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誰も欲しがらない最弱迷宮に転生しましたが、戦わず育てていたら気づけば行列のできるダンジョンになっていました  作者: 久留トガ


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第1話 最弱の迷宮

 目を覚ました瞬間、俺は自分がどこにいるのか分からなかった。


 見上げた天井は、天井ではなく、ごつごつした岩の洞窟だった。体を起こそうとして、妙な違和感に気づく。指が、やけにはっきりと動く。息をすれば、冷たい空気が肺に流れ込んでくる。生きている、という実感が、やたらと生々しい。


 ――待て。俺、死んだはずじゃなかったか。


 前の人生の記憶は、驚くほど曖昧だった。名前も、顔も、どこで生まれたのかも、輪郭がぼやけてまるで思い出せない。ただ、頭の中には、妙に実務的な知識だけがはっきりと残っている。KPI、PDCA、リソース配分、進捗管理。まるで転職活動でもしていたかのような、味気ない言葉の数々だ。


「……普通、転生するならチート魔法とか、剣術の才能とかじゃないのか」


 誰に向けるでもなく呟いて、俺は苦笑した。困惑よりも先に、乾いた笑いが込み上げてくる。どうせ状況が分からないなら、面白がった者勝ちだろう。


 ゆっくりと体を起こし、周囲を見渡す。洞窟の壁はひんやりと湿り気を帯び、遠くから水滴の落ちる音が規則的に響いていた。灯りらしい灯りはないはずなのに、なぜか輪郭ははっきりと見える。目の機能というより、この場所そのものを感知しているような感覚だった。


「暗いのに見える、と。便利といえば便利だが、なんか不気味だな……」


 試しに歩いてみると、通路はものの数十歩で行き止まりになった。左に折れても、右に折れても、似たような狭い空間が続くばかりで、これといった特徴もない。冒険者が見たら、五分もかからず「はずれ」と判断して帰ってしまいそうな、実に地味な迷宮だった。


「立地も内装も、褒めるところが一つもないな、これは」


 自分の体を軽く叩いてみる。痛みはちゃんとある。血の通った、生身の感触だ。だというのに、洞窟の隅々の様子が、まるで自分の手足の延長のように伝わってくる。矛盾しているようで、不思議と気持ち悪さはなかった。


---


 立ち上がって周囲を見回すと、視界の端に、見慣れないはずなのに妙にしっくりくる表示が浮かんだ。


```

【迷宮ステータス】

名称:(未設定)

ランク:F

迷宮ポイント:3

```


「……は?」


 目をこすっても消えない。むしろ念じると、するすると詳細が展開していく。どうやら俺自身が、この洞窟――迷宮そのものらしい。人間の体を持っているのに、存在としてはこの岩壁や通路と地続きになっている。


「待て待て待て。俺、人間じゃなくて、迷宮なのか」


 自分の手のひらを見つめる。皮膚も、爪も、ちゃんと人間のものだ。腹も減るし、喉も渇いている。だが同時に、この洞窟の隅々までが、まるで自分の手足のように感覚として伝わってくる。


 ――迷宮主が宿った迷宮核。頭の奥に、そんな言葉が浮かんでは消えた。誰に教わったわけでもないのに、なぜか理解できてしまう。この世界の迷宮は、大地の魔力が凝縮してできる核を中心に形成される。ごく稀に、その核そのものに人格が宿ることがある――今の俺のように。


「マニュアルくらい寄越してくれよ、まったく」


 文句を言っても、誰も答えてくれなかった。


---


 迷宮ポイント、という表示が気になって、俺はその項目に意識を向けてみた。


```

【迷宮ポイント】

現在値:3

用途:モンスター生成/階層拡張/設置物作成

獲得方法:冒険者の探索・攻略行動による自動加算

```


 思わず「そういうことか」と声が漏れた。冒険者が迷宮に潜れば潜るほど、ポイントが貯まる。そのポイントを使って、モンスターを生み出したり、迷宮を広げたりできる。


「これ、完全に経営シミュレーションのUIじゃないか、まったく」


 前世の記憶がおぼろげでも、こういう仕組みだけは妙に馴染みがいい。冒険者を呼び込む。呼び込んだ分だけ資源が増える。資源を投資して、施設を拡張する。拡張すればさらに人が集まる――どこかで見た経営理論そのものだ。


 ただし、現在のポイントは3。焼け石に水にもならない数字だった。


「3ポイントで何ができるんだ、これ」


 念じて詳細を確認すると、ポイントの使い道にはいくつかの候補が並んでいた。


```

【生成可能候補】

・下級スライム(1pt)

・下級ゴブリン幼体(2pt)

・照明用魔石(1pt)

