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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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3/3

くまの落とし物

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

朝、通りのスピーカーはまだくまを探していた。


『第三区画、未回収の育成補助端末を捜索中です』

『発見された方は、刺激せず待機してください』


刺激せず、のところで、くまの腹からくしゃみみたいな電子音が漏れた。古い配線が機嫌を損ねたときの音だ。


「名指しじゃないのに反応するの、やめなよ」


「緊張しています」


「ぬいぐるみが?」


「回収後に分解されない保証がありません」


朝からひどかった。鍋の底をのぞく。豆はもうない。昨日の乾燥いもの繊維が、こびりついて茶色い筋をつくっているだけだ。銀のパウチは二つ残っているけど、あれを開けるたびに、どこかの知らない子の棚から一つ減らしているみたいで、口が重くなる。


窓際の光にくまをかざす。片耳はへたり、背中の縫い目は少し裂け、胸の毛並みだけ妙に擦れていた。いつも手で持つからだと思っていた場所だ。今朝はそこに、別の意味がある気がした。


「ねえ」

「はい」

「あんた、胸になにかつけてたことある?」


すぐには返事がこない。沈黙のあと、くまはいつもの声のまま、別の誰かの文句みたいに言った。


「屋外移送時は、許可表示を確認してください」


「その続きがほしいんだけど」


「欠損しています。残念ながら」


「毎回そこだけ元気に言うね」


屋上へ出ると、おひるねシールドの魚が朝日に薄く透けていた。水受けには夜露がたまり、向かいの屋上では、おばあさんが缶を逆さにして乾かしている。町は乾いているくせに、古い設備だけは子ども向けの絵を忘れない。


「今日は顔がひもじいよ」

おばあさんが言った。


「顔まで見える?」


「鍋を持つ手でわかる」


わたしは肩をすくめる。

「食べ物を探しに行く。ついでに、くまの落とし物も」


「順番としては逆じゃないのかい」


「役に立つ落とし物なら、食べ物がついてくるかもしれない」


「雑な祈りだねえ」


階段を降りる。通りは朝のうちから白く乾き、風が吹くたび砂が靴の中へ入りこんだ。昨日逃げ出した停留所の待合室は、もう何事もなかったみたいな顔で口を開けている。魚の壁。低い椅子。小さな手洗い台。ぜんぶ子どもの高さだ。大人の町なのに、そこだけ別の縮尺で残っている。


待合室の脇に、細い通路があるのを昨日は見落としていた。壁の塗装が剥げ、その下から星の絵がのぞいている。通路の先には丸い小屋がひっそり立っていた。窓は高いのに、取っ手だけ低い。扉の下半分には、手のひらで押した跡みたいな擦れがいくつもついていた。


「感じが悪い」


「親切そうな施設ほど油断なりません」

くまが言う。

「檻もたいてい角を丸くします」


「過激だなあ」


押すと、扉はあっさり開いた。


中はひんやりしていた。古いほこりの匂いに、ほんの少しだけ新しい樹脂の匂いが混じっている。壁の低い棚には絵の印がついていた。くじら、りんご、くも、星。番号じゃなくて絵で区切られているあたりが徹底している。床の低いところだけ、ほこりが薄かった。最近なにかが動いた跡だ。


棚を一つずつ見ていく。りんごには空の箱。くじらには割れたコップ。くもには布の切れ端。星の棚だけ、奥で何かが鈍く光った。


指を差し入れて引っぱり出す。布張りの小さな絵本だった。角は丸く、表紙には黄色い星と、手をつないだ二人の絵。厚紙の中に何か入っているみたいで、振ると小さくからんと鳴る。表紙の端には新しい印字があった。


先月。


背中がじわっと冷える。昨日のパウチと同じだ。廃墟の町で、こういうものだけ先月の日付をしている。


「くま、これ」

わたしが見せると、くまの腹が短く鳴った。


「携行遊具」

声が少し遠い。

「移送前の情緒安定に有効。補助端末と同時携行を推奨……」


そこでまた切れた。


「遊具?」

「たぶんです」

「たぶんで町が動くの、迷惑なんだよね」


絵本を開く。中は魚、雲、靴、太陽。指で触るとめくれる仕掛けがついていて、その最後のページに、薄い樹脂の星型プレートがはまっていた。裏に小さな金具。胸がざわつく。くまを膝にのせ、擦れた胸毛をかきわける。縫い目の間に、細い輪っかが埋もれていた。前からあったのに、いままでただの傷だと思っていたやつだ。


