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Rule of Scramble  作者: こーたろー
第六編 鏖殺の果て
142/220

第五章 再会と離別 ――The Outbreak of War―― 3.跳躍

〝布石は置いておいた〟

〝伏線はひとまず張り終わった〟

〝だけど、今この瞬間を生き残ることができるのか……?〟


 それが、今の痣波蜜希の心境であった。


☆ ☆ ☆


 腹を貫かれたウィリアム・オーフェウス=ガラハッドが地面に崩れ落ちると、鮮血がゆっくりと道路を濡らしていった。滲み出した血はたちまち広がっていき、風化英雄(ノーネーム)の靴を濡らしていった。

 だが、男がそれに構っている様子はない。その感動が抜けきった空虚な瞳で草次や涼太を見つめているばかり。


「がふ、ぅあ、あ……ッ」


 地面の上でのたうち回っているウィリアムは、それでもなお、近くに落ちた槍を拾おうと必死に手を伸ばしていた。

 その手の甲を、風化英雄はぐしゃりと踏み躙る。


「お前は脱落だ。正気を失った亡霊の傀儡が、今さら舞台に上がれるわけもないだろうが」

「が、ぐぅ……ッ!」

「哀れだな」


 フードの奥の瞳をスッと寂しげに細めると、その二の腕へ鉛玉を叩き込んだ。少年は激痛のあまり気を失い、それきり動かなくなる。


「お前……ッ!」

「安心しろよ。腹をぶち抜いたが、別に死にはしねえ。宝剣とその奥にあるものの加護があるからな」


 歯を食いしばり怒りの声を上げる草次に、風化英雄は陰気な声を返した。


「それに人の心配をしてる場合ではないはずだが? 今の俺の標的はお前たちなわけだが」

「――っ」

「そう構えるな。――すぐ終わる」


 声が一気に低くなり、――瞬間。



 三人の視界からフードを被った男の姿が消えた。



「どこ、に……?」

「ここだ」


 声は、草加草次の背後から。


「お前がアタッカーか。なら決め手をまず潰す」

「前へッ!」


 漆黒と純白。二つの銃口からマズルフラッシュが炸裂し、銃弾が草次の後頭部を狙う。草次は死の気配が間近に迫っていることを自覚しながらも、足を止めず涼太の指示通り力の限り前進した。直後、ぐんっ! と彼の体に強い力が掛かり、まるで糸か何かに引っ張られるように前方へ加速した。勢いのあまり体が宙に浮き、叩き付けられるようにビルの壁へと投げられる。

 しかし、その補助におかげもあり、銃弾は彼の体に掠りもしなかった。


「うおっ」


 草次は驚いたような声を上げながらも、ビルの壁面にしっかりと着地。コンクリートの壁に足をめり込ませ、さらに左の拳をも埋め込むことで垂直の壁に張り付いた。まるで雲のような恰好のまま、油断なく敵を見据える。


