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00-234 合流

 オオアシトガリネズミは片足を引きずるように体を左右に揺らしながらヤチネズミを追いかけていた。


 大腿の傷はまだ完治していない。ヤチネズミの薬は一切の飲食を不要とする代わりに、自然治癒力を大幅に遅らせるという副作用があった。


 医薬品は使えない。内服薬や注射薬の吸収を拒絶する身体は、外用薬さえも受け付けないのだ。


 よって待つしかない。皮膚が筋が骨が、気が遠くなる時間を費やして再生していくのを、指を咥えて待つことしかできない。細胞分裂の速度が極端に遅いのだろうとオオアシトガリネズミは思っている。


 現に生産体のヤチネズミも、しばらく経つのに酷い顔だ。酷いと言うのは擦過傷でぐちゃぐちゃのままなかなか治らないという意味であって、別にヤチネズミが醜男と言っているわけではなく、かと言って美男では絶対ないから、どちらかと言えばやっぱり醜男かもしれないんすけど…


「うっせえな!! べらべら喋ってないでとっとと歩け!!」


 前方で立ち止まって振り返り、ここまでは届かない唾を飛ばしてヤチネズミが怒鳴った。


「ヤチさんは元気ですねぇ~」


 感心してオオアシトガリネズミは言う。


「全身ずたぼろのぐちゃぐちゃなのに、どっからその体力出て来るんすかあ」


「お前が遅過ぎんだろが!! いつまでちんたらやってるつもりだよ。いい加減その脚も治ってんだろ!?」


 言われてオオアシトガリネズミは自分の身体を見下ろす。


「まだっすね」


 完治はしていない。


「だったら座ってろ! 運良けれりゃそのうち別部隊(どっか)に拾ってもらえるだろ」


「運悪かったらまたネコに襲われるかもしれないじゃないっすかあ」


 オオアシトガリネズミの反論にヤチネズミは顔の下半分をむずむずと動かしたが、結局何も言い返せずに「くそッ」と言って背を向けた。


「だーかーらぁ、もちょっとゆっくり歩きましょうよお」


 また脱線しているのだから。


「ヤッさんてばあー」


 ヤチネズミに悟られないように誘導するのは骨が折れる。


「あ! こっちのほうが砂丘回り込みやすそうじゃないっすかあ?」


 本当は回り込まずに直線距離で帰りたいのだけれども。


「ヤチせんぱ~い…」


「こっちでいいんだよ」


 ヤチネズミはまるで道順を知っているかのような足取りで進む。


「そっちは海ですよぉ?」


 臭いと音と肌のべたつきから、さすがのヤチネズミでもそれくらいはわかるだろうと思っていたのだが、


「いいからさっさと来い!」


 オオアシトガリネズミの注意をヤチネズミは聞こうとしない。


 オオアシトガリネズミはため息がてら苦笑した。座ってろと言ったそばから早く来いとか。何だかんだ言って結局は絶対に自分を見捨てていかない先輩に目を細める。悪い奴じゃないんだよね、と言っていたシチロウネズミを思い出す。だが頭は悪い。


 いっそのこと殴って縛って担ぎあげて、有無を言わせず塔に連れ帰ってやろうかとも思う。だいぶ塔にも近いづいた。ここなら一日未満で誰か迎えが来るだろう。


 それにしても、とオオアシトガリネズミはヤチネズミの背中を見つめる。あんな体でよく動くものだ、と感心する。そのヤチネズミが砂に足を取られている間に、オオアシトガリネズミはそっとずぼんの隠しから通信機を取り出し、素早く位置情報を確認した。


 最短距離からはまた遠回り気味になってしまっているが、あともう少しだ。アイも生産隊も上階の奴らも、待ちわびた土産に喜ぶことだろう。


 普段は偉そうにふんぞり返っている生産隊の連中が、不服そうに自分に礼を言う姿を想像して笑っていると、端末の画面が一瞬揺らいだ。ほんのわずかな、他の者であれば見逃しそうな異変だったが、オオアシトガリネズミはそれが電波の混信によるものだと気付いた。


 顔を上げる。ヤチネズミは砂丘を登ることに必死だ。時間はある。オオアシトガリネズミは端末を隠すように背を丸め、物凄い速さで操作を始めた。


 塔の近くだ。最終列車のどうでもいい報告かもしれない。最近ではワシも通信機器を使うと聞く。けれども他の部隊だったら? 他部隊(ネズミ)が近くにいる可能性を感じたオオアシトガリネズミは、その電波が発信された方向だけでも割りだそうとした。足はあるに越したことない。どこでもいい、誰でもいいからネズミであってくれ。そして俺らを拾ってくれと祈ってみたが、発信場所はどうやらワシの駅のようだった。

