第八話―少女と石操兵―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
太陽の陽光が降り注ぐ昼下がり。
多種多様な植物が生育し、その植物群が織り成す豊かな自然の中で多くの動物が息づいている。
小鳥は喜びを囃し立て、鳥は自然の秩序を歌う。
緑色に色づく山は生命の息吹に満ち、この山の新たなる主のことを噂にして歌っているかのようだった。
当の本人としては、あくまで仮の住処として身を寄せているだけなのだが、動物たちは自分達の棲む山へ舞い降りた不吉なほどに力強く、そして神霊力の匂いを濃く纏った存在に対して慄きながらも、敵意や殺意どころか怒りや恨みの感情を一切感じさせない存在に対し、困惑すると共にある種の期待を込めて静観していた。
レーゼ山は遥か昔に死火山となり、その上通常は土中に含まれている火山特有の成分を、先の盟主である魔龍レグイアの地形管理によって毒素を抜かれていた。
そしてレグイアの死後、主戦場となった山の内部にある龍洞は立ち入りが忌避とされ、人間と魔物の躯が供養されることもなくそのまま打ち捨てられていた。そのような不浄な場所を内包していれば、本来ならこの山は草木が生えず、原生の野生動物も棲まない湿地帯だらけの山となり、屍死者や怨霊が跋扈する死霊山と化してもおかしくない状況だった。
しかし、今も昔も変わる事なくレーゼの山は穏やかだった。
何故そう在れたのか。
それを今まで知っていたのは、そこに棲む動物たちだけだった。
◆
龍洞の入り口を囲む小さな広場。
その場所が見える木漏れ日から、鳥たちが賑やかに歌っていると、龍洞の中から一人の少女が出てきた。
出てきたのは、初めてここに来たときに着ていた清楚な白いワンピースとは違って、今は村娘らしい素朴な色合いの服を身に纏っているのは、レイテ村に住む働き者の兄妹の妹であるトリアだった。
先ほどまで洞窟内で掃除をしていたせいか、服は所々薄汚れている。
しかし、その顔には楽しそうな笑顔を浮かび、今は手に箒ではなく一枚の丸められた洋紙が握られていた。
陽光の差す広場に出てきたトリアは、広場の中央付近にある供物台の横に鎮座している高さ二メートルほどのドラゴンの石像に一礼した。
そんな少女を追うようにして、龍洞の中から二つの人影が姿を現す。
のそりと出てきたそれは陰影こそ人型をしていたが、人ではなかった。
身の丈が三メートル近くあり、丸太のように太い四肢と巨木のような体はよく磨かれた黒曜石で作られ、何よりも目を引くのは首から上に乗っかっている竜頭だった。
供物台横に鎮座しているドラゴンの石像に比べると、顔の造形がやや簡素であるものの、王都の石像職人でも作るのに四苦八苦しそうな造形ではある。
クロウシスによって作られた竜頭の石操兵は、その材質が石であることを感じさせない動きで歩き、白骨化した遺体を載せたカートを押して出てきた。自重によって歩くたびに僅かな震動が起こるが、様子を見ていた小鳥たちは怖がる様子もなく、自ら飛んできて石操兵の肩に乗り『ピピピッ』と可愛らしい声を上げて鳴いていた。
二体の石操兵を先導するように歩くトリアは、丸めて手に持っていた洋紙を広げて紙面に視線を落とした。
簡易的な文字と図で書かれたそれは、遺骨をこれから埋葬する場所と既に埋葬されている場所について、簡単な読み書きしか出来ないトリアでも分かるようにと、イーゼルが作成したものだった。
龍洞からやや離れた山道を超えると、周囲の木々が無くなって背の低い草が生い茂る緩やかな斜面に出る。そこでは三体の石操兵がシャベルと鶴嘴を手に埋葬用の穴を黙々と掘っていた。
人間では掘るのに苦労する硬い断層でも、ゴーレムたちは軽々と掘って深い墓穴を作っていく。
手に持っているイーゼル手製の埋葬計画書と目の前にある穴を交互に見た後、トリアは頷いて後ろを振り向いた。その振り向いた先には、見上げるほど大きな竜の動く石像。
初めて見た時は、兄のトイトの背に隠れてしまうほどに怖かったが、石操兵は悪意や敵意を放つことが一切なく、子供である自分の指示にも従順にしたがってくれる様を見る内に、トリアも段々とゴーレムという存在に慣れていった。
「えっと、こちらの石操兵さんはあっちのゴーレムさんが掘ってる穴に遺骨を埋葬して下さい。もう十分深いと思うので。あ、ガサーって落としちゃダメだよ? それでこっちのゴーレムさんは、そっちのゴーレムさんが掘ってる穴にお願いします。あーえっと、貴方の掘っている穴は深すぎるかも……ちょっとだけ埋めて欲しいかも。……あっ! 違う違うっ! 貴方じゃなくて、そっちの……えっと」
