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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
159/220

第七章 小さくも大きな意志 ――Sirs Camelot vs Island Church 3.死想全知

「マーリン、だと……?」

「カカカッ、そうさ。そうそう、そういうこと。俺様は今なお生きる伝説。生きていてなお語られ続けている、至高至上にして、最高位の魔術師――いいや、描画師だ」

「ばか、な……」


 ありえない。

 その単語だけが、頭の中でぐるぐると回っていた。

 生きる伝説? アーサー王の存在を予言し、彼こそがブリテンを救う英雄であると告げた、ブリテン救済の、立役者……?


「そう! その通り! そうなんだよ! テメエが今考えている通り、俺様はあのマーリンなんだ! 魔術師マーリン! ブリテンを救うためにアーサー王を見出した、とてもとても立派な魔術師様だよ。信じられねえならあん時のことを一つ一つ丁寧に、余すことなく教えてやるよ」


 呵々と邪悪に大笑するデモニアは、かつて己が行った所業に身を震わせた。

 あの時は本当に楽しかったと、己の最高の思い出を口にする。


「まずはアーサー王を英雄に仕立て上げた時……アレは傑作だったなア! 岩に刺さった鍍金を塗りたくったクソしょうもねェ剣を、いい歳した騎士のおっさん共が群がって引こうとするあの光景! ほんっと笑えたわ! なーにが選定の剣だよ馬鹿馬鹿しい! カカカカカッ! 魔術で岩に固定してただけだってのに、あの馬鹿ども、律儀に俺様の言葉を信じてくれてよぉ! 俺が聖剣に選ばれるだの、我が至高の騎士だのなんだの。バッッッッッッッッッッカじゃねえの!? そんで、一番ひょろっちい、雑魚丸出しのガキを選んで剣を抜かせてみれば、あらビックリ! 誰も彼もが俺様の嘘を本気にして、ちょっと剣術が上手いだけのガキを騎士王だなんだともてはやしちゃってさあ! しかも救えねえのはその本人! ただの一般人のくせに、自分は選ばれた英雄だの王だの騎士だのと――。友達のいねえ、教室の端っこで妄想してる今の陰キャと変わらねえぞありゃ」


 語られるブリテンの伝説は、あまりにも悲惨だった。


「数多の敵を差し向けた上でアーサー王にこれを討たせた時も笑えたぜえ? 俺様がけしかけた敵だとも分からず、国のため国のためって馬鹿みてえに叫び散らして、何の罪もねえ人間どもを、蛮族だの化け物だのと罵って殺して殺して殺しまくるんだ。カカカカカカカッ! そんでもって、あいつは英雄であろうとするから、心の悲鳴っての? よく分からんがそういう笑える何かを押し殺して、さらに戦うんだ。ヒロイックな茶番劇で笑えるだろ?」


 語られるその真実に、聖剣が激怒するかのように光を発した。それを見たデモニアは、敗者の絶叫をそこに聞いたのか、さらに機嫌よくゲラゲラと笑い、饒舌に口を動かす。


「あとあと、聖杯伝説だよ! あいつらが何かよく分からん会議をしてる時に、ちょっと飽きてきたから、ひとつ、英雄の誉れを得るために聖杯を探せーって適当言ったら、あいつら見事に引っかかって、王以外全員城を出て行きやがった。何が騎士の誉れだよ。仕事しろよ」


 ディリアスは既に、驚愕と困惑によって全身を苛んでいた激痛すらも意識の枠外にあった。

 何を語られている?

 これは本当に真実か?

 こんな、こんな凄惨な物語が――あの輝かしい円卓の物語の真実なのか?


「そんでフィナーレッッッ! グィネヴィアを魔術で催淫して、発情した女王という名のメス豚をランスロットに寝取らせてからと言ったら、これはもう傑作中の傑作! つぅーかまあ、テメエらもある程度知ってるんだろ? あのとんでもなく笑える結末を! 俺様の作った超大作の、その最後の戦いを!」

「それ、以上……彼らを冒涜するな……ッ!」


 握る聖剣の怒りを汲み取り、共に戦ってきた相棒の尊厳を守るため彼もまた同じように激怒するが、デモニアは全く聞いていない。

 楽しかった青春を語るように、デモニアが満面の笑みで真実を語る。


「近親相姦で生まれたガキも、これまた面白くてなァ。こいつらを良い具合に利用して、あの最期を作り出しったってわけだ。モルドレッドだっけ? あいつは本当に面白かった。本当に、本当に本当に本当に本当に本当に……! あいつほど国想いだった奴はいねえ。だってのに、あいつが! 最後のッ……! 最ッ後の最ッ後の! 引き金を引いてええええええッ! そしてブリテンが崩壊したッッ! カムランの丘での絶望は量り知れねえなァアア……」