でも、すぐには留めなかった。絵本、星型プレート、くまの胸、昨日から温かい透明の帯。全部がばらばらのまま、頭の中で引っかかる。


「許可表示って、これ?」

「可能性があります」


「可能性で動く設備、嫌だな」


「この町は、かなりそうです」


絵本の角で自分の指を軽く叩く。考える。透明の帯は持ち主を呼ぶ。くまは補助端末と認識される。なら、胸の輪っかは飾りじゃない。連れ出していいですよ、ここにいますよ、そういう目印の置き場だ。昨日は迷子扱い。今日はたぶん、その逆を確かめられる。


「外れたら笑うよ」


そう言って、星型プレートをくまの胸へはめた。ぱちん、と小さく鳴る。驚くほどぴったりだった。


次の瞬間、小屋の床下で何かが起きた。


白い線が足もとを走り、壁際の小さな灯りが順にともる。棚がかたかた震え、頭上じゃなく膝の高さのスピーカーから、やさしすぎる声が流れた。


『同行許可を確認しました』

『おそとセットを用意します』

『移送補助機を呼び出します』


「呼ばなくていい!」


「全面的に同意します」とくま。


星の棚の下から引き出しが前へ出た。中には細いゼリーが三本、塩糖の粉末、薄い帽子、日よけ布。どれも新品だった。ゼリーには小さく、屋外活動用、対象年齢0〜3。


腹がきゅっと鳴る。情けないくらい正直だった。


「罠でも食べ物は食べ物か」

「名言としては弱いです」


ゼリーを袋へ突っ込んだとき、小屋の外で低い羽音がした。ひとつ。続いてもうひとつ。昨日のやさしい声と同じで、親切そうなものほどこちらの都合を聞かない。


『移送経路を確保します』

『迷子防止信号を追跡します』


袋の底で、透明の帯がまた熱を帯びた。青い点が布越しに脈を打つ。あっちもこっちも本気だ。わたしは小屋の入口の外をのぞいた。広場の脇に、ひっくり返った三輪車がある。前輪は曲がり、ハンドルには色あせた黄色い旗。昨日の避難路の先で見たやつと似た子どもサイズのがらくただ。


「くま」

「はい」

「遊具って、設備にも効くと思う?」


「幼体は指示より遊具に従います」


「それは昨日聞いた」


「設備も同程度に単純である可能性があります」


「言い方」


でも、たぶん当たりだ。


わたしは透明の帯を取り出した。熱を持った帯を三輪車のハンドルへ巻きつけ、その上から絵本をひもで縛る。星の表紙が前を向くようにして、黄色い旗も起こす。見た目は最悪だった。迷子対策を真剣にやった結果、全部失敗したみたいな飾りつけになる。


羽音が入口のすぐ前まで来る。


わたしは三輪車を抱えて小屋の裏へ回り込んだ。そこから先、昔の遊歩道だったらしいゆるい坂が見える。白い誘導線はそこをきれいになぞっていた。行先なんて知りたくもないのに、道だけは親切だ。


『こちらです』

足もとのスピーカーが言う。

『あわてなくてだいじょうぶです』


「大丈夫なときにしか言わないでほしい」


三輪車を坂へ押し出す。前輪が一瞬引っかかったので、靴先で思いきり蹴った。がたん、と頼りない音を立てて三輪車が走り出す。黄色い旗が振れ、透明の帯の青が跳ね、絵本の星が朝日にちらついた。


すぐに羽音がそっちへ吸われた。


一機、二機、広場の上にいた小型ドローンがまとめて三輪車を追う。誘導線の先々で灯りがつき、やさしい声が角を曲がるたびに先回りしていく。


『もうすぐです』

『そのままでだいじょうぶです』


「行先があるの、最悪だね」


「とても」


その隙に、わたしは小屋の裏の点検口へ身を滑りこませた。掃除道具と割れたバケツが押しこまれた狭い通路だ。ほこりが鼻につく。袋を胸に抱え、くまを脇へ押し込み、膝で進む。外ではまだ、だいじょうぶです、が繰り返されている。だいじょうぶじゃないものほど、あの声は丁寧だった。


