表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第1幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/20

第2話 王女は赤を脱ぐ

「リア様、お誕生日おめでとうございます!」


ローゼリアはその声に、必死に焦点を合わせようと瞬きをした。


視界に広がるのは、赤く染まった世界ではない。ピンクゴールドのカーテンが薄く透け、大きな窓から眩い朝の光が差し込む自分の部屋だ。


「ミレイユ……?……ルカは?──ルカリウスはどこにいるの?」


突然の問いに、ローゼリアの髪を梳いていたミレイユの手が止まった。


「扉の外側で、お着替えが終わるのをお待ちでございます」


視界が、少しずつ現実へ焦点を結ぶ。金の装飾で縁取られた鏡の中に、真紅のドレスを纏ったローゼリアがいる。ゆるやかに巻かれた赤髪、宝石に縁取られた胸元。翡翠の瞳だけが、死を記憶したまま静かな光を宿している。


(ルカは、生きている……の?……あれは、夢だった……?いや、違う)


夢ならよかった。けれどあの体温の消え方を、夢と呼べるほど鈍くはない。右手首の奥で、熱いものが脈打っている。今は見えない赤い痣が、皮膚の下で息をするように。


ローゼリアは鏡の中に映る自分の姿に視線を向けた。


(……このドレス)


去年、あの男に贈られた赤。記憶と現実が重なり、思考が追いついてくる。


(──時間が、巻き戻った)


ローゼリアは、はっとして左手を見る。薬指には、まだ何もない。婚約者に刻まれた緑の薔薇は、まだどこにも咲いていなかった。


(まだ、間に合う)


今すぐルカリウスの元へ走り、生きているのを確認したい。なのに、この赤が震えを誘う。


「リア様……大丈夫ですか?」


「……ドレスを着替えたいわ」


予想もしていなかった言葉に、ミレイユの手がわずかに止まった。


ローゼリアは自分でドレスの紐をほどく。この赤を、一秒でも早く遠ざけたかった。


宝石を散りばめた赤が、絨毯へ滑り落ちる。花模様のラグの上で、赤がゆっくりと広がった。甘く整えられた部屋の中で、その色だけが毒のように浮いて見える。


「この色の気分ではないの」


「黒がいいわ」


(──あなたの色に)


「かしこまりました。昨日届いた新作をお持ちいたします」


ミレイユが一礼して衣装室へ向かう。衣装室の扉が開く音がして、すぐに黒いドレスが運ばれてきた。丁寧な手つきで身体へ重ねられていく。


深い夜の色が、そっと肌を包んだ。赤よりも重く、静かで、深い──そしてルカリウスが纏う色。


「黒はまた一段と……リア様を輝かせますね」


鏡に自分の姿を映し、ローゼリアは柔らかく微笑んだ。


「ええ。こちらの方が──」


(吸血族の王女らしいでしょう?)


続きを、張り詰めた息と一緒に飲み込む。この一日を越えれば、運命は再び同じ夜へ堕ちていく。それだけは、許さない。


(まずは、この婚約を止める)


それが最初の一手。止められなければ、また赤い雪の夜を繰り返す。ルカリウスが、死ぬ。


「……ルカ?そこにいるんでしょ」


(今度こそ、ルカを選ぶ)


低いノックの音が天井へ跳ね、戻ってくる。扉が開くと同時に、朝の空気に混じって影が入り込んだ。


気配だけで、ローゼリアの呼吸が止まった。黒尽くめの男が、一歩、部屋へ踏み入れる。


銀髪は光を孕み、淡い紫の瞳は夜の底を静かに隠していた。少し長めの前髪から覗く鋭い視線が、ローゼリアを静かに射抜く。その姿を見た瞬間、胸の奥がきつく締めつけられた。


(ああ──生きてる)


たったそれだけで、瞼の裏がじわりと熱くなる。死の記憶が、体温として戻ってくる。


「……ルカ」


名前を呼ぶだけなのに、呼吸がうまくできない。想いが込み上げてきて、何から言葉にしたら良いかもわからない。


「……どうかしら?」


(そんなことが聞きたかったわけじゃないのに……)


ルカリウスは一定の距離で止まり、首を少し傾けた。いつもより長く、視線だけで黒いドレスを辿る。


「……黒ですか」


甘く低い、重力のように沈んでくるルカリウスの声。獣のような鋭い視線が鎖骨から足元へ滑る。


黒い絹に重なるダマスクローズ。その奥に沈むホワイトムスク。さらに深い場所から、熟れたワインみたいな濃い血の香り。


ルカリウスは目を細めると、空気を吸い込むみたいにゆっくりと息をする。その瞬間だけ、飢えが静かになるのを見た気がした。


「王女が黒を選ぶときは、何かを切り捨てるときだ」


紫の瞳が、静かにローゼリアを捉える。


わずかな変化に気づくところも、どうしようもなく胸がきゅっとなる。目の前の男を愛しむように、自然と笑みが零れる。


(あなたの色に、合わせたのは気づいたかしら?)


「似合うかどうかを聞いているのよ」


「……見た目だけなら、この国で一番じゃないですか」


口角を上げ軽い口調で言うルカリウスに、ローゼリアは一歩、近づいた。


(──あと一年)


その数字は祈りではない。死刑宣告の期限だ。


「今日は静かですね──誕生日なのに浮かれてない」


ルカリウスの視線が首筋に落ちる。理性で整えた声の裏で、微かに感じる喉の奥の渇きの音。その渇きは、吸血族の飢えとは少し違う。もっと根深くて、もっと欠けている何か。


(この渇きを、私が埋める)


「ルカリウス・レヴァイン」


「私の──愛人になりなさい」


ルカリウスの喉が動いた。飲み込んだのは息か、衝動か。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