第一章 入国審査は時に時に過剰に ――Illegal Entry―― 3.夜襲
「光鳥からのメールで、カルラが被検体になってたっていう騎士団計画について、そんなことが分かった」
夕暮れ。
ホテルに着き、各々の部屋で休息を取った彼らは今、友介の部屋のベッドに腰かけて集まっていた。
深夜の作戦開始に当たり、ブリーフィングを行うために集合したのだが、その前に友介から騎士団計画についての報告があった。
「楽園教会は魔術側の組織……なのに、カルラちゃんの力は科学によって得られたもの、か……どういうことなんだろうね」
「さあな。俺にも意味分かんねえ。ただ、やることは変わらねえ。たとえカルラを取り巻く状況が混沌としていようが、そんなもんは全部無視してあいつを救えばいいだけだ」
「それもそうだな。――で、作戦はどうする? 深夜に決行すること、俺の爆弾で陽動を行い、その混乱に乗じて密入国するという流れは決まっているが、具体的にどこをどう攻める?」
「そうだな……」
千矢の質問に、友介が顎に手を当て、
「二手に分かれよう。草次と千矢のペアと、俺一人って感じで」
「なぜだ?」
「――俺も陽動に加担する」
「ちょっ」
友介の提案に草次が声を上げるも、それを蜜希が制した。
「あ、あ、安堵くん……その、やりたいことは分かる、の……。か、川上くんの陽動と、その、あ、安堵くんの、よよ、陽動を、その、一緒にやって、……で、先に二人が抜けるようにする、っていう、のは……」
「ああ」
「で、でも、その……危ない、よ……っ」
その忠告に、友介はこう即答した。
「安心しろ。染色は使える。一人で切り抜けられる」
「――、そ、そうなら、いい、けど……」
「待て、安堵」
話が決まりそうになったところで千矢が口を挟んだ。
他三人の視線を受ける彼は上着の裏ポケットに手を突っ込むと、一枚の紙を取り出した。紙面には墨汁を使って『泥爆』という文字が難解な書式で描かれていた。
「これは?」
「俺自身が作った特別製の爆札だ。五行の『相生』と『相剋』を応用したものだ。『土』と『水』で『泥』の属性をまず概念として摘出し、そこへ爆発の概念を練り合わせたものだ」
「日本語でおk」
草次が真顔で言った。
千矢はこめかみに指を当てて草次への苛立ちを抑え付けると、小さく息を吐いてテーブルまで歩き、ペンと髪を持って図を書き始めた。
五芒星――すなわち星型である。
それぞれの頂点に『木』『火』『土』『金』『水』と書いていく。
「前提として、魔術には大きく分けて二種類の『属性の括り』がある」
紙に図や文字を書きながら彼は流れるように説明していく。
「一つはオーソドックスな『四元素』だ。これは西洋魔術でよく使われるな。四元素の他に『エーテル』という理想元素や魔術元素などと呼ばれるものがあるがこれは無視する。で、もう一つの括りが『五行』だ。これは主に東洋で扱われるもので、陰陽師はもちろん、俺のような西洋魔術をかじったような男でも、東洋人ならば普通こっちを使う。まあ、例外がいるにはいるが」
そう言って、あの規格外の描画師に真っ向から立ち向かった、とある少女のことを思い出す。
そこへ、草次が口を挟んでくる。
「でもこれ、四元素は『火』『水』『地』『風』で、五行は『木』『火』『土』『金』『水』ってなってて、ほとんど一緒じゃん」
「そうだな。だが、二つの括りが存在する以上、それらには当然違いがある」
ペンを動かし、『火』という文字と『地』という文字を隣り合わせて書き、それぞれの文字をマルで囲んだ。
「四元素と五行の大きな違いは一つだ。それは、異なる属性同士を掛け合わせることで新たな『属性』が生まれるか否だ」
千矢はまるで囲んだ『火』の文字と『地』の文字それぞれから矢印を引いてぶつけた。
