10 【問題編】それは感染するらしい②
私は、恋愛ジャンルの作品が好きで、新作のドラマやリアリティショーがあれば必ず観ていたのだが、6月から始まるドラマやリアリティショーを観るのをやめて、気になるドラマがあれば、原作小説を読むことにした。
今さら文学少女を気取るつもりはないが、新作のドラマやリアリティショーの最終回まで心臓がもたなければ、私は恋の結末を知ることなく、天国に旅立たなければならない。
そんな事態になれば、死んでも死にきれない。
「バカなこと考えずに、桜子が観たい番組を観ればいいのよ」
ママは、カーテン越しにりんごの皮を剥きながら話し掛けてくる。
彼女も、きっと奇跡が起きて、私に移植手術の順番が回ってくると信じているのだろうか、それとも娘の前で気丈に振舞っているだけか。
どちらにしてもママや看護師が、いつもどおりの態度で接してくれるので、おだやかに過ごせる。
「リュートくん、今日も病室前に来てるわ。面会の許可は出ているし、そろそろ仲直りしなさいよ」
マスクと白衣を着たママは、ベッドサイドテーブルにりんごの皿を置くと、不貞腐れている私に言った。
龍翔とは、口げんかしてから面会謝絶が終わっても会わずにいる。
担当医の田中先生から面会の許可はおりたものの、同級生には、日々やつれていく姿を見られたくなかったし、それが好きな男子だったら尚更で、死期の訪れを実感して、見舞い客に気の利いた台詞が返せなければ、口汚く追い返した恋人に合わせる顔がない。
私は『関係は終わりにする』と、龍翔の返事がなかったが、別れ話を切り出しているのだから、面会を許して返事を聞くのが怖かった。
「今日は、誰とも会いたくない」
「そうやって問題を遠ざけたところで、何一つ解決しないわ。桜子だって、リュートくんが励まそうとしてくれたと解っていたのよね?」
「解っているから、龍翔くんに会いたくない……、合わす顔がない。龍翔くんは謝ってくると思うけど、悪いのは私の方なのに、彼に頭を下げさせた自分が嫌いになる」
「桜子から謝れば?」
奇跡を起こすなんて軽口を叩いた龍翔には、いらつきを覚えたのは確かだし、それを否定したり、隠して関係を修復できるのなら、彼との関係をこじらせていない。
龍翔が頭を下げるのなら、奇跡を起こすと言った彼の言葉を否定させることになるのだが、それはそれで、奇跡は起こせないと同義になってしまう。
奇跡は起きないけれど、奇跡を信じないほど達観できないのが、私の現状なのだ。
「私は『奇跡は起こすもの』と言った龍翔くんに、腹を立てているけど、簡単に謝ってほしくないわ。だからって、私が謝るのも筋違いじゃん」
「リュートくんが、そんなこと言ったのね……。だから桜子は、彼を遠ざけている」
「彼は、きっと移植手術を受けることが、どんなに大変なのか知らないから、私の悩みなんてわからないのよ」
ママは弱った顔で、私の膝に手を置いた。
「桜子は、リュートくんのお母さんが通院していると知っているよね。彼のお母さんは昨年、腎不全で長期入院してから、今は人工透析しながら移植手術を待っているのよ」
「え?」
「だから移植手術が困難なことも、桜子の気持ちも理解していると思う。リュートくんは、桜子の気持ちに寄り添って明るくしているけれど、病室を出れば不安な顔で歩いているもの」
「龍翔のママも、移植手術待ちって本当なの?」
「ええ、リュートくんは、桜子のためにネットで調べものしたり、難しい本を読んだり、彼なりに努力しているわ」
「龍翔くんが……」
「彼に聞いたら『桜子のためだ』って言ってたわ」
龍翔の母親が入院していたこと、今でも通院しているは知っていたが、私は自分のことばかりで、母親の病状を聞いていなかった。
彼の母親も移植手術の順番を待っていたのなら、ママの言うとおり安易な気持ちで、奇跡を起こすなんて言葉を口にできないと思う。
龍翔は優等生なのだ。
奇跡を待つような男子ではなかった。
「会ってあげなさいよ」
ママが背中を押すので、私は頷いた。
龍翔を誤解していたのなら、素直に謝りたいと思ったし、何より誤解したまま、お別れするのは心残りになると思ったからだ。
ママが病室でると、入れ替りに龍翔が入ってくる。
彼はビニールカーテンの手前で立ち止まると、バツ悪そうに後ろ髪を掻きあげた。
「この前は、悪かった」
「私こそ、感情的になってごめん。龍翔くんが、どんな気持ちで、私に接しているのか考えないで、いきなり怒るなんてアホだね」
「桜子は、アホじゃねえ」
