第九章 決戦 ――Decisive Aurora―― 4.黙示録vs紅蓮。そして、迷い彷徨う少女の心
セイス・ヴァン・グレイプニルの撃破により、現世に召喚した彼の魔獣は全て、セイスの管理する異界へと還された。他の枢機卿も皆、各々戦線を離脱し始め、後に『宵闇の再来』と称される最悪の内乱の火は確実に収まりつつあった。
そしてそれにより、ブリテンの運命と未来は、国の勝利の行く末は――一つの戦いへと収束される。
黙示録の処刑人――『黙示録』安堵友介。
紅蓮の王――『紅蓮焦熱王』バルトルート・オーバーレイ。
紅蓮と黙示録。
地獄と終焉。
人外と人外の最後の戦いが、キャメロット城にて繰り広げられた。
津波の如く押し寄せる紅蓮の奔流を、安堵友介は視線を向けるだけで破壊する。硝子の如く破砕した炎の残滓。その間隙を縫うように疾駆した。
「――――『崩呪の黙示録・鏖弾』――――」
爆発音を奏でて発射された三発の弾丸は、どれも染色を破るに十二分な破壊を内包した銃弾。世界そのものを破壊する鉛玉が、人の形をした地獄へと殺到した。
安堵友介がジークハイルとの戦いで得た新たなる力。それは、彼が相対したその拳闘士の染色から着想を得たものだった。
染色とは言ってしまえば想いの力だ。強き思い、眩き理想、貫く信念、拭えぬ恐怖――そうした心の根底にあるものこそが、染色として外界へ発され、その法則を押し付け塗り替える。
ジークハイルはかつて、発現した染色に少しだけ細工を施した。
『何をやってでも、どんな手段を使ってでも、何が何でも果たしてみせる』
必ず最強になってみせると、ジークハイルはそう誓った。
ジークハイルは本気で頂点を目指していた。だからこそ、多少威力は落ちるにしても、多様性のある染色が必要だった。
もともとは絶大な威力の拳撃を繰り出すだけだった染色は、信念の深化によって進化した。何が何でも頂点へ――その想いは、変速という工程を必要とするものの、あらゆる身体能力の向上という、染色の変化ををもたらした。出力を大幅に上げ衝撃波すら巻き起こすものや、超速移動を可能とするものなどだ。
染色とは想いの力。己が心象を失うことなく、想いの丈を伸ばしてしまえば、その飛躍は枝葉の如き多様性を見せるのだ。
安堵友介は己が心象――理不尽を憎み、世界を破壊する――に、より一層の力を求めた。ただ阿呆のように世界を壊すだけではない。その破壊を使いこなし、より効率的かつより効果的に世界そのものに打撃を与える。直接的な威力は落ちようとも、そうした遠回りこそが世界の理不尽の淘汰に繋がると、友介は心より信じた。
だからこそ叶った成長。
よってすなわち、弾丸に込められた覚悟の重みはかつての彼とは段違い。
ゆえに当たればただでは済まない。痛手は確実。
「――」
放った弾丸が空気を割いて直進するが、しかし――最小限の動きだけで回避された。
バルトルートもまた、友介と同じ『眼』を持っているからだろう。よって、攻撃が当たることはそうそうないと考えるべきであり、この戦いは如何に敵のペースを崩し詰みへと持っていくかという、その一点に集約される。将棋やチェスのような戦いだ。殴り合いというよりも、戦術的かつ戦略的に敵を取るという戦い。
――そんな常識など、何の役にも立たない。
激突する描画師と描画師。
偽神同士の全力の潰し合いに、そんな可愛らしい一般論が通じる訳もない。
そんなものは糞にも劣る。今さらまだその程度の認識しか持たぬ凡人は、そもそも染色などという埒外の力を振るうことさえ許されない。
首を傾け、額のあった場所を弾丸が通過する。その、瞬間――
「……んなワケねえだろ、ボケ。――――『暴発』――――」
瞬間。
銃弾を源として世界に亀裂が走った。直径にして一メートルほどの小さな世界崩壊。しかしてそれが崩壊であることに変わりはない。首を傾けただけのバルトルートは当然その破壊の圏内にある。
「チッ」