「結論から言えば、四元素の属性はそれぞれ独立しており、この二つの属性は融合して新たな属性を生まない。それぞれの属性の魔術を発現した上でその属性を掛け合わせることで派生的な現象を生むことは出来るが、全くの新しい属性を生み出すことは不可能だ」
唯可は火と土を掛け合わせることでマグマを生み出していた。しかしそれは、何も新たなそれは火の魔術と土の魔術を並行して発動させ、その物理的な結果としてマグマが出来たということでしかないということだ。
「対して、五行は違う。もう察しているだろうが、五行の内にある属性はそれぞれ掛け合わせることが出来るのだ。五行には『相生』と『相剋』という関係があるように、それぞれの属性は密接に関係している」
木生火、火生土、土生金、金生水、水生木――即ち相生。相手を生み出す陽の関係。
木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木――即ち相剋。相手を生み出す陰の関係。
「そして、こうした繋がりや属性同士の密接な関係が存在するが故に、五行ではそれぞれの属性の概念を融合させて新たな属性の概念として取り出せる」
「え、え?」
「なるほどな」
相変わらず理解が出来ていない草次を放って、友介が納得の声を上げた。
「『火』の魔術つっても色々ある。物を燃やすだけが取り柄じゃない。他にも灯りになったり物体を加工するための熱源になったりもする。四元素では二つの属性を掛け合わせたところで、その結果しか得られない。マグマという『現象』しか手に入れられない。けど五行は違え。新たな属性、新たな概念を手に入れられるってことは――」
「そうだ。マグマに例えれば、マグマを作り出すだけではない。『マグマ』という記号・概念を応用させて『噴火』『火砕流』そうした派生魔術も扱えるわけだ」
そして、話は友介が渡された『泥爆』と記された札に戻る。
「それは『水』と『土』を掛け合わせて『泥』の属性を生み出し、その『泥』から『粘性』の概念を抽出し、そこに『火』と『木』を掛け合わせた『爆』の属性を足して作り出したものだ。その札から放たれる爆炎はただの爆炎ではない。物理的な実態を持ち、物体に付着する『接着爆炎』とでもいうべきものだ」
千矢は服の裏ポケットから同じものをもう一枚取り出し、ひらひらと振りながらさらに続ける。
「ただの火を使ったところで、騎士ほどの身体能力を持つ者ならば爆炎の中を突っ切ってくる可能性もある。実体のない炎とは異なり、文字通りの壁としての機能も果たす」
ふぅと息を吐き、千矢はテーブルから離れてベッドに腰かけた。
「今回の敵はこれまでとは勝手が異なる。今までのように個人を敵にするのではない。言って間違えてしまえば世界第二位の軍事国家とことを構える可能性も出てくるのだ。これくらい慎重になるのも当然だろう」
「まあな」
千矢の言葉に頷くと、その札を制服の裏ポケットに仕舞った。
もしもの時はこれを使おうとその存在を確かめると、千矢から視線を外し蜜希を見た。
「ああ。そうだ。……蜜希、具体的なルートの指示はお前に任せる。手筈通り、決行までに人工衛星をハッキングしてもらって――、」
「あ、それなら、だだだ、大丈夫だよ! もう終わってるからっ」
「お、おう……」
化け物じみた仕事の速さに友介は引き気味になってしまった。が、蜜希は気付いていないようなので良しとした。
「んじゃあ、とりあえず今夜一時に所定のポイントに向かうようにな。入国してから合流できるならそれで良いし、出来ないなら各自でカルラを救うぞ。それともう一つ――円卓の騎士とは戦うな。あいつらは多分、俺でも手に余る。全員が全員化け物みたいな奴らだからな。そんでそれは枢機卿も同じだ。絶対に敵に見つかるなよ」