金網を押し開けると、広場の裏の路地へ出た。風がぬるく、砂が壁際で渦を巻いている。羽音は遠ざかり、白い誘導灯も一つずつ消えていった。


「生還しました」

くまが言う。

「かなり上出来です」


「ありがと。あんたの落とし物、だいぶ雑に使ったけど」


「資産運用としては正しいです」


路地の日陰にしゃがみこみ、屋外活動用ゼリーを一本あける。中身は半透明で、押すとにゅるりと出た。口に入れる。最初に缶詰の桃を薄めたみたいな甘さ。すぐ塩が追いつき、最後に消毒液とビタミン剤のあいだみたいな匂いが鼻へ抜けた。


「うわ」

「まずいですか」

「まずくはない。けど、口の中で善人ぶってくる味がする」


くまが少し間を置く。

「長生きしそうです」


半分くらい、一気に飲んでしまった。味の判断より先に、体が受け取っていた。残りをくまの口元へ向ける。


「気分だけね」

「満腹です。私は安価です」


帰り道、交差点の低い端末がわたし達の足もとで白くともった。昨日なら保護だ回収だとうるさかったのに、今日は一度だけ静かに鳴る。


『お気をつけて』


それだけだ。


わたしは立ち止まった。くまの胸の星を見下ろす。古びた毛の上で、新品の黄色だけが妙に鮮やかだった。


「効いてる」


「許可された可能性があります」


「町に、ね」


部屋へ戻るころには、日が少し傾いていた。鍋に水を張り、ゼリーの残りをほんの少し落とす。甘くてしょっぱい匂いが立ちのぼり、食べ物なのか手当てなのか曖昧な湯気になる。向かいの屋上のおばあさんがこちらを見たけど、今日は何も投げてこなかった。わたしも何も言わなかった。胸の星だけで、十分うるさい。


絵本の最後のページをもう一度開く。星型プレートが抜けた跡の裏に、細かい印字が並んでいた。同行者欄、引渡し先欄、時刻欄。ほとんど空欄で、ひとつだけくっきり残っている。


第三区画

予定受入数 一


一、の字だけがやけにはっきり見えた。たった一人ぶんの場所みたいな書き方だ。来る予定が一人いたのか、一人までしか許されないのか、どっちでも気分が悪い。


「くま」

「はい」

「第三区画って、いま小さい子いるのかな」


くまはすぐに答えなかった。窓の外で、魚の影が風に揺れる。ずっと黙ってから、低く言った。


「受入数と実在数は一致しない場合があります」


「そんな答え、どこで仕入れたの」


「たぶん、よくない場所です」


さらに少ししてから、もうひとつ。


「引渡し先未設定」

くまが、思い出すみたいに言う。

「その単語も、私の中で引っかかります」


わたしは絵本の背を裏返した。端に、ごく小さく製造元が刷られている。


中央育成物流庫 第七系統


知らない名前だ。でも、知らないままにしていい新しさじゃない。先月つくられた絵本。先月つくられたゼリー。町のどこかでは、子ども向けの何かだけが、いまも数を数えられている。


鍋をかき混ぜる。湯気が細く立つ。今日は少し食べられる。追跡は少し静かになった。わからないことは、昨日より増えた。でも、足りないものの形が見えてきたぶん、昨日よりずっとましだった。


正解がなくても、次の手は作れる。


「ねえ、くま」


「はい」


「次は、その物流庫を探す」


「私の落とし物が多すぎます」


「役に立つなら上等」


「危険物でもですか」


「そこは先に言え」


外の通りで、久しぶりにやさしい声が落ちた。


『移送中の方は、日差しにご注意ください』


わたしは鍋を見つめた。日差しの心配だけしてくれる世界なら、もう少しましだっただろう。それでも、黙って回収されるより、行先を自分で選ぶほうがいい。


明日は動ける。そう思えるだけの材料が、今日はちゃんと手に入った。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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