短編一 円形の星空:前編
「きゃぁあー! うそ、またパンが焦げてる!?」
「はあ!? 何でおまえはそういつも学習しねえんだよっ! ちょっとオーブン見せてみ……三十分ッッッ!??!???!?????!???? え、いつからこのパン焼いたんだ!? そりゃ焦げるだろッッ!」
「いや、え……? いや、でもこれって秒の目盛りじゃないの……?」
「どこの世界に秒単位でパンを焼く人間がいるんだよ! 何で科学圏に住んでて機械音痴なんだ???」
「私はそもそも、パンじゃなくてご飯派なの」
「マリー・アントワネットでもそんなにふてぶてしくないぞ? 何で失敗してるのにそんなに強気でいられる? なに、お前の肝だけ牛のレベルにあるのか? レバーか?」
「誰の胸が牛だって? 馬鹿にしてんの?」
「言ってねえよまな板っ! 肝だよっ、キ・モ! お前が一番気にしすぎて自爆してんじゃねえよッ」
午前七時半。
カルラに顔をぺチぺチされて起こされるなり、焦げくさい匂いが鼻孔を刺激した。寝起き頭でまともな判断力がない友介は、なぜかひとこと「バルトルートッ!」と叫んで跳び起きて、ベッドから降りると一目散に匂いの発生源――オーブントースターへと直行し、真っ黒になった炭水化物の残骸を見つけてさらに大声を上げていた。
「で、でも……私だっておかしいと思ったのよ? 何か三分にしては長いわね……って。でも、私は自分より機械を信じることにしたのよ。そしたら、この有様よ。酷いわよね全く」
「責任転嫁が上手すぎるだろ。無機物だからってあまりに酷いぞ」
「ふんっ、うるっさいわね。もう過ぎたことはいいでしょ? もう一枚焼くわよ」
「え、何で俺が怒られてんの? パン焦がしたのお前だよな」
「友介はジャムかマーガリン、どっちがいい?」
「………ジャム」
何を言ったところで全ての責任は鉄の塊、オーブンくんに降りかかった。
何て理不尽、許せない。こんな不条理を許していいのだろうか。不幸にもほどがあるだろう、オーブンくん。
黙示録の処刑人としてはここでカルラにガツンと言ってやりたいが、どうせ聞かないだろうし、何よりオーブンくんは無機物であり、かつ、特に人工知能が搭載されているというわけでもないので流すことにした。
(……何だオーブンくんって。同居人の頭の弱さが想定外過ぎるからって現実逃避は良くねえな)
下らない思考を断ち切った友介は、ひとまず呼吸を落ち着けて席に着いた。
今までとは少し異なる模様の部屋。
だが、それもそのはずだろう。友介が今暮らしているのは、二年前からずっとお世話になって来た河合家ではない。
カルラがずっと独りで暮らしていた部屋だ。
特に女の子らしい飾りやぬいぐるみがあるわけでもない、とても寂しい部屋。女の子ひとりが過ごすにはあまりにも広く、何もない。
こんな場所に住んでいたのだ。
友介と出会った時期や転校してきたのが最近だったことから、この部屋を使い始めたのは最近なのだろうが、おそらく以前使っていた多くの部屋もそう大差ないだろう。
きっと、こんな風にだだっ広い透明な部屋だったはずだ。
もっとも――今は少し変わってきているが。
一番の変化はやはり、友介の荷物が入ったことだろう。
風代カルラと家族になる――
何があろうとカルラを肯定し、彼女を守り、一生をかけて救うと誓った。
だからこそ、少しでも長く彼女と一緒に生きる時間を増やしたいということで、友介はカルラと共に暮らすことにした。
最初は嫌がられるかと思ったし、さすがに恋人でもない男と同棲など躊躇するだろうと思っていたのだが、意外にすんなり受け入れられたため、友介は内心胸をなでおろしていた。
……もっとも、寝る部屋まで同じとは思っていなかったため、そこは少し驚いたのだが。
とはいえ別に、友介はカルラに劣情を抱くようなことはない。唯可のこともあるし、何より家族に対して邪な気持ちを抱くのは良くないだろう。
