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第九話 迷惑の応酬

 ノクト・ソラリアにとって、前夜の騒動で露わにした、彼の人生観を揺るがすほどの苛立ちは、すでに「処理済み」の事務作業に過ぎなかった。

 彼の聖域である塔の自室に、忌々しい「GAME OVER」の文字を刻んだ元凶の正体は、魔王軍四天王の氷のコレクター、レイラ。

 彼女に向けた極めて事務的な警告文を込めた「氷の伝書鳩」を送り届けさせたことで、ノクトの脳内ではこの一連のストーカー騒動は「バグ報告と修正依頼」として完了していた。


 彼は今、背もたれに古代エルフ族の秘術が施された特注の椅子に深く身を沈め、目の前の巨大なモニターに映し出された『帝国興亡記IX』のロード画面を眺めている。

 快適な引きこもりライフを維持するためには、いかなる邪魔も許されない。

 レイラという害虫に対しては、「これ以上、俺のゲーム環境を汚染するなら、社会的に抹殺する」という、彼の理性に基づく最大限の警告を与えた。

 それで十分だ。

 彼女は賢い魔族だ、この警告を無視するはずがない。

「さて、続きだ。アップデートされたAIは、この程度でフリーズしないだろうな」

 ノクトはポテトチップスの袋を魔術で開封し、指先一つで操作盤を起動させた。

 平穏を取り戻した彼の世界に、一寸の曇りもないはずだった。彼の脳内の世界は、完璧な静寂に包まれていた。


 一方、遥か北の凍土に築かれたレイラの氷の城。

 ノクトの指示通りにアイリス分隊のジーロスが精緻な魔法で転送させた「氷の伝書鳩」は、レイラの私室、凍結されたコレクションが並ぶ広間の窓際に、カランという澄んだ音を立てて着地した。

 レイラは、その美しくも冷酷な顔に、初めて動揺の色を浮かべた。

 伝書鳩は、彼女の魔法によって作られた魔力回路を精巧にコピーしたもの。

 それを、敵であるはずの聖女が返送してきた、という事実は、彼女の想像力を刺激した。

「まさか……アイリス様からの、お返事……?」

 彼女は愛おしむように、氷の鳩を両手で受け取った。

 鳩の内部に込められたノクトからのメッセージは、彼女の脳内に直接、そして冷徹な機械音のように響き渡る。

『レイラ。貴殿の行為は、王都のマナ通信網に著しい干渉を引き起こしている。これは、聖女アイリスの業務遂行に重大な支障をきたすため、速やかにその行為を停止すること。』

 ノクトの意図は、あくまで「業務命令」であり、「警告」だった。

 しかし、レイラの脳内では、その事務的な文章は、完璧な「ファンレターへの返信」として、驚異的なまでにポジティブに誤訳された。

「ああ……ああ! なんて、奥ゆかしい方なの、アイリス様は!」

 彼女の白い頬が、一気に紅潮する。

 ノクトが込めた感情のない文章は、彼女には「美しく咲く花にも、人知れぬ苦悩がある。私の愛が、貴方の業務の邪魔になっているのではないかと、謙虚に心を痛めている」という、極めて詩的な意味に変換されたのだ。

「業務に支障……フフ、ならば、業務の邪魔にならないようにすればいい。私の愛は、決して止まらない。だが、配慮はするわ。そして、この愛に応えるためにも、さらに美しく、さらに大胆な『贈り物』を捧げなければ」

 レイラの瞳は、もはや狂気に満ちたコレクターのそれではない。

 それは、恋に落ちた芸術家が、女神(ミューズ)への献身を誓うときの、熱烈な輝きを放っていた。

 彼女は歓喜に震えながら、次の行動をエスカレートさせることを固く決意した。


 王都、アイリスの自室。

 騎士団の警備が強化され、噴水の氷像が撤去された後、アイリスは一時の平穏を得ていた。

 ノクト()への報告と警告文の転送という「任務」を完了したことで、事態は収束に向かうと信じていたのだ。

 だが、その期待は、真夜中、再び裏切られた。

 アイリスが眠りについた頃、王城全体を包むマナ通信網に、断続的で、しかし前回の比ではない規模の強いマナ干渉が発生し始めた。

 その魔力は、冷たく、そして美しく、王城の夜空を不気味な青白い光で照らしている。

 アイリスは飛び起き、恐る恐る窓の外のバルコニーへと視線を向けた。

 そこに繰り広げられていたのは、芸術という名のテロだった。


 彼女の部屋の窓の遥か外側、空中に、レイラの魔法によって生み出された、無数の氷の人形たちが、まるでワイヤーに吊られたマリオネットのように、静かに浮遊していた。

 それらの人形は、男女のペアで、優雅な衣装を纏い、月光の下でワルツを踊っている。

 その群れの中心には、一人の美青年を模した氷の人形がいた。

 彼は、小さな氷のヴァイオリンを肩に当て、セレナーデを奏でている。

 音はない。

 だが、彼の魔法が、ヴァイオリンの弦の代わりに、夜空の冷たい空気を震わせ、人間の耳には聞こえない、しかし心を直接揺さぶる不気味な和音を、王城全体に響き渡らせていた。