 そうして己の作り出した最高の物語の真実を語り終えたデモニアは、最後に邪悪な笑顔のままこう締めくくった。



「ほんと、色んな玩具で遊んできたが、やっぱテメエら人類が一番おもしれえよ」



 その一言を告げられて。

 ようやく、なぜデモニアがこうも度し難い邪悪なのかを理解した。

 マーリンという魔術師は、人間の母と夢魔の父を持つ。ただ、その父については、夢魔という説以外にも、妖精であったという説、そして――悪魔であったという説も存在する。

 彼は生後、母によって教会で清められたとされているのが一般的な言説だが、しかし――。


 例えば、その洗礼は、何の効果も発揮しなかったのではないか?

 濃縮された邪悪は、たかだか一聖職者の力で祓い清めることが出来なかった――それが、魔術師マーリンという男の真実なのではないのか。


「そうだぜ」


 またもディリアスの心を読んだかのように、デモニアが言葉を発する。


「いちおあの時以降、良い人間を演じるようにはなったが、別に改心とかはしなかったな。マミーもウザかったから、俺様が十くらいの時に思いっきり犯して、そのまま腹上死させてやったよ。意外といいもんだぜ、自分の母親を犯すのって。俺様のに夢中になって、あのババア、最後には自分の息子に犯されてることに喜んでるっていう背徳感でイキまくってたしな。カカカッ、人間もまあ、所詮は動物ってこった。性欲には逆らえねえってわけさ」


 悟ったようなことを口にしているが、その表情は愉悦で塗れていた。

 邪悪、ただただ邪悪。

 枢機卿の全てが彼を嫌悪――否、蔑視しているのも、彼のこうした度し難い悪性に端を発していた。

 だが、故にこそ一つの疑問が残る。

 それは、何故これほどの邪悪が、光そのものとも言える秩序の覇王――『統神(ライブラモナルカ)』コールタール・ゼルフォースと肩を並べているのか、というもの。

 枢機卿の全員が持っている疑問は――しかし、これだけは一度として語られることはない。

 己の血で全身を真っ赤に染めたディリアスを見下ろしながら、デモニアがその瞳に明確な愉悦と殺意を滲ませた。


「ぐ……っ」


 殺される――そう直感が告げている。

 もがくように両手を地面に突き、必死に立ち上がろうと足掻くも、体の自由が利かない。忘我の状態から少しずつ回復したことによって、全身を苛む激痛も戻ってきた。体のどこに力を入れても脳が痛みの信号を発するため、満足に立ち上がることすら出来なかった。救国の英雄が、今は地面に這いつくばり、眼前に立つ邪悪を見上げることしか出来ない。


「キカカッ……もう動けそうにねえなあ。ならもう、テメエはここで終われ。


 あばよ、英雄サマ。

 仲間の元に連れて行ってやる……、――ああ、そうだ」

 とどめを刺そうと右手をディリアスへ向けたデモニアだったが、不意に何かを思い出すと、その手を降ろし、その愉悦の笑みを一層濃くした。


「最後に一つ、これだけは伝えておかねえとなあ」

「……?」

「あいつらの遺言だよ。名前忘れちまったけど、ほら、テメエが忘れてた三人の騎士の」

「……ッ」

「ええと、何だったかな……」

「もう、黙れ……」

「そうだ。思い出した!」

「黙れッッ!」


 ディリアスの絶叫も無視して、デモニアは告げる。



「気持ち(わり)ィい悲鳴上げてて、何言ってんのか分かんなかったんだった! 断末魔も聞きたくなかったし、何か言おうとした瞬間に殺したんだったけえ! ごめんごめん、忘れてたわー! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッっッッ!」



