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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
173/220

第九章 決戦 ――Decisive Aurora―― 5.紅壊〈レーヴァテイン〉

「はっ、ぁ……でも、にあ……ッ」

「正解♪」


 ニイィ……ッ、と。

 口を三日月に裂いた邪悪の笑みが、顔のすぐ横にあった。

 まるで旧知の仲であるかの如く肩に手を回され、耳元で呪いを囁いた。


「なあ……なあ、なあ、なあ、なあ――風代カルラちゃぁあ~ん。君さあ、今、どんな気持ち?」

「……どういう、意味よ……」


 全身から冷や汗が噴き出してくる。

 この男の声を聞くだけで、総身の底から震えが走る。心が冷水をぶっかけられたように底冷えし、脳が思考を拒絶した。


 肩に回された腕を振り払うこともできず、無力な少女は蛇に睨まれたカエルの如く、されるがままになっている。

 デモニア・ブリージアという邪悪にとって今の玩具が己であると自覚してなお、少女はその状況から抜け出そうとは思えなかった。

 何か行動することが、この邪悪にとっては最上の娯楽であると理解しているから。

 これだけは今も昔も変わらない。

 こいつは、こっちが足掻けば足掻くほどその様を楽しむためにより一層の試練(あそび)を与える。

 だからこそ、少女は何も行動を起こさない。起こせない。

 デモニア・ブリージアの言葉にただの一つも反論せずに、受け入れることにする。

 そんなカルラの思考を、読まれているとも知らないままに。


「いやいや。別にどういう意味もねえよ。あいつはお前のために戦ってるだろ?」

「……っ」

「だからさ、どう思った? って聞きたいわけ。 嬉しいか? 幸せか? それとも嫌かな?」


 楽しそうに、愉しそうに。

 史上の娯楽を味わうデモニアが、悪辣な問いかけを行ってくる。


「う、れ、しい……」

「キャハハハハハハハハハハハッ。そっかそっかァ。嬉しいかあ。でもさあ、でもでもでもでもォ……それでいいのかなァ?」

「ッ」

「なァ。お前はいま嬉しい。それは分かった。良い男に守られて嬉しくない女なんていねえもんなあ」

「別に、良い男なんかじゃ、」

「ああ、そういうのいいから別に。聞いてない。のろけるなっての」


 カルラの口応えを制して、デモニアはさらに続ける。


「ただ俺様はもう一つ聞きたいんだよ。お前はどうしてえのかって。本当は、本当の本当の本当は……あいつにどうあって欲しいのか」

「……?」

「俺様は半分悪魔だが鬼じゃァねえ。だから、もうテメエで遊ぶのはやめだ。幸せになった奴に興味はねえ。幸せな奴は悲鳴を上げねえからな。だから、だ。……なァ。教えてくれよ。俺様はテメエの力になりたいんだ。風代カルラは、安堵友介にどうして欲しい? どうなって欲しくない? そしてお前は、何をしたい? どうしたいんだ? そこを見落とすと、間違えると、全知全能最強無敵のヒーローたるこの俺様でも、さすがに力になれねェからな」

「……ッ」


 信じられるわけがなかった。

 それでも、何かを応えなければこの状況から脱することはできないことは分かっていた。だから彼女は、錆びついた扉のように固まってしまった視線を、無理やりデモニアの横顔へと向けた。


 そこにあるのはいつもの邪悪な笑み。だが、こんな言葉を吐いているのに、未だ笑顔に邪性が入っていることが、逆に気になった。

 これはデモニアの素の笑顔だ。常に人を貶めることを考え、人の不幸や無様に踊る様を己が楽しみとする畜生の笑み。

 だが、こんな顔をすればカルラがデモニアを信用するはずもない。本来の彼ならばもっと人の良い笑みを見せるか、あるいはあえて深読みをさせることでこちらの思考を誘導した上で完全に騙し切るはずだ。


 だが、この笑顔は……

 なんというか、特に何も考えていない素の表情に思えたのだ。企みなどない。ようは、コールタールや枢機卿と軽く雑談するような、そんなノリに思えた。

 だから、彼女は自然と口を開いていた。


「傷付いて、ほしくない……っ」


 おそらくだが――今のデモニアは真実カルラで遊ぶ気がないから。


「嫌なのよ……これ以上、友介がああやって、ボロボロになるの……見たくないの……」


 ただ結局は、そんなことは関係なくて、彼のことになると勝手に口が動いていた。


「あいつ、バカだから……いくら言っても聞いてくれないけど、でも……いや……嫌に決まってる! だって、だって! だって私は、そのためにこうやってここに来たんだもの!」


 遥か遠くで繰り広げられる人外の戦いを見上げながら、少女は強く叫んだ。


「確かに、確かに私はいなくなりたくない! 心を失くしたくない……友介を、忘れたくない……でも、でも……ッ。でもッ! あいつが、ああやって苦しんでるのは、いやだッ! あいつがあいつの思う信念とか、理想とか……正しい理屈の元で、あいつが選んで戦ってるなら別に良い! そんなことを止めたりしない! あいつの理想や信念は、もともとそういうものだし、それに、私は――、っ……」


 それから先は、あえて口にはしなかった。少女は一度口を噤み、代わりに違う言葉を繋ぐ。


「でも……あいつは、あいつは今、間違った理由で戦ってる。こんなどうしようもないクズなんかのために、命を張って……意地も張って……。そして、傷付いてる。だったら、だったら止めたいって思うに決まってる! 私の知ってる友介は、こんなにバカじゃない! 押しつけだって分かってるけど、それでもッ! 私はあんな風に間違った理由で戦って、守るべきじゃない奴を守るために戦う姿なんて、見たくないのッっ!」


