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きみの声だけ、聞こえない ―心の声が聞こえる私の、たったひとつの静けさ―  作者: A
一章 -出会い-

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席替え -透-

 

「おはよー、透ちゃん!」

「おはよう」


 翌朝、校門までの坂道で、最初の声がかかった。


 別のクラスの女の子。

 名前は知っている。

 話したことは、三回。


≪今日も可愛いなぁ。羨ましい≫


 目元を緩めて返す。

 その子は笑顔のまま手を振って、校門の方へ走っていった。


 靴を履き替えると、声が遠のくように歩みを緩める。

 階段の手前で、ようやく一人になれた。


 肩から、力が抜ける。

 鞄の肩紐が、心なしか軽くなった。


 階段を登り、扉を開ける。

 いつも通りの、ざわめき。


「あ、透ちゃんおはよー!」

「おはよう、千佳ちゃん」

「ねえ、昨日の席替えさ。もう二組まで話いってるの、知ってる?」

「……昨日の今日で?」

「そうなの。透ちゃんの隣って、毎回話題の的だよね」


 そう言いながら、千佳ちゃんが苦笑する。


≪でも、氷室君が隣だとあんま意味ないか≫


 ふと、聞こえた声に引っかかる。

 少し悩んで、口を開いた。


「……氷室君って、どんな人なのかな?」

「え? 珍しいね、透ちゃんがそういうこと聞くの」

「……まぁ、二年生になって最初の席替えだしね」

「ふーん。そういわれるとそっか」


 疑問が興味になる前にそれとなく方向を逸らす。

 千佳ちゃんの心に空白が生まれたのを見計らって、再び言葉を重ねた。


「それで?」

「あー、うん。去年同じクラスだった子は、『悪い人じゃないけど、反応が薄い』って言ってたかな」

「……反応が薄い」

「そう。いつも眠そうだし、何考えてるかわかんないって」


 なるほど、と思う。

 それは昨日、私が味わったものとよく似ていた。


 ただ、知りたかった答えはそこになかった。


「まぁ。どちらにしろ次の席替えに期待だね」

「……そうだね」


 笑って返す。

 千佳ちゃんは満足そうに頷いて、自分の席へ戻っていった。


 ようやく自分の席に辿り着いて、椅子を引く。


 隣を見る。

 氷室君は、すでに机に突っ伏していた。

 片腕を枕にして、浅く息をしている。


 ノートを開く。

 教室中から流れてくる声の中で、右隣だけに空白があった。

 吸った息は、どこかひんやりとしていた。




◆◆◆◆◆



 二時間目の始め。

 出ていた陽が雲で隠れて、陰が落ちる。

 前の方の席の女の子が、腕を組むように上げたのが視界の端に映り込んだ。

 

 意識が、そちらへ向く。

 寒いのだろうか。

 その内側を覗き込もうとした瞬間、隣から声が届いた。


「窓、閉めてもらってもいいか」


 一瞬、自分に言われたのだと気づかなかった。

 視線を向けると、氷室君は机に頬杖をついたまま、窓の方を見ていた。

 窓。それから、さっきの女の子。


「……あ、うん」


 私は、左側の窓に手を伸ばす。

 開いていた窓を、ゆっくりと閉めた。

 入り込む風がだんだんと強い音を立て、最後にふっと消える。

 女の子は、しばらくして腕を下ろした。


 氷室君は、もう寝ていた。

 ノートに視線を戻す。

 けれど、シャーペンの先は、しばらく同じ場所に止まっていた。

 

 昨日と同じ姿勢で寝ている横顔を、もう一度だけ見る。

 寝癖は、相変わらず直っていなかった。



◆◆◆◆◆



 放課後。

 校門を出て、駅とは反対の方向へ歩き出した。


 帰りが少し遅くなるだけ。

 そう言い聞かせながら、神社へ続く長い石段を一段ずつ登る。


 寂れた境内には、いつも通り誰もいなかった。

 濡れた葉の匂いが、まだ少し残っている。

 先日の雨が、木の根元に黒い影を作っていた。


 木陰に腰を下ろし、本を開く。

 ページの端が、風で浮いた。

 境内の奥で、葉が擦れる音がする。


 文字を追う。一行。二行。

 けれど、目は何度も同じ場所に戻った。


 閉じられた窓。前の席の女の子。机に突っ伏したままの氷室君。


 栞を挟む。

 本を閉じる。


 明日もまた、私はあの席に座る。

 いつもより斜めに入った栞に、指先が何度も戻った。


 明日も、あの静けさは続いているだろうか。


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