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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
174/220

余剰章 鏖殺の騎士

「カカカカカッ! 呵々ッ、アハッ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!」


 呵々大笑する『邪悪』の声が、ロンドンの夜空に溶けた。


「レディイイイイイイイイイイイイイイイイイイイス、ェエエエエエエエエエエンドッ、ジェントルメェェェェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエンッ! 今夜はよぉおおおおおくお集まり頂きましたあ! さあ、さあさあさあさあさあ! さあッ! 皆様方ッッ! 前座は楽しんでいただけましたかネェ? ではでは、これより本編に入るとしましょうッ! 今日のテーマは悲恋ッ! 戦う間もなく恋に敗れてしまった哀れな罪深き女は、今こうして涙を隠して、愛する男のために死をもって身を引こうとしていますぅゥゥううううッ! んんんんぅうううう……健気だねぇ~。健気過ぎて真っ当な心を持つ俺様は今にも泣いてしまいそうだアアアアアアア……ああ、どうなるんだ? どうなるどうなる? 少年は女の子を救えるのでしょうかッ? きゃきゃきゃ。まああああああああああああああああああああああああムリだろうけどぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ! ギャハッ、ギャハハハッ アハッ! イヒッ、ヒヒヒヒッ、ヒィ―――――――ハッははハハハハハッ! 楽しいなあ。楽しい楽しい腹痛えッ! ギャハハハハッ!」


 少し離れた建物の屋上でその様を眺めるデモニアは、体を床に押し付けてゲラゲラと品のない笑い声を上げていた。

 今回も上手くいった己の計略に心の中で自賛を続け、その結果始まる悲劇に期待を隠せない。


 誰もがデモニア・ブリージアを読み切れていなかった。


 安堵友介もバルトルート・オーバーレイも、『邪悪』を本質から理解していなかったのだ。

 デモニアが戦わないのは何か意図があってのこと?

 黙示録の処刑人がやってくる前に全ての悲劇を完遂させる?

 ――笑わせてくれる。


「戦いなんざどうでも良いんだよ。そんなもんして何が楽しいんだ。手段と目的を混同させちゃあ人生は終わりだ」


 痴愚どもが。そんな次元の低い話をしているから『玩具』から抜け出せない。


「それにな、悲劇ってのはよお、役者一人いるだけで完成するもんじゃねえ。それはただの不幸だ。悲劇とは、その先にあるもの。互いを想い合う者同士の破滅、正義の道と信じた先の絶望、積み重ね続けた末の虚無。過程の全てが正しいのに、結末が最悪となる。それこそが悲劇だ」


 積み重なった美しき救済劇の、その終端。

 それは、少女の淡い想いと優しい心があったからこその『最悪』であった。


「さぁて、どうなるのかねェ。見物だわ。楽しみだわ。うん。安堵友介くぅん……そいつは遊びの女だろ? きっちり振ってやれよ? そして絶望させて泣かせて殺せ。その果てに、お前の泣き様も見せてくれェ……ッ!」


☆ ☆ ☆


「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ! ■■■■■■■■■ッ! ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――――――――――ッッッ!」


 少女の口から、人の物とは思えぬ絶叫が発された。

 甲高いそれは、ただ発しただけで人の心を恐怖で竦めさせるような黒々とした感情を内包している。


 だが友介には、それがどこか悲しげな……まるで死ぬことを恐れているような、助けを求めているような、そんな感情をも含んでいるようにも思えてしまった。


「クソッ……。か、カルラッ!」


 何とか腹に刺さった長刀を引き抜くと、バックステップで一気に距離を取った。

 少女を中心に暴風が荒れ狂い、絶望の絶叫が大気を引き裂く。

 そして、少女の中へと束の間『真実』が流入し。














limit(x→∞)1/x = 0 = limit(x→-∞)1/-x


⇔0 → -1 → 0


-1 = i^2 /// 0 → -1 → 0


Back from the first ■■■■■■y■■e.


She is surfaced for saving him and all,


A■■■a M■■n■■ reincarnates and activates now.