 精一杯自らの心を底の底まで吐き出した。絶叫した反動か喉が痛い。息が切れているし、身体も熱い。少し感情が昂ぶりすぎたようだ。


 ……風代カルラは、安堵友介に対して過剰なほどの信頼を置いている。もはや友情や愛情などという言葉で言い表せるものかどうかも定かではないほどに。

 きっかけや動機などもはや何も思い出せない。ただ、彼が心の奥底に刻まれているという、その事実があるだけだ。


 おそらくだが、その最も大きな理由は彼の在り方であろう。

 理不尽を、不条理を、不幸を。

 世界と運命を。

 許すものか壊してやると――

 どこかで泣いている誰かのために、全部救ってみんなを守るために戦う彼が、どうしてか眩しく見えてしまうから。

 ずっと一緒に戦ってきたから分かる。

 背中を預けて、肩を並べて。

 一緒にいた時間は短いかもしれない。それでも、過ごした時間は濃密で、交わした言葉はどれも大切で。


 そんな彼が、自分なんかと一緒に戦ってくれることがどうにも嬉しかった。

 自分では行けない所へ行ってくれそうで。

 自分では届かない夢を叶えてくれそうで。

 そんなおとぎ話の中にいる主人公のような、ヒーローのような少年が、どうしてもカルラにとっては輝いていて、憧れてしまって。


「だから、だから……私は、あんな風に間違った理由で戦って、傷付いてるあいつを、見たくない……ッ。早く私のことを理解して、さっさと捨ててほしい……」


 だからこそ、と。

 少女は己の右手へ視線を落とした。

 そこにある、目に見えぬ血に濡れた長刀を見下ろした。


「だから、だから……っ! 私はこの剣で友介を切って、そして、綺麗さっぱり諦めてもらおうと、そう思ってる……。何もかもがおじゃんになって、私が本当の本当にクズだって理解したら、友介だってもう、私にこだわらないと思うから。そう、思ってるのは、事実。事実なのよ、でも、でもね……」


 でも。

 だけど――


「もし、も……」


 こんな期待が、少女の胸の中で淡い光を放っていた。


「でも、もし……もしも、あいつが……」


 その『もしも』は絶対にありえないものだ。

 少女自身が分かっていた。

 そんなことはありえない。

 そんな都合のいい話は存在しない。

 だって、少女自身が信じていない。

 そうだ、信じていないのだ。

 信じていない。けれど、けれど……


「離れないのよ……ッ」


 カルラはデモニアの拘束を簡単に剥がして、ゆっくりと彼が戦っている方向へ歩き始めた。


「どうしても、期待しちゃうの……」


 小さな体を精一杯に伸ばして。

 震える声を押し殺して。

 涙なんて欠片も見せずに。

 少女はそれでも、笑ったような、泣いたような。

 そんな、自分でも制御できない感情に支配されて、ゆっくりとそんな『もしも』を呟いた。




「もしかしたら……友介は、ただ私を失いたくないから、それだけのために、戦ってくれてるのかもって」




 口に出した瞬間、嬉し過ぎて泣きそうになった。

 そんなことありえないと分かっている。彼が戦っているのは、勘違いしているからだと。

 それでも、そんな『もしも』が少女を縛り付けた。


「もしあいつが私だけのために、正しさとか信念とか関係なく、私のためにって、そう思ったら……そしたら、私がやろうとしてることは、酷い裏切りになるんじゃないかって……」


 最初は、そんなこと考えもしなかった。自分は最低な生きている価値のない塵だということに変わりはないし、そもそも彼に対して取ってきた言動や行動も、到底褒められたものではない。嫌われてもおかしくない――というよりも、嫌われるような言動を続けてきた。


 でも、彼がここまで追いかけてきて。


 光鳥感那に連れ去られた時も悔しそうに叫んでいて。


 また、戻ってきてくれて。


 抱きしめてまで、守ってくれて。


 これだけされて。


 そんな『もしも』を考えないなんて、そんなことできるはずがなかった。


 カルラは友介を大切に想っている。だから彼が傷付かないように、彼を斬って自我を失えば、それで全部済むと思っていた。

 自分が悪になれば、友介はカルラのことなんて救わないし、悪だと断じて自分の全てを否定して、徹底的に撃ち砕いてくれると、そう信じて疑わなかった。


 なのに……


「そんなこと考え始めたら、あいつのこと斬るなんてできなくて……」


 ……安堵友介は、風代カルラのためだけに戦っている。

 それが勘違いだなんて分かっている。

 知ってる、そんなのただの願望だ。

 自分が一方的に期待してるだけで、友介にとっての風代カルラなんて、公園で遊んでいる子供とか、すれ違う他校の人とか、そういう人たちと同じくらいだって、それくらい分かっているんだ。


 分かってる。分かってるけど……


 それでも、やっぱり捨てきれない。諦められない。

 もし本当に私のためにしてることだったら?

 もし友介が私を失いたくないという一心で戦ってるとしたら?

 もし私が死んじゃったら、友介が泣いちゃうとしたら?

 苦しんで泣いてる彼を思い浮かべるだけで胸の奥が張り裂けそうだ。死んでしまう。泣いているあいつなんて見たくない。


「私は、友介に笑っていてほしい。だから、だからそのために、そのために……ッ」

 風代カルラにとって、もはや安堵友介という存在は、自分の命や心なんかよりももっと大切な存在だから。


 だからこそ、少女は――


「私はそのために、見極めたい……」


 呟いた声に、デモニアは答えた。


「そうか。なら良いことを教えてやる」


 彼の言葉は危険だ。それでも、少女は耳を傾ける。

 真実を照らし、本当に取るべき道を選ぶため。

 そこにはもう、かつて邪悪に翻弄された少女の面影はない。

 ただ自明に破滅へ落ちる少女は死んだ。

 今度は何かを選ぶために。




 さあ、一歩を踏み出せ。

 今度こそ、あらゆる悲劇に打ち勝つために。




「あいつはな――――」


☆ ☆ ☆


 いくつ建物を破壊したかも覚えていない。

 戦場を地上に移し、民間人に被害が及ばぬよう立ち回っていた友介だったが、ついに限界が訪れた。


「が――ッ!」

「崩れたな」


 バルトルートの右の拳が友介の腹へと叩き込まれている。拳に接した面から肉が焼き焦げていくのが分かる。


「――ま、ず……ッッ!」


 とっさに『瞬虚』を発動。意味などないと理解しつつも、友介はバルトルートから十メートルほど距離を取った。

 戦闘が一時中断し、戦闘に余波により更地となった街の一角で、睨み合いの状態へと移行する。

 一秒、二秒、三秒……やがて一分間、互いの腹を探り合ったのち、バルトルートが脱力し全身の力を抜いた。その隙を逃すはずもなく友介がテレポートしてバルトルートの背後へと回り込んだが、その足元に隠されていた地雷の存在に気付くや、再度『瞬虚』を発動しても解いた場所へ逃れた。直後、先まで彼がいた場所に業火の柱が天へと上り屹立する。