「――――ッ、――――――――……ッッッッ」


 ぶつん、と。

 彼の中で何かが壊れた。


「――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ」


 ディリアス・アークスメント=アーサーの染色が、これまでにない極光を放つ。全てを切り裂く白光の刃。その一閃が、デモニア・ブリージアの頸へと吸い込まれていく。

 怒りで漂白された脳がかろうじて目の前の情景を認識している。深海の中にいるかのように緩慢に動く我が身がもどかしい。今すぐ断ち切れ。その首を落とせ。

 目の前の邪悪を討ち取れ。



 これ以上、この邪悪をこの世界に留めていては、あと何人の人間が不幸になるか分からない。



 だが――


「カカカッ、無理だっての。その程度の輝きじゃあ、俺様を消し飛ばせねえ」


 デモニアが空間を差し替えた。デモニアの首を斬るはずだった白光の刃は、なぜかディリアスの左腕を背後から叩き斬っていた。

 ヒュン、ヒュン、と。

 風を切りながら宙を回転する腕を掴むと、デモニアはさらに空間を差し替える。

 デモニアの手の中にあった左腕が手品のように消え去ると、


「もう終われよ。お前、飽きたし」


 英雄の胸の中心に、失った左腕が生え出た。



 正義は邪悪に、敗北した。


☆ ☆ ☆


 ボニー・コースターという女は、ディリアス・アークスメントという男に、三十年間恋をしている。


 彼女にとって、その出会いはまさしく運命だった。

 小さくて弱い、どこにでもいる少女。今のように国のために戦えるような強い女性なんかじゃなかった。

 こけただけでべそをかき、男の子にからかわれるだけで泣いてしまうような、そんな少女だった。

 その日も彼女は、クラスの男の子にからかわれて泣いていた。すぐに泣く彼女は、悪戯が好きな少年たちにとっては、からかいの格好の的だった。可愛くないだとか、チビだとか、真面目女だとか……事あるごとにちょっかいを掛けられては泣いていた。


 そんなある日のことだった。

 その日も彼女はクラスで馬鹿にされるのが嫌になって、昼休みに学校から抜け出した少女は、一人公園のブランコに座りながら泣いていた。

 どうしてこんな事ばっかりされるの? 何で私ばっかり標的にされるの?

 キィ、キィ、と金具が悲鳴のような音を上げていた。公園で一人、そんな音を聞いていると余計に気がめいってしまって、だから一層その場を動く気がなくなった。


「学校、行きたくないな……」


 母が結ってくれた赤いサイドテールが力なく揺れる。夕焼けのせいで地面に落ちる影は長くなっている。昏いものを見ると、さらに気持ちが沈んでいく。

 からかっていた男の子たちからしたら、遊び程度の認識だったのだろう。だが、からかいの対象だった少女にとっては違った。些細なことでも、被害者からすれば大きな事件に違いなかった。

 それこそ、当時のボニーからしてみれば、自分はいじめられているとすら思っていた。


 そしてそんな風に思ってしまえば、学校へ行きたくないという思いはより一層強くなってしまう。

 当然だ。

 何故なら、いじめに対して被害者が心を痛める要因は、何もそれ自体の内容だけではない。いじめを受けているという現状、あるいは自分自身の『立場』そのものに苦しむものなのだ。

 まるで自分は社会の底辺にいるかのような、そんな錯覚。本当はそんなことはないのに、他者からの否定とはいとも簡単に子供の心を苦しめる。


 彼女も、その被害者の一人。

 だから、学校に行きたくない。

 また、からかわれるくらいなら。また、惨めな思いをするくらいなら。

 だったら、家で閉じこもって一人でいる方が良い。



「……君はどうしてこんなところで泣いてるんだ?」



 だから。

 そんな風に心が軋みを上げていた時に現れてくれた彼は、彼女にとってのヒーローで。



「そもそもずる休みは良くないと、僕は思う」



 だから。

 彼女にとって最も大切な出会いだからこそ、それは運命で。



「僕らはゆくゆくはこのお国を支えないといけない『ざいさん』だ。だから、今の内から頑張らないといけないんだよ」



 ボニーよりも二つほど年下のように見える小柄な少年。短めに切った金髪。今と変わらず表情を変えるのが苦手で、でも、とても優しい目をしている少年。誰かに手を差し伸べることを当たり前だと思っているような、そんな少年。