「今のは――」

「僕の糸です! 援護します!」


 その涼太も自らに糸を纏わせることで風化英雄を名乗る男の近くから離脱。距離を取って注視する。

 草次はその様子を眺めながら、インカムを通して蜜希に連絡を取る。


「どうする蜜希ちゃん。彼はああ言ってるけど連携は難しいっしょ。蜜希ちゃんの声を届けられない」

『いいえ、それなら大丈夫よ。彼の動きを草加くんたちの動きでもってある程度制限、その上で彼の動きを予測したうえでさらに指示を出すから』


 つまり――


「俺と千矢君を動かして、間接的に涼太君まで操るってわけ? やべーっしょ」

『そんなことないわよ。そもそも彼は動くタイプのではないようだし。ふふ……あの糸、とても使えるわ』

「そ、そっか……ならまあいっか」


 言うなり、草次は足を引き抜き、近くのでっぱりに手を掛けた後、思い切り力を入れて屋上まで一気に跳んだ。縁に立ち、フードの男を観察する。

 男は銃口に息を吹き付け煙を飛ばすと、大きく離脱した草次を見る。それからさっと視線を外し、次に涼太を見た。


「お前の方が厄介だな」

「あなたに比べれば私なんて木っ端ですよ」

「ふん。個人の力量としては下の中と言ったところだが、チームを組んで有用性が上がるタイプか。一番厄介なタイプだ。知っているよ、そういう奴を」


 瞬間、男は体を横へ大きくスライドさせ、まるで腕を掴むかのような仕草をした。

 ――否。


「捕まえたぞ、川上千矢」

「な――っ!」

『まさかっ』


 草次と蜜希が驚愕の声を上げるが、それも無理はない。姿を消し音を消し気配まで消し去る川上千矢の隠蔽魔術はほぼ完璧だ。あのジブリルフォードですら看破できなかったほどに、その完成度は高い。たとえ前情報があったとしても、捕らえることなどほぼ不可能であるはずなのだ。

 しかし事実として、あの様子では本当に千矢は捕まっていると思われる。

 ならば。


「蜜希ちゃん!」

『ええ。すぐにでも解放する。草次くん、糸を!』

「ああ!」


 脚に力を込め、ロケットが如く飛び出そうする草次。しかしその前に動きがあった。風化英雄がとっさに腕を離し、千矢がいると思われる場所から距離を取ったのだ。

 直後、爆発。

 半径一メートルほどの爆炎の球が、耳を(つんざ)く炸裂音と共に発生した。

 おそらく爆札か何かをフードの男に投げつけ窮地を脱しようとしたのだろう。風化英雄と名乗った男は爆発の圏外へ逃れたが、爆札を投げつけた千矢はその限りではない。

 体勢が悪かったことやそもそも離脱のタイミングが遅れたこともあり、おそらく爆発の圏外から完全に逃れることは出来なかっただろう。


(だとすれば、まずい!)


 そしてその結果次に風化英雄が取る行動は至極単純。


「まずはお前だ」


 勝敗の確率を不透明にしてくるブラックボックスを破壊する。


「散れ」

「涼太君ッッ!」


 草次が絶叫し、離れた所にいる涼太が反応した。まるで指揮者のように糸を操り、千矢がいると思われる空間へ大量の糸を向かわせた。糸が何かを捕まえた感触を返してくると、一気に引き上げ、まるで釣りのように思い切り手繰り寄せた。