 瞬間移動によって元の位置へ戻り、獣の如く両足と右手で地面を掴んだ友介は、爆風に髪を煽られながら、静謐な瞳でバルトルートを見据える。その姿は、まさしく獲物を狙う肉食獣そのものだ。

 爆炎が収まったが、やはりバルトルートは動かない。

 数秒間、その沈黙は続き、やがて友介はゆっくりと口を開いた。


「なあ、一つ聞いていいか? バルトルート・オーバーレイ」

「……なんだ」


 両者ともに構えを解かぬまま、二人は問答を開始した。


「お前、どうしてあの時カルラと一緒に行かなかった」

「……どういう意味だ」

「とぼけんじゃねえよ。俺はもうお前ら二人の物語を知ったんだよ。お前らが経験した地獄も、カルラがしでかしたことも、お前のカルラへの愛情も、俺は全部知ったんだ」

「――――」

「だからその上で聞かせろ。テメエは何であの時、カルラと一緒に逃げてやらなかった。お前はあいつの兄貴だろうが。あいつが逃げられるように教会と戦うとか、中途半端過ぎんだよ」


 彼がカルラに何ら思い入れを持っていなかったのなら、あそこでカルラを見逃す意味が分からない。同時に、カルラの味方をするならば、あの時ふたりで逃げて、戦う道を選ばなかった理由が見当つかなかった。

 バルトルートの行動は、あまりにも中途半端に思えた。


 だから、問うことにしたのか。


 この少年が戦うべき『悪』なのか。

 あるいは、救うべき被害者なのか。


「人の記憶を覗き見とは随分と下品な男だな」

「そんなことは聞いてねえ。答えろ。テメエはカルラの味方なのか、敵なのか」

「味方だよ。同じ楽園教会の(・・・・・・・)枢機卿だ(・・・・)

「……お前は」

「それ以上、もう下らないことぬかすなよ。分かっているはずだ。俺と貴様は平行線。絶対に分かり合える日は来ない。ここにいるのは、いま生きているのは、貴様の前に立っている男は――楽園教会の枢機卿の一人でしかない。第十神父(ディエーチ・カルディナーレ)、『紅蓮焦熱王(スルト)』バルトルート・オーバーレイ。風代カルラの兄であるバルトルート・オーバーレイは死んだ。そんなことを、今さら貴様に説かなければならないか?」


 かつて妹を守るために必死に世界と戦った少年はもう死んだ。

 ゆえに語る言葉など存在しない。これ以上言葉を交わす意味は皆無だった。


 風代カルラは楽園教会から逃げてから今日までの人生で、様々な人間に出会ってきた。そして、その出会いはどこまでも美しく煌びやかで……彼女にとって救いとも呼ぶべきものとなっている。

 風代カルラは、素晴らしい仲間に巡り合えた。


 結局これは簡単な話。

 バルトルートも、同じことだった。

 ただそれだけの話。


☆ ☆ ☆


 カルラと疎遠になっている間に様々な人間と接してきた。世界中を飛び回り、あらゆる場景を瞳に焼き付けた。


 ある国では、間引きのために子供を川に流して口減らしをしていた。生まれたばかりの赤子が親に捨てられ川に流されて生きていけるはずもなく、多くの罪なき尊い命が失われていた。運よく生き延びたとしても、先に待っているのは男ならば兵士、女ならば娼婦といったところ。奴隷としてこき使われる者だって数多くいた。


 またある国では、何も知らぬ子供に手榴弾を持たせ、逃げ出した捕虜の真似をさせて自爆させる光景もあった。


 彼が見たのは『今の世界』だけではない。どういうわけか、不可侵であるはずの『時間跳躍の不可能』を克服して、多くの時代の地獄を見た。


 地獄だった。

 総じて地獄だったのだ。

 平和な時代の方が少なかった。いつだってどこかで悲劇が起きていて、涙を流す人々は数知れない。

 あの炎だけが地獄ではなかったのだ。


 そして、彼はさらに深く、世界の真理を知った。


 どの時代のどの場所のどの悲劇も、総じて皆が皆、根底にあったのは正義の心であった。

 間引きをするのは一人でも多くの人間を生かすため。

 戦争をするのは、大切な家族や街、国を守るため。

 誰もが皆譲れない信念や、失いたくないもののために戦っていた。なりふり構ってはいられなくて、何も知らない子供を利用したりもした。大義のために個人を使い潰すなんてよくあることだった。


 そうした全ての正義の果てが、今、バルトルート・オーバーレイの目の前に突きつけられていた。


「貴方にはどう見えるかね?」


 楽園教会に引き取られてから二年が経ったある日。

 大きな戦争で、凶悪に過ぎる爆弾が日本のとある街に落とされる光景を見ながら、コールタールはそう問うた。


「俺には、この世界があまりに不憫すぎると、そう思うのだ」

「……ッ、だからって……」

「ああ、分かっている。俺は真なる救済のために貴方の妹を地獄に――奈落の底へと落としている。具体的な策は全てデモニアが行っているが、しかし……彼女に自我を与えようと提案したのは俺だ」

「だったら、貴様に従う義理はない……! 今すぐカルラを解放しろッ!」

「…………本当に、そう思っているのか?」

「――――ッ」


 なぜだろうか、バルトルートはその問いに否を突き付けることができなかった。

 残酷な光が一瞬にして街を照らし、熱線に遅れて爆音が猛り響いた。コールタールが作り出した障壁によって二人は傷を負うことも放射線に晒されることもなかったが――


「これ、は……ッ」

「貴方も学んだことがあるだろう。これが法則戦争以前に起きた最大の戦争にして、悲劇の象徴たる第二次世界大戦……その最後に落とされた二発の核弾頭の一発目――すなわち、『小さき少年』」


 赤髪の少年の前で燃え上がる炎、炎、炎。

 助けて、死にたくない。水をください。お母さん、お母さん。ここはどこなの、と……

 レンガすら燃やす熱線はいとも容易く肉体を燃やした。皮膚が爛れた人々に尊厳などない。個人を特定すことなど適わない、のっぺらぼうのような人の形をした何かがあるだけだ。