 瞳に映る輝きには、未来とか希望とか、夢とか大志とか明日とか……そういうものばかりが詰まっていて。

 それを言葉にするのが苦手そうな、そんな少年だった。


「あなた、は……?」


 慣れていないのだろうか、ぎこちなく笑顔を浮かべようとして失敗している少年。自分を気遣って苦手なことに挑戦してくれている少年を見て、少女は自然に名前を呼んでいた。

 思えばこの時、既にボニーは彼に惹かれていたのだろう。

 恥ずかしそうに顔を赤める彼に、胸が高鳴ったことを覚えている。


「ディリアス」


 後に数々の武勲を残し、救国の英雄として名を上げる少年は、ようやっとひねり出した笑顔で答えてくれた。


「ディリアス・アークスメント。君は?」

「ぼ、ボニー……ボニー・コースター……」

「そうか、ボニー……良い響きだね」

「そ、そう……?」

「うん。それにとても可愛らしいと思う」

「へっ?」


 そういえば、昔からそんなことを平気で口にするような男だった。

 ボニーはどうしていいか分からず、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 そんな彼女の様子にも気づかず、少年はさらに続けた。


「だから、いじめられてるからって学校をさぼってはいけないと思う……!」

「え……?」


 サッと顔を青ざめて、ボニーはディリアスを見た。


「知ってた、の……?」

「知っているとも。そもそも僕は、学校の人たちのことなら全部知ってる。だって、僕はいつかこの国を背負うんだから。だから、これくらいは当たり前だ。そして――」


 そう言うと、彼は笑って手を差し伸べてきた。


「こうやって、困ってる同級生を助けるのも、僕の役目だ!」

「あ……」

「行こう。いじめなんか跳ね返せばいい。一人でダメなら僕が手伝うから」

「う、ん……。でも、大丈夫……? きみ、小さいのに……」

「そんなものは、関係ないっ!」


 そこだけは、なぜかひときわ強い否定だった。後から聞いた話では、この頃は体が小さかったのを気にしていたらしい。


 それから、彼は二つも年上の女の子を一方的に引っ張って、学校まで連れ帰った。

 上級生を相手に注意をしたのち、不興を買って口喧嘩に。結局、正論を並べ立てるディリアスに苛立ちを募らせた上級生たちの一人がディリアスに殴り掛かり、一対五の大げんかになってしまった。

そして、ボロボロになりながらも上級生たちを返り討ちにした少年は、一人の女の子を救ってみせたのだ。

 泣きじゃくりながら必死にお礼を言う少女に、少年はやはりへたくそなな笑みを浮かべていて。

 そして、ボニーに連れられて保健室まで行く途中、こんなことを言われた。


「ねえ、そうだ」


 少年は笑ってこう言ったのだ。


「僕さ、この国を守りたいんだよね。だからさ、手伝ってくれないか? 友達と二人でやっているんだけど、僕らって馬鹿だから何をしたらいいのかも分からなくて」


 一秒だって迷わなかった。



 ああ――そうですね、閣下……ううん、ディルくん。



 その日、少女は運命の出会いを果たして。

 そして、大好きな少年のために、『少女』は『騎士』になった。

 ……結局、昔から肝心なところで臆病な少女は恋を実らせることが出来なかったけれど。

 後から現れた、自分なんかよりもずっと強い女の子に取られてしまって。

 まあ、泣いたけど。

 でも。

 たとえ、この想いが報われなくても良いと思う。

 負け惜しみなんかじゃなくて。

 なぜなら、私の夢はただ一つ。

 アーサー王を敬愛し続けた太陽の騎士のように、ただ、あの日の少年に絶対の忠誠を誓い、そして。

その夢を、守り続けたいのだから。


☆ ☆ ☆


「がふ……っ!」


 背に感じる灼熱の痛みを自覚した後、ボニー・コースター=ガウェインの瞳に、その少女の姿が映った。漆黒の礼服に黄色のストールを掛けた、輝く光のように眩しい少女。瞳に憂いの色を乗せ、少女は歌を紡いだ。


「〝どうか魔法よ、消えてほしい。さあ進め。ここが我ら、」


 見覚えのある顔だった。かつてともに円卓を囲んだ仲間であり――実際は裏で自分たちを洗脳していた敵だ。

 あの人の理想を、夢を大志を明日を――――全て、全てを台無しにした張本人。


「アリア・ハノーバァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 アリアの発した歌は、女騎士の発した絶叫によって掻き消された。

 魔術が不発に終わる。アリアの瞳が動揺に揺れ、対してボニーはその隙を逃すまいと地を蹴り、炎を推進力としてアリアを切り捨てるために動き出す。

 だが――


「――――っ」


 ふと、悪寒のようなものが背に走り抜けた。

 背筋につららを埋め込まれたかのような寒気が全身を襲う。

 正体不明の怖気を感じたボニーは、無意識のうちに行動を止めていた。口からこんな言葉が漏れる。


「ディル、くん……?」


 この場にいない誰かの名前を呼ぶ。

 根拠はない。ただ嫌な予感だけがある。


「……ッ」


 一刻も早く彼の元へ向かいたい衝動に駆られた。この場を放り出し、草次も千矢も放り出して、愛する男の元へ走りたい。

 しかし――


(いいえ――)


