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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
158/220

第七章 小さくも大きな意志 ――Sirs Camelot vs Island Church 2.円卓の真実

 日が落ちる間際、黄昏の時間帯。

 魔と逢う時、昼と夜の狭間のひととき。

 彼が生まれたのは、そんな瞬間だった。

 まるで王国の終わりを暗示しているかの如き出生。その誕生こそが、ブリテンを闇へと誘うとでも言っているかのような。


『――お前は王を殺すのよ。王を殺すの。憎きアーサー王。恨めしいアーサー王。誰も顧みず、己を顧みない不能者。家族も妻も息子も何もかもを拒絶する、鋼鉄の騎士王。あなたはね、モルドレッド……あなたは、そんな彼の心臓を穿つ、絶望(ヒカリ)の国に生まれた、一縷の希望(ヤミ)


 男は生まれた時から言語を理解していた。当然だ。彼は王の嫡子。正統なる後継者。栄光のアーサー・ペンドラゴンの種から生まれた超人なのだから。

 モルドレッド。

 モルドレッド・ペンドラゴン。

 後に叛逆の騎士としてアーサー王の前に立ち、その心臓をクラレントで穿つこととなる邪悪。





「――――それがこのオレ、モルドレッド・ペンドラゴンってわけよ」


 華美な宝石や貴金属がゴテゴテと飾られた騎士服を纏った男が、エロ本と酒を両手に持ちながら、そんな重大なことを世間話でもするように語っていた。

 髪はディアと対象のような。金髪に黒のメッシュが入った、チャラチャラとした印象を与える色だった。えりあしを伸ばしており、女にモテようとする中学生のような髪型だ。背には大剣を背負っており、口角は軽薄に吊り上がっている。歳は二十歳前後だろうが、全体的に『アホっぽい』印象を与えてくる青年だった。


「お前が、叛逆の騎士モルドレッド……?」


 広大な丘の上――おそらく、戦いが起こる前の美しい姿のカムランの丘――で、寝そべりながらエロ本を読み酒を嗜む騎士王の正当なる後継者を見下ろしながら、彼の名を賜ったディア・アークスメント=モルドレッドが何とも微妙な声を出す。


「こんなのが?」

「こんなのとは失敬だな童貞」

「流れるようにディスってんじゃねえ!」

「元気が良いな」

「誰のせいだ!」

「ハハッ、まあそう怒るなって。エロ本貸してやるから許せよ」

「いらねえよ!」

「ハハッ、まだ性の目覚めがばれるのが恥ずかしいお年頃か? 青いねえ~」

「死ねよテメエまじで……っ!」

「精通してる?」

「してるわ! 流れるようなセクハラやめろや!」

「フェラって知ってる?」

「死ねよマジでッっッッッッ!」

「まあまあ、そう怒るなって。んで、知ってるの?」

「知ってるわバ――――――――――――――――カッ!」

「道程なのに?」

「うっせぇボケ! もともとは誰のせいだよ反逆クソ親不孝野郎ッッ!」


 怒りのあまり拳を振り上げそうになるのを必死に抑え、少年は本題に切り込んだ。……余談だが、これまで父を超えることしか考えてこなかったバトル脳の彼は、この手の話題を他人とするのが初めてだったため、顔が赤くなっている。恥ずかしいらしい。

 彼は荒い息を落ち着け話題を変えた。


「はぁああああ……疲れた。死ねばいいのにこいつ。……んで、ここどこだよ」

「ん? クラレントの中だけど?」

「ッ、くら、れんと……?」


 困惑の声を上げるディアの反応が気に入ったのか、円卓の騎士のモルドレッドであると自称する男はエロ本と酒ををその辺に放り捨てると、にたりと意地の悪い笑みを浮かべてディアに詰め寄った。