カルラを守ると言って、彼女を傷付けては訳ないのだ。
やがてちんっ、と高い音が鳴ってパンが焼けたことを知らせてくれる。今度は時間を間違えなかったらしく、香ばしい匂いが漂っていた。
イチゴジャムが塗られたパンを目の前に置かれ、さらに冷蔵庫から取り出された惣菜のサラダが盛られた皿が並べられた。
「あ、サラダは――」
「駄目に決まってんでしょ。あのマヨコーントーストもそうだけど、アンタまじで体に悪いもの食べ過ぎ。野菜食べなさい」
「お前はお母さんかよ……」
「母親かどうかは知らないけど、家族にしてくれるって言ったのは友介でしょ。私は家族としてアンタの体を気づかってるだけ。良いから食え」
「ちっ」
「何で心配してんのに舌打ちされないといけないのよっ。……はい、これドレッシング。マヨネーズもあるわよ」
「はいはい」
ことり、と自分の分の朝食もテーブルに置いて、カルラは友介の隣に座った。椅子を少しだけ動かして、友介側に寄せる。
友介はそれを指摘することもなく、当たり前のように受け入れる。
「あっ」
「ごめん、牛乳忘れてたわ」
友介が何を言うまでもなく、カルラが意を汲み取り立ち上がる。キッチンで牛乳がなみなみ入ったコップを二つ持ってきた。ひとつは友介の分、もうひとつは自分の分だ。
手を合わせていただきます、と声を揃えてから食事を開始する。
特に会話やスキンシップがあるわけでもない静かな食卓。薄型のテレビから流れてくるニュースキャスターや評論家の声が、楽園教会は調停局のプロパガンダ政策の一つだとか、実は国連が秘密裏に雇った傭兵だとか、実はナイル川近辺に文明が花開いたころから存在する不死者の軍団だとか、二十世紀のとある大領暗殺に関わっていた秘密結社だったのだとか、そんな陰謀論を口にしていた。
「平和ね」
「だな」
世の一般人が聞けば神経を疑われるかのような会話だが、実際に戦場に行っていた二人からすれば、こういう陰謀論が囁かれているうちはまだまだ平和だ。
「日本……てか渋谷でも教会が暴れてたってのは知らないのかしら」
「さあな。ただ、ジブリルフォードの件に関してはただの魔術師のテロってことになってるし、この前の枢機卿の一斉襲撃事件にしたって、どうせあの女狐が情報操作でもなんでもやって、ガス爆発とかにしたんだろ」
「無理があるでしょ、それは……」
「知るかよ。あの女のやることだぞ」
光鳥感那は怪しい。何かを隠している。そんなことは分かっていても、あまりにも見ている景色が違い過ぎて、友介やカルラでは彼女が何をしようとしているのかなど、想像することすらもできない。
どうせ自分たちは道具なのだから、道具らしく使われていればいい――何かを尋ねたところで、こんな風に言われるに決まっている。
そうこう話しているうちに食事が終わった。友介は自分の分とカルラの分の食器を重ねると、キッチンシンクへと入れてスポンジで洗い始める。
カルラはその間に寝室(友介と共同)へと向かい、制服へと着替える。
食器の片づけが終わった頃になって、制服に着替えたカルラが寝室から出てきた。
六月も終わり、すでに七月に入っている。一学期も残りわずかとなったこの時期の都心は、高湿な日本の蒸し暑さに加えて、アスファルトが過熱されたフライパンみたいになるため、体感温度は四十度ぐらいになる。よって、カルラは当然、夏服である。
真っ白な半袖ブラウスは、カルラの鮮やかな赤髪によく似合っていた。第一ボタンどころか、第二ボタンまで開けているが、不思議とチャラ付いた印象は与えてこない。爽やかで、健康的な印象が先に来る。黒いプリーツスカートは膝よりも少し高い位置まで折られており涼しそうだ。