だが、彼には『眼』がある。友介と同じく直近の未来を見通す右眼を持っている。唐突な世界の破壊自体は予見できないが、友介の視線や仕草を観察すれば何かがあると推測することは可能。よって少年は、右手から炎を噴出させ、それを推進力に左方へ逃れた。崩呪の魔手は紅蓮を掴めない。
しかし――
「――――『崩呪の黙示録・瞬虚』――――」
呟いた直後、友介の正面に時空の亀裂が発生。時空間が歪み、撓み、割れて壊れて破砕する。眼前にて広がる巨大な虚。暗黒に彩られたその虚無へ、少年は迷うことなく飛び込んだ。
バルトルートは警戒を露わにする。小隊三つを創造し、左右後方の三方を守護させた。
「熱源を感知し次第一斉掃射だ。灰すら残すな」
紅蓮の王の命令を炎の兵隊たちが受信する。『灰すら残すな』という命令を実行すべく、その内側で荒れ狂う炎を弾丸へと変えた。殺す燃やすぞ灰になれ。猛るバルトルートの想念が三小隊の全てに伝播され、憎悪を糧に駆動する。
だが――
「どこ見てんだよ」
声は、正面から。
「――――」
空間を割るようにして現れた安堵友介。銃口がすぐ目の前で大口を空けていた。命を呑み込む暗黒に魅入られたかの如く、紅蓮の王は身動き取れない。
――否。
「なぜ俺が正面を空けたと思っている」
告げた言葉は、指鳴りと共に。
直後、友介の足元が赤熱した。まるで噴火の時を待つが如く。膨れ上がる大理石が、暴発の時を今か今かと待ち焦がれている。
「言っただろう――灰すら残さん」
その燃焼に、世界が耐えきれなかった。
轟音を爆音が掻き消し無音と化した。眩き閃光が天へと走る。大気に存在する分子が灼炎の持つエネルギーによって強制的に分解される。白光はプラズマ化によるもの。そして、そんな炎に囚われた者が原形を留めているわけもなく――
否、否、否である。
まさかこの程度で決着が付くなどとは、バルトルートも思っていない。
白光の向こう――今なお燃え盛る紅蓮の業火の天柱に亀裂が走る。
物体でないはずの獄炎が、ただ睨んだだけで硝子のように木っ端微塵に砕け散る。
そして――
「――――ッ」
「来たか」
――鉄火の舞踏が幕を開ける。
放たれる弾丸を、バルトルートが最小限の動きだけで回避する。すかさず己が兵団に合図を送り、友介を炭化させるべく掃射の命令を送った。友介はれら全てを見切り、躱して避けた後、身体の上下を反転させ、地に両手を付けた状態で南米由来の舞踏武術に似た型の蹴撃を放った。破壊の法が込められたそれを、バルトルートは避けることが出来ない。咄嗟に左腕でガードしてしまう。
「ぎ……ッ!」
脳が激痛の信号を送る。体が悲鳴を上げているが、しかし――
「捕まえたぞ、破壊魔」
「――――チィッ!」
バルトルートの顔面を狙った左脚をバルトルートは己が左腕でホールドし、残った右手に紅蓮を集約させた。
「焼き焦げろ」
冷徹な死刑宣告と共に炎の槍が形成される。少年の心臓を穿つべく、赫々と輝く憎悪の炎が唸りを上げた。
回避は不可能。防御する手段もない。このままでは心臓を焼かれた後、即死するのは避けられない。
「だッ――たらァッ!」
ならば、と友介は覚悟を決め、左手で拳の形を作る。右腕一本で体を支え、迫る紅蓮の王の右手へと己の拳をぶつけた。
破砕の音と燃焼の音が同時に響く。埒外の激突に世界が耐えきれない。黙示録によって世界が破壊されていく。ガラスが割れるように、限定的ではあるものの世界が簡単に崩壊していった。さらに崩壊したところから紅蓮の法が追い打ちをかけていく。割れた世界をさらに広げる。獄炎が断面図を焼いていく。亀裂と穴は際限無く広がり続けていった。
「ちょ、……みんな、逃げよう!」
「でっ、でも友介がまだ!」
「駄目だ風代! ここにいたら死ぬ! そうなれば誰が悲しむか分かっているのかッ?」
『……カルラ、ちゃん……今は』
「……――ッ、わかった、わ……っ」
草次の提案に、千矢と蜜希が乗る。カルラだけはその案に反対したが、自分たちが死ねば友介の覚悟が無駄になると諭され、渋々従うことにする。