 ボニーはそれを却下した。

 彼女は己が主君に『助けに来い』などという名は受けていない。

 一刻も早く上階へ辿り着き、楽園教会を殲滅すること。彼らを一人残らず切り尽くすこと。故にそれに反する行動は主君への反逆と相違ない。

 そもそも、こんな根拠のない予感のために三人を置いていくわけにはいかなかった。

 敵は目の前にいる。枢機卿は射程圏内にいる。

 故に、そう――

 剣を構えろ。炎を燃やせ。魂を駆動させ、主君の命に順ずるのだ。


「宝剣開放ッ!」


 眦を決し、視界に収めた金髪の少女へ殺意をぶつける。

 憎悪すら炎にくべて、ただアリアだけをその視界に収める。他のことなど目に入らない。


「こちらは押さえておきます! あなたは歌の主を!」


 涼太の声を背中に受けて、ボニーの視界はさらに絞られた。


「構えなさい――枢機卿ッッ!」

「どう、して……」


 呆然とする枢機卿の隙を逃すまいと、剣を背後の床へ叩き付けるかのように振るう。放たれた爆撃の刺突とともに地を蹴る。爆炎が推進力となってボニーを運んだ。

 駒であるリアを失った少女を守るものは、何もない。

 金髪の少女を射程圏内に収めたボニーは、凍える殺意を滾らせ、首を穿たんと刺突の構えを取った。

最高のタイミングで陽剣を突き出す。それはさながら矢の如く。空気を裂いて突き進む切っ先が美しい喉もとへと迫り、そして――――



「どうして……逃げなかったの……っ」



 絞り出された声は、苦悩に満ちていた。



 瞬間。

 キンッ、と。

 ボニー・コースター=ガウェインの時が、止まっ――――


歌姫屍兵(エインフェリア・マリオネット)


 女騎士の陽剣は、歌姫の首の肌からたったコンマミリメートル離れた位置で、空中に固定されたかの如く停止していた。少女はそれに何ら関心すら示した様子もなく、己が魔術の名を明かした。


 春日井・H・アリアの魔術を一言で説明してしまえば、人心操作である。

 体だけを動かすような軽度なものから、人の思考能力を奪うような極悪な力までと、効果の範囲は広い。


 発動条件は『対象が春日井・H・アリアの歌を聞いた上で、彼女のことを強く認識する』というもの。この際、洗脳の対象となる人物が、アリアをどれほど強く認識しているかによって、洗脳の度合いが変わる。即ち、感情のベクトルが正であれ負であれ、アリアを強く思い、彼女をより克明に認識していれば、洗脳下にある状態において、その認識力の強さに反比例して、後に残る自我は薄くなる。


 歌を聞いた後、ボニーはアリアだけを認識していた。周りの景色など見えず、枢機卿たる彼女を叩き潰さんと、殺意の全てをアリアに注いでいた。

 ならば、あとは説明するまでもない。


 これでボニーは敗北した。それどころか、敵の手に落ちた。

 結局、現実は無情であり、どれほど誰かを強く想おうとも、隔絶した超越者には、只人では叶わないのだ。


 アリアは喉に触れるほんのすぐ手前で固定され微動だにしない剣の腹にそっと手を触れ、ゆっくりとどかす。


「あなた達の最高戦力である円卓の騎士は私の手中にあります。どうしますか? まだ続けますか?」


 瞳をうつろにしたボニーが床におり、リアを拘束していた糸を燃やした。

 敵に操られたボニーとリアが、それぞれ剣を構えて並び立つ。


「……うそ、でしょ……っ」


 蜜希含めた四人の戦慄を、草次の震えた声が代弁した。

 全身から嫌な汗が流れているのが分かった。声は震え、膝が笑っている。

 対して枢機卿の少女は、草次へ淡々と残酷な真実を告げていく。


「忘れていたんですか? 私は枢機卿。あの『霧牢の海神(エーギル)』と――ライアン・イェソド・ジブリルフォードと同格の描画師。使徒。この世界の支配者の一人。『楽園教会』の枢機卿ですよ? たかが一国の兵隊程度、小指も動かさず討ち取って当然ですよ」

