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おもちゃのAIとわたし、終末世界だけどなんとかやってる  作者: 堀吉 蔵人


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1/4

こども用フィルムは大人に売らない

お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけると幸いです。

朝いちばんの仕事は、水の音と、豆の数を確かめることだ。


ベッド脇のポリタンクを持ち上げる。軽い。底のほうで、爪の先みたいな水がちゃぷんと鳴った。乾燥豆のびんも振る。こっちはもっとひどい。今日の夜を薄くのばせば一食。明日の分は、明日のわたしに考えてもらうしかない。


「診断します」


枕もとのくまが言った。片目のないぬいぐるみの腹を押すと、少し遅れて声が出る。


「原因は空腹と渇きです。生物によく見られる不具合です」


「便利だね。修理案は」


「食べて飲んでください」


「できたら苦労してないの」


くまを脇に抱えて屋上へ出る。朝の風はまだ冷たくて、頬に刺さる。うちの集水器は、古い看板の骨組みに透明フィルムを張って、夜露を受け皿へ落とすだけの単純な仕組みだ。単純だけど、ちゃんと動けばかなりえらい。


今日はえらくなかった。


中央のフィルムが斜めに裂けていた。鳥のくちばしか、風で飛んできた針金か。裂け目から落ちた露が、受け皿の外をぬらしている。


「終了です」

くまが言う。

「この設備は死にました」


「勝手に葬らないで」


裂け目をつまむ。布テープならある。でも曇る。曇れば露が減る。減れば夜が短くなる。水のない朝は、それだけで世界の感じが少し悪い。


隣の屋上から視線が刺さった。顔を上げると、おばあさんが腕を組んでこちらを見ている。


「またやられたのかい」


「今度はいい感じに真ん中」


おばあさんは返事のかわりに、錆びたクリップを三つ投げてよこした。わたしは二つ受け取って、ひとつ落とし、あわてて拾う。


「端を丸く留めな。角から広がるよ」


「ありがと」


「礼は水が出てからでいい」


そう言って、おばあさんはもう畑のほうへ向いていた。わたしはクリップを握りしめたまま、小さく息をつく。あとで水を一杯、いや半杯かな、と先に勘定が立つ。こういう町だ。


一階へ戻り、交換所へ行く支度をした。銅線の束、死んだ乾電池、外した蝶番、ネジをひと袋。くまは肩掛け袋から顔だけ出す。耳の片方が潰れているせいで、いつも少し怒って見えた。


通りには朝の仕事の音が散っていた。昔は遊歩道だったらしい道は細い畑になり、すべり台には太陽電池板が立てかけてある。消えかけたケンケンパの丸の上を、補修用の台車が何度も通る。信号機の下には、小さな黄色い旗が束でぶら下がっていた。あれだけ妙に新しい。だれも振って歩かないのに、ちゃんと補充されている。


交換所は元スーパーだ。死んだ自動ドアを手でこじ開けると、乾いたほこりの匂いがした。棚のあいだを歩いて、目当てはすぐ見つかった。透明フィルム。赤い札に、育成区画用品とある。薄くて丈夫で、湿気に強い。うちの集水器にぴったりだ。


「今日は何」


カウンターの男は端末から目を上げないまま言った。


「透明のやつ。一巻き」


「だめ」


「銅線つける」


「だめ」


「半分」


「だめ」


そこでようやく男は顔を上げ、札を指で叩いた。


「登録世帯だけ」


棚の奥には、誰にも触られていないみたいにきれいな巻きが何本も並んでいる。わたしの屋上では、露が受け皿の外へ逃げている。


「集水器に使うだけだよ」


「用途は関係ない」


「どうせ余ってる」


男は黄ばんだ注意文の、その下にあとから貼り足された紙を示した。


未登録世帯への払出し不可


紙のすみには、小さな手のひらのマークが三つ。どれも、わたしの手より小さい。


「じゃあ、だれが使うの」


口にした瞬間、近くで缶を選んでいた人の手が止まった。男はわたしを見ず、棚だけ見ていた。


「規定だ」


袋の中で、くまがぼそっと言う。


「提案があります。泣いてください。幼体は泣くことで資源を獲得します」


「今それ?」


「あるいは床で暴れる」


「さらに悪化した」


「効果の高い手段です」


「対象年齢、過ぎてるの」


そう返しながら、胸の奥がちくりとした。言い返したいのは男に対してなのか、棚に対してなのか、自分でもよくわからない。


交換所を出るころには、太陽がかなり上がっていた。透明フィルムはなし。食料も増えていない。帰り道で足が止まったのは、考えたからというより、考えたくなかったからかもしれない。