草次、カルラ、千矢の三人が立ち上がり、退避しようと全力で走る。その途中、意識を取り戻し呆然と戦いを見つめていたサリアも拾い、出来得る限り距離を取ろうと足掻くが、しかし――――
カルラ達を巻き込むように、キャメロット城の上部が爆発した。
「えっ……?」
「ちょッ!」
「く……これは――」
四人は空へと投げ飛ばされる。
何かに掴まろうと皆が空へと手を伸ばすが、何もない空気が指の間を虚しく通り抜けていくだけだった。
そんな中、カルラだけは――
「――――ッ、ゆうす、け……ッッ」
そんな悲痛な声を上げ、己を守るために世界雲の彼方から帰って来た少年へと手を伸ばした。
縋るような右手は、当たり前のように彼には届かない。
☆ ☆ ☆
拳と槍の激突の後、城の上部をまるまる吹き飛ばすほどの爆発が起こり、二人の少年はそれぞれ後方へ凄まじい速度で飛ばされた。
世界の修復による『揺り戻し』も発生し、二人はもんどり打ってそれぞれ後方へ飛ばされる。
「ガァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ――!」
「ぎ、ゴ――ォおおああああアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ」
二人分の絶叫が空に溶ける。友介は左腕を炭化させ、対してバルトルートの右腕は拉げていた。
まだ僅かに動くものの、双方ともに片腕がほぼ使い物にならない状態へと堕した。しかし、そんな二人の傷などお構いなく――否、傷が酷くなるほどに、戦いは激化の一途を辿っていく。
友介は視界の端に四つ分の影を捉えるや、染色を発動。四人全員を『瞬虚』にて地面へ優しく下ろした。
カルラを初め四人が地面に無事着地したことを確認すると、すぐさま戦いへと全神経を注いだ。
「余裕だな」
「なっ――!」
その隙を、敵が見逃すはずもなく。
「死ね」
「く、そが……ッ」
背に紅蓮の翼を展開するバルトルートが眼前まで迫っていた。残った左手に炎を纏わせ槍を形成。腹を穿たんと唸りを上げた。
だが、差し違えるようにして右手に握った銃から破壊の弾丸が射出され、バルトルートの腹へと撃ち込まれんとする。
「――――ッ!」
「ク――ッ」
そして、双方同時に回避の挙動を取る。結果、バルトルートの左腕は空を穿ち、少年の放った弾丸も虚しく空へ放たれるのみ。
直後、重力が二人の偽神を捕らえた。
だが、もはや地球法則如きに縛られる二人ではない。
友介は『瞬虚』を用いて。
バルトルートは紅蓮の翼から業火を噴出させ、スラスターのように用いて。
近くのビルの壁面へと『着地』した。
そしてそのまま垂直の壁を一気に駆け上がる。
友介は連続的に『瞬虚』を使用することで超短距離のワープを連続敢行。重力に囚われながらもそれを無視。相対するバルトルートは背に展開した翼をスラスターにして重力に逆らい、友介と並行したまま全力走行――頂上へと向かう。
入り乱れる崩壊の呪いと紅蓮の業火。戦いの余波に叩かれて、戦争以前からあった無人のビルが拉げていく。窓ガラスが割れ骨格が砕ける。業火に溶かされ液体と化した超高温の建材が地上へと降り注ぎ、ビルの一側面に巨大な隕石でも激突したが如くクレーターが無数に刻まれた。
そして、駆ける流星はついにビルの頂まで達し、
「――――ッ、なっ」
屋上にあらかじめ展開されていた紅蓮の兵団に、安堵友介は取り囲まれた。
「ぐ、――クッ」
染色を発動するも遅い。
バルトルートの号令によって、無数の弾丸が友介へと殺到した。
☆ ☆ ☆
偽神と偽神が、比喩でなく世界を砕く戦いを繰り広げるその遠くで、当然ながら只人はそれを見守ることしかできない。
余波を受けた四人は宙に投げ出され、そのすぐ後に不快な浮遊感が全身を襲った。
カルラは必死に手を伸ばす。遠く離れていく少年。届かない、届かない。
(なん、で……ッ?)