 宙を浮く千矢は途中で隠蔽の魔術を解き、糸にされるがまま涼太の近くの地面へと華麗に着地した。

 服や顔が僅かに土埃で汚れているようだが、火傷の様子はない。おそらく爆風には晒されたものの、爆炎に犯されたわけではなかったのだろう。


「礼を言う。助かった」

「いえいえ。それよりも迂闊な特攻は避けてください。相手は描画師――それも楽園教会の枢機卿です。あなたが脱落すればチェックメイトまで持っていけません」

「悪い。ただ、収穫はあった。いや――収穫では、ないな……」


 言いながら、千矢は苦虫を噛み潰したような表情で憎々しげに告げた。


「おそらく奴には、全部見えている」

「どういう……?」

『――?』

『どゆこと?』


 涼太と蜜希、そして草次が訝しむ気配を出した直後のことだった。



 パン! パパン、パンッ! と。

 二丁の拳銃を狙いも定めず無闇に発砲した。



『……? なにしてんのかな?』


 突然の奇行に草次が馬鹿でも見るような声を上げた。が――


「な――ッ、まさか……ッッ!」


 千矢の隣にいる涼太が驚愕を通り越し、もはや絶望すら滲ませて叫んだ。


「糸が、全部……撃ち抜かれた……ッッ!」

「――ちっ」

『ちょっ、嘘でしょっ!?』


 安倍涼太の両手の指に絡ませていた数多の糸から、張力が消失していた。

 つまり、だ。

 風化英雄と名乗るあの男は、肉眼では捕らえきれないような極細の糸を、寸分違わず銃で全て撃ち抜いたということだろうか。それも、音を聞くだけならばたったの四発で。


「どうした」


 男は問う。その声に絶望を感じるなと言う方が難しいだろう。


「もう終わりか? ならやはりここで脱落した方が身のためだぞ。――知識王メーティス、お前も含めてな」


 姿を隠した天才の存在まで看破して、擦り切れた英雄の残り滓が前へ進んだ。


☆ ☆ ☆


「死ね」


 端的な言葉だった。だが、ただそれだけの陳腐な言葉も、世界を焼き尽くす炎と共に放たれれば重みが変わる。

 それは真実、死の宣告に他ならない。

 紅蓮の炎がバルトルートと友介を隔てるように絶壁が如く(そび)え立った。人類には超えることの出来ない巨大な壁。炎で構成された巨大な餓家とも言えるそれが、逃げ場など与えぬとばかりに突き進む。

 絶望的な赤色が迫る様は、まさに地獄。焦熱世界の津波の姿がそこにある。炎の津波は部屋の端から端まで全てを焼き焦がし、友介はじめ矮小な描画師や騎士を殺そうと唸りを上げた。


「――――クッソ、がァッッッ!」


 歯を食いしばり、決死の覚悟で一歩前へ出ると、染色を発動。黙示録の刃を炎の津波に叩き付けた。ガラスの割れるような破砕音と共に紅蓮の津波も木っ端微塵に砕け散る。

 だが、その破片の間を縫うようにして紅蓮の王が黙示録の処刑人の懐まで駆け抜けた。赤い髪が舞い、握られた拳が振り抜かれる。

 体内で轟音が鳴り、衝撃が全身を駆け抜けた。


「ごぶ……っ!」

「まだだ」


 さらに。

 じゅううううううぅゥゥゥっッ! と。

 拳が叩き込まれた友介の腹から。嫌な音が鳴り響いた。

 直後。

 世界を焼き尽くすかの如き熱が、爆発した。


「ぐ、が……ぎ、ぃ、ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」

「飛べ」


 腹の辺りで炎が咲き誇り、少年の体は砲弾のように吹き飛んだ。カルラ達のすぐ横を凄まじい勢いで通り越し、炎の間を突風のように突き抜ける。勢いが何ら弱まることもなく、そのまま壁に激突し、再度凄まじい熱量に激痛を覚えながら、ずるずると地面に崩れ落ちる。