通りの先に、丸い屋根の低い建物がある。色あせた動物の絵。入口の上の文字は、まだ読めた。


第三保育ドーム


フェンスの一部が外れているのは、前から知っていた。入ったことはない。入る理由がなかった。今日はある。


「不法侵入です」とくまが言う。


「資源探索」


「言い換えは人類の特技です」


フェンスの隙間に体を滑り込ませる。錆が上着にこすれて、赤茶けた粉がついた。


ちょっとだけ胸が速くなる。見つかったら面倒だ。面倒で済む保証はもっとない。でも、屋上で露が逃げる音を思い出す。


「まあ、なんとかなるでしょ」


自分で言ってから、根拠の薄さに少し笑えた。


建物の中はひどく静かだった。砂場だった場所は防塵シートに覆われ、その端からプラスチックのスコップが半分だけ顔を出している。扉を押すと、長いきしみが薄暗い廊下を走った。


小さな椅子がきちんと並んでいた。壁には背の高さを測るシール。うさぎ、きりん、くじら。わたしはなんとなく足を止める。きりんの首の途中に、自分の頭が届く。ここで測る年じゃないのに、そういうことだけはわかってしまう。


床に転がっていた端末が、わたしを感知して弱く鳴った。


『本日の利用者、ゼロ名です』


一拍おいて、もう一度。


『本日の利用者、ゼロ名です』


「念押しがつよいね」


「反復は教育に有効です」とくまが言った。


奥の部屋には低いベッドが並び、その上に透明の覆いがたたまれていた。薄いのに丈夫そうで、端には丸い補強パーツまでついている。魚の絵が泳いでいた。


「当たり」


持ち上げた瞬間、くまが珍しくすぐしゃべった。


「おひるねシールド。やわらかな眠りを、やさしく守る」


「急にちゃんとした説明」


「知っている記憶を引きました。えらいです」


「自分で褒めるんだ」


道具箱には、まだ使える結束バンドと小さいドライバーも入っていた。ポケットへ入れる。帰ろうとして、隣の棚で手が止まった。


布のページが何枚もついた、ぶ厚い絵本みたいなもの。角はやわらかい樹脂で覆われ、動物の顔が縫いつけてある。古びているのに、妙にきれいだった。ここだけ時間が止まっていたみたいに。


