも眉根を寄せた。
「トカゲ…は?」
イシガメが言って室内を見回した。クサガメもトカゲを探す。ヤモリを泣かせたりしたら、秒で飛んできてその原因を八つ裂きにするはずの過保護な母親は、娘の一大事なのにどこにもいない。
「……あいつ、は?」
含みを持たせてイシガメが言った。クサガメは兄の言う『あいつ』が誰だかすぐに気付いて『そいつ』の所業を伝えようとしたが、その横顔に振り返ったところで、兄が何を予想したかにも気付いてしまった。
「まさかトカゲ…」
シマヘビが何かを言いかけて口を覆う。顔まで背けたシマヘビが何かを知っていそうで、クサガメが尋ねようとした時、肩を貸していた兄に手を払われた。
クサガメは振り返る。シマヘビが巻きかけていた包帯を落とす。頭から白い紐を垂らしながらイシガメが通路に飛び出た。
「走られんな!! 止まれま、イシ!!」
蹴飛ばされた救急箱を片付けながらシマヘビが怒鳴るが、その声もイシガメには届かない。
「クサ…」
涙目のシマヘビに頷いてクサガメは兄の背を追った。