「あ、が……ぐぁァアアアアアアアアアアア…………ッ」

「どうした? まだ俺は本気どころか、染色の真の姿すら見せていないぞ」

「ぎ、く、……。う……」


 立ち上がろうともがく友介だが、許容量を超えたダメージに体を上手く動かせない。

 そしてカルラは、あまりに常識外れな光景に数秒我を忘れて呆然としていたが、脳がその処理を終えてようやく彼に起きた事態を理解した。


「あ……あ、あああ……うそ、だめ……っ」


 脚に力が入らず立ち上がれない。座り込んだまま友介へと手を伸ばすが、当然手が届くはずもなく、なんとか体を引きずって彼の所へ行こうとするが。


「貴様はこっちだ」


 その長い赤髪を思い切り引っ張られ、無理やり立ち上がらされた。

 カルラの兄、ついさっき彼女の大切な少年を打ちのめしたバルトルートだった。


「貴様が下らない私情に流されるからこうなった。いい加減気付けよ。己が使命を果たすなら、どんな感傷も邪魔になる。お前の弱さが、あれを殺す」

「まっ――」

「待つわけないだろうが、愚図」


 バルトルートは、もがき苦しむ友介へ腕を伸ばすと、手のひらを返し、人差し指を跳ね上げた。

直後、形容するも悍ましい音が鳴り響き、炎の柱が友介を襲う。


「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッっ!」


 それも、二度、三度と。

 染色によって身体能力が強化し、肉体の耐久力が常人とは比べるべくもなく上昇している描画師といえど、ここまでされれば死んでもおかしくはない。

 事実、友介は体の至る所を炭化させ、微動だにしなかった。


「終わりだ」

「お願い、やめて!」

「断る」

「う……、く……ッ」


 対話が無理だと理解するや、カルラは長刀を抜き払い、バルトルートへその峰を叩き付けた。しかし彼はそれをひょいと避けると、髪を握っていない方の手でその腹に拳を叩き込む。

 鳩尾を(したた)かに捉え、少女の全身から力が抜ける。

えずく少女の髪を握り直し、既に敗北した塵屑に背を向ける。


「待てやゴラ……ッ」


 その後ろ姿に、声を掛ける者がもう一人いた。

 ディア・アークスメント=モルドレッド。


「まだ俺が残ってるぞ。お前、あんまり調子に乗ってんじゃねえよ」

「貴様では俺に手も足も出ないが」

「知るかっ!」


 彼は憤っていた。

 たとえ最初は敵同士でも、安堵友介とはここまで共に戦ってきた。彼には救いたい人間がいて、ディアにもディアの目的があった。確かに最初は互いを利用し合うだけの共同戦線だったかもしれない。それでも、彼は己の意地と信念と夢を理解し、後押ししてくれた。


「それを――テメエみたいな外道に好き勝手させてたまるかよォ!」


 光速で駆け抜けるディア。しかし――


「馬鹿の一つ覚えのように突進ばかり」


 バルトルートに光速で剣が振り抜かれる直前、地面から突き上がった炎の槍がディアの腹へと突き進む。


「――っ」


 ディアは体を捩じって避けるが、すぐ目の前に拳がいっぱいに広がっていた。


「〝見えているぞ〟」

「――ッ!?」


 ディアが首を横に振って避ける。だが、次の瞬間には既に彼の体が炎に包まれていた。


「が、……っ」

「速いだけの雑魚が、よくもそこまで大きな顔を浮かべられるな」


 爆発。ディアの体が吹っ飛び、困惑顔のまま状況を眺めていることしか出来ないシャーリンの隣へ落下した。


「でぃ、ディア……っ!」


 それまで呆然として声すら上げられなかったシャーリンが、ようやく悲鳴のような声を上げたのも束の間、視界の隅でバルトルートがこちらへ手のひらへ向けているのが分かった。


「う……ッ!」

「シャー……ぐ、に、げ……っ」


 来る。

 ディリアスを破ったあの友介にとどめを刺したあの一撃が。

 だが、それを分かっていながら、シャーリンは動くことが出来ない、脚に力が入らない。

 円卓の騎士としてこれまでそれなりに多くの敵と戦ってきたシャーリン。だがそれ故に、これまで出会ったこともない、魔術師からも騎士からも、そして、描画師すらからも遥かに逸脱した強さを誇る紅蓮の王を目の前に、シャーリンは思考を止めてしまったのだ。


「心が折れたか。哀れな女だ。まあ所詮は追光の歌姫(ブリュンヒルデ)に操られる程度の小物か。そこの(ごみ)共々焦がし尽くしてやる」


 そして、指が動き、


「お願い、待って、待ってお兄ちゃん!」

「――、なんだ」

「もう良い、でしょ……私が、私があいつを斬ればいいんでしょ……だったら、だった、ら……わ、わた、し……っ」


 目じりに涙を溜め、恐怖に引き攣った、笑っているかのような表情で懇願するカルラ。バルトルートは下らないものを見たように目を細めると、


「最初からそうしていろ」


 乱暴に手を放し、地面に投げつけた。


「さっさとしろ」

「う、ぅう、ぅううううああああ……っ」


 血が出るほど強く唇を噛み、やがて耐え切れなくなったかのように苦しげな声を上げるカルラ。鞘を握る手からも赤い液体が滲んでおり、両目からはボロボロと涙が溢れていた。


 嫌だ、嫌だ。斬りたくない殺したくない。嫌だ、怖い。


 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。


 それでも、やらなければならない。

 たとえ、それが少女の破滅を意味するものであろうとも。

 決意し、少女は顔を上げた。


「あ、れ……?」


 そこに、安堵友介の姿はない。


(もしかして、逃げた……? 逃げて、くれたの……?)