「そう、クラレント! 『王討ちし叛逆の邪剣(クラレント)』の内部に、お前の精神――ああいや、心象? 魂? まあ何でもいいわ。それが取り込まれたんだよ」

「……剣の中に、魂を……?」


 意味が分からない、というディアの表情を見て楽しんでいるのか、モルドレッドの意地の悪い笑みはさらに輝いていく。

 意地の悪い少年というよりは、悪戯をする頭の悪い青年という印象か。


「仕方ねえな。教えてやるよ。ブリテンの……俺たち円卓の騎士が持っていた宝剣――クラレントを初めとして、エクスカリバー、アロンダイト、ガラティーン、カーテナ――こいつらは全部、現在の持ち主の心象とリンクして、そいつの意識を剣の内部にある元の持ち主の心象世界に繋げることが出来るんだ」

「は……?」


 意味不明であった。もっと分かりやすく説明しろと不機嫌なまま視線で告げる。

 モルドレッドは「これだから若者は……」などと言ってわざとらしく嘆いていた。


「ようは同じ夢を見られるってことだ。お前自身の心象世界が、意識を伴って宝剣という存在の心象世界の中に入り込んでいる。もっと言えば俺の心象世界の中にだ。あー、あれだ。前の宿主ちゃんが好きだった、何だっけかな……ねとげ? みたいなもんだよ。舞台は宝剣内部の心象世界」

「……その『ねとげ?』ってのは知らねえけど、ようは、俺の精神が剣の中にいるってことか」

「かいつまんで言えばな。そんでもって、その剣の内部ってのは俺の心象世界そのものだ」

「……はあ」


 適当に返事をしている者の、おおまかなニュアンスは掴んでいるようだった。

もっとも、そうなるといくつか疑問が湧いて出てくる。

 本来、どんな神具、神器、宝剣や魔剣にも、そんな機能は備わっていない。たとえ神々の用意した武具であろうとも、それはどこまで行っても物でしかない。つまり道具、兵器……それ以上でもそれ以下でもない。ただ手に取り、宝剣の機能だけを掬い取って武力とするのみ。それは『黎明』の時代に生み落とされた神々の道具であっても変わらない。


 では、なぜブリテンに伝わる円卓の宝剣だけは例外なのか。

 思案していたディアの思考を呼んだのか、モルドレッドという男は相変わらず顔に軽薄な笑みを浮かべたまま口を開く。


「それはな――――」


 そうして、語られる。

 宝剣に隠された、真の意味を。



「円卓の宝剣ってのは、俺たち円卓の騎士の『原典』だからだ」



「げん、てん……?」

「そうさ。北欧神話におけるエッダやデンマーク人の事績、拝火教におけるアヴェスター、ギリシア神話のおけるイーリアスとかか」


 神話伝承、英雄伝説などの原典は、異なる可能性世界にて起こった事件が、可能性の海を越え、今いるこの世界に影響を及ぼすことによって生まれるとされている。本来の歴史では存在していないというのに、こうして現代に至るまで神々の活躍が色褪せることなく語られ続けているのはそのためだ。

 そしてそれは、円卓の騎士の物語も例外ではなかったはずだった。彼らの戦いが今こうして語り継がれている以上、彼らの物語も確実に存在したはずだ。しかし、これまで円卓の騎士の物語を綴っている原典は見つかっていなかった。故にそれは、形のない何かだと考えるのが通説ではあったのだが……


「宝剣はな、俺たち円卓の騎士たちが使っていた『染色』の名残り……その残滓なんだよ」

「染色の、残滓……?」


 擦れた声で訊き返すディアに、モルドレッドは変わらず軽薄な声のまま続ける。


「俺たち騎士の魂の在り方は剣として顕現した。俺たちの戦いは、常に剣と共にあった。だが、それももはや終わりが近付いて来るという時になって、俺たちは、この悲劇の歴史を繰り返させちゃならねえって思ったわけよ」