「私はアホだよ。死ぬ前に桜を見たいとか、デートしたいとか、むちゃばかり言って龍翔くんを困らせて、本当は、こうして龍翔くんみたいな素敵な恋人ができたのが、それだけで奇跡なのにさ」
龍翔のおかげで奇跡は起きていたのに、私は自覚してなかった。
実らなくても花を咲かせるソメイヨシノのように、死ぬ前に一度は、花を咲かせたいというのが夢だったはずで、それが寝たきりの私に叶ったのは、龍翔の起こしてくれた奇跡に他ならない。
「ありがとう龍翔、奇跡を起こしてくれて」
「桜子、まだまだ奇跡は起こる」
「そか」
「俺は来年、医者を目指して国立大学を受験する」
「うちの学校は進学校じゃないし、龍翔が最難関の医学部に合格するなら奇跡だね」
「ああ、そうだな」
龍翔が医師になる頃、私はこの世にいないけれど、病気に苦しむ母親や恋人がいる彼が医者になれるのなら、きっと良い医師になれるのだろう。
「それじゃあ、私のことにかまけず、夏休みは受験勉強に専念したまえ。私は龍翔が勉強をサボらないように、ここから見張っているからね」
「いや、どうしてそうなんだよ。俺は、これからも毎日、桜子の見舞いにくるつもりだ」
「カーテン越しでは、もうヘルメットを預かれないし、龍翔の姿なら教室にいても見える」
「いや、バイクのヘルメットは、桜子に会うための口実で−−」
「ヘルメットを預けるのが、私に会う口実だったとしても、カーテンから先は、親族以外が立入禁止なんだ。どうせ顔を合わすだけなら、ここからでも会えるでしょう?」
私の学校は夏休み、進学対象者に受験対策の補講したり、教室を開放したりしているので、龍翔も通うだろうし、私は照れくさくて返信しなかったけれど、スマートフォンで連絡することだってできる。
「桜子は、やっぱ俺のことが」
「違うよ。私だって女の子だから、龍翔に会うならおしゃれしたいじゃん。でもお風呂だって毎日入れないし、今日みたいに疲れた顔を見られたくないんだ。だからさ、私が会いたいときは、ちゃんと連絡するから会いにきてよ」
「あ、そうか。そういうことなら解ったぜ」
龍翔とは、それから小一時間ほど会話して別れたが、私から彼を呼び出すつもりはなかった。
私たちは誤解が解けた今、私は一日でも長生きすることに専念するべきだし、龍翔は国立大学医学部に進学するためにも勉強に専念するべきだと思ったからだ。
◇◆◇
それは進学対象者に向けた補講が始まった夏休み、ついに私の人生史上、最大のミステリー事件が起きる。
龍翔とは、あれ以来、お互いの近況をスマートフォンで伝え合うだけで、遠くからしか顔を合わせていないのだが、彼は不満を漏らしていなかった。
私は定型句ように『勉強がんばって』しか返信しないのだが、龍翔は、私からの呼び出しがなくても、会いたいとは言わなかったから、きっと不満が溜まっていたのだろう。
「龍翔は、いったい何をしているの?」
龍翔は校門前で、緑の葉が生茂る桜の木を見上げていたが、何を考えているのか、するすると木登りすると、その葉を千切って落としていた。
私は、いつか桜の葉が全て落ちるとき、この世にいないと、オー・ヘンリー『最後の一葉』を引用して、龍翔に聞かせたことがあったのだから、桜の葉を残す努力をしても、わざわざ散らす努力をする意味が解らない。
いつまでも呼び出さない私に苛立って、もはや死期を早めようと画策しているのだろうか。
「こらッ、何をやっているんだ!」
生徒指導の木村が、病室まで聞こえる大声で、木に登って桜の葉を千切る龍翔を注意している。
それはそうだろう。
優等生の龍翔が、学校の木に登って葉を千切っているのだから、生徒指導の木村や用務員の中野が怒って当然である。
龍翔は、身振り手振りで弁解していると、話を聞いていた木村と中野は大きく頷いて、用務員が手にしていた丈ぼうきを彼に渡した。
「龍翔に、掃除させるつもりね」
と、私は思ったのだが、竹刀を振り翳した木村は、それで桜の木を叩き始めるし、龍翔は、再び丈ぼうきで桜の葉を払い落とせば、中野も丈ぼうきを用意して加勢した。
それは、まるでゾンビに噛まれた人間がゾンビになって、桜の木を攻撃しているようだ。
龍翔は、私が桜並木に思い入れがあると知っているし、彼と話していた生徒指導の木村や用務員の中野は、学校の植木を痛めつける意味もない。
サクラゾンビウィルス。
彼らは、そんなウィルスに感染してしまったのか。
次回は【解答編】です。
桜子が『桜の葉が全て落ちれば、この世にいない』と伝えたにもかかわらず、桜の葉を払い落とした龍翔たちには、どんな理由があるのか推理してください。面白いと思ってくれた方は、ブックマークと評価もよろしくお願いします。