「通常ありえない」と、くまが言う。


「なにが」


「保存状態です。丁寧すぎます」


わたしは絵本を開いた。ページのあいだに指を差し込んだ途端、かすれた電子音が鳴る。


『いっしょに かずを かぞえよう』


思わず肩が跳ねた。


くまの声が変わった。いつもの少し遅れた調子じゃない。知らない誰かが、くまの口を借りてしゃべったみたいだった。


「育成補助端末を確認。区域外移送時は許可表示を」


ぶつり、とそこで切れた。


「くま?」


「……わかりません。続きは欠損しました」


でも、絵本の背表紙の内側で、小さな青い点が点滅していた。ぴ、ぴ、と短い間隔で。


その瞬間、外のスピーカーが鳴った。


『第三区画、育成資材の在庫照合を開始します。許可表示のない移送品は申告してください』


やさしい声だった。やさしい声は、だいたい厄介だ。


「今の、これのせい?」


「可能性、大」

くまが言う。

「迷子防止、所在確認、持出し通知。そのあたりの単語が散らばっています」


「絵本が迷子になる前提なんだ」


「幼体は予測不能です」


遠くで低い羽音がした。巡回の小型ドローン。わたしは絵本をひっくり返す。背に細い透明の帯が縫い込まれていて、その先端で青い点が光っている。


「提案があります」とくまが言う。

「絵本を窓から投げてください」


「だめ」


「では火をつけて証拠を消します」


「もっとだめ」


「ドローン本体を棒で叩き落とす案もあります」


「今日はずいぶん物騒だね」


「非常時対応です」


「わたしの非常時対応は、もっと静かにやるの」


絵本本体より、その透明の帯のほうが怪しい。持ち帰るなら、こっちだけ別にしたい。


「帰るよ」


「走行を推奨します」


屋上に戻るころには、羽音が少し近づいていた。時間がない。夕方までに集水器を直さないと今夜の露を逃すし、ドローンに家を覚えられるのも困る。


わたしは古いフィルムを外し、おひるねシールドを骨組みに広げた。魚の絵が空に透ける。結束バンドを歯で引き締めながら、青い点がまた瞬く。


「くま、これだけ外せる?」


「幼体は小さい部品を飲み込みます。なので、簡単には外れません」


「やっぱり子ども向けって、大人にやさしくないね」


「大人に厳しく、子どもにやさしい設計です」


その言い方に、何か引っかかった。交換所の棚。小さな手のひらの印。誰もいない保育ドーム。使われていないのに、捨てられてもいないものばかり。


わたしは小さいドライバーを帯の留め具に噛ませた。硬い。指先が痛い。二回、三回とこじる。金具がずれて、透明の帯がぺり、と一本抜けた。


絵本の青い光は消えた。帯の先だけが点滅を続ける。


「当たり」


「賢明です」


羽音がもう通りの上まで来ている。


わたしは外した古いフィルムのまだ使える端と、防風用の細い骨組みをつかんだ。帯をその先にくくりつける。見た目は最悪。でも風はある。


隣の屋上のおばあさんが、こちらを見て目を細めた。


「今度は何を飛ばす気だい」


「ちょっと、かくれんぼ」


「勝ちな」


借りたままのクリップをひとつ使って、即席の吹き流しを高く掲げる。ちょうど横風が吹いた。破れたフィルムがばさりとふくらみ、青い点をつけたまま、隣家の上をすべって飛ぶ。空き家の並ぶほうへ流れていった。


一拍遅れて、白い小型ドローンが角を曲がる。細い赤い光がこちらをなめて、それからくるりと向きを変えた。流れていく青い点を追っていく。


息を止めて見送る。


三秒。

五秒。

十秒。


羽音が遠くなる。


「勝ちました」とくまが言った。


「引き分けくらいにしとく」


残ったシールドを張り直す。角はおばあさんのクリップで丸く押さえ、古いフィルムの無事な部分を下に重ねる。二重膜になる。風が当たるたび、魚の影がゆらゆら揺れた。


くまがまた、記憶の断片みたいな声で言う。


「幼体は外気を嫌います。二重にすると、機嫌がよくなります」


「露もつきやすくなる」


「用途変更は創意工夫です」


「そういうこと」


夕方の空気が冷えていく。わたしは屋上の縁に座り、くまを膝に乗せた。向かいのおばあさんは、気にしていないふりをまるでせず、こっちを見ている。


最初の一滴が落ちるまで、少し時間がかかった。


でも、落ちた。


澄んだ小さな音がタンクの底を打つ。次も、その次も続く。遅いけど、ちゃんと集まっていく。


「礼を言いに来な!」とおばあさんが怒鳴った。

「水がたまったらね!」


暗くなってから、半カップの水で豆を煮た。薄いスープになったけど、ないよりずっといい。くまは食べないくせに、鍋の前に座る役だけはきっちりやる。


「本日の成果を総括します」

くまが言う。

「眠るための膜で、水をつくりました。見つかるための帯で、見つからないことにも成功しました。褒めてください」


「かなりえらい、くま先生」


「もっと」


「とてもえらい」


「満足です」


窓の外を、さっきとは別の配送ドローンが通った。通りにまた、あのやさしい声が落ちる。


『育成資材の不正移送は確認中です。無許可の保管に心当たりのある方は、明朝までに申告してください』


鍋をかき混ぜながら、わたしは持ち帰った絵本を見た。帯を外した背に、小さな印字がある。


対象年齢 0〜3


今日はじめて見つけたものが、みんなその年齢を向いていた。紙おむつ。低いベッド。おひるねシールド。音の出る絵本。どれも使われた気配が薄いのに、捨てられてもいない。


「ねえ、くま」


「はい」


「この町、ほんとにその年の子、どこにいるんだろうね」


くまは少し黙った。遅れているのか、考えているのか、いつもは区別がつかない。


でも今は、めずらしくまともな声だった。


「君は、会ったことがありますか」


湯気がゆっくり上がる。答えはすぐ出たのに、口にするまで少しかかった。


「ない」


外で、新しい膜が風に鳴る。だれも寝かしつけない部屋から来た膜が、今夜はわたしの水を守っている。


それで少し足りる。


足りないぶんは、明日なんとかする。

お読みいただきありがとうございました。お楽しみいただけたようでしたら、★★★★★評価、ブックマークなどいただけると作者の創作の励みとなります。また次回よろしくお願いします。

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