序章 『救い』
――『救い』とは何だろうか?
それは、
誰かを助けることだろうか。
ある人の支えになることだろうか。
抱きしめることだろうか。
生きる意味を与えることだろうか。
きっと、どれも正しいのだろう。どれも正しく、間違いなどどこにもない。
そもそも、救いの定義など救われる人間によって変わるのだから。
例えば、死にたいと願っている人間にとっての救いは、間違いなく『死』であるはずだ。絶望に心を殴り潰されるような悲劇に見舞われた誰かがいたとして、その人が心の底から死を望んでいるのなら、その救いは命を散らすという形で成されることだろう。
なぜなら、それしか方法がないから。
救いというものの一つの側面として、逃避というものがある。
逃げること。辛いことから逃げて、新しい何かに生まれ変わること。――それもまた、救いというものの一面であるだろう。
だが、その人間が立つ場所が既に何もかもが終わってしまった終焉にしかない時。
行き場のない袋小路に囚われてしまい、逃げ場どころか身動きすら取れなくなってしまっていた場合、もはや救済の道は、死の先――ここではないどこかにしかないだろう。
けれど、もしも。
死を願うその人を心の底から愛している人がいるとすれば、どうだろうか。
死を願うその人を殺せば――なるほど、確かに救済は成功だ。生に絶望し、死を切実に求めたその者は満足の内に逝くのだろう。
だが、残された者にとっては違う。
望み通りの死を手に入れた者は幸せになろうとも、その者を愛していた誰かは絶望の底へ叩き落とされることだろう。
ならばそれは――死を望むその人を救うことは、他の誰かにとっては、救いなどからはほど遠い地獄のような結末なのではないだろうか。
誰かを救えば誰かが傷付く。
何かを救えば何かが損なわれる。
救われた者がいる陰で、光を失う者がいる。
だから、きっと。
救済と絶望は表裏一体なのだろう。
――それは、俺が欲しい結末じゃねえ。
だが少年は、それを否と断じる。
――そうだ。そもそも……。
彼は思う。
そもそも、ある行為の結末の末、救われた者の裏で、傷付き涙を流す誰かがいるのなら。
それは、そもそも救いと呼べるものではない。
誰かに涙を流させる行為が救いであるはずがない。
傷を負わせることは悪であり、人から光を奪うことは許されざる闇なのだから。
ならば結局、救いとは何なのだろうか。
誰かを救うためにはどうすれば良いのか。
本当の意味で笑顔の結末を迎えるには、何をすればいいのだろうか。
安堵友介が風代カルラを救うためには、何をすればいいのだろうか。
あの顔を覚えている。
己の過去に絶望し、あらゆる全てに恐怖し、まるで生まれたての小鹿のように震えて泣いていた少女の瞳が、彼の網膜に焼き付いて離れない。
絶望と地獄から彼女を解き放つためにはどうすれば良いのだろうか。
あの顔を、笑顔にするためにはどうすれないいのだろう。
――ああ、そういや……。
そこで彼はふと思い出す。
彼女は、今まで一度として。
心の底から喜びを表現して笑ったことがなかったことに。
いつもどこか不敵で、冷淡な笑みを浮かべてはいなかっただろうか。
笑顔とは、あんな風に冷めたものではない。もっと、温かくて明るいはずのものだ。
だから――
彼女に笑顔を届けるためには、どうすれば良いのだろうか。
助けるのではなく。
救う。
答えはまだ見つからない。目指すべき場所は分かっていても、道がない。
「――俺は」
それでも彼は、歩き出す。
たとえ荊がその行く末を阻もうとも、少年は己が身を切り刻まれながらも、足を止めないのだ。
全ては、たった一人の少女に笑顔を与えるために。




