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……澄くんはとても悲しそうな目をしていた。
今の話は星の話よりもずっと、とても言いにくい話だったと思う。でも、その話を澄くんは星にしてくれた。澄くんは星を頼っているのだ。それは確かに澄くんの星への信頼の証だった。
その信頼を星は確かに自分の心で感じ取った。
「話をしてくれてありがとう」と星は言った。
「ううん。こちらこそ、話を聞いてくれてありがとう」と澄くんはにっこりと笑ってそう言った。
二人はこうしてお互いの秘密を交換し、共有した。
それでなにかが変わるわけでも、解決するわけでもないのだけど、二人はそうしないわけにはいかなかった。
一旦話し出すと、二人の言葉は、二人ともほとんど止まることはなかった。
二人の心はずっと溜め込んでいた大量の言葉たちを外に向けて解放したせいで、あるいはお互いに背負っていた重い荷物を二人で協力して持ち合ったせいで、心と体の両方がすごく、星の体は、まるで一枚の羽のように、あるいは透明な風のように軽くなった。
絶好調の自分を感じて、今なら空でも飛べそうだと星は思った。
二人は笑い合い、それから山田海の元に向かって、また冷たい冬の森の中を二人で一緒に歩き出した。
それはきっと儀式のようなものだった。
元々、星は自分一人で海を見つけるつもりだった。
星が海を探す旅の途中で誰か他の人にその力と知恵を頼るということは、パートナーの魚を除いて、これが初めてのことだった。いや、もしかしたら海以外の人に星が本当に本心で誰かに頼るというのは今が初めてのことなのかもしれない。
それくらい星は澄くんのことを信頼し、また澄くんの力を頼りにしていた。
心臓がどきどきしている。
もしかしたら自分はこのまま、今までの私の知っている本田星ではない誰か違う誰かになってしまうのではないかとすら思えるくらい不安があった。
その星の不安はあながち間違ってはいない。
星は向こう側が見えない崖の端を今、思いっきり助走をつけてジャンプし、飛び越えようとしているのだ。(それは立場を変えれば、もちろん澄くんも同じだ)
もし仮に、澄くんが星の伸ばした手をきちんと受け取ってくさなかったとしたら、星はそのまま崖の下にある真っ暗な深い闇の底まで落っこちることになる。
そうなればもう二度と、今いる場所に星は帰ってくることができなくなってしまうだろう。
ちょうど今、星のパートナーをしている『魚』と同じように。
闇の中をさまよう存在に。一匹の黒い魚に、あるいは一匹の黒い猫に星は変化してしまうのかもしれなかった。
星はちらちらと隣を歩く澄くんの横顔を見続けている。
澄。
澄くん。
澄くんは不思議だ。
思えば初めて会ったときから、澄くんは不思議な人だった。
門のところで海のことを話しているとき、星は澄くんの前で泣いてしまった。
どうして会ったばかりの人の前で、あんなに簡単に泣けたんだろう?
いつもならそんなことは絶対にないと言い切れる。泣くときは星は一人で泣くからだ。星が自分の涙を見せることがあるのは自分以外の人間ではただ一人山本海だけだった。その海にだって、基本、星は涙を見せない。
今ならなんとなく、澄くんと海には似ているところがあるから、という答えを、あるいは自分への言い訳を、一応、見つけることができる。
……でも、本当にそれだけなの?
星には答えがわからない。
いや、そもそも答えなんてないのかもしれない。
答えのない問い。世の中には、あるいは人の心の中には、いつだってそんな意地悪な問いで溢れているものなのだ。
澄くん。
星は必死で澄くんに手を伸ばす。
その手は本物の手ではない、空想の中の透明な手だ。星は透明な手で澄くんの手に触れようとしている。その手をしっかりと星は澄くんに向かって伸ばしている。
その手は目には見えない。
星にも澄くんにも見えないのだ。
でも、その見えない手を澄くんはしっかりとキャッチしてくれた。星の透明な手を握ったのは、澄くんの透明な手だった。
澄くんの見えない手の感触を感じて、星の心は確かに震えた。
二人はつながっていると思った。
お互いの心をしっかりと認識していると思った。
星の目は潤み、その頬は赤みを帯びている。
もし澄くんになにかを言われたら、それはまだ少し熱があるから、と言い訳をしようと星は思った。
二人は川の上流に向かって森の中を歩いていた。
星の所持している黒い本に浮かび上がってきた森の地図によれば、そちらの方向には一軒の小屋があった。
星は魚と相談した結果、まずはその小屋に向かうことにした。
その小屋は川の上流付近にあった。
森の地図には澄くんの住んでいる森の門番の人が代々住んでいる家も載っていた。澄くんの家から川の上流にある小屋までは、近いというわけではないけれど、今までの長い旅を考えれば、それほど遠い場所にあるわけでもなかった。
でも、問題が一つだけあった。
それはその小屋が川の反対側にあるということだった。
なぜそれが問題になるのかというと、星のパートナーである魚が『水が苦手』だという事実があるからだった。
魚は魚なのに水が苦手なのだ。なんとも根性のない魚である。
川の上流には大きな崖があり、そこには滝があった。
その滝から流れ出た水が川となり、下流に向かって流れているのだ。地図によると小屋はその川の反対側の崖の上のあたりにあるようだった。
しかしそこまで行く手段がない。
困ってしまった二人は、とにかく周囲の情報を集めるために二手に分かれて行動することにした。
澄くんは滝と滝の周辺の森や崖を調べて、先に進める道がないかを探して、星は滝の近くにあるちょうど良い形をした小ぶりな岩の上に座って、黒い本を読んで、先に進むための手がかりを探すことにした。
澄くんがいなくなって、星は一人で黙々と本を読んでいた。
でも、なんだかあんまり読書に集中することができなかった。
「はぁ~」と星は大きなため息をついた。