 そんな淡い期待を抱いた。


「何をしている。さっさと奴を斬、」


 だが、風代カルラは知っていたはずだ。

 誰よりも分かっていたはずだ。

 理不尽も不条理も不幸も、世界と運命さえも憎悪するあの少年が。



「どこ見てンだよ、クソマヌケ」


 自らの命惜しさに、泣いている女の子を放って逃げるはずがないと。



 血走った両目。髪がかかり、闇の向こうで静かに光る狩人の眼光。獲物を捕らえた鷹の如き鋭い瞳が、紅蓮の王の背後で二本、線を結ぶ。


「――――ッ、いつの間に……っ、」


 染色を発動し、反射障壁を破壊すると共に腕を振り、拳銃を握った右手の裏拳をバルトルートのうなじへ叩き込んだ。

 それを見たデモニアが称賛するように口笛を吹くが、当然友介には聞こえていない。

 バルトルートの体勢が崩れ、さらなる隙が生まれる。その背中へ銃弾を叩き込んだ。


「づぁ……っ!」


 呻き声を上げるバルトルートの銃創へ、さらにドロップキックを叩き込んだ。

 友介とバルトルートの間に距離が生まれ、仕切り直しとなる。


 バルトルートが振り向き、反射障壁を再展開。次いで足の裏から炎を爆発させ、人間には視認不可能な速度で友介の懐へ入り込んだ。手のひらに炎の渦を生み出し、槍を形成する。

 しかし、その時には既に友介は左へ動いていた。先んじて『眼』がその未来を予見し、軌道から逃れる。

 だが――友介のその動きすら読んでいたかのようにバルトルートの掌底は友介へと向けられている。


「な、に――」

「残念だったな。『眼』を持っているのは貴様だけではないということだ!」

「あ、ん……? チッ、クソがッ!」


 語られた事実に思考を止めかけるが、とっさに燃える大地を蹴り上げ炎の砂利をバルトルートに浴びせた。


「――ッ」


 バルトルートはそれを半身になるだけで回避すると、次の瞬間。

 ボバッッッッ! と。

 業火が噴出した。人ひとりの手のひらが炎放射器となり、業火が少年の体を包む。


「ぐ、ゥ、アァああああああああああああああッッ!」


 辛うじて染色を発動して丸焼きにされるのだけは避けたが、それ以上のアクションは不可能。


「これで終わりだ。死ね」


 パチン、と指を鳴らす。瞬間、周囲の炎の大地から兵隊や魔術師のような出で立ちをした炎の人形が湧きあがり、一斉に銃口や杖を向けた。


「燃え尽きろ。東日本国陣花兵団・歩兵第五一小隊、並びに九界調停局(エニアグラム・オピニオン)美麗賛歌(ブリーザ)の奴隷共、砲火を送ってやれ」


 直後。

 全方位から無数の業火が殺到した。アサルトライフルのから発射される銃弾も、杖から生じた岩のような形をした物体も、全てが炎で構成されていた。


(クソ……、避け切れねえ!)