「クハッ――」



 小さな笑い声があった。

 ギシリ、と歪な音が少女の深奥から鳴り響き、その金眼にありえない邪悪が灯った。




「ハッ、ああ、……これ、まだ不完全(・・・)じゃないか。ピースが足りてない。もしかして少し早まったか? なあ、秩序の覇王、混沌の雑種」




「あん――?」


 視覚的に変わった要素はなかった。ただその瞳の奥にある気配が、明らかに悪性を秘めたものへと変じた。まるで全知にして悪辣なる魔女。永き時を歩み続けた老獪さが、その向こうに垣間見えた。


 あれが『鏖殺の騎士』なのだろうか、と友介は僅かに現実感の追い付かない頭で推測する。

 だが――


「ちが、う……」


 奇妙な核心と共にそう断言した。あれは友介やバルトルートが想像していた『鏖殺の騎士』ではない。これは、こいつは――『人を殺すことを至上目的とした虐殺者』とは異なる存在だ。カルラが恐れ、バルトルートが生み出そうとし、友介が止めようとしていたものとは全くの別物だ。

 まさか――


(違うのか? カルラや俺たちが考えている鏖殺の騎士と……コールタールの求めている鏖殺の騎士は、別物なのか……?」


 おそらくだが――あれは、その奥にあるもの。この世界の真実よりもさらに深い場所に位置する存在。世界の謎の深奥にあるものだ。

 少なくとも友介には、あの異質さは、殺人鬼だとか破綻者だとか、そうした類とは別種のものに思える。


 ――カルラはいったい、何者だ……?


 風代カルラは、本当にただの悲劇的な少女なのか……? 

 尽きぬ疑問に友介が焦燥を隠せずにいると、ぎょろりとカルラの金眼が友介へと向いた。まるで彼女の体を外から無理やり動かしているかのような、非生物的な気持ちの悪い動きだった。


「あははっ、こんな再会(サプライズ)があるのか。――ねえ、久しぶりだな、友介」

「なっ――」

「本当に久しぶり。何年ぶりかな? 一万は確実に超えてそうなんだけど……二万? ううん、案外一年や二年の話なのか。いや、でも……意外とすでに百億年以上経っていたりする?」


 再会(サプライズ)? 一万? 二万? 百億……? こいつは何を言っている?

 そもそもどうして『鏖殺の騎士』などという物騒な二つ名を持つ怪物が、己の名を知っているのだ。


「くく……まあ、まだ何も掴めてはいないか。でもそろそろ気付いてる頃でしょう? 友介はただの描画師じゃない。この世界も何かが歪んでいる。何から何まで歪に過ぎると」

「意味分からねえことぐだぐだぬかしてんじゃねえ。そもそもテメエは何者だ」

「……秘密」

「あん?」

「ラスボスというのはね、普通はこうやって自分の正体を隠すものなんだよ。どこかの覇王様みたいに簡単に弱みを見せるものじゃない。どこかの雑種さんみたいに、因縁の始まりから現れるものでもない。私はひとつ上(・・・・)に取り残されたからこそ分かる。みんな端役だ。全ては主人公(ゆうすけ)を完成させるための生贄でしかない、かもね」


 少女の語る言葉の全てが意味不明だった。

 語る内容に信憑性など皆無。

 そして、何より――


「お前が何を知っていて、誰なのかも興味がねえ。とりあえず……そいつから離れろ」

「へえ……」


 その瞬間、金眼に込められていた闇が濃く深くなる。

 だが、それに屈する友介ではない。

 彼がここに立っているのは得体の知れない女と話すためでも、世界の真実を知るためでもないのだから。


「二度も言わせるな――消えろ」

「ぐっ、ぅあ……っ!」


 敵意を隠しもせず、染色を発動。カルラの肉体は何ら傷付けず、黙示録の破壊が少女に憑りついていた『鏖殺の騎士』の気配――あるいは思念体――だけを粉砕した。


「――カッ……ぁ……ッ、あーぁ……せっかく会えたのに、もう終わりか」

「……ッ」

「くく、ククク……っ。またいつか、会えるのなら会おう。今回はもしかしたら無理かもしれないけれど、あとその次くらいなら、次の次なら……もしかしたら、ね……?」

「……おまえは」

「ふふっ、ふははは。名前なんて特にない……だけど、コールタールや安堵陽気の思惑によって私が三層目に降りてきてしまった以上、不本意ながらこれからは友介の前に現れることだってあるかもしれない。だから、まあ。そうだね……今は――」


