第三十七話 科学の脅威
ヴァルデン帝国駐ジェプニア大使館。
午前の執務室では、外交官たちが届いた新聞に目を通していた。
ジェプニア国内で発行されている新聞だが、帝国の大使館でも主要紙は毎日取り寄せている。
「……何だ、この記事は」
外務担当の書記官が、二頁目を開いたまま声を上げた。
紙面の上部には、大きな見出しが躍っていた。
『日本の工業力は世界の勢力図を塗り替えるか』
「日本?」
向かいの席にいた外交官が顔を上げる。
「ええ。ジェプニアの訪問団が日本で見聞した内容をもとにした社説のようです。日本の科学技術は列強にとって脅威となる、とまで書いてあります」
「大げさな話だな。ジェプニアも、訪問先を持ち上げるのが好きらしい」
書記官は苦笑し、記事を読み進めた。
「鉄道が三分間隔で運行されている……?」
「三分?」
「ええ。都市部では、列車が三分に一本の間隔で発着しているそうです」
「そんな運行が可能なのか?」
「記事にはそうあります。しかも、特別な列車ではなく、日常的な旅客輸送の話だとか」
外交官は新聞を受け取り、該当箇所を確かめた。
「鉄道網が発達している国は珍しくない。列車の本数が多いだけなら、それほどの話でもないだろう」
「私もそう思います。ただ、記事には日本の都市交通、電力供給、工場の生産能力についても記述があります。いずれも、我が国が把握している水準を大きく上回る可能性がある、と」
「可能性、か。実測値もなしに何を言っている」
外交官は新聞を机に置いた。
「軍事技術については何か書いてあるのか?」
「航空機について、写真付きで紹介されています」
書記官が紙面をめくる。
「こちらです」
そこには、翼を後方へ傾けた航空機の写真が掲載されていた。
「この飛行機、ずいぶん速そうな見た目をしてるな」
外交官が何気なく言った。
丁度そのとき、執務室の前を海軍武官が通りかかった。
「おい、ちょうどいいところに。君は航空機に詳しかったな?」
呼び止められた武官が足を止める。
「専門というほどではありませんが、軍用機の知識なら多少は」
「私たちよりは詳しいだろう? これを見てくれないか」
外交官は新聞を差し出した。
「日本の航空機らしいのだが、どう思う?」
武官は新聞を受け取り、写真に目を落とした。
「……後退翼ですね」
「それが何か?」
「高速飛行を意識した設計です。音速を超えることまで想定している可能性があります」
「音速を超える?」
外交官は聞き返した。
「音が伝わる速度ですね。航空機がその速度に近づくと、空気の流れが大きく変わると言われています。機体の設計にも、エンジンにも、従来とは異なる技術が必要になるとか」
「我が国でも研究している話ではないのか?」
「はい。音速突破は、我が国でも研究課題になっています。魔導タービンエンジンの開発も、その先を見据えたものです」
武官は写真をもう一度見た。
「ただ、この翼の形だけで、音速突破を狙った設計だとは必ずしも断定できません。後退翼にはほかの空力上の効果もありますし、機体全体の構造や動力機関も確認する必要があります」
「では、日本の航空機が音速を超えられるかどうかは分からない、と?」
「写真だけでは何とも言えません。しかし、機首にプロペラが見当たりません。少なくとも、我が国で一般的な戦闘機とは違う種類の動力機関を使っている可能性が高い」
外交官は眉をひそめた。
「神聖アルヴェイン王国の魔導噴進機関とは違うのか?」
「それも分かりません。外見だけで同じ原理だとは判断できませんから」
武官は新聞の説明文を読み直した。
「問題は、この航空機が特別な試作機なのか、それとも実際に運用されている機体なのか、という点です」
「記事には?」
「日本では、同様のエンジンを搭載した航空機が軍だけでなく民間の輸送にも使われているとあります」
部屋が静かになった。
軍用機を一機開発することと、航空機を継続的に製造し、運用し、整備する仕組みを国全体で維持することは別の話だ。
仮に日本が高度な航空機を保有しているだけなら、帝国も技術情報を集めて対策を検討すればよい。しかし、その技術を支える産業基盤まで整っているのなら、話は変わってくる。
「……ジェプニアの訪問団は、そこまで見てきたというのか」
「この社説によれば、日本の工業力は一部の先端技術に限られないようです。鉄道、航空、電力、製造業。それぞれが大規模に運用され、相互に支え合っている、と」
外交官は新聞を手に取り、冒頭の見出しを見つめた。
「世界の勢力図を塗り替える、か」
先ほどまでは、誇張された社説だと考えていた。
今も、記事のすべてを信じたわけではない。ジェプニア側が日本との関係を誇示するため、意図的にその力を大きく見せている可能性もある。
だが、列車の運行間隔も、航空機の形状も、具体的な情報として紙面に記載されている。少なくとも、単なる空想として片付けることはできなくなっていた。
「大使に報告しましょう」
武官が言った。
「日本の航空技術について、公開されている情報を集める必要があります。可能であれば、本国にも航空技術部門にもこの写真を送ってください」
「分かった。鉄道や工業生産についても確認を取ろう」
書記官は新聞を畳みかけたが、外交官が手を伸ばして止めた。
「いや、その記事は置いておいてくれ。もう少し読みたい」
外交官は、再び紙面に目を落とした。
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