「了解」
「らじゃっ!」
「それと蜜希、お前はもう拠点は作ってんのか?」
「う、うん……大丈夫、だよ……というか、今回は飛行機がそうなの……」
「了解だ。お前は絶対に冷静さを失うなよ。――何が起きても」
「う、うん……」
蜜気の返事を聞いた友介は立ち上がると、最後にこう告げた、
「絶対、全員生きて帰るぞ」
☆ ☆ ☆
そして。時刻は深夜の決行の五分前へと進む。
各々の時間を過ごした友介、千矢、草次、蜜希の四人はそれぞれ指定された場所にやって来ており、後はもう時間が来るのを待つばかりとなっていた。
「……緊張するね」
「まあ、多少わな」
千矢と草次は軽口を叩き合いながらも、その視線はしっかりと暗闇の奥を見据えていた。
彼らは暗視ゴーグルを掛けており、夜目に困る心配はない。とは言え、敵の魔術師もその程度の魔術は心得ているはずだ。暗闇に乗じて侵入――とはいかないであろう。
故にこそ、川上千矢の出番である。
彼の魔術は『爆発』と『気配の消失』。つまり、隠密行動に最適の魔術であるのだ。加えて、陽動には友介も加わる。
よって、二人は確実に無傷で国境を超えることが出来るだろう。もちろん慢心などしないが、気を張り詰めるべき場面でないことは確実だ。
だが、逆に友介は違う。
彼は単独で敵を引き付けた状態で国境を抜けねばならない。国境を抜けるだけならばまだしも、追ってくる魔術師を撒く必要もある。
「友介くん……」
「そう心配するな。あいつならばやり遂げるだろう」
とは言え、千矢は彼の心配をあまりしていなかった。
それは、彼を軽い存在として見ているのではなく。
(妙な気分だ。まさか、俺が――)
彼を信じているが故に、であった。
☆ ☆ ☆
そして。
「さて」
その時が、来た。
「行くか」
国境西部。
国境沿いに建てられた急造の塀が、突如の大爆発によって木っ端微塵に砕け散った。
膨大な熱量がレンガを融かし、衝撃と爆風が瓦礫を四方へまき散らす。
「な――ッ!」
「て、敵襲―ッ! 敵襲だぁあああああああああああああああああ!」
「蛮族が来るぞおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
予見していた襲撃だったのだろう、国境を守る魔術師たちの動きは迅速かつ的確であった。
塀に空いた大穴に十人程度の塀が詰めかけ、さらにその左右五百メートルを、小隊を組んで防備する。襲撃の伝達も速く、瞬く間に警備が強められた。
だが――
「堕ちろ魔術師――」
魔術師は知らない。
浅き場所で満足する彼らは、深淵から出る描画師という名の究極の暴力の体現者を知らない。
「――『染色』」
爆発のあった場所からさらに四キロ離れた地点で放たれた小さな呟きは、当然ながら誰に聞き咎められることもなかった。
少年の視界に映る世界その全てに亀裂が走り――直後。
左右一キロメートルに渡って塀が木っ端微塵に砕け散った。
「な、なんだ……ッ?」
「うわあああああああああああああ!」
恐慌する魔術師の正面から、彼は現れた。
「そら、行くぞ魔術師。ありったけの盾を用意しろ。俺の前では強度は塵だぞ」
安堵友介。
黙示録の処刑人が、あらゆる守りを撃ち砕く。
「安堵が上手くやっているようだな。入るぞ」
「了解っ!」
二つの騒ぎの中点に位置する場所で、魔術によって気配を断った千矢と草次が、悠々と国境を抜けた。
こうして、作戦の第一段階はクリアされた。
次は、安堵友介が国境を抜ける番である。
「捕らえろ、捕らえろーッ!」
「おのれ、どこへ行った……ぐおっ!」
「ぎゃああああああああああああ!」