 ――A・Eと、そう名乗っておくよ。

 どこか懐かしそうな、だが明らかに悪い満面の笑みを浮かべて、カルラに憑りついた何者かはそう自己紹介した。


「じゃあ、今度こそさようならだ。また会える日を楽しみにしておく。時の彼方で、宇宙の果てで。全てが終わるその日まで、元気でね。――世界の終わりで会いましょう」

「――黙れ」


 これ以上戯言を聞く気はない。再度、染色を謎の思念へと叩きつける。

ビクンッ、とカルラの体が不気味にうねり――同時、今度こそ金眼に宿っていた邪性が消えた。


「……何なんだよ」


 訳が分からない。ただ、この時点でカルラの中に流入した何がしかの意志が消え去ったことだけは理解できた。

 だが――


「――――く、そ」

「ァアアア……ッ」


 風代カルラは戻ってきていない。

 いいや、それだけでない。


「ァアア…………ゥア……■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■――――――――ッッ!」


 今度こそ、カルラがずっと恐れていた『虐殺者としての鏖殺の騎士』が、その精神にとって代わろうとする。

 絶叫が再び響き渡り――そして、



 ぴたり、と。

 電源が落ちたかのように、それが途切れて。



「――『染色(アウローラ)』――」




 鏖殺の法が、いま姿を現した。




「――――『偽・血道の鏖殺(カース・オブ・ホロコースト)』――――」




 残酷なまでに自明の心象が権限した。

 カルラを中心に吹き荒んでいた暴風が方向性を持ち始める。少女の周囲に数千の局所的竜巻が発生し、しゅるり、しゅるり、と糸を巻くように風が収斂されていく。


 変化は終わらない。

数千の風の束はやがてその材質を金属のそれへと変じ、友介のよく知る形を取り始めたのだ。

 刃渡りは一メートルを超えている。刀身に血が塗りたくられたそれは、人の身の丈ほどもある長刀。


「これ、まさか……ッ」


 そう。




 風代カルラの得物だった。




 血に濡れた禍々しいそれらは、その数をウイルスの如く爆発的に増殖させていった。その数は――ああ、もはや数えるまでもないだろう。その数、5147。風代カルラが殺した少女の数だ。それら悲しき無数の刃を視界に収め、友介は歯軋りする。


「ふざけやがっ――!」


 叫ぼうとした直後だった。

 少女の周囲で風を纏って浮遊していた長刀の一本が唐突の射出され、友介の脇腹を抉り抜いた。


「が、ふ……ッ!?」


 直前で回避行動を取ったため腹に刺さらず脇腹を裂くにとどまったが、傷は決して浅くはない。どろどろとした赤い粘液じみた血が流れだし、少年の服を汚す。

 とうとう見境すらなくすほどに錯乱したか――そう歯噛みした時だった。


「――ィ、きゃっ、ぁぁああっ!?」


 カルラが空気を引き裂くような悲鳴を上げた。まるで、何かに体を斬られて痛みに喘いでいるような……


(なんだ……? この、嫌な感じ……っ)


 漠然とした不安と恐怖を覚えながら、おそるおそる視線をカルラに戻すと、彼女は痛みに耐えるかのように脇腹を両手で押さえていた。その手の下で、彼女の服が赤く滲み始める。


 切り傷だ。しかも、今さっき刻まれたかのように新しい。

 決して浅くはない。その傷口からはじくじくと赤い粘液じみた血が流れ、少女のぼろぼろの服をさらに赤く汚す。


 だが、いつの間に?

 いつの間にあんな傷を負ったのだ……?