 そして、その氷の人形たちが踊る空中舞台の観客席として、王城の屋根や尖塔に、精巧な氷の動物たちが、行儀よく整列して座っていた。

 ライオン、鷲、そして小さな鳥まで。

 それらは全て、レイラの魔法によって遠隔操作されている、新たな監視用ユニットだった。

「……また、始まった……!」

 アイリスの顔から、血の気が引いた。

 美しさの裏に潜む、この悪意のない「過剰な贈り物」は、前回よりも遥かに過激で、そして、彼女の心に恐怖を植え付けた。

 だが、この行動が何を意味するのか、彼女自身には皆目見当がつかなかった。

 ただ、巨大な悪意なき力が、自分を包囲しているという、本能的な恐怖だけがあった。

 時を同じくして、塔のノクトの部屋。

 ノクトは、再び「GAME OVER」の文字を叩きつけられていた。

「…………な……ぜ、だ……ッ!」

 彼のモニターに表示されたエラーメッセージは、『通信障害発生。マナ通信網の過剰な揺らぎを検知。システム保護のため、強制的に電源(マナ)を遮断します。』という、これまで見たこともない致命的なものだった。

 レイラの魔法は、アイリスの部屋の窓の外という、王城の最も高い空中で展開されている。

 その結果、彼女の強大な魔力が、王都全体のマナ通信網の中枢を直撃し、ノクトの完璧なゲーム環境を、前回以上の規模で破壊していたのだ。

 ノクトは、怒りで体を震わせた。

 事務的な警告文を無視して、ストーカー行為をエスカレートさせた、レイラの理解不能な思考回路。

 そして、その迷惑な行動が、自分のプライベートタイムとデータを、無慈悲に踏みにじったという事実。

『新人! 聞こえるか! 今すぐあの女を止めろ! 何をしているんだ、あの女は!』

 彼の怒鳴り声が、アイリスの脳内に、雷鳴のように轟く。

 アイリスは、窓の外で優雅にワルツを踊る氷の人形たちと、絶叫するノクト()の声に挟まれ、涙目になりながら、必死に報告した。

(か、神様! 彼女は、あなたの警告を……「ファンレターへの好意的な返事」だと誤解したようです! そして、その愛に応えるために……業務の邪魔にならないように、空中で、セレナーデを奏でさせているようです!)

『は……?』

 ノクトの思考が、一瞬、完全に停止した。

 自分の完璧な論理と合理性をもって書かれた警告文が、「好意的な返事」に。

 そして、その結果が、「空中での迷惑行為」という、あまりにも非合理的な、最悪の形で返ってきたという事実。

 それは、彼にとって、ラスボスとの激戦よりも遥かに理解不能な、世界の理不尽だった。

 ノクトは、頭を抱え、一瞬でレイラの思考の非合理性と、この行動の意図を完全に解析した。

 ノクト()の声が、アイリスの脳内に、冷酷な結論として響く。

『その過剰な贈り物は、単なる見せ物(パフォーマンス)ではない。「私の愛は、あなたの業務の邪魔にならないように、舞台をあなたの部屋の外側、空中へと移動させました」という、ストーカーからの、狂気に満ちた「愛の宣言」だ。そして、その裏には「私の配慮を評価しろ」という、傲慢な要求が隠されている』

 アイリスは、ノクト()の冷徹で正確な解析を受け取り、窓の外の美しいが不気味な光景の意味を、完全に理解した。

 それは、彼女という存在に対する、独占と所有の欲望であり、彼女が抱いた恐怖は、ノクト()の解析によって狂気の真実へと変貌した。

『……あの女、万死に値する。』

 ノクト()の声は、もはや怒りを通り越して、絶対零度の静けさを帯びていた。

 彼の快適な引きこもりライフは、完全に、そして理不尽に破壊された。

 彼は、もはやこのストーカー騒動を、単なる「不具合(バグ)」として処理することはできない。

 アイリスは、窓の外の迷惑なセレナーデと、脳内に響く冷たい殺意の波動に挟まれ、ただただ、この事態を収束させるために、ノクト()の「社会的に抹殺する」という過激な計画に、同意せざるを得ないことを悟った。

 迷惑の応酬は、まだ始まったばかりだった。

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