「――――ッッ」


 ゾッ――……、と。

 その瞬間、純粋な死と暴力の恐怖が過去から襲ってきた。


 そうだ。彼女は枢機卿。あのジブリルフォードと同じ組織に属する、一騎当千、万夫不当の圧倒的強者。あらゆる力を押し流すあの化け物と同じ『枢機卿』なのだ。

 あの時は空夜唯可という規格外の少女がいた。敗北の直前、追い詰められたその末に『染色』を発現し、覚醒したことで描画師へと至った魔女が、盤面をひっくり返した。何より、偶然が無数に重なった奇跡の勝利だった。

 だが、いまこの場にあの少女はいないし、あの時のような都合のいい偶然や奇跡はそう何度も起きたりはしない。そもそも、二度と起きない。


 ――勝てない。


 敗北が、死が、すぐそこにあるような気がする。

 ジブリルフォードと相対した時とは異なる絶望感だ。彼が――枢機卿がどれほど規格外であり、反則であり、異常であり異形であるかを知っているからこその絶望。


「さあ、どうしますか?」


 歌姫の声は、即ち死刑宣告。

 あなた達も皆我が傀儡となれ。兵隊として私に侍るのだ。自我などいらぬ、私が長だ。全員が私の夢を叶えるための兵士であり道具となるのだ。さあ耳を澄ませよ、私を見るがいい。その不敬を許そう。


「行ってください、太陽の騎士、悲しみの騎士。新たなる同胞へ洗礼を」


 さあ、不死の軍団よ、進軍を始めよう。

 追光の歌姫(ブリュンヒルデ)たる私が、この歌であなた達エインフェリアを戦場へと導きましょう。祝福します、応援します。

 それこそが私の呪われた歌声だから。


☆ ☆ ☆


「がふぁッ! グガ、ァ、……ァアアッッ!」


 鬼の口を模した巨大な剣を地面に突きながら、喀血する少年の姿があった。

 来ていた血染めの着物はズタズタに引き裂けており、全身に裂傷や打撲痕が痛々しく刻まれている。戦闘の途中に割れたサングラスはその辺に捨てた。既に瓦礫の下だろう。

 金髪は乱れ、顔に貼り付けられた狂った笑みにも、どこか疲労の色が見えた。とはいえこの場合、これほどまでに傷付いて、未だ笑っている少年の方を褒めるべきであろう。


「カ、ハハハ、ハハ……はははは……。いってえな……ッ。こりゃマジで、ヤベエかもだわ」


 土御門狩真。

 かつて安堵友介を苦しめた喰人鬼は、二人の土御門相手に完全なる劣勢を強いられていた。


「アハ アハハハ うふふふふふふふふ……いい、可愛い、素敵で可愛くて可愛くて早く抱き締めたいよぉ、お兄ちゃん。ボロボロのお兄ちゃんもすっっっっっっごくゾクゾクするよお……。ああ、でも駄目なの……私はお兄ちゃんを殺したいんじゃなくて、殺されたいの。お兄ちゃんの愛で、殺されたい。だからさあ、ねえ、お兄ちゃん。立ってよ。早く立って。立って私を殺して? 殺してよねえ。殺して殺して……殺して、ねえ」

