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第三十一話 二つの心臓

 半壊した幻の舞踏会場。

 その中央で、三つの試練を乗り越えた英雄たちが、再び一堂に会していた。

 プライドをズタズタにされ、怒りに震えるミストが姿を消し、彼が作り上げた壮麗な幻術空間は、まるでメッキが剥がれ落ちるように、元の、しかし凍りついたままの大広間の姿へと戻りつつあった。

「姉御! ご無事で、何よりであります!」

 ギルが、闘技場での興奮冷めやらぬ様子で、アイリスの元へと駆け寄る。

 その巨体は、戦いの熱気で湯気を立てていた。

「ご安心ください! 姉御を悩ませた試練の一つは、このギルが、テオ殿との完璧な連携で、粉砕しておきましたぞ!」

「ひひひ…! ああ、全くだ。俺様の知恵と、旦那の筋肉。最強のコンビだったぜ」

 テオは、ギルの後ろで、黒い氷の破片が詰まった袋を大事そうに抱えながら、満足げに頷いていた。

「アイリス! 君も、無事だったようだね! 聞いてくれたまえ!」

 興奮した様子で駆け寄ってきたのは、ジーロスだった。

 彼の目は、新たな芸術の発見に、狂的なまでに輝いている。

「僕は、ついに理解したのだよ! 真の美とは、計算され尽くした調和の中だけにあるのではない! 予測不能な『偶然』、すなわち混沌の中にこそ、究極の芸術は宿るのだ! この方向音痴のエルフが、僕にその真理を教えてくれたのだ!」

「えへへ…」

 天才芸術家から最大級の賛辞(という名の壮大な勘違い)を送られたシルフィは、自分が何を成し遂げたのか全く理解しないまま、氷の薔薇を手に、ただ嬉しそうに微笑んでいた。


 仲間たちの、いつも通りの、そして全く噛み合わない凱旋報告。

 アイリスは、その混沌の中心で、リーダーとして、そして神の駒として、静かに次の指示を待っていた。

 三つの試練は、終わった。

 だが、この狂気の舞踏会は、まだ終わってはいない。

 レイラの存在が、それを証明していた。

 怒りに我を忘れたミストとは対照的に、レイラはまだ、大階段の上で、静かに、そしてうっとりと、アイリスを見つめていた。

 ミストのゲームが終わった今、舞台は再び、彼女一人のものとなったのだ。

「素晴らしいわ、アイリス様。貴女は、あのロジック狂のくだらない遊びにさえ、完璧な答えを導き出した。その輝き、その気高さ…! ああ、私のコレクションに、いよいよお迎えする時が来たのですね…!」

 レイラの青白い魔力が、再び広間全体を支配し始める。

 気温が、さらに数度、下がった。


 その時だった。

 アイリスの脳内に、これまでにないほど冷静で、そして確信に満ちたノクト()の声が響いた。

『―――新人。よくやった。お前たちが奴らの茶番に付き合っている間に、こちらの解析も完了した』

 ノクトは、アイリスたちが試練をこなしている間、ただ待っていたわけではなかった。

 彼は、この狂気の舞踏会を支える、二人の魔力が複雑に絡み合った結界の構造そのものを、神の領域から解析(ハッキング)し続けていたのだ。

(神様! 解析が、終わったのですか!?)

『ああ。結論から言おう。この巨大な結界は、二つの物理的な「錨」によって、この空間に固定されている。いわば、このクソゲーを動かしている、二つのサーバーの核だ。そいつを同時に叩けば、この悪趣味な劇場は、幕を閉じる』

 ノクトは、アイリスたちがそれぞれの試練に挑んでいる間、ただゲームのコントローラーを握っていたわけではない。

 彼は、この舞踏会場という名の、ミストとレイラが作り上げた巨大なプログラムのソースコードを、一行一行、解析していたのだ。

 彼は、この空間全体を、一つの閉ざされたネットワークとして捉えた。

 レイラの氷結魔法は、物理的な法則を書き換える「OSオペレーション・システム」。

 ミストの幻術魔法は、その上で動く、見た目とルールを司る「アプリケーション」。

 そして、その二つを動かすためのエネルギー供給源、すなわち「電源ユニット」が、この空間のどこかに必ず存在するはずだった。

『奴らの魔法は、確かに強力だ。だが、その性質は正反対。氷と幻、静と動。本来なら、決して交わることのない二つの魔力が、この限定された空間で安定していること自体が、不自然なのだ。つまり、それぞれの魔力を安定させ、増幅させるための「中継器」が存在するということだ』

 ノクトの思考が、アイリスの脳内に、再び、広間の立体マップを投影する。

 そこには、無数の魔力の線が、まるで蜘蛛の巣のように張り巡らされていた。

 そして、その無数の線が、たった二つのポイントへと、明確に収束していくのが見て取れた。

『まず、ミストの幻術魔法。奴の魔力の流れは、全て、あの舞台の奥にある、巨大なパイプオルガンへと収束している。奴は、オルガンのパイプを増幅器として使い、その音色に乗せて、この空間全体の幻術をコントロールしているのだ。オルガンが、奴の魔力の源だ』

 ノクトの言葉と共に、マップ上のパイプオルガンが、虹色にハイライトされる。

 ミストは、自らの芸術的演出に酔いしれるあまり、最も分かりやすく、最も芝居がかった装置を、自らの魔力の中枢として選んでしまっていたのだ。

『次に、レイラの氷結魔法。奴の魔力は、この広間の天井に吊るされた、あの巨大なシャンデリアに集中している。あの無数の水晶片を、魔力のレンズ兼中継器として利用し、絶対零度の冷気を、この空間の隅々まで行き渡らせている。シャンデリアが、奴の魔力の源だ』

 今度は、天井の巨大なシャンデリアが、青白くハイライトされた。

 レイラもまた、自らの美学に基づき、最も美しく、最も華やかなシャンデリアを、その狂気の愛の源泉として選んでいた。

 オルガンと、シャンデリア。

 舞踏会を彩る、最も華やかな二つの装飾品が、この狂気の舞台を支える、魔力の心臓部だったのだ。

(これを、破壊すれば…!)

『そうだ。だが、並大抵の攻撃では傷一つ付かんぞ。二つの魔力が、互いを守るように、複雑な防御結界を形成している。ミストの幻術が物理攻撃を逸らし、レイラの氷が魔法攻撃を吸収する。破壊するには、二つの心臓を、寸分の狂いもなく、同時に貫く必要がある』

 ノクトの解析は、完璧だった。

 彼は、この理不尽なゲームの、唯一の攻略法を、ついに見つけ出したのだ。

 その声には、長大なデバッグ作業を終えたプログラマーのような、疲労と、そして確かな満足感が滲んでいた。

 ついに、勝利への道筋が見えた。

 アイリスの表情に、希望の光が宿る。

 彼女は、仲間たちに向き直り、神の神託を、そして反撃の狼煙を上げようと、力強く、口を開いた。

 だが、その声が、言葉になることはなかった。

 彼女の、そして、塔にいるノクトの計算を、ほんの僅かに、しかし決定的に上回る「不確定要素」が、この盤上には、まだ残されていたのだから。

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