風代カルラは、もう届かない少年へ必死に手を伸ばす。
「わたしは、こんなに汚れてるのに……ッ」
城から落ちる四人のすぐ下に世界の亀裂が生じていた。真っ黒な虚が大口を開けて待っている。成すすべもなくそこへ放り込まれた四人は、次の瞬間にはブリテンの地面に優しく下ろされていた。おそらく友介が四人を守るために行ったものだろう。枢機卿との戦いの最中の行動にしては余計に過ぎる。こんなことをすれば、確実に致命的な隙を晒すことになるかもしれないのに。
まるでベッドに寝かし付けられるかのようにゆっくりと地面に降ろされた。他の三人も同じようで、皆が今しがた起きた現象に首をひねっていた。
地面にぺたりと座り込んだまま、少女は遠くで戦う少年を見つめる。
紅蓮が咲き乱れていた。二つの流星が絡み合って近くのビルへと墜落する。そのまま破壊を撒き散らして、まるで二匹の蛇が喰らい合うが如く壁面を超速で駆け上がる。
「アンタは、理不尽が許せないんじゃないの……? だったら、だったら……ッ」
そんな冗談としか思えない戦いを見つめていれば、少女は問わずにいられなかった。
風代カルラは、安堵友介にとって撃ち砕くべき悪だ。
五千人以上も人を殺して。
これからもまた、何人も何人も殺すのだろう。
自分なんて見失って。
誰とも知らない赤の他人に体を奪われて。
そうして、また何千人と殺すに決まっているのだ。
だったら――
「私なんか守って、どうすんのよバカ……っ」
本当に、どうしてあいつはこんなに馬鹿なんだろう。
彼のことが分からない。本当に馬鹿過ぎて、全く理解できない。
来てほしくないのに、放っておいてほしいのに。
どうして迎えに来てしまうの? 何でアンタはそんなに馬鹿なの? 意味分かんない。
ちょっと考えれば分かるのに。風代カルラなんて守る価値のない女だなんてこと、そんなの少し冷静に考えたら分かるだろうに。
どうして私を、守る対象に入れてしまうのか。何が助けるだ、何が救うだ。
私は理不尽に押し潰された哀れな被害者なんかじゃない。私は、私は――
だけど、少年は少女の独白など聞いていない。
順当に、当たり前のように、少女を守る。
「…………ッ」
兵器のような破壊を撒き散らしながら戦う二人が駆け上がっていたビルの屋上で、未だ紅蓮は花火の如く咲き乱れていた。
「ゆう、すけ……ッ」
声は届かない。届くはずがない。
「ゆう……すけ……ッ」
必死に手を伸ばす。今はもう遠くで戦っている少年。彼が誰のために戦っているか、分かってしまうから。
「ゆうすけぇ……! もうやめて。やめてよッ……」
嫌なんだ。
こんな自分のせいで彼が傷付くなんて。
風代カルラという『悪』を救うために、優しい彼がボロボロになるのを見ているなんて耐えられない。
「カルラちゃん……」
「風代……」
草次と千矢の呼びかけなど、少女の耳に入っていなかった。
彼女はただ、遠くにいる少年を想う。
お願いだからやめてほしい。
だけど、ああ。だけど――もしも。
「ッッッ!」
「カルラちゃん!」
「おい!」
生じたその『もしも』を振り払うようにして、赤髪の少女は少年がいるビルの方向へと駆け出した。背後から仲間の声がかかるも、少女の意識を縛ってくれない。
「アンタは、アンタは! 友介、アンタは勘違いしてるっ!」
炎の兵隊を切り払いながら、少女は地獄と化したロンドンの街を必死に駆け抜ける。
「アンタは私を被害者だと思ってる! でもそうじゃないッ! そうじゃないのよッ! 私は、私は……私は強制されたんじゃないッ! 私自身が、自分で決めて、やったことなのッ! 私自身が選んでッ! この手で奪ったのよッ! だから、だからッ……!」
声が届かないことなんて分かっている。聞こえるはずがないなんて百も承知。それでもなお、黙っておけないから喉を枯らして張り叫んでいる。
ねえ、ほんとに分かってよ。
私は人殺しなの。この身体は汚れていて、この手は罪で溢れてる。
ほら見てよ、本当の私を見なさいよ。こんな汚れた女のどこに守る価値があるっていうの? 救うに値する女なわけないじゃない。
これだけ多くの人を殺した私を、どうしてアンタは断罪しないの?