 ちょうど友介が今さっき長刀に裂かれた脇腹と、ほとんど変わらない位置。

 そこに、奇妙な違和感を抱く。幻肢痛にも似た、本来感じないはずの痛みまでもが付加されて――


(まさ、か……)


 そして、その結論に、至った。

 瞬間、背筋の裏側から熱が奪われていくような寒気が、全身へと伝っていく。


「誰かを傷付けた分だけ、自分も傷つくってことか……っ!」


 友介は半ば確信と共に、表情を歪めて悔しげに叫ぶ。


 染色とは、心象世界・深層心理の発露のことだ。人の心の奥の奥、底の底のそのまた底に眠る原風景をそのまま映し出し、自身と世界に心の有り様を押し付ける秘奥。信念、野望、願い、夢、恐怖、トラウマ、渇望、矜持、道、光。己自身を曝け出す行為に他ならない。

 そして、人の心とは往々にして単純ではなく、夢の裏には諦観があり、願いの裏には憂いがあり、光の裏には闇がある。


 染色とは、そうした負の一面すらも現出させてしまう。それは当然、カルラもまた例外ではない。

 カルラの心の原風景とは、つまるところただ一つ。




 己の罪への後悔と自罰。




 そう。

 風代カルラは、人を傷付ければ(・・・・・・・)それと同じだけ(・・・・・・・)己を傷付ける(・・・・・・)

 与えた苦しみの分だけ己を苦しめる。

 風代カルラは己を決して許しはしない。

 たとえ神や仏や悪魔が許そうとも、風代カルラ自身が、それを絶対に許しはしないのだ。


「カルラ……お前――この馬鹿野郎が……ッ! ――ッ、」


 あんまりな自己嫌悪を目の当たりにして激怒した友介へ、さらに刃が飛来する。飛んでくる十数本の刀を右に飛んで避けるが、狙いすましたかのように放たれた一本の刃が友介の脇腹をさらに抉った。


「ぎッ……!」

「ぅぁあああっ!?」


 痛みと熱が傷口を蹂躙し、その苦痛がそのままカルラの体にも刻まれる。


「ぁぁあああ。ああああああ! うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 さらに、刃を投擲。回避するもそこにはまた刃が。それも避けたとしても、さらなる刃が友介を襲う。避けられない。

 さらに来る。

 さらに。さらに、さらに、さらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらにさらに――――


「――――ぐ、ッッ……ぎっ!」


 最終的に三十四度目の投擲を回避することができず、宙を走る長刀の刺突が左腕の付け根へと迫る。

 無理だ、避けられない。このまま刃を受けてしまえば、腕が飛ぶ。

 そうすれば、友介の腕がなくなるだけではなく――カルラもまた、同じ傷を受けてしまう。

 それは――絶対にダメだ。

 ならば、もう――取れる行動は一つしかないだろう。


「……ッッ」


 覚悟を決めろ。歯を食いしばれ。やれ、今すぐ。一思いに、手遅れになる前に!


「ぎ、ィ……あ、ァァアア……ぐァァアアぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ――――!!!!!!」


 

 そして、左腕が断たれるその間際に。

 友介は己が染色で、自分の腕を木っ端微塵に撃ち砕いた。

 視界の中で、己の体の一部が肉片へと分解されていく。原形など当然とどめない。肉片となって爆発したのだから。

 切断部から噴水の如く大量の血が噴き出し、地面に血だまりを作る。その上へぼとぼととたんぱく質やカルシウムの塊が落ちた。


「――――ッッ!? が、ぁッ!? ぐぎぃっ、ィあッ、ァァアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」


 無理だ、耐えられない。痛い、熱い。熱が、痛い。熱い。左の腕から先が燃えているようだ。違う、無いのだ。木っ端微塵に爆散したのだから。存在しない。痛い、熱い、痛い、熱い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い―――――――!?