```


 どれも地味という他ない。だが、地味さを笑っている場合ではない。何もないところから何かを始めるには、まずこの小さな一歩を踏み出すしかないのだ。


「そもそも、この迷宮、誰も来てくれるのか?」


 試しに周囲を歩いてみる。最弱ランクのFという評価に恥じない、狭くて薄暗い、行き止まりばかりの通路だった。壁には申し訳程度に魔力の痕跡が滲んでいるだけで、これといった見どころもない。


 冒険者ギルドに登録されている情報を、迷宮の感覚を通じてなんとなく拾い上げる。この迷宮は、かれこれ何年も放置され、誰も引き取り手のなかった「死にかけの迷宮核」として扱われていたらしい。過去には何人かの迷宮主候補が視察に訪れたようだが、誰もが「見込みなし」の一言で立ち去っている。


 管理記録の片隅には、こんな一文まで残されていた。「この迷宮核は近く自然消滅する見込み。処分手続きを検討されたし」――処分。ずいぶんな言われようだ。


 記録をさらに辿ると、担当者の欄には「バルトス」という名前が繰り返し記されていた。何度も視察には来たものの、その都度「見込みなし」の一言で片付けている、どうやら口の悪い管理局員らしい。いずれ顔を合わせることもあるのだろうか、と俺は他人事のようにぼんやり思った。


「誰も欲しがらなかった迷宮、か」


 どこか、身に覚えのある響きだった。前世でどんな人生を送っていたのかは思い出せないが、この状況に対して湧いてくる感情は、絶望よりも奇妙な親近感の方が強かった。


 誰にも期待されていない場所から始める。それなら、失うものは何もない。むしろ、伸びしろしかないと思えば、悪くない出発点だった。


---


 試しに、迷宮の出入り口の様子も覗いてみることにした。感覚を外へ伸ばすと、遠く離れた場所に、小さな町の気配があった。冒険者ギルドの支部と、迷宮を管理する出張所らしき建物も見える。


 だが、この迷宮に足を運ぶ者の気配は、今のところ一つもなかった。近くの町から続く道には、雑草が生い茂り、久しく人が通った形跡がない。看板の類も見当たらず、この場所に迷宮があることすら、今では忘れられているのかもしれなかった。


「そりゃそうか。処分待ちの迷宮に、誰がわざわざ来るんだよ」


 少し肩を落としかけて、俺は思い直した。誰も来ないなら、来たくなる迷宮にすればいい。前世の記憶に残っていた仕事の知識が、頭の中でかすかに疼く。集客、投資、育成――呼び方は違えど、要はやることは同じだ。


 まずは実績作りだ。小さくてもいい、誰かが「行ってみようか」と思えるだけの噂を作る。噂が人を呼び、人がポイントを生み、ポイントが次の一歩を作る。地道ではあるが、遠回りでもないはずだった。


 どうせなら、腐らずにやってみるか。


 俺は迷宮ポイントの使い道を、あらためて確認した。3ポイントで生成できるのは、最下級のモンスターがせいぜいらしい。スライム、ゴブリンの幼体、あるいは名もない小さな魔物。


 贅沢は言えない。まずは種を蒔かなければ、何も始まらない。


「よし。とりあえず、一体作ってみるか」


 念じると、体の奥――いや、迷宮の奥から、ぬるりとした魔力が一箇所に集まっていく感覚があった。それは、これから何かが生まれようとする、静かな予兆だった。


 冒険者向けの経営理論も、モンスター育成の知識も、正直まったく持ち合わせていない。あるのは、前世の職業病じみたマネジメントの発想と、目の前の存在に丁寧に向き合おうとする、地道な性分だけだ。


「さて、どんな奴が生まれてくるんだか」


 前世の記憶はおぼろげでも、こういう瞬間に妙にワクワクする性分だけは、変わっていないらしい。新しいプロジェクトの立ち上げ初日、真っ白な企画書を前にした時のような、あの落ち着かない高揚感。忘れていたはずのその感覚が、こんな場所で蘇るとは思わなかった。


 通路の奥、薄暗い水たまりのそばで、小さな魔力の塊がゆっくりと形を持ち始めていた。ぷるり、と震えるようなその気配に、俺は思わず身を乗り出した。まだ輪郭ははっきりしない。それでも、確かに何かが、この迷宮に生まれようとしていた。


「……来る」


 誰に聞かせるでもない一言が、静かな洞窟に小さく響いた。誰にも見向きもされなかった迷宮での、初めての一歩だった。この先どんな日々が待っているのか、今はまだ、想像もつかなかった。



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