華奢で小さい体のカルラだが、上手く着こなしているため制服に着せられている感じがしない。とてもよく似合っている。健康的な女の子、という表現がぴったりだった。
「どう?」
「似合ってるぞ。ボタン掛け違えてるけどな」
「うそっ!?」
「うそだ」
「ふざけんなっ!」
すぱーん、とボールペンが飛んできて友介の眉間にクリーンヒット。軽くのけぞったが、すぐに体勢を立て直す。
「痛えよ、物投げんな」
「変なこと言ってボタン外させて、私の下着見ようとした罰よ」
「お前その胸でブラいるの?」
「よぅーし貴様そこへ直れ。虐められたいらしいな。朝だけどアンタの異常性癖に免じて蹴とばしてあげるわ。108回くらい」
「なんか貯金が不自然に減ってると思ったてたけど、テメエ電子書籍で漫画買ったな」
「し、知らないわよそんなの……っ」
「今日のご飯はハンバーグか」
「…………(つーん)」
ぷい、と顔を逸らすカルラ。怪しい。
「まあいいや。そんじゃ俺も用意するしちょっと待ってろ」
「はいは……って、あわわわあわっわあわわあわわわわわわ! な、なんでいつもリビングで着替えるのよ!」
「はあ? 別にいいだろうがどこで着替えても」
「は、恥ずかしくないのアンタ!?」
制服はいつもリビングのソファへ脱ぎ捨てている友介は、今日もいつもと同じようにリビングで着替えていたのだが、それを目撃したカルラが真っ赤になって怒鳴って来た。
このやり取りは、友介がここへ引っ越してきてからすでに何度も繰り返された光景なのだが、友介が何回言っても聞かないことや、カルラがいつまで経っても友介の半裸に慣れないせいでまだまだ続きそうだ。
「う、ううう……う、うわあ」
顔を両手で覆うカルラ……否、実は指と指の隙間からガッツリ友介の着替え姿を見ていた。
「うう…………っ。わあ、わあー」
「おい……顔隠すふりしてガン見してんじゃねえよむっつり」
「だ、誰がむっつりよ!」
やがて友介も着替え終えると、カバンの中身を確認した。学校にほとんど置きっぱなしなので、当然だが中には筆箱と財布くらいしか入っていない。
昼食は勾配で買うか、途中のコンビニで買っていくかするので、弁当もない。今日もカバンが軽そうで何よりだ。
テレビの端に表示された時計を見ると、時刻はまだ八時を過ぎていない。八時十分に出ると間に合うので、あと十五分ほどは時間がある。
と、なると……
「ね、ねえ……、ゆうすけ……」
おそらくカルラも同じことを考えていたのだろう。
顔を髪に負けないくらい真っ赤に染めて、カルラが友介を呼んだ。
表情を見られないように俯いて、シャツをちょこんとつまむ。
「あれ、やって……?」
「はいはい」
カバンを置いて、友介はカルラとともに寝室へと向かった。
☆ ☆ ☆
別に寝室で何をするわけでもない。朝から情事にふけるわけでもない。
ただ――
「…………、あったかい」
「そうか」
友介は自分のベッドに腰かけていた。膝の上にはカルラがちょこんと収まっており、その矮躯を力いっぱい抱きしめる。
「いたい」
「いやか?」
「……ううん。いやじゃ、ない……」
カルラが痛いと言うくらい、強く強く。彼の愛情が全身に行き渡るように。彼女を愛する気持ちが、体の芯の芯――果ては心の即そこまで届くように、思いっきり。
安堵友介は風代カルラを心の底から愛している。
この世界のあらゆるものから彼女を守ると誓った。それは、カルラ自身の罪悪感からもだ。
確かに友介はカルラに『自分の人生を歩いていい』と言った。カルラはカルラが生きたいと思う人生を生きてもいいと、そう言った。
だが、友介がそう言ったところでカルラが自分を許すかどうかは別。
風代カルラは、自分を許していない。カルラの罪は決して軽くはなくて、彼女が許されない罪を犯したという事実は消えていない。
風代カルラは、まだ、救われていないのだ。
それでも。
