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菩提樹の下で  作者: マーク・ランシット


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7/12

 20畳ほどのリビングに、全員が集っていた。


一人掛けのソファーにラシンゲ博士と竹井竜一が、3人掛けのソファーにラシンゲ夫人と次女のサリーが座っていた。後からやって来たマリーと淳は、残されたソファーに一緒に座った。セイロン紅茶の芳しい香りが、辺りに満ちている。


「ねえ、マリー。宮沢賢治って知ってる。今日、竹井教授がスピーチの中で紹介したんですって」

 コロンボ大学の1年生のサリーが聞いた。どうやら、シンポジウムに参加した仲間からの情報らしかった。


「ごめんなさい。よく知らないわ。銀河鉄道の夜って作品が有名らしいけど・・」

 マリーはそう言うと、助けを求めるように淳の方を見た。サリーのせがむ様な視線が、追いかけて来る。


「残念ながら、僕もよく知らないんだ。ただ、銀河鉄道の夜は中学の国語の教科書にのってたかな。でも僕はどちらかっていうと太宰治の走れメロスの方が好きだった。単純な性格なんで・・・」

 淳の言葉にサリーががっかりした表情になる。


「じゃ、M理論はどう。これって、ジュンの専門分野でしょ」

 サリーは、期待の眼で淳を見た。成り立ての大学生は好奇心に満ち溢れている。


「M理論の触りだけでいい。それとも、アインシュタイン辺りから説明しようか?」

 淳は、こんどは名誉回復のために自信たっぷりに言った。


「もちろん、アインシュタインからお願いします。ジュン教授」

「紅茶一杯じゃ、ちょっと授業料が足りないけど、今日のところは、君の向学心に免じてサービスしてあげよう」

 淳の冗談に、みなが微笑んだ。ラシンゲ博士が竜一に、満足そうに頷いてみせた。


「アインシュタインがノーベル賞を受賞したのは、光子が金属表面にぶつかる現象を説明した事に依ってであって、一般相対性理論に依ってではない。まずこれが、物理学への第一歩だ」

「へー、そうなんだ」

 サリーが意外な顔をした。アインシュタインの名を一躍有名にしたのが、一般相対性理論だったからである。


「そのアインシュタインには、見果てぬ夢があった。それは、宇宙を動かす根源の力をシンプルな形に統一すること・・。しかし、その夢は、結局、叶えられなかった」

「どうして」

「それは僕にも分からない。だって、僕は彼ではないからね。でも、理由はいくつか考えられる。一つには、彼が統一しようとした2つの力、重力と電磁気力。この間には大きな力の差が有ったんだ。つまり電磁気力に比べて、重力は圧倒的に小さい力なんだ」

「どれくらい小さいの?」

「10の38乗倍・・。つまり電磁気力の方が1,000,000,000,000,00,000,000,000,000,000,000,000,000倍大きいんだ」


 サリーの眼に、困惑の色が広がった。彼女の常識では、重力は惑星をつなぐ巨大な力だと思っていたからだ。しかし、それは重力が莫大な物質の集合体に働いているからであって、原子のレベルでは問題にならないほど小さなものだった。


「さらに、陽子と中性子を繋ぐ「強い力」や、原子核の崩壊を引き起こす「弱い力」は、ミクロの距離でしか作用しないけれど、とても大きな力だ。これらの力をシンプルに統一するなんて、並大抵のことじゃない。一説によると、アインシュタインは、この2つの力を説明した量子力学の論文を、読んでいなかったという話すらあるんだ」

 淳の説明に、サリーは既にギブアップ状態だった。調子に乗って、M理論の事など聞くべきではなかったと後悔した。


「ジュン教授、ごめんなさい。すこし、ハショッテ、結論の方をお願いします」

 サリーの悲鳴に、みんなが笑った。


「サリー、聞いてなかったけど、君の専攻は物理学じゃないのかい」

 淳の質問に、彼女は首を振った。医学部よ、と小さい声で答えた。


「じゃ、しょうがないな。ハショッタ部分は、君への宿題だ。後でレポートを提出してくれ」

 サリーは助けを求めるように、姉のマリーを見た。しかし、彼女は厳しい顔で首を振った。サリーは泣きそうな顔をした。


「M理論というのは、プリンストン高等研究所のエドワード・ウイッテンに依って提唱された理論なんだけど、ヒモ理論誕生の経緯から説明しないと、君にはさっぱり分からないと思うので、そこから説明する事にする。

 恐らく君も物質の最小単位は素粒子(陽子、中性子、電子)だと習ったと思う。

 これらは大きさを持たない点だと表現されている。しかし、この考えには大きな問題がある事が発見されたんだ。つまり、大きさを持たない点の中で働く電磁気力や重力は無限大になってしまい、それではこの世界が存在出来ない事になってしまうことが分かったんだ」

 淳は、そこで言葉を切った。サリーの顔を覗き込むと、彼女は苦笑い浮かべた。きっと分かっていないのだろう。


「1968年にイタリア人物理学者ガブリエーレ・ベネチアーノが、「強い力」を説明するためにオイラーの関数を発見する。そして、アメリカ人物理学者のレナード・サスキンドが、そのオイラーの関数が、ある粒子の動きを説明していることに気が付いたんだ。サスキンドが詳しく研究して行くと、その粒子は、これまで2000年以上の間、世界中の物理学者たちが信じてきた、丸い粒子ではなく、ヒモの形をしていたんだ。しかも、クネクネと振動している」

 サリーは、淳の視線を拒むように、目をつぶった。物理学者でなければ、ついて行けない世界だった。しかし、淳は説明を続けた。


「それが、ヒモ理論の始まりだ。このヒモ理論のおかげで、電磁気力や重力の無限大の問題は解決出来たんだ。しかし、そのヒモ理論には、幾つかの矛盾が含まれていたんだ。1973年にその矛盾を解決したのが、ジョン・シュワルツとマイケル・グリーンだった。ちなみにマイケル・グリーンは君のお父さんと同じケンブリッジ大学の教授だ」 

 サリーが本当と言う顔で父を見た。ラシンゲ博士が、淳にウインクして見せた。


「この二人の提唱した理論は、万物の理論と呼ばれるようになった。なぜなら、この小さなヒモ。水素原子の百億分の1の、また百億分の1の大きさなんだけど、これが量子レベルで重力を伝達する粒子だと分かったからだ。つまり、この理論に拠って、4つの力が統一されたんだ」

「M理論じゃないの・・・」

 サリーは、淳だけではなく、微笑を浮かべている物理学者たちの顔を順番に見た。しかし、だれも答えなかった。


「この万物の理論が話題になると、世界中の物理学者が本格的に研究する事になった。すると、この理論には5つのモデルが誕生したんだ。これには、みんな落胆した。だれも、どのモデルが正しいのか結論が出せなかったからだ。その時、登場したスーパーマンが、このM理論だったんだ」

「やったー」

 サリーの無邪気な声に、みんなが大笑いした。マリーと淳は微笑を交し合った。


「エドワード・ウイッテンは、これらの5つのモデルが、色々な状況で表情を変える様なものだと説明している。いまのところ、このM理論に拠って、ヒモ理論は上手く説明されていて、物理学者たちの間では、最も期待された理論なんだ。サリー、もっと詳しく説明して欲しい?」

 淳の質問に、サリーは大きく首を振った。



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