「クカカ……うる、せえよ……。今すぐその汚い口を聞けなくしてやるから……黙ってろ」


 卑喰ノ鉈を杖代わりにして立ち上がる。巨大なそれを肩に担ぐと、依然狂った笑みのまま、二人の枢機卿を睨んだ。


「さて、待たせて悪かったな。続きを始めようか」

「あはは、カッコイイ……。あは、アハハ、アハ お兄ちゃんがカッコ良すぎて、私、どうにかなっちゃいそう……」

「ハッ、もうなってるっての」


 嘲りを含んだ言葉で笑い飛ばし、狩真は少女の後ろに立つ陰気な青年へと声を掛けた。


「テメエはそこのイカレ女と違って相変わらず無口だなァ、陰キャ兄貴」

「お前に興味がないだけだ。そもそもこのような無駄な戦いに時間を割いている暇もない。さっさと死ね」

「ヒュゥ、家族思いのお兄たまとは思えねえ暴言だなあ。酷いぜほんとに……俺もお姉ちゃんたちと同じ、大切な家族だろうに」

「――」

「だんまりかよ。ハハッ、ネクロフィリアはこれだから困る」

「――――」


 瞬間、率也が咥えていた煙管を握り、


「愛花、伏せておけ」

 ぼそぼそとした忠告の後、まるで山までも斬るかのように横へ大きく払った。

 紫色の毒々しい死の香が狩真を襲うが、彼はそれを卑喰ノ鉈に食わせることで難なく防ぐ。


「どうしたよクソ兄貴。まさか切れちゃったァ? でも事実じゃーん。死んだ家族に興奮する、気持ち悪い死体趣味に変わりはねえだろ」

「別に語る必要はない。その時間も、無駄だからな」

「はいはい、さいですか」


 率也の物言いに狩真がつまらなさそうに唇を尖らせている。もっとも、土御門の人間同士の会話などこんなものだ。個性が強すぎて会話にならない。よって気にする必要もない。


「それでぇ、お兄ちゃんはここからどうするの? そろそろ染色使っちゃう? 安堵友介にしか使ったことがないっていう、あのホモ染色。本気で殺したいと思った相手、本気で愛したいと思った相手にしか使わないっていう、あの染色を。使っちゃう???」

「馬鹿が。テメエら如きに使うかっての。あれはどうでもいいクソ共に使って良いようなもんじゃねえんだ」

「っ……。お兄ちゃん、口には気を付けてよね。安堵友介なんていう、意味の分かんないぽっと出の男に目移りしたのを特別に見逃して、提案して上げてるんだよ? いい加減にしないと、ほんとに、ほんとのほんとのほんとに知らないんだからね」

「勝手にしろよ」

「じゃあ、私があの男を殺してもいいんだ?」

「無理だっての。お前程度の雑魚じゃあ、あいつは殺せねェ」

「ふーん。そういうこと、言うんだ」


 愛花の瞳から温度と光が消える。

 来る。


「だが、まあ」


 故に狩真も、勝負に出た。


「こっちの、出来損ないの方なら、使ってやらんでもない」

「へ?」


 少女の可愛らしい、間抜けな声を聞き流し、土御門狩真は卑喰ノ鉈を眼前の地面に突き刺した。

 そして。



「俺の愛はテメエ如きに捧げねえが――

 俺に殺される権利くらいは、テメエらにも許してやる」



 瞬間。

 卑喰ノ鉈から鬼の叫喚が木魂した。

 大気を震わす高低様々な叫び声。

 食わせろ、喰わせろ。人の肉が、血が、叫びと恐怖と絶望、そして怒りが欲しい。あらゆる負の感情全てが我らが供物。餌である貴様ら肉袋共の悲鳴を聞かせてくれえ。

 ああそうだ、涙を流してくれるとなお嬉しい。それはスパイス。貴様ら食料を彩る調味料だ。味は富んだ方がいいからな。


「ほら聴こえるかあ? これが俺が従える魑魅魍魎共の欲望だ。テメエら人間を食いたくて食いたくて仕方ねえんだとよ。俺も食いてえ。ああ、そうだ。殺さないとなあ。テメエらもみんな殺してやるよ。喜べ妹よ。テメエもこいつらの餌になれる。テメエも――今まで俺が殺してきた有象無象と同じく、こいつの腹に入れてやるよおッ! そんであの塵どもと同じく、明日には忘れてやる! ああ、だから安心しろ。お望み通りお兄ちゃんの中に来なさい」


 そうだ、忘れていた。

 あの狂った妹があまりにも癇に障るものだから、調子が狂っていた。

 別に意地になる必要などどこにもない。彼女は殺されたいと言っている。だったら別に殺せばいい。それであいつが満足するなら、勝手に死んでもらったらそれでいいではないか。