 血が滲むほど拳銃のグリップを握るが、それ以上何もできない。心の中の叫びは誰にも届かず、安堵友介は命と、そして大切な少女を失ってしまう。


「ふざ、け……やがってェ……ッ! この……ッ、……クソがァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 赫怒の絶叫が大部屋に響き渡り、そして――――。



「ハッ、イイ絶叫じゃねェか。気に入った。ちょっと手ェ貸してやるよ。――安堵友介」



 どこからか。

 荒々しい闘争者を思わせる凶暴な声が響いてきた。

 そして。



「ヒャッッッッッッッハァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!」



 そんな甲高い哄笑と共に、今や焦熱地獄と化した『雪の間』の天井が、端から端までブロック状に破壊された。

 一戸建て家屋ほどもあるコンクリートの瓦礫が雨あられと降り注ぐ中に、そいつはいた。

 色素の抜けた純白の髪と、同じく真っ白な肌。その端正な白貌に、凶悪な愉悦の笑みを浮かべる戦闘狂。纏う服は枢機卿の正装たる祭服。肩には紫のストールを掛けており、武器の類は身に着けていない。サングラスの奥の瞳はやはり愉快げに細められている。



 全てを拳で粉砕する白亜の拳闘士。

雷闘神(トール)』ジークハイル・グルースが、灼熱の『雪の間』へと降り立った。



「おま、え……は……」


 危機を脱し、呆ける友介の口から言葉が漏れるも、ジークハイルは聞いていない。彼の瞳は、助けたはずの友介ではなく、仲間であるはずのバルトルートへと向けられていた。



「よォ、バル。いっちょバトらねェか?」



「ジークハイル……貴様、一体何をしている」


 訝し気な――怒りすら滲んだ声で問う紅蓮の王に、白亜の拳闘士は呵々と笑って、


「ハンッ、別に。ただテメエらが俺をハブってこんな楽しそうなコトしてやがるから、ちょいと俺も乱入してメチャクチャにしてやろォって思っただけだっつの」

「いらん茶々を入れてくれやがって……」


 バルトルートが苛立たしげに言い放ち、ジークハイルはそれをニヤニヤと嬉しそうに受け流していた。そして、これまでニヤニヤと静観していたデモニアすら、少し不快げに眉を顰めた。――が、結局、特に何か苦言を呈することもない。


「おま、え……」


 瓦礫が壁となり炎の集中攻撃から守られた友介は、ありえない助っ人の存在に困惑するばかり。

 そんな友介の反応を楽しむように、ようやく振り返ったジークハイルは振り返ってこう告げる。


「逃げるぜ、安堵友介」

「は……?」

「なにを」


 友介とバルトルートが訝しげな声を上げる中、ジークハイルはさらに続ける。


「ほんとはバル、テメエと殺し合いてェンだけどよ、ちょいと厄介なお方に絡まれてね。そいつの口車に乗せられたせいで、俺は今からテメエとは戦えねェ。つーわけですまん、逃げるわ」

「――させると思うか」


 友介が何かを言う前にバルトルートが一歩前に出る。炎をゆらりとその手に纏わせ、さらに数十の炎で作られたヘリを率いた。


「貴様が相手なら出し惜しみはしない。今から総力をもって叩き潰す。俺の敵に回ったんだ。ただでは逃がさない」

「だから俺も逃げたくねェンだって。けど仕方ねえだろ? そういう契約なんだよ」


 ジークハイルは両の拳を打ち付けて、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。



「ってなわけで、よろしく頼むわ、女狐パイセン」

「了解っ♪」



 どこか聞き慣れた声が響くと、瓦礫の陰から小さな少女が飛び出した。短く切り揃えられたボーイッシュな髪型。端正で中性的な顔立ち。Tシャツにホットパンツというきわどい服装のその少女は、いつか見た光鳥感那だった。