「俺は――許せんのだよ」

「……ッ」

「この世界を救済せねばならない。そのためにも、貴方の力が必要なのだ。風代カルラを地獄の底へと導いてでも、俺はやらねばならん。成すべきことは、この胸に刻まれている」


 かつてあった戦争、悲劇と呼ばれるその戦いには、どうしても負けられない理由があった。民の一人一人が国を想い、家族を想い、他者を想ったからこそ、彼らは最期まで引かなかった。絶対に引くことができなかった。譲ることのできない光を胸の奥で燃やしていたから。


 そしてそれは、大日本帝国民だけではない。対するアメリカにもまた譲れぬものがあった。


 彼らが死の光を落としたのだって、『戦争を終わらせるため』だ。絶対に降伏しようとしない敵国に対し、これ以上の戦いは無益であり、無為に人を死なせないための、最後の一手だった。


 そうして、多くの人が炎に呑まれた。

 助けて、助けて――そんな声が少年の鼓膜を激しく叩く。その中でも聞こえる、『万歳』の声。


 分かっている、こんな光景を見せられているのは、コールタールの策略の一つだということくらい。バルトルート・オーバーレイという少年の力を得るために、自身を篭絡するためだけに、こんな悲劇を見せていることなど。

 卑怯だ、最低だ。

 だが――




「大丈夫だからな、お兄ちゃんが守ってやるからもうちょっと待ってろ!」

「うん……兄ちゃん……でも、わたし、もうなんも見えんよ……」




 その瞬間。

 ぱちんっ、と――何かが切り替わってしまった。

 いつかどこかで必死に走っていた誰かと誰かに似た、一組の兄妹。

 まだ十五にも満たない小さな少年が、たった一人の家族を守るためにやせ我慢をして歯を食いしばり、炎の中を駆けていた。

 

「ふざ、けるな……」


 喉の奥から漏れ出したものは、怨嗟にも似たどす黒い感情を孕んでいた。


「……――」

「こんな、もの……」


 熱線に晒されてしまった影響だろうか、兄は体の半分を火傷していて、妹は顔が爛れて原形を留めていない。

 それでも必死に、変わり果ててしまったたった一人の妹を守るためだけに、涙を押し殺して炎の街を掛ける少年を見てしまった。

 そして一度見てしまえば、もう無視をすることなどできなかった。

 彼の頭の中に、かつて地獄で口にした言葉の数々が思い起こされる、




『カルラ。絶対に生き延びよう。俺が守るから。まずは母さんのとこへ行こう! ここから近い! 助けないと!』


『頑張れ! 絶対に逃げられるから!』


『いつか、カルラが安心して暮らせるように。そして、俺達家族が味わったような悲劇を生み出さないために……ッ! 滅ぼす殺す。焼いて燃やして焦がしてやる。この戦争ごと、灰にしてやる……ッ!』


『ああ。もう安心しろ。大丈夫だ。カルラは、俺が守るから……』




 思い出すのは、かつての地獄。

 自分もかつて、あの少年のように妹を守るために走ったのではなかったか。


「ち、く……しょォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」


 その瞬間、何もかもが決壊してしまった。

 妹を守ろうとしていたかつての意地も、楽園教会の長たるコールタール・ゼルフォースへの敵意も何もかも。


「ふざけるなよ、卑怯だぞこんなもの見せて……ッッ。貴様らは……楽園教会はカルラにあんなことをさせているようなクズなくせに、デモニア・ブリージアだなんていうクソ野郎を抱えているくせに! どうしてこんな悲劇を俺に突きつけるんだよッ! どうして、どうしてッ!」


 目の前で繰り広げられている地獄と悲劇のなにもかもから視線を外し、共に並んでこれを眺めているコールタール・ゼルフォースへと詰め寄った。




「どうして諸悪の根源であるはずの貴様が、悔しそうに拳を握りしめているんだ……ッッ!」




 感情の制御ができずにぼろぼろと涙を流す少年は、血が滲んだ拳を見て絶叫を上げた。


「お前みたいなクソ野郎のそんな姿を見ても、全然心の来ないんだよォ! 今さらお前に殊勝なふりをされたところで、こっちの怒りは振り切れているんだッッッ! 何が仲間になれだ! 何が悲劇を止めたいだ! 人を簡単に地獄に落とす人でなしのくせにまともな人間のふりをするなァ! くそ、こんなもの見せやがって、くそ……ッ」


 かつて少年は決意したことがある。

 あの地獄で見た炎の全てを根絶やしにしたいと。

 そう、たとえ――




 たとえ、何を犠牲にしてでも(・・・・・・・・・)




「もう、だめだ……っ」


 一度気付いてしまえば、もう自分の心に嘘は付けなかった。


「もう……俺は、兄ではいられない……」

「……卑怯なやり方であるという自覚はある。それでもなお、こうする他なかった。貴方は俺と似ているから。どうしても、貴方の理解を得て、そして共に楽園へと歩みたかったのだ」


 そう告げるコールタールの瞳に何が映っているのか、バルトルートには想像することも出来なかった。

 ただ揺らめく赤色を移しながら、銀の髪をなびかせて平淡な声で言葉を紡ぐ。


「……俺は最強であっても全能ではなくてな、過去の悲劇を消し去ることはできん。未だ、世界を救済するには力が足りんのだ。全て、奪われてしまったがゆえに」


 そうしてコールタールは、バルトルートに向き直った。


「そのために貴方の力がいる。俺の生来の性格ゆえ、こうして遠回りになってしまったが……」

「――確かめさせろ」


 何かを告げようとしたコールタールの言葉を遮り、バルトルートは全身から炎を噴出させた。周囲の人々がその異常事態に恐怖の声を漏らしているのにも気付かないまま、紅蓮を纏った少年は涙を蒸発させてコールタール・ゼルフォースを睨む。


「貴様の想いが真実かどうか、今度こそ確かめさせろ。もしも本物ならば――それが欺瞞でも建前でもなく、貴様自身の彼岸ならば、俺は、俺は――俺は、あなたの(つるぎ)となる」