 ブリテンの終わり――その中心にいる者から語られる言葉には、なぜか不思議な重みがあった。


「ただ、本にすることはできなかった。それでは、俺たちの魂の叫びまでは残せないからな」


 故に、彼らは自らの染色そのものである宝剣を後世にまで残そうと考えた。死する直前、自らの命を宝剣に食わせ、宝剣の中で生き続けることで染色を永劫維持しよう。千年経とうともその証が失われぬように、と。


 もっとも、その染色の輝きも今となってはかつての一分にも満たない。

擦り切れ、擦り減った心の残り滓。故にこそ、それは残滓。宝剣はかつてこの国を守っていた者たちの魂の成れの果てというわけだ。

 そう考えると、『円卓の残滓』という自分たちの組織の名は以外にもその本質をしっかりと捉えていたらしいなどと、ディアは余計なことを考える。


「まあ、これがお前がこの剣の中に入れた理由。こいつは俺の染色そのものだからな。腹に刺さった奴の心を取り込むくらいわけないってわけよ。ここまでオーケー?」

「まあ、何となくは」

「オーケー、オーケー。なら前置きはここまでだ」


 次の瞬間、ヘラヘラとした軽薄な笑いを変えないまま、背負った大剣を目にも留まらぬ速さで振り抜いた。


「――――ッ」


 咄嗟に後方へ跳躍し、打ち下ろしの射程から逃れる。ゴッッ! と地面が砕け砂塵が舞った。ディアは反射的に背の大剣を抜くと、怒りのこもった視線でモルドレッドを見やった。


「ん……?」


 だが、剣を抜き払ったところで違和感に気が付いた。

 ――剣が、折れてねえ?

 ディリアスとの一騎打ちの際に切っ先が折れていたはずだが、彼が今構えている大剣はしっかりと原形を留めている。

 これも心の中だから――であろうか。


「なんのつもりだ」


 低く尋ねる声に、お調子者の男は相変わらず軽い調子で答えた。


「決まってるだろ、外敵の排除だよ」

「なに……?」


 警戒を露わにするディアへ向けて、モルドレッドは笑みを崩さぬまま告げる。


「言っただろ? ここは俺の心象世界。つまり心の中ってわけ。お前はそこに、土足で踏み込んだ。そりゃあ俺も怒るだろ」


 怒りの欠片も見えないニヤニヤとした笑みのまま、叛逆の騎士は軽薄に告げる。


「つぅーわけで、だ。お前には今から、俺と戦ってもらう。お前が勝てば俺の宝剣を――俺の心象世界の残滓を譲ってやる。ただし、俺が勝てば、お前の心は焼き尽くされて、自我が死ぬ。要は植物人間だな。ちょっと危ねえけど、これくらいやらねえと意味ねえし我慢しろ」


 危険極まる提案を提示されたディアだったが、彼の疑問は異なる部分にあった。


「宝剣を、譲る……?」

「ああ。……、てかなんだよお前、あの女狐から何も聞いてねえのか?」

「は……? いや、別に何も聞いてねえよ。いきなり腹を刺されて、気付いたらここにいたんだからな」

「マジかよ、めちゃくちゃだなあいつ」

「ああ……本当にな。あいつは頭がおかしいんじゃないのか? 何なんだよあいつは……。というか誰なんだよ本当に。普通初対面の人間の腹に剣ぶっさすか? イカれてるだろうが……!」


 光鳥感那の傍若無人ぶりを聞いて苦笑を漏らすモルドレッド。対してディアは、ここに来てようやくあの狐みたいな笑顔を浮かべる少女(?)に怒りをあらわにしていた。


「まあいいわ。ようは、お前は俺に勝てばいいし。俺はお前を負かして老後をのんびり過ごしたい。良い賭けだろ?」

「……――」


 危険な条件ではあるものの、乗らない手はなかった。

 これまでは父であるディリアスを超えることしか考えてこなかった。宝剣を持たない上で彼を越えようと考え、そのために己を鍛えてきた。その間、宝剣に執着したり本気で手に入れようとしたことなどなかったし、そもそも考えても来なかった。

