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菩提樹の下で  作者: マーク・ランシット


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4/12

 コロンボ大学の講堂の中では、世界中の著名な物理学者が集って、シンポジウムが行われていた。


それは1955年6月5日にスリランカで行われた、皆既日食調査を記念した催しだった。この時の観察で、アインシュタインが相対性理論の中で予言した、光が太陽のような質量の大きな物体の近くでは、曲がるという事が実証されたのだ。


 東大教授の竹井竜一は、各国のノーベル賞受賞者たちに交じって、祝辞のスピーチに立っていた。


「私が、このスリランカを始めて訪れたのは15年前です。その時の出来事が私に大きな衝撃を与えました。それは、このコロンボの浜辺で見た、インド洋に沈む荘厳な夕暮れの光景です。赤道に近いため、それは一瞬の出来事でした。巨大な太陽が、黄色、オレンジ、赤へと色を変えながら水平線の中に沈んでいく。

 ふと気が付くと、天空には無数の星々が、宝石の様な輝きを放っていました。その神秘的で力強い光のつぶてが、私を傲慢な宇宙物理学者から、一人のちっぽけな人間へと引き戻してくれたのです。

 ガリレオの時代と違って、我々はもう自分達の目で、直接天体を観測することはありません。可視光はもとより、X線やガンマ線を通した映像を、コンピュータ処理して観測しているのです。それは、ある意味しかたの無い事です。しかし、時々、東京の研究室でモニター画面を覗き込みながら思うのです。

 星も見えない空の下で、自分はいったい何を遣っているのだろうかと・・・」


 会場から笑いが漏れた。身につまされた仲間がいたのだろう。


「物理学の研究施設は、年を重ねるごとに、巨大化しています。原子核を構成する陽子。その大きさは一億分の1ミリのまた一万分の一です。その陽子崩壊を確認するため、岐阜県神岡鉱山の地下1000メートルに、3000トンの真水を貯めた施設が建設されました。皆さんもご存知のカミオカンデです。残念ながら、この施設では陽子崩壊の確認は出来ませんでしたが、代わりにニュートリノの観測にシフトして成功を収め、やがて2人のノーベル賞受賞者を輩出することになりました。

 また、宇宙を観測する為に、ハワイ山頂のすばる望遠鏡や、宇宙空間に浮かぶハッブル宇宙望遠鏡等が巨額の経費を投じて建設されました。それらは、我々に貴重な資料を提供し、宇宙物理学や素粒子物理学の進歩に多大な貢献をしてくれています。しかし・・」


 竹井はそこで言葉を切って、会場を見渡した。聴衆は、静かに次の言葉を待っている。


「その投じられた巨額の経費が、こんどは我々の自由な発想を奪い、熾烈で安直な発見レースに駆り立てられることになりました。本来、エゴやドグマ(独断)とは無縁であるはずの我々が、出資者への遠慮から、自分の学説をかたくなに守ろうと争い、閉じこもる傾向が増えてきているのです」


 いつしか、会場にはしわぶき一つ聞こえなくなっていた。それは、多くの科学者たちにとって身に覚えのある出来事だった。


「古来、物理学は自然哲学と呼ばれてきました。著明な科学者たちは、同時に詩人でもあったのです。あの湯川秀樹博士も、何を求めているのかと言う問いに、詩の世界だと答えています。つまり、詩人も科学者も同じものを求めてきたのです。


 一つぶの砂にも一世界が

 一輪の野の花にも一天界が見え

 たなごころに無限を

 ひとときのうちに永劫を握る


 これは、イギリスの詩人、ウイリアム・ブレイクの作品です。この詩は、多くの物理学者たちに影響を与えました」


 会場のあちこちで、頷く姿が見られた。竹井は、コップの水を一口飲んだ。


「われやがて死なん

  今日又は明日

 あたらしくまたわれとは何かを考へる

 われとは畢竟ひっきょう法則の外の何でもない


   からだは骨や血や肉や

   それらは結局さまざまな分子で

   幾十種かの原子の結合

   原子は結局真空の一体

   外界もまたしかり


 われわが身と外界とをしかく感じ

 これらの物資諸種に働く

 その法則をわれと云う

 われ死して真空に帰するや

 ふただびわれと感ずるや

 ともにそこにあるは一の法則のみ

  

 これは、私の好きな宮沢賢治の詩の一節です。賢治は、その詩の中で、宇宙に存在する全ての物が、究極のところで同じ一つのものにつながっていると書きました。その鋭い洞察力で、原子の世界と、無限の広さをもつ宇宙をも包み込む、一つの法則がある事を感じ取っていたのです。


 どうか、ここにお集まりの皆さまだけは、このスリランカの星空の下に身を置いて頂きたい。降り注ぐ光のシャワーを感じて頂きたいのです。少しの間だけ、数式を忘れ、自分のなかの詩人と対話して下さい。ウイスキーグラスの代わりに、一晩だけ、その手にペンを取って欲しいのです」


 オーケー、リュウイチ。と誰かが叫んだ。

 会場が温かい笑いに包まれた。竹井も微笑んで、みなに答えた。


「ウイリアム・ブレイクや宮沢賢治が、直感的に感じ取った宇宙を包含する法則。それは、我々にとっては「重力」「電磁気力」「弱い力」「強い力」という物理学上の4つの力を統一する、夢の超大統一理論のことかも知れません。


 やがて、エドワード・ウィッテンが提唱したM理論か、もしくは別の新しい理論に拠って、この宇宙の4つの力が統一される日が来ることでしょう。


 しかし、その時が来ても、我々は常に詩人のこころを持ち、畏敬の念を保ち続けていくべきです。我々のちっぽけなエゴやドグマなど、宇宙の無限の広がりと永遠の時間の前では、無に等しいのですから・・」


 会場は、沈黙につつまれた。


「最後に、再び、宮沢賢治の言葉でこのスピーチを締め括りたいと思います。


 おれたちはみな農民である。ずゐぶん忙しく仕事もつらい

 もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい

 われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった

 近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直感の一致に於いて論じたい


 世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する

 この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか


 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある

 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

 われらは世界のまことの幸福を索ねよう

 求道すでに道である」


 竹井のスピーチが終わると、会場は万雷の拍手に包まれた。


「リュウイチ、ご苦労様。素晴らしかったよ」

 主賓席に座っていたラシンゲ博士が、スピーチを終えて戻って来た竹井をねぎらった。


「いや、私こそ、こんな席でスピーチさせて貰って感謝しているよ」

 竹井は素直にそう言った。


「宮沢賢治のくだりは良かった。感動したよ。君の意見に全面的に賛同する」

「そう言ってくれると嬉しいよ。最近は、やたらと数式ばかりを振舞わす物理学者が増えて来た。嘆かわしいことだ」


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