「ああ――いいだろう」





 激突のあと、少年はコールタールの剣となった。


 そして、数人の枢機卿と顔を合わせることにもなる。


 自身の師として面倒を見てくれたライアン・イェソド・ジブリルフォード。彼の太平への夢はとても魅力的で美しいものだった。


 常に自分と張り合ってくるジークハイル・グルース。その精神性は理解に苦しむし、戦いたい、戦って勝利したいという彼の願望はバルトルートと相反するものだが、そこには戦争のような生々しい殺意はなく、ただ頂点を目指すというある種の気持ち良さがあり、認めるべきところはあった。


 そして、コールタール・ゼルフォースは約束した。

 必ずこの世界の理不尽と不条理と不幸を淘汰し、運命と世界を背負ってみせると。

 バルトルートでは成しえない全存在の救済を成してみせると。

 彼の嘆きや後悔を背負い、理想郷を、楽園を、千年王国を作り上げてみせると。


 だからこれは、ただめぐりあわせの問題だった。


 少女はたまたま優しい少年たちと出会い。

 少年はたまたま魔人たちと出会っただけ。


 ただそれだけのこと。

 だが、それが全てでもある。

 もはや兄弟の絆は修復されない。たとえ誰が望もうと、誰が願おうと、かつて共に笑い合っていた優しい日常は、もう戻ってこないのだ。


 少年には貫くべき信念と、果たすべき宿命と、目指すべき楽園と、拭い去れない過去があるから。


 だから、そう。

 たとえ――




「たとえ、今なお愛する妹を地獄の底へ沈めようとも、俺は必ず戦争を食い止める」




 それは、覚悟。


 傷つく覚悟よりも、殺される覚悟よりも、あるいは殺す覚悟よりも過酷で、誓うことが困難な誓約であった。


 平和をもたらすために人を殺す少年。矛盾を抱えた悲しき巨人は、やはりどこまで行っても悲しい存在だった。


 彼はカルラを忘れたわけではない。恨みも憎みも怒りも何もありはしない。

 真実、彼女を思う気持ちは変わらず。

 紅蓮の王はたった一人の妹を愛していた。

 そう、愛していたのだ。だが、その上で彼は少女を苦しめる。


「理想のために、楽園のために。俺は進み続ける。あいつが泣こうが喚こうが関係なく、俺は走り、駆け抜ける」


 胸の中の炎は消えない。

 六年前から心の中に巣食い続ける地獄の炎は、今も昔も変わらず少年を苦しめるまま。


 あんな地獄は許さない。


 これ以上、己と同じように家族を失って泣き叫ぶような子供、あるいは泣きたいのに泣くことを我慢しなければならない兄や親。そんな存在をこの世から放逐し、人類を救う。


「いつか万人が笑顔で生きられる世界を生み出してみせる。……その夢を叶えるためならば、俺は悪魔にでも塵屑にでも成り下がろう。たとえこの先に待つものが破滅であろうと構わない。俺は必ず、必ず――この世界に優しい光をもたらす。そしてそのためならば、今この時に、万の闇を背負い、億の希望を渡してもみせる。いつか必ず、平和が訪れるというのなら!」


 構えるバルトルートは、脳裏に同胞たちの姿を思い浮かべる。


 最初は全員殺してやりたかった。コールタールに至っては毎夜闇討ちを仕掛けたほど。

 だが、今となってはそれも昔の話だ。


 枢機卿はともに楽園を目指す同志。そのための下拵えを、力を合わせて成してみせる。


 今はなきジブリルフォードは、その過程が破綻しているのだとしても、それでもバルトルートの夢を素晴らしきものだと認めてくれた。バルトルートもまた、彼の太平の世への切望に共感を示した。


 そしてコールタール・ゼルフォースは約束した。

 何よりバルトルート自身がそう決めた。

 だから迷わないし、止まらない。


 それはもう確定事項。


 誰に何を説かれようとも折れることはない。


「さあ、これで言葉は不要なはずだ」

「ああ。そうだな」


 対峙する二人が、再度己の信念を貫かんと心象を猛らせた。

 双方曲がらぬと分かったのならば、後は力で押し通すのみ。


「ゆえに――」


 そして――


「死ね」


 バルトルートが動いた。

 否。

 既に彼は、全ての準備を整えていた。


 ぼこりっ、と。

 更地となった大地を、真っ赤な腕の骨が突き破った。最初の一つを皮切りにして、次々と地面の下から突き上がる骸骨の腕。一秒ごとに百、二百と次々に増えていくそれらは、今や千を超えて友介とバルトルートを取り囲んでいた。


 やがてアスファルトの地面を溶解させながら、『本体』が這い出ずる。全身の肉を削ぎ落とされた灼体の髑髏の群れが、岸に上がるかのように体を持ち上げ、地上に出た。


「kohhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh……」

「ah……a…aaaa……ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh…………」

「ketaketaketaketaketaketaketaketaketa!」

「ta………s……le…ahhhhhhhhhhhhh………………」

「diroa, ao,soou,a……lai……a……aaaaa……oohhhh. oh m……go,d……」


 髑髏の群れが友介を中心に取り囲むようにして、ロンドンの一角に集中する。訳の分からない呻き声のようなものを上げながら、魂を寄越せ、肉体を寄越せ、と。まるで本物の死者のように友介へ羨望と嫉妬と憎悪の眼差しを向けていた。


「これ、は……ッ」

「安堵友介。貴様の敗北だ」

「なに……?」


 バルトルートの宣告に、友介が訝しげな声を上げる。

 そんな彼に、無数の髑髏を隔てた十メートル向こうに立つバルトルートが冷ややかな瞳を投げていた。


「まだ分からないか。これほどの大軍を前にして、貴様の染色はどこまで()つのか想像してみろ」

「……っ?」


 バルトルートの言葉の意味するところが、友介は最初理解できなかった。

 どこまで保つ……? と内心首をひねる友介だったが、やがてこれら無数の髑髏が一斉に襲い掛かってくる光景を思い浮かべ――そして戦慄した。


「――――。ま、さか……ッ」


 背筋が凍る。全身から熱が引いて行き、指先から死の感覚が蟲の如く全身へ這いまわった。


「テメエッ! まさか俺の視界を……ッッッ?」

「ああ。不可解なことに、先の屋上での待ち伏せは全て避けられてしまったからな。同種の『眼』だと思っていたが……貴様のそれは、俺のものより幾分性能が上らしい」


 型は同じはずだが……そんな疑問を押し殺し、ただ目の前の黙示録の処刑人を焼却することに意識を集中させた。

 灼熱の死霊が発する熱風に神を揺らされながら、冷たく光る黄金(こがね)色の瞳をゆっくりと細めた。


「会話をして時間を与えたのは迂闊だったな。安堵友介」


 友介の染色は特別な動作を必要としない。ただ視線を向けるという最低限の行動だけで、視界に映る全てを破壊する極めて凶悪な力だ。


 しかしそれは逆に、視界を奪われてしまえば成す術がないということをも意味する。


 この髑髏の群れは、一斉に友介へと飛び掛かりその視界を奪うことが目的なのだ。徐々に徐々にその包囲網を狭めていき、まるで指先から炙るようにじっくりと紅蓮の死へと導く死者の誘い。それこそが、バルトルートが友介を殺すために取った策だった。