 しかし、今は違う。

 そうした内輪の問題など比べ物にならぬほどの危機が、彼が生まれて過ごした故国に迫っている。

 騎士として国を守らねばならない。そしてそのために力がいる。楽園教会の枢機卿を打ち破るための力が。


「ああ、その賭け、乗った」

「男ならそう来ねえとな」


 互いに大剣を構える。モルドレッドは銀色の大剣を、ディアはそれとよく似たものを、同じように構えていた。

 そして――

 二人が同時に駆け出し、その中点で激突する。


☆ ☆ ☆


 ノースブリテン、首相官邸。


「おい、サウスブリテンの監視カメラの映像の解析はまだか!」

「我々は軍を出すべきなのかッ!?」

「しかしあちらには円卓の残滓(サーズ・キャメロット)が……」

「キャメロット城が乗っ取られている可能性もある! 彼らは劣勢にあると考えるべきだ!」

「首相! 守りに徹するべきかと我々は考えます! 国民への避難勧告及び、パニックを避けるために情報統制も行うべきかと!」


 怒号が飛び交い、パニック状態にある政治家たちは、それでもなお正確で安全な対応を取ろうと必死であった。


「我が国の軍隊は我が国のもの! ならばその戦力は他国を守るためではなく、自国を守るために使わねばならない!」

「しかし、それはあまりに無情では……? アークスメント閣下には、我らノースブリテンも良くしてもらったというのに」

「それは別問題では? 彼らに魔術の恩恵を与えられた分、我々も科学の恩恵を与えていたのですから。実際、原因不明のインフラの機能停止がそこまで致命的にならなかったのは、我々の技術を使っているからです」

「だが、どちらにせよサウスブリテンが落ちれば、我が国も……」

「確かに。それならば今の内に二つの戦力を合わせた方が――」


 だが、しかし。ならば、だから、よって――――肯定と反対が次から次へと、目まぐるしく主張が変わっていく。

 溢れかえるような音の洪水が大きな部屋を埋め尽くし、やがて収集が付かなくなる。

 そんな時だった。

 軽薄な声が。

 どこか人を見透かしたかのような、耳に触る声が部屋に響いたのは。


「なんだ、やってるじゃないか」


 決して大きくはない声。


「けど、それじゃあ収集が付かないでしょ? だったらまずは僕の提案を聞いてよ」


 ホットパンツにTシャツ。短く切り揃えられたボーイッシュな髪型。どこか中性的な少女が、狡猾な女狐の笑みを浮かべて腕を組んでいた、扉のすぐ横の壁に背を預ける彼女の容姿は、この場にはどう考えても不釣り合いなものであるはずなのに、誰一人として違和感を持たない。

 光鳥感那の影武者は性格の悪そうな笑みを浮かべながら、その場にいる老人たちを見渡している。


「な、何だ君は……!?」

「なんだ君は、とはまた挨拶だな。僕は光鳥感那。東日本国の長って感じかな? 非公式だけど」


 その問題発言に閣僚たちが浮足立った。

 他国の首相官邸に、非公式の存在とは言え一国のトップが無断で侵入しているのだ。はっきり言って異常だ。

 だが、感那はそんなことを気にした風もなく、飄々とした態度で続けた。


「自国に最低限の戦力だけは残してサウスブリテンに戦力を回せ」

「な……ッ」


 その提案に、政治家たちは血相を変えて反論した。


「何を言っている! そんなことをして他国に攻め入られればどうなる! そもそも、突然現れた他国のトップの提案をそうやすやすと受けられるわけがなかろう! もう少し考えてからものを言わんか! おい、警備兵! 何をしている、この女をつまみ出せ!」

「はあ、まあこうなるよね~。敵は楽園教会だから戦力は多いにこしたことはないし、なおかつ大量に現れたヘルハウンドを駆除しなきゃこっちまで来る……んだけど、これ、言ったところで分からないよね」


