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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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40/40

箱ではなく窓

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

のぞき窓の光が薄くなっていく。暗い部屋の端末群は、また眠ったふりを始めた。完全に消えたわけではない。まぶたを閉じた人が、こちらの足音だけ聞いているような沈黙だった。


 わたしは窓から手を離した。指先に冷たさが残る。ポケットの中では、先生の飴が小さく角を立てていた。


「帰ろう」


『目的地は外縁通信塔群では?』


「今すぐ行ったら、たぶん凍る。あと怒りながら歩くには糖分が足りない」


『見るだけでも糖分は要る、の適用範囲が拡張されました』


「先生のせい」


 くまを抱え直すと、保守用通路の奥から低い駆動音が戻ってきた。さっきの巡回機より重い。床の下で何かが回り、壁の隙間から白い霧が細く漏れる。


『低温保管区画、夜間凍結保存へ移行。通路閉鎖まで、推定八分』


「八分で戻れる?」


『通常経路なら十三分です』


「だめじゃん」


『非常経路なら六分です』


「あるなら先に言って」


『非常なので、通常時に言うと非常感が損なわれます』


 壁の古い矢印の下、さらに小さな字が浮かび上がっていた。霜に隠れて見えなかった先生の追記だ。


 帰り道。

 ただし膝を打つ。

 くまはやっぱり打たない。

 腹立つ二回目。


「先生、往復で怒ってる」


『継続的な頭部および膝部被害が推測されます』


 わたしは点検扉の横の配管の隙間に体を滑り込ませた。想像より狭い。背中の袋がつかえ、肩が壁にこすれる。冷えた金属の匂いと、古い教材の紙の匂いが混ざっていた。


 くまの耳が配管に当たって、ぺこ、と情けない音を立てる。


『損傷申告。尊厳に軽微なへこみ』


「あとで直す」


『尊厳を?』


「耳を」


 通路は途中で二つに分かれていた。右は青い線、左は灰色の線。壁には管理用の表示が残っている。


 青線、教育対象搬出。

 灰線、個体区分返却。


 どちらも、あまり通りたくない名前だった。青い線は明るい。灰色の線はまっすぐで、掃除されすぎている。わたしは足を止める。


『非常経路は青線です』


「教育対象搬出って、どこに出すの」


『旧昇降口方面。先生の手書き補足があります』


 くまが短く音を鳴らすと、壁の端にかすれた文字が出た。


 青にしろ。

 灰色は楽だが、腹が立つ。

 楽な道ほど管理者が待っている。


 わたしは小さく息を吐いた。先生の字は、最後まで文句っぽいのに、ちゃんと手を引いてくる。


「青で」


『あおが青を選択しました』


「そこ、感動するところじゃない?」


『では訂正します。あおが、あおを選択しました』


 胸の奥が少しだけ熱くなる。寒さのせいではない。呼称保管室で見た記録も、のぞき窓で見た帳簿みたいな世界も、全部わたしをどこかの列へ入れようとしていた。でも、先生はそこに別の出口を描いていた。青線。雑な名前。けれど、灰色ではない道。


 わたしたちは青い線をたどった。天井がさらに低くなり、わたしはほとんど腰を折って進む。足元には、使われなくなった小さな靴箱が倒れていた。中には名前札のかわりに、色のシールだけが貼られている。


 赤、黄、緑、青。


 誰かの名前を呼ばなくても済むように、色で並べたのかもしれない。あるいは、名前を隠すために色だけ残したのかもしれない。どちらだったとしても、青いシールは剥がれかけ、まだそこに貼りついていた。