「ぎ、ぅ、あああああ……、クソがァ……!」


 激痛でスパークする。視界が黒と白に明滅した。

 それでも、まだ踏みとどまれた。気絶することもなく、しっかりと二本の足で地を踏みしめる。


「カルラっ、の……っ、腕は……ッッ?」


 かすむ視界の向こうのカルラの四肢はどれも無事。友介は左腕を失ったが、彼女のそれは守れたらしい。

 その結果を見て、友介はひとまず胸をなでおろすことができた。カルラの四肢はまだ健在。友介も、失ったのはまだ腕一本だけだ。左腕はどうせ使えなかったし、支障はないだろう。

上着を千切り、切断された左腕の近くを思い切り縛って止血をする。許容量を超えた痛みの信号によって失神しかけたが、それも耐える。


「はァっ、はぁっ……ぐ、ッ」


 途切れそうになる意識を細い糸で繋ぎ止め、必死に手繰り寄せた。

 だが、低く冷たい小さな声が、その糸を断とうとする――


「くるな」


☆ ☆ ☆


「あああああ、ああああああああああああ…………っ」


 血涙ともに溢れ出す後悔の絶叫は止まらない。むしろ、大切な人に、自傷を促してしまったことの罪悪感と後悔と恐怖のせいで、少女の心はさらにすり減っていく。壊れていく、砕かれていく。己への嫌悪が指数関数的に肥大化し、刻一刻と少女の意識が後悔と殺意という二つだけで塗り替えられていった。


 ――来ないで。


 殺意と後悔に押しつぶされていく中、湧き上がって来た言葉はそれだった。


 ――もう、関わらないで。


 もう放っておいてほしい。これ以上友介を傷付けたくないのに。

どうして気付いてくれない? なぜ放っておいてくれない?

 もうこの殺意は止められない。一度溢れ出した鏖殺の法は、殺意は、後悔は、止まる気配がない。ここにいれば、本当に友介を殺してしまう。


 友介は自分を救おうとしてくれているようだが――カルラはそんなことは望んでいない。


 何のために、私が身を引いたと思っているの?

 何のために、私がアンタを刺したと思っているの?

 死にたくなんてないのに、もう本当は人殺したくなんてないのに――自分をクズに落としてまで、アンタを遠ざけようとしたのに。

 なのに、どうして……どうしてッ。どうしてっッ!


 もう嫌……

 もう、一秒だってその顔を見たくない。これ以上私を追い詰めないで。

 これ以上、私を苦しめないで。酷すぎる。


 早く空夜唯可という女のところへ行って。お願いだから。アンタの顔を見てるだけで、胸が張り裂けそうなほど苦しいの。目の前が真っ暗になるの。

 アンタを見てると何か、期待してしまって――そのせいで、死にたくなるくらい絶望するのよ。

 だから、だから――――!