 面倒くさいという表情を隠しもせず、露骨にため息を吐く感那。

 どうしたものか、と言葉を選んでいると、ふとこんな声が聞こえた。


「おう女狐、久しいな」


 子供のように舌足らずな声だというのに、どこかカリスマが滲んだ不遜な声色。明らかな少女の声にもかからわず、老獪な魔女のように妖しい声が、感那と他の政治家たちの耳朶を打った。


「あなたは……。降りて、来たのですか……?」


 首相が困惑気味に問いを投げると、少女は一言、「ああ」とだけ返した。

 政治家たちの間を進んで感那の目の前でやって来る。

 金糸のように光る、手入れの行き届いた背中まで届く金髪。顔立ちには幼さが残っており、身長も平均的な小学生程度。服装は白い肌に映えるゴシック調の暗色のドレス。


「やあ、リリスちゃん。久しぶりだね。相変わらず可愛らしい」

「ああ。ありがとう。この容姿を褒められるのは嬉しいよ」


 目当ての人物と会えたことで、感那の口角が上がる。狡猾な笑みを浮かべながら、目の前の幼女へ社交辞令交じりの称賛の声を投げる。

 それにリリスがにこやかに応じると、一転――嗜虐的な笑みを返した。


「それで、さっきの話だが――すまないが返答はノーだ。帰れ」


☆ ☆ ☆


 装飾のない、コンクリートが剥き出しとなった部屋の中で、風代カルラは絶叫を続けている。過去の所業を無限と回帰させられ、その心が擦り減っていく。


 塵。


 己をそう断じるしかない。

 罪人という言葉すら、己には過ぎた者。この汚れた身体は、人のそれなどでは断じてない。

まさしく塵。価値など微塵もない、存在しているだけで腐臭を発し世を害する、人類の生み出した腫瘍。欠陥品。存在していることそのものが許されない汚物。

 泣き叫ぶ自らの全てを責めて、責めて責めて責めて。

 否定に拒絶と拒否を重ねて。

 自身を断崖の端へと追い詰める。


「アアアぁぁあああぁああぁあああああああああぁああぁぁぁぁぁあああああアアぁァァあああああああああぁぁぁああぁああぁあああああああああああああアアアアアアあぁああアアアあアああぁぁああアアアアアアアアぁあああああぁぁあああぁああああぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁああアアア――――――――……………………ッ」


 無間地獄の底から響いているが如き呻き声が、赤い髪の少女の喉から漏れ出ている。

 己のしでかしたことがどれほどに重い邪悪なのか。

 ああ、死ななければならない。否、死は逃避。生きて償わねばならない。

 生きる? このような塵が? 五千以上もの命を――未来を奪った自分が、未来を歩くと?

 ありえない、許されない。

 ならば何が正解なのか。

 死は逃避、しかし生きることは許されない。

 ならば一つ。


「生きて償うならァ、いい方法がある」


 悪魔の声が聞こえた。


「なあ、何回も言ってるだろうが。――〝お前〟が……いま生きて体を動かしているお前が、消えればいい。そしたら、お前の大切なお仲間さんも、生きて帰してやる」


 金髪の悪魔が耳元で囁く。

 どこの誰とも知れない何者かに己の体を明け渡し、楽園教会の走狗として動け。


「なあに、安心しろ。悪いようにはしない。ただお前が死ぬだけだ。もう二度と安堵友介には会えねえけど、それでも……犯した罪を償うことは出来る。だから、ほら……たった一度、安堵友介を斬り付けるだけで良い。殺す必要なんかねえ。ただ、お前がお前を許せなく(・・・・・・・・・・)なれば(・・・)それでいいんだ」

「ぅあ、あああ。……ぁぁあ……」


 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 死にたくない、これ以上人を斬りたくない。

 誰も傷つけたくないのに。

 だけどそれでしか、罪を償う方法なんかない。

 人を殺した罪を、人路殺すことであがなうしかないという最悪の矛盾。

 袋小路に追い込まれて、少女の精神はさらに暗黒へと落ちていく。


「それによぉ、言うこと聞いてくれねえと、殺すしかなくなるぜ? お前が切れば、俺様は枢機卿たちにもあいつらには手を出すなって言えるけど、だけどなあ……約束を守れないようじゃあ、俺様もきちんとやることはやらねえと」