もう、自分を否定してばかりでは駄目だと思ったから。
ただ、自分はクズだとか生きる価値がないだとか。
そんな風に自罰的な思考に陥ったところで、何も変えることはできないと知ったから。
自分の人生をいつかきちんと生きるために。
きちんと、自分を許してあげるときがくるように。
風代カルラが、風代カルラを許せる時を、少しでも早くするために。
この罪を生産することができないのは分かっている。それでも、いつか自分を許せるように。
そのために、こうして、友介に抱きしめてもらう。
自分はまだここにいていいのだと、彼のぬくもりは教えてくれるから。
愛してくれる人がいる――それがこんなにも、心地いいだなんて知らなくて。
自分が自分を否定する分だけ、彼に肯定してもらうことで、前向きに生きようとする。
風代カルラは、今、前を向こうとしている。
「……ありがと」
「そうか」
友介は、そんなカルラの甘えに応えてくれる。
愛していると、何回も何回も、体と心にしみわたるように伝えてくれる。
愛を、刻んでくれるのだ。
そのたびに、カルラもまた、友介を愛してしまう。
そして、芽吹いた恋心も、留まるところを知らないくらい、育っていく。
……空夜唯可という少女に対する負い目や、彼女に恋をしている友介にこんな浮気紛いのことをさせていることに対する申し訳なさは確かにある。
でも――
(今くらいは……)
「んじゃ、そろそろ行くか」
「そう、ね……っ」
真っ赤になった顔を見せないようにして、カルラは友介と一緒に寝室を出た。
☆ ☆ ☆
「じゃあな。学校頑張れよ」
「学校頑張るって何よ。アンタこそあんまり虐められすぎないようにね」
「黙れ」
別れ道でそう言い合い、友介は高等部の校舎の方向へ、カルラは中等部の方へと歩き出した。
太陽から放たれ、アスファルトに反射して足を焦がすかのようだった暑さも、影が多い並木道ではいくらかやわらいだ。風が吹くとかさかさと葉がこすれ合い、涼しげな音を出す。
周囲では高校生たちが友達同士できゃっきゃきゃっきゃと騒ぎながら歩いていた。その中には当然見知った顔をもある。
クラスメイトを初めとした同学年の生徒たちだ。
今までは友介に暴力を加えたり、大勢で取り囲んで嘲笑をぶつけてきた彼らだが、ついこの間のカルラの登場や、教室の中で唐突にぶち切れた凛の影響か、最近は露骨に攻撃されることは少なくなった。
特に凛の存在は大きかっただろう。
クラスどころか、学年内でもトップカーストの位置にある四宮凛の逆鱗に触れれば、学校生活におけるその生徒の地位は下の下まで落ちるだろうから。
もっとも、凛はそんな面倒なことはしなさそうだが。
いずれにしても、友介にとって今の環境はありがたかった。友達がいないことは寂しいし悲しいことではあるのだが、だからと言ってどうというわけでもない。
平和に平穏に、一日を過ごすことができている。それだけで、友介としては満足なのだ。
満足なのだ。
満足、なのだ。
「おっはー、安堵! 今日も暗い顔してどしたんー?」
何度でも言おう。
友介は平和に暮らすことができれば満足である。
よって、スクールカースト最上位に位置する四宮凛お嬢様が、学校一の嫌われ者である安堵友介の腕に抱き着いているこの状況は、非常に本気で相当よろしくない。
むにゅっ、と柔らかいものがブラウス一枚だけを隔てて腕の神経を圧迫した。
(これは血圧測定器、これは血圧測定器、これは血圧測定器……)
訳の分からないお経を心の中で唱える友介の心拍数は正常なはずである。まだ血圧の結果は出ないのだろうか。いい加減健康に良くないのでピピピ、とか鳴って腕から外れないかしら。
「あっれー? まさか安堵、あたしに抱き着かれてドキドキしてるー? まあ、あたしのおっぱい結構おっきいから仕方ないよね」
なに言ってんのこいつ、馬鹿じゃねえの?
