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第十話 王都の混乱

 氷のワルツが、夜の帳を切り裂き、王都の空を支配してから、すでに数夜が経過していた。

 アイリス自室の窓外で、夜ごと繰り広げられるレイラの「愛のセレナーデ」は、その美しさと、それを支える常識外れの魔力によって、ついに王都全体を巻き込む大騒動へと発展していた 。

 王都の住民は、当初、その光景を「聖女様への、謎の芸術家からの献上品」と称賛していた。

 夜空に浮かぶ氷の人形たちの優雅なワルツ、耳には聞こえないが、魂を直接揺さぶるような冷たい和音。

 それはあまりにも幻想的で、神聖な奇跡のように映った。

 しかし、この「芸術」の副作用は、日を追うごとに、人々の生活に明確な影を落とし始めた 。


 レイラの強大な凍結魔法は、王都を巡るマナ通信網の主要な中枢である王城の結界の、最も高い位置で展開されている。

 その結果、通信網の揺らぎは増大し、魔術師たちが使用する通信魔法の誤作動や遅延が頻発し始めたのだ。

 王立魔術学院では、学生たちが使用する訓練用の転移魔法陣が、転送先を誤るという事態が相次いだ。

「ぐあああ! 転送魔法の座標がずれた! 私は今から図書室に行くはずだったのに、なぜかトイレにいる!」

「私など、錬金術の講義中に、突然、城壁の上空十メートルに転送されてしまいましたわ! 落下防止魔術でなんとか助かりましたが、単位は落としそうです!」

 学院はパニック状態となり、名誉顧問のジーロスは「この醜悪なマナのノイズが、僕の芸術的インスピレーションを汚す!」と、怒りの光魔法でノイズの元凶を打ち消そうと試みたが、その光は氷のバリアに吸収され、虚しく消えていった。

「僕の美学を否定するレイラ…! 君の氷は、技術的には美しいが、その内包する狂気が僕のパッションに反する!」

 ジーロスの個人的な美学と、レイラの異常な執着が、王都の魔法技術を麻痺させ始めていた。


 騒動は、貴族や大臣たちにも波及した。

 遠方の領主との間で交わされる魔力通信による機密文書の転送は、ノイズによって文字化けし、機密事項が誤って第三者に送られるという事故が多発した。

 特に財務大臣のボードワン卿は、怒髪天を突く勢いで国王執務室へと乗り込んできた。

「陛下! この異常事態、いつまで放置されるおつもりですか!」

 ボードワン卿は、胃を押さえながら、血の滲むような訴えをした。

「我が財務省が、辺境伯と交わした税制改革に関する最重要の魔力通信文書が、なんとテオ神官の『聖女様ファンクラブ』へと転送されてしまいました! このノイズ、もはや国家の危機でございます!」

 テオはテオで、思いがけない国家機密を手に入れたことに、目をぎらつかせていた。

「ひひひ…! まさか国家機密が、ゲットできるとは! こいつは最高のビジネスチャンスだぜ! 財務大臣の弱みを握るってのは、原価ゼロの超優良商品だ!」

 彼は早速、その情報を元手に、商工会との交渉をさらに有利に進めようと画策していた 。


 そして、王城の衛兵隊。

 騎士団長アルトリウスは、連日の胃痛で、もはや顔色が土気色になっていた。

「まさか、一人のストーカーのせいで、王城の警備魔法がここまで不安定になるとは…! 結界の出力は低下し、夜間の巡回魔法もエラーを吐き続けている。このままでは、城が外敵から無防備になってしまう!」

 その騎士団の受難に、元・魔王軍幹部のギルは激昂していた。

「団長殿! なんと情けないことを! 姉御にちょっかいを出す不埒な輩がいるならば、このギルが力ずくで叩き潰せばいいであります! 聖女様への忠誠心があれば、多少警備魔法が壊れたところで、問題なし!」

 ギルは、力任せに城壁を殴りつけ、その揺れで衛兵詰所の天井を一部崩壊させた。アルトリウスの胃痛は、さらに悪化する 。


 王都全体が、レイラの「愛の芸術」によって、機能不全に陥りつつあった。

 この異常な魔力の変動は、王城の最高権力者である国王レジスの耳にも、そしてアイリスの脳内の「神」にも、連日、事態の深刻さを告げていた。

 アイリスは、王城の最奥にある国王の執務室を訪ねた。

 国王レジスは、頭を抱え、机の上に散乱した文字化けした魔力通信の束を前に、深いため息をついていた。

「陛下。神様は、このレイラというストーカーの行動は、単なる迷惑行為ではなく、王都のマナ通信網の中枢を狙った、意図的な『妨害工作』だと断言されています」

 アイリスは、ノクト()の分析を、感情を排した声で伝えた。

「神様は、もはや彼女を単なる『不具合(バグ)』として処理できないと判断されました。このままでは、魔力通信の不全によって、王国の統治そのものが危機に瀕すると。つきましては、事態を解決するため、神様の『社会的に抹殺する』という過激な計画に、同意するしかないという結論に、私は至りました」

 アイリスの顔は、苦渋に満ちていた。しかし、彼女は知っている。

 ノクト()の「社会的に抹殺する」という言葉の裏には、「自分の快適なゲーム環境を取り戻す」という、強烈な動機と、それを達成するための緻密で完璧な計画があることを 。

「社会的に抹殺…」

 国王は、その物騒な響きに、顔を引き()らせた。

 だが、このままレイラを放置すれば、国政は麻痺する。

「…分かった。アイリス。私は、お前の、そして『神』の判断を、黙認する。ただし、決して死人は出すな。…ノクト()の、強大な力が暴走し、国を危機に陥れるなど、あってはならない」

 国王は、己の弟の理不尽さに、心の中で涙を流しながらも、この国最大の危機を回避するため、苦渋の決断を下した 。


 その夜。

 アイリスは、自室に戻り、ノクト()からの通信を待った。

 窓の外では、レイラの氷の人形たちが、さらに数を増し、王城の壁際ギリギリで、より扇情的なワルツを踊り続けている。

 ノクト()の、快適な引きこもりライフを破壊したレイラへの怒りは、すでに臨界点に達していた。

 アイリスの脳内に、ノクト()の、憤怒に満ちた絶叫が響き渡る。

『新人! あの女、さらに魔法の出力を上げやがったぞ! 俺の特注回線にも、致命的なノイズが侵入し始めた!』

 レイラの魔法は、ノクトの塔の結界をすり抜け、彼の超高性能ゲーム機に、二度目の、そして決定的な致命傷を与えていた。

 ノクト()の絶叫は、私怨の極致に達した、冷たい殺意の波動だった。

『…俺の……俺の、データが…! あのクソ女め…! 俺のゴールデンタイムを、完全に破壊しやがった!』

 彼の声は、怒りのあまり、一瞬途切れ、そして、恐ろしいほどの静けさを帯びて響いた。

『レイラ。あの女、万死に値する。もう、温情は無い。俺の計画を、直ちに実行に移す。…最高のゲーム環境を取り戻すため、奴を完膚なきまでに叩きのめし、社会的に、そして精神的に抹殺する!』

 アイリスは、窓の外の狂乱の空中演劇と、脳内に響く絶対的な殺意の波動に挟まれながら、この事態が、もはや個人の迷惑行為のレベルではない、王国の存亡と引きこもりゲーマー()の尊厳を賭けた、史上最大の「ゲーム」へと変貌したことを悟った 。

 彼女の、長くて平穏とはほど遠い戦いは、ここから、さらに激しさを増していくのだった。

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