「や、いや……っ」

「カカカッ、ならどうするべきか分かるようなあ?」


 ニィイ……ッ、と。

 デモニア・ブリージアの口が三日月に裂けた。邪悪な悪魔の笑みが、カルラの網膜に刻み付けられる。


「ひッ……」


 上ずった悲鳴を上げると同時、いつの間にか止まっていた過去の虐殺の回帰が再会した。


「いや、いや、ぁあああああああ…………ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!」


 殺しの感触が戻って来る嫌だ嫌だ嫌だ嫌だやめてやめてこわい怖いいやだごめんなさいごめんなさいごめんなさい本当に何でもしますからごめんなさいそんな目で見ないでやめていやだやめてやめてみないでお願い謝るから何でもする何でもするからせめて一思いに殺してくださいなんでみんな殺してくれないの憎んでよ恨んでよ髪を触るだけなんてそんなことしないで憎んでいるのなら殺してほしい何で見てるだけなの何で何で何で何で何で何で何で何で何で―――――――――――――――――――


「カカカカカカカかッ、ハハ、アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ! ひぃーッッ‼ カカカッ、あハハハハハハハハッ! またッ……ッッ! また潰れやがった! あははははは! うぁはははははははッ! あ――――ッはははははははははッッッ!」


 再び壊れ始めたカルラを見て、その場で腹を抱えて笑う邪悪。この世の邪悪を詰め込んだかのような哄笑が、小さなコンクリートの部屋の中に響いていた。


「お前は必ず、安堵友介を刺す。賭けても良いぜ。だからまあ、今はせいぜい渋ってろ。大切な大切な男なんだろ? あいつのことでも思い浮かべて自慰でもしてろ。まあ、その調子じゃ無理そうだがな。カハハハッ!」