人間は生き方が違うだけでここまで知能に差が開くのだろうか。
いや、そんなことはどうでもいい。
とにかく、今すぐ離れてもらわないと周りの目が怖いのだ。
男たちからの嫉妬と羨望と殺意の視線が危ない。特に最後。特に他意はなく、普通に嫌われている友介は、普通に殺意を向けられていた。普通に殺されるかもしれない。
「離れろ」
ようやく絞り出した言葉は、しかし。
「え、聞こえないんだけど」
「何でさらに強く拘束されてるんだよ……?」
腕をホールドする力が強まり、凛の胸がさらに圧迫してくる。むにゅぅう……っ、とたわわに実った、日本人というカテゴリの中では確実に上位に位置する凛の果実が押し付けられた。
スキンシップを通り越し、もはや拘束の域にある。まさかこのまま俺は謎の施設へ連行されるのだろうか……? そんな風に思考が明後日の方向へと飛んだ、その時だった。
「いっつ!」
「うーん? どしたん? お腹つねられたみたいな声出して? 誰かになんかされた?」
「ッ! っ、~~~っ、ちょ、まッ。おい、おいてめ、ぐぅああ!?」
脇腹をものすごい力でつねられる。ギリギリギリギリ……ッッ、と肉が千切れかねない勢いで掴まれ、捩じられ、引っ張られては捩じられる。
「な、おい待てゴラ、おい、おい、おいテメエ!」
「えー? 聞こえなーい。勝手に戦争に首突っ込んで腕無くして返ってくる奴の声なんて聞こえないしー? ていうか、何も連絡もしてせずにどっか行く奴の声も聞こえないっていうか? まず返ってきてもメッセの一つも寄越さない奴のお願いを聞く気も、怒りを聞き入れるつもりも、まっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっったくありませーん」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」
「なに?」
「えっと」
「何かないの?」
「いや」
「ほら、別に怒ってないから」
怒ってないと言っている女は怒っている――女性経験のない友介でも、これくらいのことは当たり前に知っていた。
だから――
「四宮」
「ん?」
少し目を輝かせて友介の言葉を待つ凛に、友介はこう言った。
「そんなに強く抱き着いたら、乳袋だって風船みたいに破裂するんじゃねえのか」
「あと五十回くらい腕もげろトカゲ野郎ッッ!」
羞恥と怒りで顔を真っ赤にした凛が、友介を近くの木へ投げ飛ばした。
友介の制服は葉っぱまみれになり、何とも間抜けな姿を、登校中の生徒の前に晒してしまったのだった。
☆ ☆ ☆
「すまんかった」
「はぁー、どうしよっかなあ」
「何で謝ったのに許してくれねえんだよ」
どうやら凛は相当ご立腹なようで、そんな意地悪なことを言っていた。
「そんな葉っぱだらけのまま謝られてもっていうか? とりま菓子折りっしょ」
「突然頭が悪くなったの何なんだよ」
「悪くないし!」
「『とりま』とか使う人間、頭がお花畑以外の何なんだよ」
「お花畑じゃねえーわ! 全国のJK敵に回す気!?」
「しかもギャルだしな。一面ピンクの花畑なんだろうな」
「ギャルじゃねえっつってんだろ! つかビッチ扱いすんなし!」
「お前の頭の中にある花畑には回転するベッドとかあるの?」
「むきー!」
ぎゃーぎゃー文句を言いながらも、凛は友介を起こそうと手を差し出した。
「ほら、捕まりなよ」
「……何か釈然としねえな」
葉っぱだらけの友介は、文句を言いながらも、差し出された凛の手を取った。
「ぁ」
その瞬間、凛が熱に浮かされたような変な声を上げたが――
「よっと」
それに気づかないまま、友介は先ほどのお返しとばかりに凛を思い切り引き寄せ、彼が背を預けていた木にぶつかるよう引っ張った。
「うぎゃっ」
女子高生(茶髪ポニテへそ出し夏服スタイルトップカーストギャル)にはあるまじき声を上げた凛は、今度は樹木に抱き着いていた。
「お返しだ」
「なんでなん!?」
納得のいっていない凛が友介に詰め寄るも、どこ吹く風という具合に聞き流す。
その代わりというわけではないが、先ほど凛が怒っていたことに対する謝罪を始めた。
「悪かったな、連絡しなくて。まさかお前がそこまで心配してるとは思ってなかったんだよ」
