第1話 契約
「嶺央降りてきて」
僕を穏やかな声で呼ぶ時は、誰かが訪ねてきている時だ。
「はーい」
期待に応え、一応優しく返事を返す。
階段を降りると、しっかりとした作りの背広を着た三十歳くらいの男が玄関口に立っていた。
「あなたの勉強も見てもらえる家政婦ロボットを買おうと思っておりますの、私にはよく分かりませんから嶺央も一緒に見てくださる? ここでは何ですから、どうぞお上がりになって」
テーブルを挟んだ向かいに座った男が、名刺を差し出すと共に一冊のカタログをテーブルの上に置く。
「私、株式会社 高度家庭生活支援システムズ(AHSS)で営業を担当しております。渡辺明と申します」
差し出された名刺にも、会社名と共に営業課長という肩書が書き込まれていた。
「これが、最新型の【自律適応型 家事・育児支援ユニット HAIR-500】です。家政婦AIロボットHousekeeper Artificial Intelligence Robotの頭文字を並べてHAIRシリーズ最新型です」
「外は暑いでしょう。どうぞお召し上がりになって」
普段は指一本動かさないのに、珍しく冷たいお茶を自ら出している。
「あら、このロボットですの!? 『お受験問題から難関大学に向けた学習サポートも充実』って、あなたにうってつけじゃない。この子、医学部進学を目指して帝都第一高に通っておりますのよ」
「あの、有名な進学校ですか? 素晴らしいお子さんですね。それでしたら、我が社のロボットは最適です。身の回りのお世話はもとより、有名進学塾の講師陣のノウハウが詰め込まれており、お子様一人一人に合わせた個人指導が可能になっております」
「それでお値段なのですが、いかほどでしょう?」
やっぱり一番気にしているのは値段だ。
自分の物となると青天井で何も考えずに買ってしまうくせに、こと僕のこととなると極端にシビアになる。
「えーと。500シリーズの値段がこちらです。機能面ではなく、皮膚感覚や容姿によって値段が違います」
パンフレットの一番最後のページが開かれると、顔や体のつくりとともにその特徴が書かれており、目が飛び出るほどの値段が記入されていた。
「顔や皮膚感覚なんて全く気にしませんが? かなりの値段になりますのね」
「この値段は、お買い上げ値段と共に、おこさまがおおきくなられるまで二十年間の無償メンテナンスの料金も含まれております」
「この子は、ご覧の通り高校生ですし、二十年ものメンテナンスは必要ないと思うのですが?」
「そこは、社の方針で長く安心して使ってもらえる様にとの趣旨でして、学習指導だけではなく家事全般もこの一台にお任せできます」
「そうですの……?」
渡辺明と名乗った男はしばらく考え込む素振りを見せた後、声を潜めて一枚のパンフレットを取り出した。
「実は……まだ試作段階で、モニターを募集している最中の機体がございまして……。性能としてはHAIR-1000とは比べものにもならないほどの高性能です」
『帝都大学医学部附属 ニューロ・インフォマティクス研究拠点 共同開発事業
機体名:自律適応型家事支援ユニットHAIR-1000』
大学の医学部との共同開発が大きく謳われたパンフレットが広げられた。
「こちらのユニットでしたら、モニタリング期間中に月に一度ほどスタッフが調整に伺った際、使用感などをヒアリングさせていただくだけで結構です。……先ほどの500シリーズ最安値のモデルから、さらに半額で納入可能となっております」
「あら、そんなにお安いの。でも性能が劣っていては……」
「そこは、全くご心配に及びません。ここに記載されております通り『痒い所に手が届く』まさにそのようなロボットなのです。従来のAIロボットは命令を受けてから行動しますが、このロボットは自ら状況を判断して動きます」
「勝手に動くということですの?」
「生活習慣やご家族のちょっとした仕草などを読み取り、ロボットの方からお声がけして先回りするのです。その実例がこちらにございまして……」
パンフレットをめくった先には、「コーヒーをお持ちしましょうか?」などと、ロボットが先回りして語りかけているイメージ図が描かれていた。
「家事全般も任されますの?」
「それはもちろんです。500シリーズのあらゆる面を進化させております。……ご覧ください、帝都大学医学部附属 ニューロ・インフォマティクス研究拠点との共同開発だからこそ実現した最高峰のモデルです」
「あら、あなたの目指している大学じゃない!」
目指してもいないし、僕が今までに残してきた成績では到底合格は無理だ。
「そうでしたか、優秀なお子様で……。その共同研究の成果として、最高ランクの家政婦の十名分の経験とスキルがインプットされております。もちろん、個人のプライバシーに関わる記憶データは全て消去されておりますのでご安心ください」
「ふうん、そうですの。……もう難しい話は私には分からないから、嶺央あなたが聞いておくのよ。気に入ったら、それで申し込んでいいから」
もう完全に興味が失せたようだ。
営業マンの前で取り繕っていた猫なで声が剥がれ落ち、ぞんざいな素の口調が漏れている。
立ち上がりざま、こっそりと僕の膝の上にブラックカードを無造作に落とし席を立っていく。
値段さえ安ければ何でもいいのだろう。
それに、誰かに家の仕事を全て押しつけられさえすれば。
さらに、やっかいな息子の家庭教師まで……。
「契約はあなたがすませておいて。保護者の署名が必要だったら持ってきて」
リビングの横に置いてあるパソコンで、新作の海外ブランドバッグを物色しながら、見向きもせずに言い放つ。
渡辺が熱心に補足説明を続けているが、もうその声は僕の耳には届かない。
この時点で購入を断った後の、いつもの変貌を見たくない。
「……では、このHAIR-1000をお願いします。支払いはこれで……」
僕は渡辺に向き直り、黒光りするカードを静かにテーブルの上に滑らせた。
「ありがとうございます! ご契約者様のお名前は……」
「僕の名前で、大丈夫でしょうか?」
「問題ございません。はい、こちらへご記入をお願いいたします。それから、この保護者様同意欄にお母様のご署名をいただければ手続き完了となります」
言われた通りにペン先を走らせ、パソコンの前に書類を持っていってサインをもらった。
セールスの男を玄関まで見送る。
「本日はどうもご成約、誠にありがとうございます。納品の際は専属の技術者も同行いたしますので、ご不明な点がございましたら何なりとお尋ねください。では、お母様にもよろしくお伝えくださいませ」
男は満足げに何度も頭を下げ、貼り付けたような営業スマイルを浮かべて去って行った。




