09 【問題編】それは感染するらしい①
目を開けると、検査技師の冴子が横に立っており、電極に繋がれた私の健康状態をチェックしていた。
事件を解決した直後、龍翔の目の前で心停止した私だったが、病室に飛び込んできた健吾の適切な処置のおかげて、どうにか一命をとりとめたようだ。
「冴子先生……、おはよう……」
「気が付いたのね?」
「わたし何日くらい死んでました?」
「ちゃんと生きてたわよ」
冴子の説明では、私の心臓は、健吾の心臓マッサージで僅かな時間で鼓動を取り戻したものの、ベッドで一週間も朦朧状態にあったらしい。
大型連休は、明後日まで。
べつに旅行の計画があるわけでもなかったし、連休じゃなくても学校に行かないのだけれど、連休中は毎日、朝から晩まで龍翔と病室で過ごせると楽しみにしていた。
「このカーテンは?」
介護用ベッドを起こして病室を見れば、見舞い客とベッドの間がビニールカーテンで仕切られている。
「桜子ちゃんは体力が落ちているし、感染症予防のために見舞い客とは、しばらくカーテン越しに過ごしてちょうだい」
「私は風邪で死んでもいいから、邪魔なカーテンを退けてほしい」
「みんなと触れ合いたい気持ちも、解らなくもないけど、あなたは心疾患のほか、目立った病状がないのよ。健康に気を付けて長生きすれば……」
「クリスマスまで生きられる?」
「とにかく移植手術を受ける日までは、健康でいましょうね。生きていれば、移植手術の順番だって回ってくるわ」
検査技師の冴子には、私に病状を伝える資格がなければ、励ますことくらいしか出来ないと知ってるのに、意地悪な質問だったと思う。
担当医の田中先生は、心臓を移植しなければ『来年の春までもたない』と言っているが、私が今日死んだって、先生の余命宣告に嘘がない。
つまり私に下された余命宣告は、春が訪れるまで生きられる保証ではなく、どんなに努力しても、もう満開の桜を目にすることができないという絶望だった。
「私、てっきり死ぬの忘れてたわ」
龍翔は『娘が意識を取り戻した』と、私のママから連絡を受けて駆け付けてくれた。
彼には、やつれた姿を見られたくなかったので、窓から新緑の桜の木を眺めながら呟いた。
「どういう意味だ?」
「不良だと思っていた龍翔が優等生だったり、木村先生がカツラだったり、ママが学校辞めて私を生んでくれたと解ったり、入院してからの毎日が楽しくて、自分が死ぬなんて忘れちゃってたよ」
「桜子は、心臓の移植さえできれば死なねぇんだ。嫌なこと忘れるくらい毎日が楽しいなら、その方がいいじゃねえか」
「そうかもね。でも私が国内で移植手術を受けられる可能性は、ほたんど奇跡みたいな確率なんだ」
「奇跡は、待つものじゃなくて起こすものだと−−」
「奇跡は起こすもの? みんなが頑張っているクラファンだって、思うように集まってないでしょう。奇跡は、神様にしか起こせないから『奇跡』なんだよ。龍翔くんは、そんなことも解らないの?」
龍翔は『そんなことねぇよ』と、病み上がりで気乗りしない私の八つ当たりに答える。
「残念だけど、そんなことあるのよ。龍翔くんだけじゃないわ。検査技師の冴子先生や健吾さんも、生きていれば移植手術を受けられるかもって、そんな奇跡が起きるわけないじゃん」
「桜子、ちょっと落ち着けよ」
「じゃあさ、私が満開の桜が見たいとお願いしたら、龍翔くんが奇跡を起こしてくれるの!? 私は、オー・ヘンリー『最後の一葉』の主人公のように、あの桜の葉が全て落ちるとき、この世にいないんだからね」
私が興奮して声を荒げると、健吾が病室に飛び込んできたものの、龍翔との痴話喧嘩だと解って弱った顔をした。
彼は『喧嘩の仲裁まで面倒見れないよ』と、おどけた感じで言うのだが、感情が先走っている私は、カーテン越しの二人に向かって枕を投げつける。
「私だって死にたくないわ! 龍翔くんとデートしたいし、みんなと一緒に、また満開の桜を眺めたい! ぜんぶ諦めているのに『奇跡は起こすもの』とか、なんなんだよ! できないこと言って、夢を見せんなし!」
「でも俺は、必ず奇跡を起こしてやる」
「だから夢を見せるな! 龍翔くんのアホ!」
「アホは、桜子だろう」
「なんで、私がアホなのよ」
「あ、ついうっかり」
「もういいから……、もう疲れたから、龍翔くんとの関係は終わりにする」
「ま、待ってくれ、俺は、桜子を勇気づけたくて」
健吾は、私を落ち着けようとして龍翔を病室から連れ出すと、しばらく安静にするために親族以外の見舞いを禁じられた。