「黙示録の、処刑人なんでしょうが! だったらまずは、最初に私を、殺しなさいよ……っ!」
救うと決める前に、まずはきちんとその目を磨きなさいよ。その右眼は節穴なの?
人を見る目もないの?
だったら何度だって教えてあげる。
私は――――
『うるせえな』
そんな少女の必死の叫びを、彼の残影が切り捨てた。
あの時の少年の、どこまでも優しい瞳を思い出す。
風代カルラだけを見つめ、ただ少女だけを収めたその瞳を。
その目を見て。
ああ、彼の瞳に映った自分を見て。
彼の優しい笑顔を見て。
胸が張り裂けるほど嬉しかったから。
もう、どうにもならないくらい幸せで。
何もかもがどうでもいいと思えるくらいに幸せで。
あの瞬間、彼にとっての全部になったと、そう分かっていたから。
風代カルラが、安堵友介の全部を満たしていたと、そう確信しているからこそ。
「やめ、て……ッ」
そんな幸福が、どうしても気持ち悪いんだ。
胸を満たす暖かな感情が、少女の粘着いた闇へと触れるたびに、心が激痛を発してしまう。
私にこんな幸せは訪れてはならない。
罪人は罪人らしく汚泥の底に沈むのが道理なのだ。
だから、幸せなんて、いらないから。
だから……
「終わらせて……」
だったら、どうすればいい?
安堵友介は馬鹿だ。あの少年は、鏖殺の騎士を守ろうとしている。
こんなに罪深いのに、少女を守るべき者として見ている。
だから、だから――
「……アン、タが……友介、アンタが聞かないなら、私は……わたしは……ッッ」
震える右手へと視線を落とす。
そこに握られている、長刀を見つめる。
「私は――――ッッ」
覚悟を決めるように歯を食いしばった直後のことだ。
不意に、少女の視界が赤く染まる。
「ぁ――――」
気付いた時にはもう遅い。業火の球体が少女を焼き尽くさんとすぐ目前まで迫っていた。
友介の隙を作り出すためにバルトルートがわざと彼女へ向けて放ったものだった。
だが、当のカルラはそんなこと知りもしない。死を前にして引き延ばされる時間の仲、戦いの余波がここまで及んだのだと勝手に解釈し、絶対的な終わりを悟る。
もはやどうすることもできない。
迫る絶死の炎球を前にして、無力で罪深い少女は呆然と立ち尽くしかできない。
ただ、少女は終わる間際これでいいと安堵していた。
自分にはこういう、下らない結末が似合いだと、そう理解して――――
だけど、ああ。
――ねえ、友介。
「間に合った」
――ねえ、何でアンタってそんなに馬鹿なの?
