席替え -透-
翌朝。
通学路の最後の角を曲がると、校門までの坂道で、最初の声がかかった。
「おはよー、透ちゃん!」
「おはよう」
別のクラスの女の子。
名前は知っている。
話したことは、三回。
≪今日も可愛いなぁ。羨ましい≫
目元を緩めて返す。
その子は笑顔のまま手を振って、校門の方へ走っていった。
靴を履き替えると、声が遠のくように歩みを緩める。
階段の手前で、ようやく一人になれた。
小さく息を吐く。
鞄の肩紐が、少しだけ軽くなった気がした。
階段を登り、扉を開ける。
いつも通りの、ざわめき。
「あ、透ちゃんおはよー!」
「おはよう、千佳ちゃん」
席に着く前に、もう二回、笑った。
ようやく自分の席に辿り着いて、椅子を引く。
隣を見る。
氷室君は、すでに机に突っ伏していた。
片腕を枕にして、浅く息をしている。
ノートを開く。
教室中から流れてくる声の中で、右隣だけに空白があった。
吸った息は、どこかひんやりとしている気がした。
◆◆◆◆◆
二時間目の始め。
出ていた陽が雲で隠れて、温度が下がった。
前の方の席の女の子が、寒いのか腕をさすっている。
ふと、隣から眠そうな声がした。
「窓、閉めてもらってもいいか」
一瞬、自分に言われたのだと気づかなかった。
視線を向けると、氷室君は机に頬杖をついたまま、窓の方を見ていた。
窓。
それから、前の方の席で腕をさすっている女の子。
「……あ、うん」
私は、左側の窓に手を伸ばす。
開いていた窓を、ゆっくりと閉めた。
冷たい空気が、途中で細く切れる。
女の子は、しばらくして腕を下ろした。
氷室君は、もう寝ていた。
ノートに視線を戻す。
けれど、シャーペンの先は、しばらく同じ場所に止まっていた。
昨日と同じ姿勢で寝ている横顔を、もう一度だけ見る。
寝癖は、相変わらず直っていなかった。
◆◆◆◆◆
放課後。
校門を出て、私は駅とは反対の方向へ歩き出した。
帰りが少し遅くなるだけ。
そう言い聞かせながら、神社へ続く長い石段を一段ずつ登る。
寂れた境内には、いつも通り誰もいなかった。
濡れた葉の匂いが、まだ少し残っている。
先日の雨が、木の根元に黒い影を作っていた。
木陰に腰を下ろし、本を開く。
ページの端が、風で浮いた。
境内の奥で、葉が擦れる音がする。
文字を追う。
一行。
二行。
けれど、目は何度も同じ場所に戻った。
閉じられた窓。
前の席の女の子。
机に突っ伏したままの氷室君。
栞を挟む。
本を閉じる。
明日もまた、私はあの席に座る。
いつもより斜めに入った栞に、指先が何度も戻った。