 もはや圧倒的優位に立ったバルトルートがさらに続ける。


「これは先まで俺がロンドンに展開していた、赤い魔術師もどきや兵士もどきとは別の存在だ。戦果を撒き散らした塵屑(へいたい)共とは別の存在。つまり――」

「――被害者、の方か……」


 友介との激闘の最中、バルトルートは意識を目の前の戦いからほんの僅かだけこの死者の形成に当てていた。アスファルトの中へと種を植え付け、地中で成長させることで伏兵を少しずつだが確実に増殖させていた。

 地を融かすほどの熱量を持ったそれら無数の死者たちを、己と同格の偽神との戦闘と並行して作り出し続けるのははっきり言って命を削る作業ではあった。しかしそれでも、千体もの髑髏を生み出すことには成功し、今こうして敵を追い詰めることに成功した。


 もともとは、髑髏の製造が千を超えた時点で友介に何らかの話を振り、時間を稼ぐつもりだった。カルラの過去を見たということは、おそらく己の境遇をも理解しているはず。ならば兄である己の言葉にも耳を傾けるであろうと予想していたからだ。先の数秒の沈黙は、そのための準備時間だったというわけだ。

 そして、時間を稼いでいる間に、髑髏の群れが地中を融かしながら二人の立つ場所まで歩き――こうして敵を包囲する。

 これら一連の流れこそが、バルトルートの策だった。


 しかし友介は、バルトルートが会話を切り出す前に自ら口火を切った。そして、それが大きく有利に働いてくれた。

 なぜなら、話を振られた当の本人はただ本心を(・・・・・)告げれば良かった(・・・・・・・・)のだから。


 ただ己の信念を、少し回りくどく話すだけで、安堵友介は愚かにも正々堂々話を聞いてくれる。こちらが心を曝け出している間に攻撃してくるような外道ではないこともなんとなく分かっていた。

 よって、わざわざ話を作ることも、質問に対する答えに対し会話を展開させる工夫も必要なく、ただ自分の話をするだけで時間が稼げたというわけだ。


 さらに――


「さあ、準備は全て整った。終わりだ」


 バルトルートのすぐ目の前の地面が溶解し、地面を突き破るようにして直径三メートルほどの紅蓮の球が現れた。

 地下百メートルで生成していた極小の太陽だ。紅蓮の膜で覆われたその内部では核分裂反応が起きており、球体内で暴れ狂うエネルギーは誇張抜きで街を一つ灰にする。

 剥き出しの核爆弾が、たった一人の男の手の中にある。


「……ッッ、テメエ――頭がおかしいのか?」

「描画師などそんなものだろうが。己が信念の赴くままに好き勝手に力を使う。矜持を掲げ、夢へと邁進するのが俺たちだ。それは貴様も例外ではないはず。現に貴様は、簡単に世界を壊すだろう」


 ああ、それは認めよう。

 確かに友介は自分の心の赴くままに世界を壊す。理不尽を、不条理を、不幸を認めぬと吠えて、勝手自儘に黙示録の刃を振るう。


「要は分かりやすさの違いでしかないんだよ、こんなものは。貴様のそれは『世界の修復』とやらによってチャラにされることに加え、『部分的な世界の破壊』という分かりにくい事象であるからまだまともに見えるだけだ。貴様が俺を理解できないのは、ただ俺が作った物が核爆弾という『既存の殺戮兵器』であるからというだけ。そこに違いなどない。どちらもろくでなしの破壊者であることに変わりはないぞ」


 つまり相性と方向性の問題だ。

 友介の破壊は染色というものに絶対的に有利に働く。


 バルトルートの業火は世界の物理的な面に打撃を与える。

 ただそれだけの違いでしかないのだ。


 そもそも、枢機卿レベルの描画師になれば、国一つを破壊するなどは当然のようにできるもの。

 例えばジブリルフォードは染色を発動せずとも、ただ歩いて大魔術を百回ほど発動すれば小さな国なら一日で海の底に沈められただろう。


 セイスもまた、九体の魔獣を好きに暴れさせるだけでブリテンなど崩壊させられる。

 率也は死の芳香をただ撒き散らすだけで民を皆殺しに出来るし、愛花はかつて死んだ描画師の法を適当に撒き散らせばいい。


 ジークハイルも、一国の軍隊に一人で立ち向かったとしても勝利を収めることは想像に難くない。


 アリアならば軍隊を己が支配下に置き、滅ぼすどころか支配できるはずだ。

 枢機卿とはそういう連中の集まりだ。少し方向性を調整してしまえば、国など一日足らずで簡単に落とせる。


 バルトルートの場合は、それが直接的な破壊に繋がっているだけの話。


「もう良いだろう。いい加減灰になっておけ」

「……ッ。テメエまで巻き添えを喰らうって言うのに。随分と余裕じゃねえか。言っただろうが、テメエの過去も見たって。分かってんだぞ……お前が炎を恐怖してることくらい」

「そうか」

「その染色は、怒りなんかじゃ断じてねえ。それは、トラウマだ。お前の恐怖を現したもんだ。だからテメエは、炎を扱う描画師のくせに、炎を弱点にしてる。そしてそれは、テメエ自身の炎も例外じゃねえ。分かってんのか、お前死ぬぞ」