「な、は……? おま、何でここに……ッ」


 厳密には彼女は、光鳥感那の影武者なのだが、それを知らない友介にしてみれば、いまこの状況は、己のボスが突然前線に出てきたというわけの分からない状況であった。

 しかし、そんな友介の困惑などお構いなく、事態は進行していく。


「ほいよー。――『限定封印(リミテッドレイズ)』」



 ふっ――と。

 雪の間に落ちてきた焦熱地獄が消し飛んだ。



 バルトルートを含め数多の神威がこの空間から打ち消され、世界の法則が一時的に正される。雪が融け、ドロドロに溶けた床があらわになった。

 これは光鳥感那の染色の劣化版だ。彼女の影武者とは、意識や自我、人格を同期させ、ラジコンのように操作される端末のようなもの。故に――異なる肉体とはいえ――不完全ながらも心象すらも同期しているその影武者ならば、染色の力の一端程度を扱えぬ道理はなかった。


「持続時間は十秒だ。その間に逃げるよー」


 感那の影武者はそう言って友介を抱えると、そのままナノマシンを操って宙を飛び、ディアを抱えた。ジークハイルもその驚異的な身体能力でもって一瞬の内にシャーリンと気絶したディリアスを抱える。


「さて、離脱だ」

「待て、カルラはッ! あいつが今そこに――」

「今は無理。黙って」

「テメ……ッ」


 感那はニヤリと笑い、デモニアへと中指を立てた。


「死ね」

「カカッ、さっきぶりだな。また出てきて恥ずかしくねえのか?」

「君の顔よりはマシさ」


 そう言うと、彼女は服の下から何かを取り出した。

球体を中心に、その周囲を綿が囲っている謎の物体。


「うーん。勿体ないしあいつの忘れ形見だから使うのは気が引けるんだけど……」


 依然後退したまま、感那は言う。


「友介くん、これを君の染色で破壊したまえ。それだけで僕らはここから離脱できる」

「は……? 意味分からねえし、てか、そもそも、お前が何かしたせいで今染色なんか使ねえ……ってかまずはカルラを!」

「黙れって。それに染色はすぐに使えるようになる。言ったでしょ? 十秒だけだって」

「でも――ッ!」

「早く」


 などと言っている内に、『限定封印(リミテッドレイズ)』が解除されたのが友介にも分かった。

当然バルトルートもまたそれを理解すると、再度染色を展開。世界を焦熱で埋め尽くす。

燃え広がる地獄を前に、しかし感那の影武者は聞き分けの悪いこともに言い聞かせるように言葉を繋げる。


「今の君じゃあ彼女を救えない。枢機卿には勝てないし、そんなボロボロの君を見ても彼女は苦しむだけだ。耐えろ。今は耐えるんだ。弱い君が何をしたところで、たとえ地球が滅亡したって彼女は救えない」


 感那の言葉に胸を抉られる。

 弱い。

 安堵友介は弱い。


「く、……そ……」


 友介はカルラを見た。

 泣き過ぎて真っ赤に腫れた両目。小さな体で、それでも必死に友介のために絶望を受け入れる少女。

 己の罪に押し潰される、ただの弱い女の子。

 その口が、「にげて」と動いたのが確かにわかった。


「クソ、クソ……クソォッ!」


 轟ッ! と大気を焼き尽くす音が鳴り響き、業火が友介たちへ迫った。


「友介くん」


 ギリィ……ッ! と砕かん勢いで歯を食いしばると、友介は染色を発動し、感那が持つ謎の物体を破壊した。


「待ってろよ……」


 奇妙な浮遊感が全身を包み、景色の色が希薄になる。まるでここではないどこかに――そう、まるで異世界にでも転生するような、そんな奇妙な感覚があった。

 視覚だけではない。五感全て、彼という存在が感じる世界の感触というモノそれ自体が薄くなっていく。

 それでもなお、友介はしっかりとカルラの瞳を見つめて。


「カルラ! 俺はお前を必ず助けに行く。だから……だから! そこで待ってろ、馬鹿女ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!」














 そうして安堵友介は〝跳躍〟した。

『世界雲』を飛び越えて、可能性の彼方へと。














 敗北を噛みしめて、それでもなお最後は勝つために。

 ただ一人の少女を、救うために。

 強くなると決意して。


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