席替え -誠-
朝起きて、飯を食って、学校に行く。
授業を受けて、家に帰る。ゲームをして、寝る。
たぶん、俺の人生はそれで足りている。
何かを変えたいと思ったこともない。
変わらないことに、不満を覚えたこともない。
毎日が同じなら、余計なことも少ない。
そういう考え方は、もしかしたら少し年寄りくさいのかもしれない。
席替えで「学校一のマドンナ」とやらの隣になったと、隆と健介に騒がれても、正直なところ、実感はなかった。
「お前さ、運だけは妙に強いよな。ステータス極振りかよ」
「ただの確率論だ」
「くー、俺ならこの機会、絶対無駄にしないのに」
「何を無駄にしないんだよ」
「そりゃお前、青春をだな」
「今で十分楽しいだろ」
健介が大げさに肩を落とし、隆が横で笑う。
「まあ、誠は無駄にしない以前に、そもそも動かないからな」
「動く必要がないだけだ」
「それを動かないって言うんだよ」
隆はそう言って、少しだけ俺を見る目を細めた。
「お前、昔からそうだよな。人のこと見てるくせに、踏み込むのは遅い」
「どの話だよ」
「別に。一般論」
「都合のいい一般論だな」
健介が、机に肘をついたままこちらを見た。
「でもお前、ああいう子に興味なさそうだよな」
「興味以前に、よく知らない」
「そこから始めるんだよ、普通は」
「普通は大変だな」
チャイムが鳴った。
隆と健介は、まだ何か言いたそうにしながら自分の席へ戻っていった。
隣の席なんて、せいぜい半年。
普通というのなら、大した交流もなく終わるほうが、普通だ。
よくわからないものに、わかったような顔で近づくのは苦手だ。
近づいていい距離を間違えるのも、嫌だった。
昔、妹の早希に同じようなことで怒られたことがある。
泣いているように見えたから理由を聞いたら、「聞かれたくないから黙ってたのに」と言われた。
慰めるつもりで伸ばした手が、相手にとっては余計なものになることもある。
それ以来、俺は少し待つようになった。
仲良くならなければいけないわけでもない。
話さないことに、意味はある。
だから、今回もそうなると思っていた。
◆◆◆◆◆
翌朝。
いつも通り、ぎりぎりの時間に教室へ入った。
隣の席は、まだ空いている。
鞄から教科書を出して、机に突っ伏す。
チャイムまで寝る。
それが、たぶん一番効率のいい朝の使い方だった。
目を閉じかけたところで、廊下のざわめきが近づいてきた。
「ふぁあ……ねむ」
顔を少し上げる。
教室の入口に、人だかりができていた。
待ち構える女子と、偶然を装って近づく男子。
他クラスの連中まで混じっている。
誰かが名前を呼び、誰かが鞄につけたキーホルダーを褒め、誰かが用もないのに通路を塞ぐ。
その中心を、一人が通り抜けてくる。
背筋を伸ばしたまま、速度を変えずに。
女子には柔らかく、男子には淡々と。
同じ笑顔なのに、返し方だけが少しずつ違う。
器用というより、慣れているんだろうと思った。
慣れなければ、たぶん通れない道なのだろう。
蓮見透。
昨日から俺の隣の席になった女の子。
学校一のマドンナ、という呼び方は隆たちが勝手にしているだけだと思っていた。
入口の様子を見る限り、どうやらそうでもないらしい。
彼女は何人かに短く返事をして、最後に小さく会釈して、人だかりを抜けた。
そして、俺の隣に座る。
「……おはよう、蓮見さん」
隣になる以上、挨拶くらいはしておく。
「おはよう」
短い返事。
それで終わりだと、もう一度机に伏せようとして――視線に引っかかった。
「…………」
顔を上げる。
蓮見さんが、こっちを見ていた。
いや、見ているというより、「観察している」という表現のほうが近いかもしれない。
入口で振りまいていた完璧な笑顔とは違う。
無表情というほど冷たくはない。
何かをじっと探るような、妙に無防備な目だった。
「……何かついてる?」
「え? ……ううん、何も」
昨日も、似たようなことを聞いた気がする。
一応、髪を触る。
寝癖は、たぶん大丈夫だ。
今度こそ寝ようと、視線を外す。
――なのに。
もう見られていないはずなのに、視線だけがそこに置き去りにされたみたいだった。
背中でもなく、顔でもなく。
もっと曖昧なところに、引っかかっている。
気のせいにするには、少しだけはっきりしていた。
横目で確認する。
蓮見さんは、もうこちらを見ていない。
教科書を開いて、いつも通りの、隙のない綺麗な顔をしている。
さっきの探るような顔のほうが、よっぽど不自然で――人間らしかった。
(……まあ、いいか)
考えかけて、やめる。
理由もわからないことを考え続けるのは、得意じゃない。
机に突っ伏す。
その直前、もう一度だけ横目で見る。
蓮見さんは、教科書を開いていた。
姿勢も、表情も、もういつも通りに戻っている。
ただ、さっきの目だけが妙に残っていた。
見られていたというより、何かを確かめられていたみたいな目。
理由はわからない。
わからないまま、俺は机に額を預けた。