 土御門を相手にすると、こうなるから困る。本質を忘れ、自分を見失う。意地になって、彼女を殺さず、そうすることで嫌がらせをしようと、そんな風に考えていた。


 馬鹿馬鹿しい。

 殺せばいい。

 別にどうでも良い人間なのだから。

 あのクソ妹も、後ろにいる陰キャ兄貴も、どうせ供物。肉袋。殺さずにはいられない、一般人と変わらない。


 この殺人衝動は収まらない。


 殺したいのではない。殺さなければ生きていけない。

 殺人は呼吸と同じ。

 やって当たり前。やらなければ死ぬ。

 それだけのこと。

 そうだ。

 俺は殺す者。

 殺人鬼にして喰人鬼。

 故に、さあ。

 貴様ら二人、俺の(やしろ)へ案内しよう。

 此度開かれるのは、卑愛の凶宴などでは断じてない。

 ただの食事会。肉を解体してその場で調理して食べるだけの、ごく当たり前のパーティだ。

 日時は五分後、今決めた。

 場所は――羅性門。


 容姿に変化はない。

 何故ならこれは、愛の宴でない故に。

 ただ単に肉を食い酒を飲むだけの、下らないお祭りだ。

 よってこれは、染色などでは断じてない。



「――――『羅性門(らじょうもん)悪鬼羅刹狂乱酒宴(あっきらせつきょうらんしゅえん)』――――」



 大声一喝。

 金髪の少年が叫ぶと同時、空から『門』が落ちてきた。

 狩真含む三人が、羅性門の中へと嬌声的に誘われる。

 そして、次の瞬間聞こえたのは絶叫だった。


『『『『『『ォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――――ッッッ!』』』』』』


 二十は下らない大量の鬼が、歓喜の雄叫びを上げている。

 毒々しい赤色の炎で照らされた三十メートル四方ほどの部屋。床は軋み、壁には大量の血がこびり付き、調理器材のように壁に掛けられた、錆び付いた鉈やら大剣やらが目に留まる。宴会場と言うだけあり、十から二十ほどの丸テーブルがそこらに置かれているが、料理の類は何もなかった。


「これは……」

「染色……いや、表層心理を具現化したか」


 愛花が小さく呟き、率也が推測を口にする。


「まあそんな感じだァ。テメエらは今『羅性門』の中にいる。門の中さ。特別閲覧期間なんだ、楽しんでくれえ!」


 呵々大笑、何が面白いのか腹を抱えて笑う狩真は、この場における所作のルール説明を始める。


「ではまずは一番大切なことから!

 人は食料、鬼はコックにして客。ルール説明はい終わりッッ! スタートッ! 食事開始だお前らア! そこのイカレ女と陰キャ野郎食って良いぜェエええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええッッっ! あひゃひゃッ! かはッ、アハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 直後。

 鬼どもの大量の雄叫びが重なり合い、衝撃波となって二人を襲う。鬼たちは壁にかかっている鉈やら剣やらを手に持つと、我先にと言わんばかりに獲物へ群がっていく。その様は、鬼と言うよりもむしろアリの様相を呈していた。

一つの餌に群がる醜悪なオーガの群れ。

それらを一瞥し、愛花が目を細め、率也が興味なさげに煙管を吹かす。

 部屋の中心に立つ二人へ鬼たちが殺到する。得物を振り上げ、目の前にある肉袋をズタズタに引き裂かんと猛り狂う。

 だが、刹那――



 陰気な声が、確かに空気を叩いた。



「愛花。――許可する」

「――『了解しました』」


 先とは一転、率也の声を聞くなり機械の如き冷淡な声を発すると、少女は小さな両腕を左右へ開き、手のひらを大きく広げる。

 そして。

 電子音声にも似た無機質な声が、祝詞を告げた。



「――『染色(せんしょく)』――」


 無感動に、無感情に――悍ましき無明のイタコがその真実を現す。


「――――『死想全知(しそうぜんち)霊奏神楽虜囚ノ舞(れいそうかぐらりょしゅうのまい)』――――」



 無機質な声が、その心象世界を謳い上げたが、しかし――祝詞は未だ終わらない。ここに来てなお、染色は発動しただけだ。真価は、その先にこそ存在する。


「霊界にて漂う御身の魂を借り受ける

 そなたは未だ夢を叶えられなかった。されど希望は消えていない

 無念の慟哭を聞き届けよう

 これを使いて、叶えよ〝海神〟

 私は道具

 御身はこれに同意するか否か――答えよ」


 詠唱のように聞こえるが、その実これは、プログラムされた対話である。

 霊界――即ち死した魂の行きつく、この世界とは異なる『場』。愛花はいま、そこに漂うある者の魂に語り掛けていた。


「その願いしかと聞き届けた

 定命の者が願いを叶えよう」


 そして完成する。

 楽園教会の銃の支柱たる枢機卿、その一柱。

 第二神父(ドゥーエ・カルディナーレ)『死想全知』が。

「心象理解、走査完了。疑似染色、展開」

 降霊術の、最果てが。




























「――――『太平築く水底の海神(ソトマリーノ・エーギル)』――――」







 一瞬のことだった。

 平和の象徴たる海の法が展開し。

 土御門狩真の作り出した異界が、内側から木っ端微塵に破裂した。


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