「友達なんだから心配するに決まってるっしょ」
「まあ……そうか」
「それに、あっちに行ってるときはそれどころじゃなかったんでしょ? さすがにあたしも空気読むって。ただ……行く前にひとこと言ってほしかったっていうか。もし、あんたが帰ってこなかったら、あたし……本気で泣いてたと思うから」
「……お前、意外に優しい奴なんだな」
「別に。あんただって、カルラちゃんを助けるために外国まで行ったんでしょ? そっちのが凄いと思うけど? あたしは……知ることもできなかったし、知っても行けたかどうかわかんないし」
「……まあ、あいつは特別ってだけだよ」
「ふ、ふーん……」
特別――その一言を聞いた瞬間、凛の表情に小さな影が差した。
だが、すぐに取り繕い、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。友介は凛の表情の変化に気付いていなかった。
「そんなに好きなんだ? あの子」
「別にそういう感情じゃねえよ。ただただ、大切ってだけだ」
友介のカルラへの感情は、一言で言い表すことができないものだ。
最も近いものを上げるのならば『愛』なのだが、これは意味する範囲が広い言葉であるから当てはまるのであって、どういった種類の愛なのかは、友介にも言語化できない。
「とりあえず、お前が邪推するようなことじゃねえ」
「そっ。じゃあ、とりあえずは安心していいのかな?」
「安心……? カルラのことか」
「あ、いや、え。違う、何でもない!」
顔を真っ赤にして両手を胸の前でぶんぶん振る。そのたびに胸が揺れるのがとても良くなかった。
トップカーストの住人、四宮凛の制服着こなしコーデは大したものだ。
大胆に第二ボタンまで開けられた白のブラウス。カルラとは異なり胸に育っている果実の破壊力が高いため、深淵の如き谷間があらわになっている。こちらも深淵に覗かれている自覚を持たねば吸い込まれてしまうかもしれない――と、草次ならば言うかもしれない。多分言わない。しかも、なぜか裾をしぼって脇腹の辺りで結ばれているせいで、おへそが出ていた。
ギャルなので(?)当然スカートはおられているのだが、これがまた凄い。もはや、はいていないのと同じではないかと思うレベルに短い。いや、これはもはやはいてないのでは? 膝上どころか、ふとももが完全に露出していた。無駄肉のない、けれど煽情的なそれは、男の目を掴んで離さないだろう。友介の『眼』で観察してみても、抜群という言葉が似合うふとももだった。
「こんな下らねえことに使う代物じゃねえよ」
「なにが?」
「何でもねえ。こっちの話だ」
独り言を聞き流すように言い、友介は話題を変えた。
「つか、いいのか? 俺と一緒にいたらお前の友達に」
「あんたもあたしの友達! あたしが誰と一緒にいようが、誰かに文句言われる筋合いなんてないしー。てか、前にも言ったでしょ? あたしはあんたの価値を他の人に認めさせたいって。あんたがどう思ってるかなんてどうでもいい。あたしが、他でもないあたしが、あたしの恩人は凄いんだってみんなに見返したいの、わかった?」
「ああ、おけ。理解した。わかった。了解。大丈夫だから近いから」
凛がずずいっ、と迫ってくると、それによって魅惑的な谷間が友介の眼前に晒されてしまう。
あまり他の女子に目を移したりするのは唯可に失礼というか、裏切った気分になるのであまりよろしくない。ので、早いところご退場願いたいのだが……
「ほんと何回も言わせないでって感じ。いい? あたしは――」
「だあああ、わかった! わかったから! だから離れろっ!」
「ほんとに?」
「ほんと。マジだ。マジマジ。本気の本気で」
「ならいいけど……」
「やあ、安堵くん。僕も話に混ぜてもらってもいいかな?」
ぞくっ――と。
声を聞いただけで、言いようのない感覚が友介の背筋を這い上がった。
思わず飛び出しそうになる右手を押さえ、平静を装って振り返る。あくまでも自然に、知り合いに声を掛けられただけなのだから、そのように振る舞う……
「あれ、カズじゃん。どしたん?」
振り向いた先にいるのは、別に枢機卿や葬禍王のような破壊の具象者ではない。土御門狩真のような殺戮の化身でもなければ、ヴァイス・テンプレートのような復讐者でもない。