 

 がっくりと項垂れる。何だよワシかよ糠喜びじゃんと悪態をつき、そのまま電源を落とそうとしたが、何の気なしに通信内容を盗み見た。

 別に意味は無い。他意も故意も一切無い。がっかりした勢いで指先が滑っただけかもしれない。


 けれども画面に映し出されたワシの通信の内容に、オオアシトガリネズミの目は見開かれていった。


「カヤさん……?」


 かつての部隊員で幼少期から世話になっていた、疎遠になって久しい先輩が発信したものらしい。裏読みや邪推を一切省いて見たままの文で受け取ると、カヤネズミはワシの駅にいるようだ。最後の一文はよくわからないが、もしこれをヤチネズミが知れば、単身でもワシの駅に突っ込んでいくだろう。


 それは困る。ヤチネズミは塔に帰るのだ。帰らなければならないのだ。


 オオアシトガリネズミははっとして端末を背中の後ろに隠した。ヤチネズミの息を飲む音が聞こえた気がしたのだ。見るとヤチネズミは砂丘の頂上に登りきり、そこでオオアシトガリネズミからは見えない景色に見とれていた。


「ヤチ先輩?」


 ヤチネズミが駆け出した、オオアシトガリネズミの声が聞こえないはずないのに。その姿はすぐに砂丘の向こうに見えなくなる。


 まずい! オオアシトガリネズミは立ち上がった。ヤチネズミだからと見くびっていた。あのおつむ(・・・)では自分を出し抜くことなど不可能だろうと高を括っていた。しかし現にこうしてヤチネズミは自分の視界から姿を消した。


「ヤチさん!」


 逃がさない。やっと見つけたのだ、絶対に連れ帰るのだ。オオアシトガリネズミは一目散に目標を追って駆け出した。



 * * * *

 


 噂をすれば何とやらとは正にこのことだ。エゾヤチネズミもびっくりの頃合いを見計らったかのような塩梅で、渦中のヤチネズミは現れた。


「ハツとカヤは? どっか行ってんのか?」


「やっ…」


「ヤマネ! どうしたその顔。ワシにやられてから随分経つぞ?」


 自分の顔も棚に上げて、ヤチネズミは赤く腫れた青痣まみれのヤマネを気遣う。ヤマネは「そっちの方が…」と言いかけたが、


「スミ、また蹴ってたのか? また靴変えなきゃじゃん」


 無表情のスミスネズミの眉根が若干寄る。


「指どうなってる? ちょっと見せてみろ」


 スミスネズミに向かって行くヤチネズミは至極真面目だ。その背中にタネジネズミが、


「ヤチさんだけ、……ですか?」


 含みを持たせた言い方で呼びとめた。ヤチネズミはすぐにそれが何を指すか理解したらしい。


「夜汽車は全員……、はぐれちまって……」


 つい今しがた言ったばかりのスミスネズミの手当ても忘れて、報告を始める。


「寝ぐせは死んだ、埋めてきた。ずっと女みたいに叫んでたひょろいのは逃げちまって、」


 自分の落ち度ではなく、あくまで夜汽車が『逃げた』と強調している。


「女はネコに取られた」


「ネコぉ!?」


 コジネズミが思わず声を上げた。ヤチネズミはびくりとして振り返り、


「コージさん来てたんですね。その、今回の作戦の失敗は…」


 前部隊の上官で今も畏怖を拭えない目上に対して、言い訳を繰り広げる。


「……したんですけど、でもネズミ候補を見つけました。夜汽車よりもがきなんすけど夜汽車よりも話が通じて。『コウ』って言います。ワシと繋がりがあるっぽいのが引っ掛かりますけど一緒に来るって言ってたし迎えに行かないと。

 そうだ! コウのところには夜汽車も残ってるはずです。お前ら覚えてっかな? ジュウゴってやつ。あいつと眼鏡はまだあそこにいるはずだ。ハツとカヤ呼んで来い、すぐに出…」


