父と子 ― 止まらない刃、止めたい未来 ―
ある歴史書の独白
私は歴史書。
何百年もの間、多くの出来事を書き記してきた。
英雄の誕生。
天下統一。
裏切り。
別れ。
そして数え切れない命の終わり。
私の役目は、起きた出来事を記録すること。
書き換えることではない。
だから今日も私は、この一行を書くはずだった。
「斎藤道三、長良川にて討死。」
それが歴史だった。
それが真実だった。
……だが、一人の男が現れた。
織田信長。
その男は、歴史そのものへ刀を向けた。
私の頁は震えている。
墨は乾かない。
文字が消え、新しい文字を書こうとしている。
私は歴史書。
歴史を残す者。
だが今日だけは、私にも分からない。
次の頁に、どんな未来が記されるのか。
――歴史書より
第七十八章
父と子 ― 止まらない刃、止めたい未来 ―
戦場を吹き抜ける風は、血の匂いを運んでいた。
長良川の流れは静かなままだったが、その岸辺では数千の兵が命を懸けてぶつかり合っている。
「進めぇぇぇ!」
「道三様をお守りしろ!」
「義龍様のために討ち取れ!」
怒号が空を裂く。
その中心に立つのは、織田信長と斎藤道三。
二人は背中を預け合いながら、迫り来る敵兵を迎え撃っていた。
「義父上、右です!」
「分かっておる!」
道三の槍が敵兵をなぎ払う。
同時に信長の刀が閃き、道三の死角へ迫っていた槍を弾き飛ばした。
「見事だ。」
道三は笑う。
「おぬしと並んで戦える日が来るとは思わなんだ。」
信長も微笑んだ。
「私はもっと早く、この日が来るべきだったと思っております。」
しかし、その光景を遠くから見つめる男がいた。
斎藤義龍。
その瞳には怒りだけでなく、戸惑いも浮かんでいた。
「父上……。」
「なぜ笑っている。」
「なぜ、あの男と。」
義龍の胸には、幼い頃の記憶がよみがえる。
父に褒められたかった日々。
認めてもらいたかった日々。
だが、どれだけ努力しても、父の期待に届いたという実感はなかった。
その寂しさが、やがて怒りへと変わっていった。
「私は、美濃を守りたいだけだった……。」
義龍は静かにつぶやく。
その時、一人の老臣が義龍のもとへ駆け寄った。
「殿!」
「まだ間に合います!」
「信長殿は戦を止めようとしております!」
「どうか、お話し合いを!」
義龍は首を振る。
「もう遅い。」
「ここまで来た以上、退けば兵たちが浮かばれぬ。」
信長はその様子を見ていた。
「義龍。」
「お前は本当に、この戦を望んでいるのか。」
義龍は答えない。
ただ刀を抜き、ゆっくりと馬を進めた。
「織田信長。」
「お前がいる限り、父は私を認めない。」
「ならば。」
「お前を倒す。」
信長は刀を構えた。
「それがお前の答えか。」
「ならば受けよう。」
二人の距離が縮まる。
あと数歩。
その時だった。
「やめよ!」
戦場に響き渡る大きな声。
斎藤道三だった。
道三は二人の間へ歩み出る。
「もう十分じゃ。」
「これ以上、父と子が血を流す必要はない。」
義龍は苦しそうな表情で叫ぶ。
「父上!」
「私は……!」
その言葉の続きを言えなかった。
長年胸にしまい込んできた想いが、喉まで込み上げる。
戦場に、重い沈黙が流れた。
その沈黙を破るように、空が突然黒く染まり始める。
ゴゴゴゴゴ……。
誰も見たことのない黒い雷が世界を走る。
エノワールドの案内人が空を見上げ、青ざめた。
「まさか……。」
「歴史の歪みが、ここまで……!」
黒雲の中から、巨大な黒い門がゆっくりと姿を現す。
門の向こうから聞こえる、不気味な笑い声。
「ククク……。」
「歴史を変える者よ。」
「その代償を支払う時が来た。」
信長は空を見上げ、静かに刀を握り直した。
「新たな敵か。」
「ならば。」
「歴史も未来も、この手で守る。」
父と子の戦いは、思いもよらぬ存在によって、新たな局面を迎えようとしていた。
一振りの刀の一言
私は刀。
何人もの主人に握られ、幾つもの戦場を渡ってきた。
私で人を守った者もいた。
私で人を傷つけた者もいた。
刀である私に善も悪もない。
すべては、握る者の心次第だ。
だが、不思議な男に出会った。
織田信長。
あの男は私を振るいながら、誰よりも戦を嫌っていた。
敵を倒すためではない。
未来を守るために私を抜く。
そんな主人は初めてだった。
私は鉄でできている。
涙を流すことも、笑うこともできない。
それでも今日だけは思う。
どうか、この先は私を抜かなくても済む世界になってほしい。
鞘の中で静かに眠れる日が来ること。
それが、刀である私のささやかな願いだ。
――名もなき一振りの刀