「くるな」


 小さく漏れ出した声は、呪詛のように低く冷たかった。


「――――く、る……なァァァぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――ッッッ!」


 呟きは、次の瞬間にはどす黒いマグマのような絶叫となって噴火した。

 もうこれ以上私に関わるな。私は死ぬ。私は、消える。

 風代カルラは今日、消えてなくなるのだ。

 鏖殺の騎士に――人殺しに、体を明け渡すのだから。


 ――アンタに、私がどれほど汚い人間かを教えてあげる。

 ――すぐに目を覚まさせて、私を切り捨てさせてやる。

 ――私は理不尽の体現者。夥しい血を浴びた鏖殺の騎士の真価を見せて、アンタとの縁を切るわ。


 そうして、少女の心が、心底(しんてい)から噴き上がる殺意と後悔に塗り潰された。


☆ ☆ ☆



「ざけやがって……ッ」


 もはや何度目かもわからない悪態が口をついて出た。

 だが、それも仕方ないだろう。

 怒りが沸き上がってくる。

 こんな風に自分を傷付け、虐め続けるカルラに対しても。こんなことをカルラに言わせる、世界そのものに対しても。行き場のない怒りが、心の底に際限なく積もっていった。

 だが、ただ怒りを溜めこみ吐き散らすだけでは何も解決しない。

 今は先に、もっとやるべきことがあるはずだから。


「カルラ……ッ、聞け……! お前はまだ戻れるんだ、だから……っ!」


 呼びかけたところで、当然、もう彼の叫びは届かない。

 カルラはすでに殺意と後悔の海の中で溺れている。


 もう、友介の叫びは届かない。

 だって、彼は何も分かっていなかったのだから。


 風代カルラの想いも。


 風代カルラの夢も。


 風代カルラの幸せも。


 風代カルラの悲哀も。


 風代カルラの優しさも。


 何も、友介は知らされていない。教えてもらっていない。


 安堵友介はどこまでも愚鈍だったから。

 自分の気持ちばかりを優先して、彼女を助けたい助けたいと、自分の想いばかりが先走ってしまい、肝心の少女の心を全く理解していなかった。


 確かに過去を知った。罪を知ったし、嘆きを知った。


 でも。

 だけど。


 過去は人の全てではない。

 人間にとって大事なものは今この瞬間。そして見据えた未来なのに。

 それを忘れていた。彼女がどんな心で彼を見ていたのか。どんな気持ちで腕の中に納まっていたのか。無自覚のまま、ただ情熱の赴くままに少女を守った。

 本当は、彼女がどうして欲しいのか、それを最初に聞かなくてはならなかったのに。

 だからこその、破滅がこれだ。


「認めるか……ッ」


 それでもまだ、諦めきれない。


「許さねえぞ……ッッ」


 子供が駄々をこねるかのように、決まりきった悲劇に抗おうともがく。


「これが結末ならそんなもんは否定するッ! これが運命ならそんなもんはぶっ壊す! カルラ、俺はお前を必ずそこから救い出してやるッ――!」


 ……これは、小さなすれ違いが生んだ悲劇だ。


 少年はただただ少女を助けたかった。どうしても取り戻したかった。隣にいて欲しかったから。背中を預けるあのぬくもりを、失いたくはなかったから。何よりも、少女の嘆きを知ったから。許せなかった。認められなかった。こんな風に理不尽に追い詰められる少女を、これ以上放っておけなかった。だから守りたかったのだ。そしてその結果、少年は傷付き続けた、全身を刻まれ焼かれ、今や片腕が炭と化している。


 少女はそれを……見たくなかったのに。自分の未来や命や心なんかよりも、遥かに大事だったから傷ついてほしくなかったのに。

だから少女は、ずっと苦しんでいた。自分のような塵屑のために苦しむ少年を見て、やめて欲しいと叫び続けた。


……それが、罪のない誰かのための戦いならば、少女は止めなかっただろう。応援するし協力するし、いつかのように折れかけたのなら殴ってでも立ち上がらせただろう。

だが、これはそうじゃない。この戦いは安堵友介の信念に即した戦いなどでは断じてなかった。なぜならば、カルラが苦しんでいたのは理不尽によるものではなく、ただの報いでしかなかったのだから。


かつて多くの人を殺した。これは、その因果が巡りに巡り戻ってきただけのこと。もっとも、彼女を救うことで、鏖殺の騎士の誕生により生じる犠牲を減らすために戦っているのならば、まだ彼の信念に即していたのだろう。だが、違う。少年は確かに風代カルラという少女のためだけに戦っているように見えたのだ。


では、なぜ――?


 カルラは最初、こう考えた。


友介がただカルラを失いたくないからだと。


 だが、違った。そうではなかった。

 デモニア・ブリージアから聞かされた言葉でそれを確信した。

 友介はやはり、勘違いしていただけだと。

 カルラを罪のない少女だと勘違いしている。ただの被害者だと思っている。だからこうして、信念に即して戦っているのだと、そう認識した。


……本当は、カルラの思っている通りだったのに。


 これはそういうすれ違い。

 ただ己の心の赴くままに少女を助けようとしたからこそ、少女の気持ちに気付けなかった少年と、ただ少年を想う中、一度として己を顧みようとしなかった少女。

 それぞれが間違えたから、今があった。

 だが、そんな後悔も、すでに価値無きものへと堕している。


 騎士の誕生――その条件が整った今、もはや二人のすれ違いや、両者の想いの真実など意味を有さず、価値など皆無。


 一晩――否、それ以前より何日にも渡って追い詰められた精神は、既に自我の限界までに達していた。脳は記憶の混濁と過度なストレスに対応するため、断続的に回路を切り替え少女の自我を不安定なものへと変えていた。

