フォーマルハウト
静かな夜である。1人部屋で私は音楽を聴いていた。
ショパン 『別れの曲』
格好つけてるわけではない。でも、小説なんかを書き始めたら聴くしかなくなってきたんだから仕方ない。
子供頃、クラッシックなんて嫌いだった。いや、幼女の頃はむしろロックが騒がしくて嫌いではあったが、物心着く頃には逆転していた。
テレビは全盛期で、私達はブラウン管の向こうの歌手に胸を躍らせた。
アイドル、という言葉は、今考えると少しニュアンスが違う。当時は本気で『歌を歌う』という職業を目指して頑張っている、という雰囲気があったからだ。
ともかく、私はテレビから流れる歌謡曲が好きで、クラッシックはあまり好きにはなれなかった。
当時のクラッシックは、学校に演奏に来ても無言で音を立てるなとか、説教をされて聴く面倒臭い音楽だった。
その説教をきてから、私はクラッシックを聴くような上品な世界に憧れても、私には合わないと嫌厭した。
時代が流れ、クラッシックも随分と敷居が低くなってはいるが、そうすると、今度は観客の出す音が気になってくる。人間というのは贅沢でわがままなものである。
ともかく、うちは一般的な貧乏家庭であった。だから、父はクラッシックは聴かなかった。父も私も歌謡曲が好きで、でも、大人の歌詞の歌を歌うと怒られた。
母は、演歌が好きで、そんな番組をよく見ていた。そのうち洋曲が流行り始めて、ロックの番組が流行ると、そのうちの年配の演奏者が『いやあ、この年になると、突然、演歌が聴きたくなることがあるんですよ。やはり、日本人なんですかね。』なんてコメントしていた。
子供の頃、私もそんな大人になるんだと、そう、考えていた。
が、令和の現在、私はクラッシックを聴いている。
自分の未完をなんとかするために。
そして、著作権の切れた音楽を知るために。
そして、ショパンを聴く。『別れの曲』は、トレンディードラマでも使われていて、演奏もしやすいらしいし、綺麗な曲なので今でも人気がある。
友情といえば、この曲も故郷からパリにゆくその時に、故郷を思って作られた、とも言われている。
故郷といえば、家族や友人に思いは続くから、友情の曲、ともいえなくはない。
まあ、悲恋の曲だ、ポーランドを嘆く曲だと、ネットではさまざまな解釈があるから、好きなものを思って聴くのがいいきもする。実際、『別れの曲』なんて、ショパンがつけた名前じゃないし。
と、いうわけで、私も今日は故郷と剛を思って聴いている。
友情のテーマで、何か気のきいた短編でも残してあげたかった。
あいつは、独身で、訳のわからない怠けものだったから、あまり、周りからよくは思われてなかったようだし、自分もあまり自分をよくは思ってなかった。
生きてる間に、なんか、面白い話を書いて評価と少しばかりの小銭を稼いでフライドポテトでも食べながら、
「あんたは、まあ、いい奴だよ。」
と、言ってやりたかった。
でも、思い出すのは、喧嘩したこととか、罵った思いだばかりで、美しい、なんかいい話なんて浮かばない。
生前、食いしん坊の剛が糖尿病とかで入院して、お見舞いに来た私に剛が
「いいんだ、もう、なにも食べたくないんだ。」
なんて言ってたら、私、泣く。とか、思って怖かった。逆にあれが食べたい、これが食べたいとか、うわ言を言われるのも辛いだろうと思った。
でも、知らないうちにあっけなく死んでしまわれると、今度は、どこに心の拠り所を持って行っていいのか、和からなくなる。
どこかで、私は、まだ、剛が生きてるような気がするからだ。
コナンドイルも、戦死した友達に会いたくて降霊術を始めたとか、一部では言われてる。
それが嘘か、本当かはわからないけれど、でも、遠くで友達を亡くした喪失感と、そうまでして会いたくなる、そんな気持ちは、なんとなく、理解出来る気がする。
今年、2025年はホームズの現役最後の年から100年である。
100年前、ドイルは、自分の人生すら変えて、作者という絶対者の死の呪縛すら逃げ押せたシャーロック・ホームズに何を感じていたのだろう?
引退するホームズに、思うのは友情か、親のような気持ちなのか…
この年に明智小五郎がデビューすると思うと、なんだか、不思議な気がする。
あれから100年。ああ、私も今年は、何か、いい作品を残したかったわ。
でも、そうそう簡単には出てこないモノなのだ。
web作家は友情を描くのが苦手とか、ネットの噂を聞いたけれど、でも、せめて小説くらいいい感じの友情物語を演じてみたいモノである。