少年の身を包む黒の外套が、風に煽られバサバサと音を立てる。
描画師としての身体能力を生かして敵部隊を攪乱する友介。
また、数十の魔術師を見事に翻弄する彼は、最初の一度以降染色を使っていなかった。崩呪の眼すら使用していない。今の彼は、銃撃と体捌きのみで次々と迫りくる魔術師の群れを相手取っていた。
「どけ」
視界に映った六人の魔術師それぞれに弾丸を放つ。その全てが命中する。体を鍛えず、ただ魔術のみに頼るだけの魔術師たちが次々と倒れていく。二丁の拳銃を振り回し、次々と行動不能に追い込んで行く。
「邪魔だクソが。寝てろ。――あん?」
十人、二十人と魔術師たちを撃ち抜いていた彼だが、前方に映る人影に視線を集中させた。
炎剣を持った魔術師。つまり、魔術のみでなく、体術――此度の敵の場合であれば、剣術――の心得を持つ相手。
「チッ。雑魚が、邪魔なんだよ……ッ」
呟いた直後、ひと際強く大地を蹴り抜いた。
一気に加速し、炎剣を持つ魔術師へと突進する。友介は加速を続け、接敵まであと五メートルという位置まで走り――そこで初めて右手の拳銃を跳ね上げた。
「おら、避けてみろ」
火薬の爆発音と共に音速超過の速度で鉛玉が射出される。空気を裂き、一直線に魔術師の腹へと進む弾丸は、しかし炎剣に弾かれた。
「邪魔クセえ……」
忌々しげに言葉を吐くと、彼は速度を緩めもせず魔術師の間合いへと踏み込んだ。
同時、炎剣が袈裟に振り下ろされる。大気を焼きながら進むその刀身を一瞥すると、彼は左手側に背が来るようにして身体を半身にし、左足を軸に、倒れかけの駒のように時計回りに回転した。炎剣の切っ先が鼻先数ミリの位置を通過、空振りに終わる。
魔術師が驚愕する気配が伝わってくるが、友介はそれを誇りもしない。
回転の勢いそのままに魔術師の背後を取った。背中合わせの状態になり、魔術師が空振りの勢いそのままに背後の友介を斬ろうとする。
だが、身体を回して剣を振る必要のある魔術師とは異なり、友介は背後に向けた銃の引き金を引くだけで良かった。
火薬が爆ぜ、鉛玉が射出される。友介を斬ろうと身体を回していた魔術師は、衝撃と激痛でバランスを崩してしまう。その隙を逃さず友介が軽く足を引っかけ、魔術師を転倒させた。
「すまねえな。ちょっと寝てろ」
だが、魔術師はそれでも立ち上がろうとする。友介は彼を黙らせるために、己が刻み付けた脇腹の銃創を思い切り踏むことで失神させた。
「悪いな。急いでんだよこっちは」
既に敗れた敵など放って、少年はさらに進む。
未だ、そのマントを破くことすら、魔術師には出来ていなかった。
――孤軍奮闘するその少年の姿を、被害に及んでいない塀の上で、憎悪のこもった瞳で見つめる者があった。
「――安堵、友介」
薄汚いローブを纏い、フードで顔を隠すやつれた姿の男だ。
目の下には隈があり、フードから漏れる金髪は痛み切っていた。闇の中から覗く瞳は死人のそれであり、おおよそ『生』というものからかけ離れている。
死人が服を着て歩いている――そう表現するのが最も正しいだろう。
「お前は、また……こんな下らないことをしてるのか」
死体が蘇って歩いているのではない。正真正銘、死んだ者が意志を持ってなお歩いているというべきか。死んだまま生きているというべきか。生きたまま死んでいるというべきか。
とにかく。
その男は、何もかもを失い、消え去った残滓のような存在であった。
フードの奥から覗くオッドアイが歪む。
「ここで、引導を渡してやる。それがお前らのためだ」
塀から飛び降りる。
ローブが風を受けて翻り、中の服があらわになる。
黒の祭服と白のストールが月下を浴びて淡く光った。
「お前が墜ちろ」
そうして、彼はローブの裏から二丁の拳銃を取り出した。