 過去と現在を混濁させ。

 罪の意識で心に負荷を与えた。

 その結果として、記憶の忘却や自我の崩壊が起きていた。


 だがそれでも、まだ、カルラは一応はギリギリの一線を越えずにいたのだ。

 いくら常人よりも脆いと言っても、往々にして記憶とはふとしたきっかけで戻るものであるし、自我もまたそう簡単に崩れるほど人間の脳は弱くない。ましてや、人格をまるまる異なる存在へと変えるなど、容易い所業ではない。


 ゆえにこそ、最後の一線を踏み越えさせた。

 ただ殺すだけの騎士を――心象世界が殺人で満たされた偽神を生み出す。

 そしてその計画は、すでに完遂まであと一歩のところまで来た。

 少女の自我は今なお刻まれ続け、侵され続けている。

 もはや詰み一歩手前。悲劇は回避できない。

 風代カルラの絶叫を止めることは、もう誰にもできないだろう、


 だが、それほどの絶望的状況であるにもかかわらず――安堵友介の瞳は、まだ死んでいなかった。


「カルラ……その叫び、それだけは今、お前のもんだよな」


 彼は直感していた。


 自分が助けに来た少女は、まだ死んでいない。

 風代カルラの自我は消えてなどいない。


 理由は簡単、まだ彼女は、友介を刺しただけで殺していないからだ。

 確かに、安堵友介を刺し貫いたことで彼女は一線を超えた。

 鏖殺の心象は展開され、その切っ先は直近に立つ友介へと向けられている。

 並々ならぬ殺意がその刃には篭っている。


 だが、まだ殺していない。まだ生きている。刺した感覚が彼女の脳を刺激したとしても、殺したという実感がない以上、手遅れではないはずなのだ。


 それに、何より――


 あの絶叫が、どうしても他人のものとは思えないから。


 与えた傷と同じものを自分を受けるなんて、そんな自己嫌悪の塊のような心が、今友介の目の前に広がっているから。

 

 人を殺すしか出来ない存在が、あんな悲痛な叫びをあげるだろうか。そんなわけがない。ただ自明に殺すだけだった少女は、あんな風に叫んでいなかった。あんな風に、両目から赤い雫を零してはいなかった。

 人を殺すことに躊躇しない人間が、泣きながら己を傷付けるだろうか――絶対にしない、そう断言できる。


 だから、それだけで。

 ただそれだけで、少年は立ち上がれる。




 風代カルラは、まだ死んでいない。

 それさえわかれば、安堵友介はまだ戦える。

 前を向ける。足を踏み出し、走ることができる。




「カルラ……何でお前が、あんなことをしたのかは分からねえ」


 さっきの無理で、左腕は木っ端微塵だ。


「お前は助けられたくないのかもしれねえ」


 全身は火傷だらけで、もう立っているのがやっとなくらい。


「俺のことなんか、本当は嫌いなのかもしれねえけどな」


 それでも――たとえ、四肢が砕けたのだとしても。


「カルラ、何度でも言ってやる。俺はお前を助けるためにここに来た」


 そんなものは関係ない。


「絶対に諦めねえ。絶対に助けてやる。絶対、絶対に……俺はお前を、取り戻してみせる」


 拳銃を握る右手に力を込める。鋼の意志が流入し、猛き情熱が集まった。


「だからそのために、聞かせてもらうからな、お前のこと」


 何が必要なのか、すでに少年は理解していた。


「俺も全力を懸けてお前に文句をぶちまける。だからお前も、好きなだけ八つ当たりしろ」


 心は定まった。もう絶対にぶれない。必ず少女を救うために、固めた覚悟は鋼すらも凌駕する。


「行くぞ、カルラ――――」


 黙示録を宿した魔眼を、鏖殺の刃を展開する少女へと向けた。




「――お前の千刀(なみだ)を、俺の黙示録(すべて)で止めてやるッッ――!」




 大切な少女を救うために、少年は走る。

 もう何が必要なのかは、分かっている。

 だから、踏み出した一歩にも迷いはなかった。


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