 セスジネズミの踵がヤチネズミの横腹にめり込んだ。やや舌を噛みながらよろけたヤチネズミは患部を押さえる。


「な……??」


「どんだけ徘徊してんだてめぇ」


 セスジネズミが素顔をさらして歯茎を剥き出しにした。


「おま…、再会早々何だその態度!」


 腹を押さえてヤチネズミが憤慨する。それ以上にセスジネズミは怒り狂う。


「喋んな臭ぇんだよ腐れじじい!! てめえが口開くと悪臭しか発生しないってカヤさんも言ってただろが! いい加減気付けよ、もうろく腐れじじい!!」


「うるっせえくそがき! お前こそ悪態ばっか吐いてないで報告くらいしろよ! ハツは? カヤは? がきには難しかったか? スミの方がまだ言葉が通じるわ! お前に聞いた俺がバカだったよ!」


「進歩したなあ! てめえの馬鹿さ加減を理解出来る程度に成長したことは褒めてやるよ」


「うるっせえんだよ、くそがき!! 埒明かねぇ話になんねぇ話が進まねえから下がってろ!!」


 ヤチネズミは大音量の舌打ちの後でセスジネズミに背を向け、「カワ! ヤマネ!」と別の後輩たちを呼んだ。


「ハツはどごっ…!」


 左右から平手打ちが頭に振ってくる。今度こそ舌を噛んでしまって、頭の痛さをこらえながらも口を覆って屈みこんだヤチネズミに、


「遅いんだよ!!」


「ばかばかばかばか!!」


 罵声の重奏が降り注ぐ。


「こんのくそがきども…!」


 首を筋張らせてセスジネズミに負けず劣らず歯茎を剥いたヤチネズミはしかし、後輩たちが、特にヤマネが酷い顔でべそをかいているのを見て唇を閉じる。安堵の息を漏らしたカワネズミの横から、ヤマネが泣き崩れてきた。


「……心配かけた」


 ヤチネズミは気まずそうにもごもごと口を動かす。しかしその背中に無言の一撃。振り返ると無表情の中にも憤りを滲ませたスミスネズミが無言で佇んでいた。二発目を受ける前にヤチネズミはスミスネズミの足を止める。


「待たせた……な?」


「格好ついてませんよ」


「むしろ逆に痛いた恥はずかしいっすよ」


 ジネズミとタネジネズミが口々に呟く。


「ヤチさん?」


 ドブネズミがどすの利いた低い声で睨みつけてきた。ヤチネズミはコジネズミに対するものとはまた別の緊張に体を強張らせる。


「……足無くして歩かなきゃならなくなって時間食っちまって…」


「ヤチさん!」


「遅くなりましたごめんなさい!!」


「そう!!」


 ドブネズミに叱責されてようやくまともな挨拶をする。ドブネズミが大声で上官を叱りつけたその背後で、セスジネズミが舌打ちした。


「ちょうど今、ヤチさんを探しに行こうって話してたんですよ」


 ワタセジネズミが鼻水を啜りあげながら言った。「そんな話してた?」「いや……」とジネズミとタネジネズミが揚げ足を取ったが、「タネジジさん、しっ!」とワタセジネズミに黙っているように叱られて、黙って互いに目配せする。


「すぐに支度しろ」


 セスジネズミが先輩の部下に指示を飛ばした。全く何の話かわからないヤチネズミは「なんの?」と顔を突き出す。


「そうですね、早いに越したこと無いです」


「『すぐ』って書いてたしな」


「ヤッさん、早く!」


 しかし後輩たちはヤチネズミへの説明を省いて、忙しなく動き始める。


「だからなんの…」


 無理矢理立ち上がらせようとする後輩たちに状況の説明を促したヤチネズミだったが、


「お前ワシんとこ行け」


 コジネズミが状況でなく業務内容のみを伝えた。


「はい!?」


 ヤチネズミはコジネズミに振り返る。


「え? や……、だって今やっとワシんとこから帰って来たのに…」


「だったら勝手もわかんだろ? 丁度いいから早くしろ」


「丁度いいですか? 悪いと思いますけど…」


「めんどくせえな、黙って行けよ。首貸せ、ほら」


「こ、コージさん!?」


 コジネズミがヤチネズミの首を背後から締めあげ、気絶させて運ぼうとし始める。スミスネズミもヤチネズミの脛を蹴り始める。スミスネズミの蹴りから逃げるために身体を捩ろうと努力しながら、コジネズミの手を必死に叩いて解くようにとヤチネズミが懇願していた時、


「すんませんけどぉ、ヤチ先輩は返してもらえますぅ~?」


 入江から響いた聞き覚えのある声に、ハツカネズミ隊とコジネズミは振り返った。

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