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「うん。本当」と澄くんは言った。

「料理だけじゃなくて、僕は森にやってきてこの家で生活するようになるまで、掃除も洗濯も、あとこれは珍しいことだとは思うけど、薪割りとか水汲みとか、家の中のいろんな箇所の手入れとか、そういったことがまるでなにもできなかったんだ」澄くんはとても楽しそうな表情で、そんなことを星に語る。

 星は黙ったまま、時折サラダを口に運んだりしながら、澄くんの話をじっと聞いていた。

「門番の仕事とか青猫と遊ぶこととか、森の中の散歩とか、夜に星を見ることとか、食事のあとで、一人でじっと本を読む時間とか、すごく楽しかった。あらゆるものが新鮮で、あらゆることが初めての経験ばかりだったんだ」

 澄くんが(かりかりの)ベーコンを食べる。星はパンをちぎって、そのひとかけらを口の中に入れた。

「もちろん失敗もたくさんあった。でも、そういうことを含めて、これが一人の生活なんだと思ったんだ。全部が自分の力で勝ち取ったものではないんだけどさ、生活しているって手応えがあったんだ。まるで自分がまっとうな一人の人間になれたみたいでさ、それが嬉しかったんだ。すごくね」と澄くんは言った。

「僕は森にやってくるまで、一人ではなんにもすることができなかった。でも森の中で必要に迫られたときにいろんなことをやってみたら、案外すんなりと、もちろん全部ではないけれど、自分でもいろんなことをすることができた。

 なにかができないというのは、たとえば僕に料理や掃除や洗濯ができないとか、そういったことは僕の勝手な単なる思い込みばかりだったんだよ。やってみれば、もちろん全部ではないけれど、ほとんどのことは自分でできることばかりだったんだ。それがわかってすごく嬉しった」

 そこで澄くんはコーヒーを一口飲んだ。澄くんは淹れたてのコーヒーをミルクで半分に割って飲んでいる。

 星はコーヒーに(澄くんに確認をとってから、おそらく森の中では貴重品だと思われる)角砂糖をいれて、それを木製のティースプーンでかき混ぜている。

 星は猫舌なので、すぐに熱いコーヒは飲むことができないのだ。


「もしかしたら僕を構成しているあらゆる現象は僕のただの思い込みにすぎないんじゃないかって、森にやってきてから思うようになったんだ。僕を形作っていたのは家族とか学校とか街とか、そういう環境であり、僕自身ではなかったのかもしれないって思うようになった。僕は森にやってくることで、僕自身を取り戻すことが(思い出すことが)できたんだと思うんだ。そう考えると、すごく愉快でなんだかとても楽しい気分になったんだよ」と澄くんは(本当に楽しそうに)そう言った。

 澄くんはそこで言葉を区切って星を見た。

 どうやら澄くんは星の言葉を待っているようだ。でも、星はその澄くんの話にはとくになんの(肯定も否定も)意見も話さなかった。

「……僕はたくさんのなにかを諦めて自由を手に入れた。そして結局のところ、僕には『森だけ』が残ったんだ」

 澄くんは少しだけ寂しそうにそう呟いた。

 澄くんはそこで言葉を閉じた。

 澄くんはなにもしゃべらなくなった。

 だから、代わりに今度は星は(なるべく明るい雰囲気で)自分が気になっていたことを澄くんに質問することにした。


「澄くんは森にやってきてどれくらいになるの?」と星は聞いた。

「一年くらいかな?」と澄くんは言った。

 ……一年。一年も森の中で一人の(青猫はいるけど)生活をしているんだ。

 星はまじまじと、改めて澄くんの顔をじっと見つめた。

「え? な、なに?」と澄くんは言って、顔を赤くしてうろたえる。(星にじっと見つめられて恥ずかしいのだ)

 そうしてよく見てると、澄くんはとても若いように見える。(星も十八歳で若いけど、さらに年下のように思える)

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