「愚鈍にもほどがあるな。指向性を持たせているに決まっているだろうが。誰が好き好んで自殺などするか。言っただろう、俺にはまだやることがある」

「――お喋りだな。これで確信は持てたわ」

「――ッ。まあ、良い」


 友介のブラフにかかり自らの弱点を白状してしまったが、しかしそれも無意味。

 天秤は完全に傾いた。

 勝敗は決した。

 すでに安堵友介は詰んでいる。

 染色は髑髏の群れにより視界を奪われたことで封じられた。たとえ『鏖弾(バレット)』を放とうとも小太陽の熱で銃弾は溶解する。『瞬虚』を使おうともバルトルートの背後にすら髑髏は展開しているため無意味。そして上空へ逃げたところで、紅蓮の王がその対策を取っていないはずがない。


 打てる手は絶無。

 ゆえにこそ、ここから先は戦いですらないのだ。

 ただ一方的な殺戮。


 全身を固定した状態でつま先から頭頂までを細かく切り刻みながら、完璧なタイミングで喉元にナイフを刺すような、そんな決まりきった殺害が始まるだけだ。


 安堵友介の敗北は変わらない。


 黙示録の処刑人の死は決定した。




「地獄に呑まれろ。――紅蓮の中で散華(さんげ)しろ」




 号令と共に、髑髏が一斉に動き出し友介へと殺到した。


 友介は動かない。諦めたように俯いて、ただ滅びの時を享受する。

 少年の周囲を灼体の髑髏が覆い尽くす。

 やがてその姿が赫々とした無数の赤に包まれ。

 そこで少年はぽつりとつぶやいた。




「なあ。何で俺がテメエの前に立ったと思う?」




 バルトルートは答えない。もう数瞬の内に死ぬ負け犬の言葉など聞くに値しない。




「カルラがそこにいたから? お前がカルラの兄だから? 俺がお前に負けたからか?」




 死にゆく間際の足掻きは続く。




「違うに決まってんだろうがボケカスが。もしあの時カルラの前に立っていたのが、テメエじゃなくて魔獣使いのガキなら、俺はあの場に向かってねえ。あそこにいたのはディアだった」




 何を言っている? ――バルトルートはようやく訝しみ始めた。


「ここまで言って分からないなら……ああ、そうだな。――だからお前は(・・・・・・)負けんだよ(・・・・・)


 その瞬間。

 安堵友介が小さく動いた。


「無駄な足掻きを」


 それを塵の足掻きと切り捨てて、バルトルートは核爆弾の爆発を前方へと撃った(・・・)。灼熱という言葉すら生ぬるい絶死の煌線(レーザー)が、音すら燃やして発射した。


 そして――――











「お前の力、借りるぜ――――千矢」











 炭化した左腕を無理やり動かして、制服の裏ポケットに入れていた一枚の札を二本の指で強く挟んだ。

 紙面には、墨汁を使って『泥爆』と難解な書式で描かれていた。











 それは、友介たち『グレゴリオ』がサウスブリテン入りする前に、千矢が友介へ託していたお守りのような備品だった。

 水と土を掛け合わせた『泥』の属性、そして『火』と『木』を掛け合わせた『爆』の属性、それら二つを融合させた接着爆弾。


 もともとは、円卓の残滓(サーズ・キャメロット)と真っ向からぶつかり、もしも逃走する必要が出た際、時間稼ぎとして使うよう言われていた代物だ。

 たった一人で行動する友介に千矢が持たせた、せめてもの気持ち。




 それが――今、この瞬間。



 ここで、勝利の鍵となる。




「――――――――ッッッ! ァ、ァァァァァァアアアアアアアアアッッ!」


 激痛を無視してそれを目の前の地面へと叩き付けた。

 爆炎が巻き起こり、前方から迫っていた髑髏の群れを焼き尽くす。だが、そんなことはどうでもいい。木っ端に構う暇などない。時間がない。この炎も、あの核分裂の炎に包まれてしまえばかき消されてしまうから。


 よって友介は、全方位から迫る髑髏の全てを無視し、ただ静謐に前を見据えた。

 右手を前へ。銃口をバルトルートへと向けて、彼は静かに告げた。


「なあ、バルトルート」


 指向性を持った太陽火炎(フレア)が迫るも、しかし友介の瞳はどこまでも穏やかだ。


「お前の覚悟は確かにすげえよ。自分を闇に落とし、妹を焼いてでも平和を築こうとする。……方法は間違っていても、その信念だけは誰にも侮辱できねェ、壮絶な覚悟だ」


 だから、と。

 安堵友介は優しく告げた。


「道は分かれるだろう。お前は納得しないだろう。

 でも、お前はもう休め。

 そんで後は、俺が何とかしてやる」


 その瞬間。

 バルトルートは紅蓮の向こうに、かつて願った都合のいい存在(ヒーロー)を見た気がした。


 この世の理不尽を、不条理を、不幸を。


 世界と運命を、木っ端っ微塵に破壊する黙示録の処刑人。


 彼はどう見てもヒーローなどという柄ではなかったけれど。


 それでも――

 世界にも、運命にも負けない。この世の悲劇と地獄の悉くを撃ち砕く破壊者(ヒーロー)に、見えたのだ。


「――――ッ!」


 だが、そんな残影を振り払った。

 核の煌炎は順当に友介を呑み込み――否。




「俺がお前を救ってやる」




 穏やかな呟きと共に、一つの炸裂音があった。

 黙示録の法を叩き込まれた『鏖弾』が、決着を付けるべく射出された。


 核の紅蓮に呑まれる直前、音速を超えて飛翔する弾丸が泥の炎を貫く。

 そして――弾丸が泥の炎を纏った。


 そうだ。あの炎は触れた物体にまとわりつく性質を持っている。それこそが『泥』の性質だから。元は敵の足を止めるためだけの機能だが、しかし――


 今この瞬間は、違う。


 例えば、泥の炎だけならば煌炎に呑まれて終わりだった。

 例えば、『鏖弾』だけならば銃弾が炎に溶かされて終わりだった。


 しかし。

 炎を纏った弾丸がバルトルートの炎を貫いた。そしてそれに留まらず、泥の炎は迫る核の煌炎すら纏いながら超高温の炎の中を突き進んだ。


 バルトルート・オーバーレイの深層心理は炎への恐怖。ゆえに彼は炎に弱い。小さな炎でもいとも簡単に反射膜を焼き尽くすし、攻撃の炎だって圧倒的物量がなければ簡単に呑み込まれてしまう。