「ねえ、くま」


『はい』


「わたし、青色物品じゃないよね」


『違います』


 返事は早かった。壊れかけのくせに、そこだけは迷わない。


『あおは、あおです』


「外呼称でも?」


『外呼称でも、内側で呼んでも、くまが呼んでも、あおです』


「くまにしては、ちゃんとしてる」


『今の発言を保存しますか』


「やめて。恥ずかしいから」


『恥ずかしさは保護対象です』


 笑った拍子に、膝を配管へぶつけた。先生の予言どおりだった。痛みに息を詰めると、くまがすぐに小さく警告音を鳴らす。


『膝部被害、発生。先生の勝ちです』


「勝たなくていいんだよ、こういうのは」


 前方に光が見えた。細い出口の向こうで、教育棟の昇降口が白く霞んでいる。凍結保存の霧が床を這い、古い靴跡を隠していた。そこへ出る直前、壁の端末が突然起動した。


『搬出確認。教育対象一、情操補助ぬいぐるみ一。分類照合を行います』


 出口の上から、薄いレンズが下りてくる。青白い光がわたしの顔をなぞり、くまの縫い目をなぞった。背中が冷える。ここで止められたら、八分はもうない。


『対象名を申告してください』


 わたしは一瞬だけ迷った。呼称保管室で見た記録。先生が隠した名前。外へ出すために選んだ、青い呼び名。


 それから、まっすぐ答えた。


「あお」


『補助個体名を申告してください』


『くまです。補助精度には改善余地があります』


『照合中』


 レンズの光が瞬いた。壁の奥で古い機械が悩む音を立てる。灰色の板、個体区分、保護対象。いくつもの言葉が、わたしの周りで箱になろうとする。


 でも、先生の赤い追記が端末の下に残っていた。


 名前で通せ。

 だめなら、怒れ。

 怒ってもだめなら、くまに任せるな。余計こじれる。


「最後ひどい」


『異議があります。くまは時々こじれをほどきます』


「時々ね」


『照合完了。外呼称、あお。補助AI、くま。旧保護経路、通過可』


 扉が開いた。外の空気が流れ込む。冷たいのに、保管区画の冷たさとは違った。動いている空気だった。


 昇降口の窓から、遠くの空が見えた。雲の下に、折れた塔が何本も突き出している。外縁通信塔群。先生が見つけた窓の先。管理だけに世界を見せないための場所。


 わたしはポケットから飴の袋を取り出した。古すぎるそれを食べる気にはなれない。かわりに、袋を光に透かす。中の飴は少し欠けて、青とも透明ともつかない色をしていた。


「先生、行き先は受け取ったよ」


『苦情も受け取ったことにしますか』


「うん。遅い、寒い、遠い。それから」


 言葉を探して、窓の外を見る。名前を隠した人。箱ではなく窓を作ろうとした人。飴を二つ残した人。たぶん、わたしが怒るところまで計算していた人。


「ありがとう、も追加」


『苦情記録に感謝が混入しました』


「分類しにくい?」


『とても』


「じゃあ、そのままで」


 くまはしばらく黙った。やがて、胸の奥から小さな起動音のようなものを鳴らす。


『あお』


「なに」


『次も、くまを持っていきますか』


「置いていく選択肢あった?」


『確認です』


 わたしはくまの片耳を軽く引っぱった。へこんだ耳は、まだ少し曲がっている。


「持っていく。外縁通信塔にも、その次にも。分類未確定の情操補助ぬいぐるみとして」


『あおも、関連青色物品として同行しますか』


「そこは訂正して」


『関連あお色人物』


「まあ、今日はそれで許す」


 昇降口の扉が、ゆっくり開いた。外は明るすぎず、暗すぎず、歩き出すにはちょうどよかった。背後で教育棟の冷たい通路が閉じていく。呼称保管室も、のぞき窓も、先生の文句だらけの矢印も、その奥に眠った。


 でも、名前は残った。


 わたしはくまを抱え、青い線の終わりから一歩外へ出た。遠くの通信塔が、折れた指みたいに空を指している。あそこに何が残っているのかは、まだ知らない。けれど、管理の箱だけが世界ではないと、もう知っている。


 だったら次は、窓の向こうを見る番だ。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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