Episode05 ワインとチョコラータ
バレンタイン小説。
レナスとヒューズで、本編より少し前のお話。
いつもは書類しか積み上がらない机の上にうずたかく積まれたチョコラータの山。
それを今すぐ炎の魔法で焼き払うか、手にした剣で叩ききりたいという衝動と、レナスは戦っていた。
「……なにこれ」
と彼女が射殺すような眼差しを向けたのは、その机の側で困った顔をしているヒューズである。
「聖ヴァレンティーノの日だから、贈り物らしい」
「贈り物ってこのチョコラータの山が? 今日は恋人同士が愛を確かめ合う日でしょ? あんたこんなに恋人いたわけ?」
レナスの言い方に身の危険を感じたのか、ヒューズは慌てて口を開く。
「最近合コンって奴が流行ってるだろ? あれと一緒に、東の国から新しいヴァレンティーノの習慣が入ってきたらしくて」
「新しい習慣?」
「なんでも、気のある相手や世話になった男性に、女性からチョコラータを渡すのが流行らしい」
「なんで女が一方的に渡さなきゃいけないのよ。それも男に甘い物なんて」
「俺だってそこまでは知らねぇけど、実際流行ってるのは確かだろ」
フロレンティアでも、例年以上にチョコラータが売れていると噂では聞いていた。
それにレナスだってこう見えても女の端くれ、新しい風習の話も耳にした気がする。
だがしかし、町で売られているあのハートのチョコラータが、この男の机の上に置かれているのが彼女は面白くないのである。
「どうしてあんたみたいな奴にみんなチョコラータなんて渡すのよ」
「俺だって驚いてるよ」
「とかいって本当は嬉しいんでしょ!」
「嬉しくねぇよ、朝来たらこんなになってて、仕事どころじゃねぇし」
「嘘! 絶対嘘! あわよくば私に自慢とかしようと思ってたくせに!」
「被害妄想も程々にしろよ」
呆れ声すらも腹立たしいのか、レナスはぷいとそっぽを向いてしまう。
その仕草は年の割に可愛らしいが、ヒューズが感じていたのは愛らしさではなく命の危機だ。
何せレナスの右腕は、剣をガッツリ掴んでいるのである。
「私が先週彼氏にフラれたの知ってる癖に、ホント酷すぎる」
「だから違うって!」
「何が違うのよ、自分の方が異性に大人気だって自慢してる癖に!」
「自慢してねぇよ! ってか、だったらこんな物持ってこないだろ!」
言いながら、ヒューズが慌てた様子で足下の紙袋から何かを引っ張り出した。
筒のようなそれは、机の上に置かれたチョコラータ同様贈り物用の包装がしてある。ただし少々ぞんざいだが。
「まさかあんた、人からのもらい物を私に押しつけようって魂胆じゃないわよね!」
「これは甘い物じゃねぇよ」
いいから開けてみろと言うので、レナスは渋々受け取り包みを裂いた。
途端に、レナスの顔が怒りとは別の意味で赤くなった。
中から出てきたのはワイン。そしてその銘柄に彼女は覚えがあった。
「これ、どうしたの」
「覚えてないのか? 男にフラれた晩、『聖ヴァレンティーノの日に高級ワイン買わせるつもりだったのに』って、お前30回くらい叫んでただろ」
銘柄と値段まで連呼するものだから嫌でも覚えたと呻くヒューズに、レナスは思わずワインを強く抱く。
「かっ彼氏から貰うのがよかったの! 別にあんたから貰っても嬉しくない!」
「俺だってやりたくないけど、酒飲むたびに叫ばれちゃ、さすがにウンザリするんだよ」
だからやると言われて、レナスはもう一度ワインに目を落とす。
「これ、高かったでしょ?」
「前に自分で飲もうと思って買っておいた奴だから、別に気にしなくていい」
だから包み方がぞんざいなのかと納得しつつ、しかし一方でこのワインが酷く値がはる事を知っているので、貰うと素早く掌を返すのも忍びない。
まあ、既に腕はがっちりワインを抱えているが。
「……さすがに、恋人同士でも何でもないのに、こんな高いの貰えない」
と形ばかりは拒否しているが、内心では今すぐにでも飲みたいと思っていることに、ヒューズが気付かぬはずもない。
緩む頬を必死に隠そうとしているレナスに苦笑しつつ、彼は気にするなと繰り返す。
「ステイツじゃ、男性から女性に物を送るのは普通だったぞ」
「でもこんな高い物渡すの?」
「お前には一応世話になってるしな。だからその礼だ」
そう言って優しく微笑まれた瞬間、妙に息が苦しくなったが、レナスはそれを気のせいだと思うことにした。
「……わかった、じゃあもらう」
ただしと、レナスは最後の意地とばかりにヒューズを睨んだ。
「今夜は私に付き合いなさい」
「昨日も一緒に飲んだのにか?」
「ヴァレンティーノに一人でお酒なんて飲みたくないの!」
「キアラと飲めばいいだろう」
「キアラじゃいっぱい愚痴れないし」
「いつも十分愚痴ってるし、そもそも俺はお前の愚痴にウンザリしたから渡したんだぞ」
「でもあんただって飲みたいでしょ、これ」
そう言って差し出されたワインに、ヒューズが僅かに躊躇った。そしてそれを、レナスは見逃さない。
「決まりだから!」
強引なレナスの言葉に、結局今回も折れたのはヒューズだった。
「わかったから、今日は早く仕事終わらせろよ」
「終わらなかったら手伝ってね」
「お前なぁ」
「楽しみにしてるから」
逃げないでよと釘を刺しつつ、レナスはワインを抱いて部屋を出て行く。
部屋に来たときとは打って変わり、酷く嬉しそうなレナスにヒューズはホッと胸をなで下ろした。
「あっそうだ!」
だがそんなとき、立ち去ったはずのレナスが不意に戻ってくる。
「何もお返ししないのはあれだから、これあげる」
そう言ってヒューズに差し出したのは、小腹がすいた時用にとレナスがいつもこっそりポケットの忍ばせている一口サイズのチョコラータである。
「まあ、今更いらないかもしれないけど」
と言いつつ無理矢理握らされたそれは、カルティッリオと呼ばれる占いの紙が入った、バールのカウンターなどでよく見かける安売りのチョコラータだ。
「じゃあ、絶対忘れないでよね」
念を押しながら立ち去るレナスを見おくり、そしてヒューズは貰ったチョコラータの包みを開ける。
Chi cerca trova.
そう書かれたカルティッリオに苦笑しながら、ヒューズはチョコラータを口に放った。
ワインと比べればそのチョコラータはたしかに安物だが、机の上にあるどのチョコラータよりも、ヒューズには価値のある味だった。
【END】
Chi cerca trova.
意味:努力をすれば報いられる
求める者は与えられる