柔和な笑みを浮かべた、同級生。どこにでもいるような、特別ぶっ飛んだ狂人ではない。描画師でなければ、魔術師でもない。機械化人間でも、人体実験を受けた人間でもないだろう。
新谷蹴人。
整った顔たちをした、少年。イケメンというよりは中性的な感じで、「かわいい」とか「可憐」という表現が似合う。
確かサッカー部に所属していて、一年ながらもレギュラーだったはず。ポジションはフォワード。ストライカーだとか。
プレイスタイルが容姿からは想像できないほど泥臭くガツガツしており、そのギャップがたまらないという理由で女子からの人気が高いリア充だ。
あだ名は、サッカー部なのでカズになったらしい。
「いたんだ、凛。おはよう」
一連の会話に何か違和感のようなものを見て取った友介だったが、それが何なのかわからない。
蹴人は凛に視線を向けた後、再び友介へと向き直った。
「あれ、僕のこと覚えてない? 一応クラスメイトなんだけど……」
「いや、覚えてる。悪い、まさか話しかけられるとは思ってなくてびっくりした」
たはは、とにこやかに笑う蹴人に、何かを隠している気配はない。
「むむむ……っ」
すると、
「なに男同士て見つめ合ってるの、怪しい……」
「あ?」
「あはは……そんなつもりはないんだけどね」
「そういや、あの土御門って人も、あんたのこと……」
「待て待て待て待て待て待て待て待て」
何かあらぬ誤解を受けている気がする。友介は今すぐそれを否定しなければならないような気がする。一刻も早く凛の勘違いを止めなければいけない気がする。
「待て、四宮、ちょっと待てよ」
「何が?」
「俺は、ホモでは、ない」
「あたしもそうであることを願ってるよ。でもさ、」
「でももヘチマもひょうたんも何もない。俺は女が好きだ」
「女好き公言されても困るんだけど」
「お前いい加減ぶっ飛ばされたいのか?」
「ごめん」
そんなやり取りをしているうちに、蹴人に感じた違和感のことなど忘れてしまった。
そこからは、友介と凛、そして蹴人の三人で話しながら登校した。
……どう考えても友介は場違いなので、すぐにでも退散したいのだが、少し先に行こうとすると、「どこ行くん?」と凛が謎の圧を放ってくるせいで、この居心地の悪い空間にずっといなければならなくなった。
まるで蹴人から遠ざけるようにして、凛が二人の間に入った位置取り。ただ、この状態だと同じグループに属している凛と蹴人が話し込むことになって、友介は蚊帳の外になるのだ。
(早く教室つかねえかなあ)
いつもとは違い、そんなことを思ってしまう。これならまだ、剛山(だったっけ? 名前忘れた)に虐め紛いをされている方が気楽だ。むしろ彼らが恋しくなってきた。もしかしたらあの三人は友介の友達だったのかもしれない。
「そういえば安堵くん、今日の転校生はどんな人なのかな」
「転校生だ? この中途半端な時期にかよ」
「うん。どこから噂が漏れたのか、昨日のラインもその話で持ちきりだったんだけど……あれ、クラスライン見てないの?」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ああ、そうだったな」
友介は傷ついた。
凛はとても優しい少女なようで、カルラのように笑ったりはせず、とても痛ましい表情で友介を見ていた。
「えっと、今日の朝ライン見たんだけど、えっと……まあ、何かあんまり覚えてねえわ」
「安堵……」
「そうだったんだ。どうやら僕らのクラスに来るようなんだ。どんな子なのか気になるなあって」
蹴人は友介の悲しげな表情にも、凛の痛ましげな表情にも気づいていないようで、そのまま人の良い笑顔で話を続けた。
「どうやら、みんなが言うには大和撫子が来るらしい。ゴリラなんかは凄く喜んでたよ」
ゴリラとはまた、安直で酷いあだ名だな。きっとゴリラみたいな顔と体なのだろう。古今東西問わず、顔面が類人猿じみていると必然的に学生時代のあだ名はそうなるものだ。
それからも蹴人は凛としきりに話し、たまに友介にも話題を振るということを繰り返していた。
何はともあれ転校生。
その転校生に特段興味はないが、頭の片隅には入れておいた。