「ったく、危なっかしいんだよテメエ。ちょこまか動いてんじゃねえ。守ってやるからじっとしてろ」
「――、ぅ……。あ……っ」
火球と少女の間に大きな背中が割り込んでいた。
おそらく新たに手に入れたテレポートの力でここまで跳んできたのだろう。ただカルラを守るためだけに、敵の元から離れてきたのだ。
不意に強い力で抱き締められ、まるで守るように自分を抱きしめる彼の向こうで、銃弾を受けた炎の隕石が粉々に砕け散っている。
そうして生まれたその間隙に、さらに二十を超える火球が雨のように降り注がれるが、友介はそれらを染色で最低限だけ破壊すると、あとはカルラを抱き寄せながら数歩移動しただけでその全てを回避し切った。
ぱらぱらと赤い雪が舞うなかで、敵の追撃などまるで恐れていないかのように、友介の瞳はカルラの美しい金色の瞳を捉えていた。
「アンタ、バカじゃ、ないの……? 左腕真っ黒にして、何してんのよ……ッ」
「こんなもん大したことねえ。すぐ治る」
――そんなの嘘、知ってるんだから。アンタがボロボロになっても戦うのをやめないのなんて。
――ねえ。お願い、傷付かないでよ。
「カルラ、俺はお前を救うって決めたんだ。だからお前は、後ろで見てろ。守られてろ。傷なんて大したことねえんだって。だからよ、こんな時くらい言うこと聞け、バカ女」
それだけ言って、馬鹿な少年は大馬鹿な少女を離した。
「ぁ――」
「安心しろって。どこにも行かねえ。もうお前を置いて行かねえし、お前を誰かに奪わせない」
少女の気持ちなどまるで聞いてくれず、ただ一方的にそう告げて、友介はカルラに背を向けた。
カルラはその背中を見て、さらに困惑してしまう。
――何で? どうして?
――ああ、そっか。
――私、まだアンタにこのこと言ってなかったわね。
「あの、さ――」
「もう良いって言ってんだろうが。面倒くせぇ」
カルラは己の全てを打ち明け、彼の勘違いを正そうとしたが、少年はそれを聞きもしてくれなかった。
だって――
「カルラ、お前が何をしたのか、何で拒否しなかったのか、何で逃げたのか、お前が何を見て、何を感じて何を悔いてるのか……全部知った。俺と出会うまでのお前の、その全部を見た」
「ぁ、う……そ……」
少年の告白と共に、少女の顔が蒼白になった。つい先まで自分で伝えようとしていたくせに、いざ知られていると理解するや、恐怖で体が震えてしまった。
知られた、知られた、知られた――。友介に、知られた……っ。
幻滅される。失望される。軽蔑される。嫌われる。嫌だ嫌だ嫌だ、でもこれで良くて、これで良いのに聞きたくない。
「だから、奈落から、俺がお前を引き上げてやる。だから、ちょっと待ってろ」
ぽん、と頭に手を置かれて、そのまま後ろへ無理やり押された。
俺にさっさと守られとけと、ぶっきらぼうに押し付けられる。
そんな二人を諸共消し炭へと変えんと、紅蓮の王が無数の隕石を叩き付けてきた。
「下らんままごとは余所でやれ。見るに堪えんぞ白痴共」
「おい――」
それら地形を変えることすら可能なマグマの隕石を、しかし少年は赫怒の瞳を向けただけで木っ端微塵に破壊する。
「いま大事な話してんだ。よそもんは入ってくんな」
そうして、ようやく少女は気付き始めた。
その優しくて大きい背中を見て。
安堵友介が、何でこうまでして風代カルラを守ろうとしているのか。
だけど、それが本当にそうなのかなんて確信も持てなくて……
「…………ッ」
だから結局、黙っていることしか出来なかった。
「じゃあ悪いな。もうちょい待ってろ。すぐ終わらせて来るからよ」
大地を踏み抜き、自ら生み出した時空の亀裂へと身を滑り込ませる。
無力にもやっぱり、少女は見ていることしかできなかった。
手のひらへ視線を落とし、少女は己の刀を見やる。
「私は、どうすれば……ッ」
苦悩はしかし、神にも天使にも届かず――
「カカカッ。だったらヒントを与えてやるよ」
聞き届けたのは、『邪悪』の悪魔だった。