 これまではずっと小火を爆炎で掻き消していただけだった。否、掻き消せてもいない。あれはただ包んでいただけだ。大きな炎で包むことで、ただ炎を隠していただけ。そう……まるで、トラウマに蓋をするように。


 だがそれは、指向性もなくただ無差別に広がるだけの武器とも呼べぬ原始的な炎だからこそできた芸当でしかない。


 今のように、一点を抉るように超速で突き進む炎を前にしては、紙のように引き裂かれてしまう。


 炎にコーティングされた弾丸は、勢いを殺すことなくいとも容易く核の煌炎を貫通した。炎を纏いし『鏖弾』は、そのまま小太陽すら引き裂いていく。『泥』がバルトルートの業火すらも己がものとして、絶炎の弾丸が誕生した。


「――――。な、――――っ、…………――。――――――――、……――――」


 唐突に視界に現れた紅蓮と煌炎を纏った銃弾に、バルトルートの思考が凍結した。

 理解不能、意味不明。

 状況を何ら理解することができず、無防備な腹へ銃弾がめり込む。


「――――ガ……ッ?」


 身体がくの字に折れ、激痛が局部を中心に全身へ伝播する。

 その向こう――引き裂かれた紅蓮の奥で、バルトルートを真っ直ぐに見据えていた安堵友介が、その湖面のように静謐な瞳を紅蓮の王から外した。


「キサ、マッ――……ッッ」


 激痛に焼かれながらも、しかしバルトルートは赫怒を燃やして手を伸ばした。


「愚か、な……まだ……まだ、俺は――まだ俺は倒れていない! まだ何も、終わっていないぞ……――ォおおおッッ!」

「いいや、終わりだよ」


 そんなバルトルートの絶叫を聞き流し、彼はゆらりと背を向けた。





















「――――『崩呪の黙示録フェイト・オブ・アポカリプス紅壊(レーヴァテイン)』――――」




















 そして。

 紅蓮を纏いし黙示録が、ここに現出する。

 硝子が割れるが如き破砕音と、大地を揺する爆発音が発狂した。

 煌炎が世界を引き裂いて、紅蓮の王を撃ち砕く。


「が、ぐが、ぎ、ィ……カッ……――ッッ」


 絶叫と煌炎を背中に受けながら、友介は拳銃をホルスターにしまう。

 爆風が吹き荒び、友介の黒髪が煽られた。


 膝を突きゆっくりと崩れ落ちる紅蓮の王。その意識の断絶と共に、彼が具象化していた心象世界が破砕する。

 紅蓮の暴発はまるで無念の怨嗟を叫ぶかの如く虚空へ溶け、焦熱災禍は砕け散った。

 友介は背を向けたまま、安心させるように小さく言葉を結んだ。




「安心しろよ、バルトルート。お前の妹は、俺が責任を持って守り抜くからよ」




 背後で崩れ落ちる紅蓮の王を一瞥もせず、安堵友介はただ一人の少女へ思いを馳せる。


「カルラ……待ってろ。今行くからな」


 まだ闇の底で泣いている少女を笑わせるためだけに、少年は歩き出した。

 その――直後のことだった。






 ドスッ、と。

 何か鋭利なものが、少年の腹を貫いた。






「は……?」


 痛みよりも、恐怖よりも。


 先に、疑問が来た。


 視線を降ろす。


 そこには、どこかで見たような……血に濡れた刃が、あって――


「こ、れ……は、ァ……ぐぶッ……ッッ?」


 そんなわけがない。

 ありえない、嘘だ。

 違う、違う。認めない。

 首筋から熱が引いて行く。冷水をぶっかけられたかの如く、全身が震えていた。


「ぁ……そんな、まさ、か……がはッ!」


 びちゃり、と喉の奥から鮮血が溢れ出し、地面に赤い花を咲かせた。

 激痛を無視してゆっくりと、何かを否定するように振り向いた、その目に。


「うそ、だろ……?」




 友介を後ろから刺したまま、呆然と目を見開くカルラの姿があった。




「なんで……おまえ、なに、して……ッ」

「ぁ――――」


 友介の問いかけによって、少女の金眼にようやく意志の光が宿った。

 そして――今さらのように、その手に握る刀と、刃の行く先を、知った。


「え、あ。あ……え、ぁ、」

「まっ、ぐ、ぅ……ッ。カル、ラ……カルラ落ち着け……ッ」


 自分が何をしたのか。誰を刺したのか。それを自覚して、ああ。ああ、ああ――


「あ、ああああ。あああああああ! ぁあああああああああ――――」

「クソッ、カルラ落ち着けッ! 大丈夫だッ! カルラ、カルラッ! 良いから俺の話を……が、ァ……ッ!」


 もうどんな言葉も無意味だった。

 最後の一線を超えた。

 少女の脳が、心が、その負荷に耐えられない。



 たった一人、誰よりも■■■な少年をその手で刺して。



 そして――――


「あああああ……ああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああ あああああ あああああああああああああ あああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああああああああああああ ああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああ ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ――――――――!」




 風代カルラは無明の底へと落ちていく。




 自我の全てが砕け散り、ここに悲劇は完遂される。

 鏖殺の騎士が誕生する。








 そして、運命の一端がここに舞い降りた。


☆ ☆ ☆


 絶叫する少女はただ一つの真実だけを胸に、心の中で悲哀の涙を流し続けた。


 無明へ落ちるその間際、やはり少女が思い出すのはあの言葉。


 一つの真実――だからこそ、彼女はこの結末を選んだのだから。


 デモニア・ブリージアから告げられたたったその真実が、頭の奥にへばりついて離れない。


 少女の心を微塵に引き裂く。




『あいつはな――――』




 この悲しみがあったから、少女は自分を捨てられた。


 心をぐちゃぐちゃにするその真実こそが、彼を救うと理解したから。


 だから、これでいいんだ。




















『空夜唯可っていう女を愛している。


 魔術師に奪われたそいつを取り返し、一生を懸けて幸せにするって決めてんだ。


 つまりあいつには、もう、心に決めた女がいるんだよ。


 ――お前は、いらねえんだわ』




















 だから、私は喜んで身を引ける。


 友介。


 私のことは忘れて、その子と幸せになってね。

















 さようなら。


























「――『染色(アウローラ)』――」


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