第二十話 最終決戦の決意
国王主催の「魔王討伐祝賀記念舞踏会」の開催が布告されてから、王城は奇妙な熱気に包まれていた。
表向きは、英雄たちを称え、民の不安を払拭するための盛大な祝祭。
しかしその裏で、二人の魔族の歪んだ芸術的野心と、引きこもりの神の私怨が渦巻いていることを知る者は、ごく一握りしかいなかった。
アイリス分隊の作戦会議室は、舞踏会を数日後に控え、緊張と混沌が同居する空間と化していた。
「罠だと分かっている舞踏会に、わざわざ正装して乗り込むなど、馬鹿げているであります!」
激情のギルは、腕を組み、不満を隠そうともしない。
彼にとって、敵の土俵で優雅に踊ることなど、戦士の誇りが許さなかった。
「ノン! ギル、君は何も分かっていないね」
光輝魔術師ジーロスが、どこから取り出したのか、豪奢なデザインのタキシードの型紙を広げながら、優雅に反論する。
「戦いとは、常に美しいものでなければならない。敵が用意した舞台であろうと、我々が主役として、その舞台を支配すればいいのだ。見てごらん、この僕がデザインした衣装を! 純白のシルクに、光魔法を編み込んだ金の刺繍! これを纏った僕が舞踏会に現れれば、それだけで一つの芸術が完成し、敵の醜悪な企みなど浄化されてしまうだろう!」
「ひひひ…ジーロスの旦那の言う通りだぜ。こいつは、ただの罠じゃねえ。絶好のビジネスチャンスだ」
不徳の神官テオは、招待客リストを片手に、指を鳴らした。
「国王主催の舞踏会だ。国中の貴族や大商人が集まる。そこで俺たちが奴らを魅了すれば、『聖女アイリスファンクラブ』の株はストップ高間違いなし! ついでに、有力者たちに恩を売って、新しいビジネスの契約を取り付けてやるぜ」
「舞踏会…お料理は、美味しいのでしょうか…」
エルフの弓使いシルフィだけが、いつも通りの、純粋で少しずれた関心事を口にした。
仲間たちの、あまりにいつも通りで、全く噛み合わない議論を聞きながら、アイリスは深いため息を押し殺した。
彼女の脳内には、数日前から、日に日に増大していくノクトの苛立ちの波動が、ノイズ混じりで流れ込み続けていた。
(神様は、この状況をどう打開するおつもりなのだろうか…)
彼女の不安は、現実のものとなっていく。
舞踏会の開催日が近づくにつれて、王城には目に見える変化が現れ始めていた。
国王の「最も豪華で、最も芸術的な一夜を」という、狂気じみた号令の下、王城全体の警備体制が、異常なレベルで強化されていったのだ。
城壁には、普段は起動されることのない古代ルーン文字の防御結界が幾重にも張り巡らされ、城内には、侵入者の魔力を探知するための魔術的なセンサーが、蜘蛛の巣のように張り巡らされていく。
表向きは「主賓である英雄たちを、万が一の事態から守るため」という大義名分。
だが、その実態は、ミストの幻術によって歪められた国王の命令が、レイラの魔力と結びつき、王城そのものを巨大な鳥籠へと変貌させているのだった。
そして、この過剰なまでの警備魔法の強化は、最悪の副作用をもたらした。
王都全体のマナ通信網に、大規模な通信制限がかかり始めたのだ。
その、最大の被害者は、言うまでもなく、王城の最も高い塔に引きこもる、一人の「神」であった。
「―――なぜだ」
ノクト・ソラリアは、特注の椅子の上で、信じられないものを見る目で、目の前の巨大な魔力モニターを睨みつけていた。
彼が心血を注いでいる超大作シミュレーションゲーム『帝国興亡記IX』。
そのオンライン対戦モードで、彼の最強騎士団は、格下のプレイヤーが操る農民兵の一団に、今まさに蹂躙されようとしていた。
「なぜ、俺のコマンドが反映されない…! 三秒前に出したはずの『全軍後退』の命令が、なぜ今頃…!」
モニターの右上には、無慈悲な赤いアイコンが点滅している。
『通信環境が不安定です。推奨環境を下回っています』
彼の神域のプライベート回線が、まるで黎明期のダイヤルアップ接続のように、断続的な遅延を繰り返していた。
王城の警備魔法が強化されるたびに、通信制限は厳しくなる。
特に、多くの貴族や騎士たちが活動する夕方から夜にかけての時間――すなわち、彼にとっての一日で最も重要な「ゴールデンタイム」――の通信状況は、壊滅的だった。
「くそっ…! またフリーズした! このタイミングで…! 敵の総大将に、最後の魔法を叩き込む、まさにその瞬間に…!」
画面は完全に静止し、彼の最強魔道士ユニットは、敵の矢の一斉掃射を浴びて、なすすべもなく光の粒子となって消えていく。
彼の二百時間を超えるプレイ時間が、ギルドの仲間たちの期待が、そして何よりも、彼の神聖なるゲームライフが、理不尽な通信障害によって、無慈悲に踏みにじられていく。 モニターに映し出された、屈辱的な「YOU LOSE」の文字。
静寂が、部屋を支配した。
ノクトが、ゆっくりと、コントローラーを床に置く。
次の瞬間、アイリスの脳内に、これまでのどんな激情とも比較にならない、絶対零度の怒りの波動が、雷鳴となって轟いた。
『―――新人。聞こえるか』
その声は、あまりに静かだったが故に、恐ろしかった。
(は、はい、神様…! ご命令を…!)
『舞踏会は、いつだ』
(三日後の、日没後でございます…)
『そうか。その時間帯は、王城の警備魔法が最大出力となり、マナ通信網は完全に遮断される、と』
ノクトの言葉は、淡々とした事実確認のようだった。
だが、その水面下では、マグマのように煮えたぎる、純粋な私怨が渦巻いていた。
『俺のゴールデンタイムに…通信制限だと…?』
ゴゴゴゴゴ…と、地鳴りのような怒りの波動が、アイリスの精神を直接揺さぶる。
『あの二人…万死に値する』
ノクトは、もはや言葉を飾ることさえしなかった。
世界の危機でも、人類の平和でもない。
ただ一つ、自らの快適な引きこもりライフを、彼の神聖なネトゲ環境を、完全に破壊したという、その一点において、レイラとミストは、彼の中で「混沌の神」をも超える、絶対悪として認定されたのだ。