 そうして邪悪は彼女を置いてその場を後にする。


「じゃあ俺様もいっちょ、ここを狙う英雄様と遊んでくるか」


 後には、地面の上で蹲る小さな少女だけが残された。


☆ ☆ ☆


 白銀の軌跡が闇に呑まれた城の中に刻まれる。

 迫りくる無数の殺人玩具をぶっ壊し、向かってくる部下たちを切って捨て、至高の英雄は己が城を光の如く駆け抜ける。

 彼の後ろに残るのは残骸のみ。英雄の一刀のもとに両断された躯の数々が、総じて価値無き塵となって捨て置かれている。


「――――これで俺を止められるとでも? だとしたら認識が甘いな。仲間の死とは、乗り越えるもの。切って捨てたからこそ、無駄にしないために進むのだ」


 呟きながら、正面から迫る巨大なガラクタへと意識をやる。巨大な水車のような威容。高さは五メートルほど。横幅は廊下を埋め尽くすほどに広い。即ち逃げ場はなし。


「甘いと言っている」


 一閃。

 白銀の斬り上げにより、車輪はまたも木っ端微塵に砕け散る。

 飛び散る木片など気にも留めず、さらに前へ進もうとした。

 だが――


「カカカッ。そこまでだ英雄サマ。テメエの英雄譚は、ここで終わる」


 その背後。不意に空間が揺らぎ、金髪の邪悪が虚空から姿を現した。まるで英雄の背に寄り添うようにして立つ彼は、ニヤニヤとその顔に邪な笑みを張り付けている。


「楽園教会の葬禍王たる俺様が直々に遊んでやるよ、感謝しろ」


 囁いて、デモニアは右手を横へ伸ばし、手のひらを返して人差し指を軽く突き出した。指の腹から数ミリほど離れた空間に、極小の漆黒の『点』が生成される。

 ただしそれは、穴や虚などといった概念的なものではない。

 無数の(ちり)や破片といった小さな物質が、さらに圧縮されたことにより生成されたもの。いわば球体。

 そして。

 例えば。

 それら無数の(ちり)を一点に収縮させていた力が消えれば、どうなるか。


「『擬爆・白き虚(ヴーク・ヴィアンカ)』」


 白磁の閃光が、爆発した。

 360度全方位へ放たれた毒のような純白の輝きが、デモニアとディリアスの全身を塗り潰す。

 音は、閃光よりも遥かに遅れてディリアスに耳に届いた気がする。

 大気を裂くが如き轟音が、城中を席巻した。例えるならば雷鳴。まるで世界が引き裂かれたかのような。あるいは、地球自身が発する悲鳴のような。そんな音だった。


「カカカカカッ、カカッ! カ――――――――ッハッハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハっッッ!」


 轟音の中に混じる悪魔の哄笑が、どこか遠くに聞こえる。

 数秒経って、ようやくディリアスの五感の間隔が戻って来る。

 白く塗り潰された視界が捉えた色は、まず赤だった。

 引き裂く雷鳴の如き音の後に続いて聴こえたのは――己の絶叫。

 そうしてようやく、五感全てが追い付いた。

 激痛が。

 全身に焼きごてを押し付けられているが如き激痛が、ディリアス・アークスメント=アーサーを襲った。


「ガ、グガ、ガ……がァァああッッ!?」


 その壮絶な激痛に、意識の断絶が繰り返される。

 激痛で意識が飛びそうになると同時に、激痛によって意識を引き戻される無間の地獄。

 四肢の欠損こそないものの、全身に裂傷や熱傷が刻まれている。全身を地で赤く染めた英雄の膝が落ちる。


「ダハハハッ、おいおいまさか、この一発で終わりかよ」


 対してデモニアは膝を付き蹲ろうとするディリアスの髪を引っ掴むと、無理やり立たせ、その顔に拳をぶち込んだ。焦点のあっていない瞳と目線を合わせるデモニア。至近距離で邪悪と英雄の視線がぶつかる。


「もっとだ、もっともっともっともっとだ……ッ! なあ英雄サマよぉ! この俺様がまた!  再び! 再度! こうしてブリテンに足を運んで、そしてもう一度アーサーの名を冠する英雄に会いに来てやったんだ……。だったら、テメエにゃあ俺様を楽しませる義務がある。テメエが1500年前のあのクソガキと違うことなんざ分かってる。そんなこたァ百も承知だ。あいつは最高の道化だったからな。この俺様を楽しませる、最ッッッッ高ォのゴミカスだった。あれほどのオモチャはそういねえ。だから少しは妥協してやる」


 何を言っている?

 この邪悪は、何を口にしているのだ?

 言っている意味が分からない。

 彼の言わんとすることが分からない。

 痛みで単純に判断力が鈍っているということではない。事実として、この男の言葉の真意を測りかねている。


「はあ、察しが悪いなあ、テメエ」


 そして、デモニア自身、ディリアスが己の発した言葉の意味を理解していないことを見抜いていた。

 どうしてそんなことが分からない、馬鹿か痴愚かよ死ねよゴミカス。どうして最近の雑魚はこうなのだ。

 だが、しかし――故にこそ笑える。こういう馬鹿が、最も遊びやすい。


 デモニアは知能の低い阿呆にも分かるよう、一言一言、噛みしめるように。

 ゆっくりと、単語の一つ一つが理解できるように、一つの真実を告げた。

 楽園教会というたった一つの組織が、どれほどに異形なのか。

 そして、その頂点にいるあの男が、如何に超越的なのか。

 世界の一つの真実と、そして故にこそ生じる謎が語られた。

























「俺様の真の名は、マーリン。


 マーリン・デモニア・ブリージア。


 至高の英雄(勘違いした)アーサー王(バカ)を傍で支え続けた(弄び続けた)宮廷魔術師。


 つまりは、今なお語られる伝説の一項目だよ」


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