表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣と魔法と引きこもり2 ― 聖女と迷惑なストーカーたち ー  作者: 神凪 浩
第一章 英雄たちの混沌(カオス)な日常
1/33

第一話 聖女の憂鬱

 混沌の神による理不尽な「世界の初期化(リセット)」が阻止され、救国の英雄たちの活躍によって、大陸に一応の平穏が戻ってから、早数ヶ月が過ぎた。

 人々は英雄たちの本当の戦いを(大部分を誤解したまま)称え、未来への希望を語り、王国はまばゆいほどの活気を取り戻している。

 だが、その世界の中心で「救国の聖女」として祭り上げられたアイリス・アークライトの心は、分厚く、そして重たい鉛色の雲に覆われていた。

「まあ、聖女アイリス様! 本日のお召し物も、まるで暁の女神のようで、わたくし、目が眩んでしまいそうですわ!」

「先日、我が領地で開かれた討伐記念の式典では、素晴らしいお言葉を賜りまして、領民たちも涙を流して喜んでおりましたのよ。オホホホ…」

 王城の西棟、陽光が降り注ぐ壮麗なテラスで開かれた貴婦人たちのお茶会。

 アイリスは、完璧な淑女の笑みを顔に貼り付けながら、内心では深いため息をついていた。

 目の前には、宝石と見紛うばかりの美しいケーキと、湯気を立てる高級な茶葉。

 そして、中身のない賛辞を、まるで呼吸でもするかのように吐き出し続ける貴婦人たち。

(…胃が、痛い…)

 これが、今の彼女の日常だった。

 魔王を「浄化」し、神との問答にさえ打ち勝った救国の英雄。

 その威光は絶大で、今や王侯貴族たちは、彼女を神聖不可侵の存在として崇め奉っていた。

 お茶会への招待、記念式典でのスピーチ、新作のドレスの試着会…。

 騎士としての訓練や任務とはかけ離れた、華やかで、息の詰まるような日々が延々と続いている。

 何より彼女を苦しめているのは、この平和が、一つの巨大な「嘘」の上に成り立っているという事実だった。

 自分が英雄なのではない。自分の脳内に語りかけてくる、あの不遜で怠惰で、とてつもなく面倒くさがりな「神」が、全てを成したのだ。

 その真実を、彼女は誰にも打ち明けることができない。

 民衆が信じる完璧な「聖女アイリス」という偶像と、本当の自分とのギャップが、日に日に彼女の心を蝕んでいた。

「アイリス様は、本当にお強いですわよね。あの魔王軍幹部たちを、たった四人で打ち破られたとか」

「それに、あの恐ろしい魔王ゼノス様を、たった一言で改心させてしまわれたのでしょう?」

(…強くなどありません。私はただ、神様の言う通りに動いていただけ…)

 心の中の悲痛な叫びとは裏腹に、彼女は「皆様の平和を願う祈りが、私に力を与えてくれたのです」と、百点満点の答えを返す。

 その時だった。彼女の脳内に、久しぶりに、あの懐かしい(そして忌々しい)声が響いた。

『…新人。緊急クエストだ。街の南の商店で、本日より三日間限定で「海竜のうろこ味ポテチ」が発売された。一刻も早く入手せよ』

 それは、もはや神の威厳など微塵もない、ただの同居人のような、あまりにも俗っぽい指令だった。

 「神」は、今や、アイリスを便利なパシリとしか認識していないようだった。

(…はいはい、限定品の海竜のうろこ味ですね…!)

 アイリスは、完璧な笑みの下で、ぐっと奥歯を噛み締めた。

 貴婦人たちとの当たり障りのない会話をどうにか終えると、彼女は執事にこっそり頼んでおいたポテチの袋を受け取り、足早に国王の執務室へと向かった。

 これが、今の彼女の、最も重要な「任務」の一つだった。


 国王レジス・ソラリア。

 この国で唯一、アイリスが「神」との繋がりを打ち明けている人物である。

 もちろん、その「神」が誰なのか、彼女は知らない。

 だが、国王陛下ならば、天上の神々と交信する手段をお持ちなのだろうと、彼女は固く信じていた。

「陛下、お持ちいたしました。本日の『献上品』にございます」

 アイリスが恭しく差し出した庶民的な菓子の袋を、国王レジスは、心底申し訳なさそうな、そして胃が痛そうな顔で受け取った。

「おお、アイリスか。いつもすまないな…。その、なんだ…。『神』も、無理ばかり言って、すまない…」

「いえ、これも私に与えられた、重要な任務ですので」

 国王は、遠い目をした。

 彼はもちろん知っている。

 この「神」が、天上の存在などではなく、城の塔に引きこもる、自分のどうしようもない弟、ノクトであることを。

 そして、この国一番の功労者である聖女が、その弟の限定ポテチのお使い係と化しているという、あまりに理不尽で、あまりに情けないこの現状を。

 それを、彼はただ、黙認するしかなかった。

 世界の秘密を守るため、そして何より、下手に刺激して弟の機嫌を損ね、また世界が危機に陥るのを避けるために。

「して、アイリスよ。先日の、貴族議会からの縁談の話だが…」

「陛下。何度もお断りしているはずです。私は、まだ一人の騎士として未熟な身。そのような話は、分不相応にございます」

「だがな、アイリス。お前はもう、ただの騎士ではないのだ。救国の英雄として、その血を、次代に繋ぐという責務も…」

「失礼いたします!」

 アイリスは、国王の言葉を遮ると、逃げるように執務室を後にした。

 英雄としての責務。

 その言葉が、今の彼女には何よりも重く、そして痛かった。

 彼女は、誰にも見つからないよう、王城の片隅にある小さな庭園へと駆け込んだ。

 そこは、彼女が唯一、一人になれる場所だった。

 噴水の縁に腰を下ろし、空を見上げる。

 どこまでも青く、澄み渡った空。

 あの、無限の空間で、混沌の神と対峙した時も、こんな空だっただろうか。

(私は、本当に、このままでいいのだろうか…)

 英雄であることの憂鬱と、パシリであることの理不尽さ。

 二つの感情に挟まれながら、彼女は、ただ、静かに、時の流れに身を任せることしかできなかった。

 彼女の、長くて平穏とはほど遠い一日は、まだ、始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