まったく同じ姿形をしている石操兵は見分けが一切付かず、更に通常は魔法による念話に近いもので指示をするのだが、村娘であるトリアにはそのような素養があるはずもなく、常に『あっちの』や『こっちの』という曖昧な識別を指差しで行っているため、ゴーレムたちもこの小さな指揮官がどの個体に対して指示を出しているのかが不明瞭であり、時々一体への指示を二体が履行しようとしたりし混乱が生じていた。
自分の指示が覚束ずに齷齪とトリアがしていると、不意に背後から声を掛けられた。
『トリア=リーデ。石操兵への指示が上手くいかないのか?』
「ふひぃーッ!!」
突然掛けられた声に奇声を上げて体が僅かに飛び上がってしまい、硬直した体をそのままに首だけを後ろ振り替えろうとして、余計にぎこちない動きとなって油を差していない機械のような緩慢さでトリアが後ろを振り向くと、そこには先ほどまで上の龍洞前にいたはずのドラゴンを象った漆黒の石像が忽然と現れていた。
「レグイ――じゃなくて、クロウシス様」
幼い頃から教えられてきた龍洞の主の名を反射的に呼ぼうとしたが、すぐに思い直して教えてもらった新たなる龍洞の主の名を口にした。
年寄りたちの中には、レグイア以外のドラゴンがあそこに棲む事を複雑に思う者もいたようだが、命を救われた時に見上げた姿を思い出すだけと、それだけで胸が高鳴るほどに荘厳で敬い祀り奉るには十分過ぎるほどの存在だとトリアは思っていた。
「あ、あの……皆さん同じ顔で同じ姿をされているので、私のような学の無い人間には見分けることが出来なくて……すみません」
申し訳なさそうに頭を下げるトリアの向こう側では、指示を受けた石操兵三体が運んできた遺骨を埋めたり、埋葬用の墓穴を掘るのを継続したりしている。そして指示対象が曖昧で混乱した二体のゴーレムが大気状態で佇んでいた。
『トリア=リーデ。お前は問題なくやっている。指示を受けた石操兵たちは速やかに行動している。魔力を持たぬ者が指示をしようとすれば、このような事態が起こることもよくあることだ。気にする必要は無い』
思いがけず掛けられた温かな言葉にトリアが目を白黒させていると、石像の眼がぼうっと光ると作業をしていた石操兵たちが手を止めて、トリアの後ろに横一列で整列した。
『トリア=リーデ。好む色はあるか?』
「え? あの何を……? あっ! 色は白が好きです……」
戸惑いと不安はあるが恐怖はなかった。
魔道師のイーゼルもそうだが、この石像を介するドラゴンからも『凄み』は感じられても、嫌な感じ――いわゆる高圧的な雰囲気を感じることがない。
地方を治める役人は得てしてそういう人物が多かっただけに、トリアのような小娘でもそういった感情の機微を察して感じ取ることには優れていた。
だからこそ、思わず聞き直してしまったが、それでも質問にも答えてしまっていた。
『白か。そういえば、最初にここへ来た時も白い服を着ていたな』
自分のような取るに足らない村娘の着ていたモノを覚えてくれていたことが意外だった。そんなことを考えていると、後ろに佇んでいた石操兵たちが光に包まれていることに気付いて、眩い光りに気圧されて僅かに後ずさると、その光はすぐに収まった。
「わぁ……っ」
収まった光の先に佇む石操兵たちは、先ほどまでとは様相がまったく違っていた。
先ほどまでは全ての個体が全身余すことなく、自身を構築している素材である黒曜石の黒一色だったが、今はその体表に白い紋様が浮かび上がり、禍々しくない程度に意匠された紋様は無骨だった漆黒の石像に若干の華美さと個性をもたらしていた。
まったく同じように白い紋様で装飾された五体の石操兵たちだったが、その頭に生えている一対の角だけが五体それぞれに『白、黒、赤、青、緑』という五色の色分けがされていた。
『文字の読み書きが出来ると言っていたな。ならば、この意味も分かるな?』
「は、はいっ! これだと別々に呼んであげれます!」
一般的な農民は読み書きが出来ない者も少なくはないのだが、トリアはトイトと共に村長であるヨイテルに初歩的な読み書きが出来るように指導を受けており、トリアは良い嫁になれるようにとヨイテルの紹介で村の近くに住む元貴族の婦人の元に行儀見習いとして、週に何度か作法や言葉遣いなどの指導を受けていた。
「えっと、黒さんと白さんはこことここの穴掘りを続けて下さい。赤さんはこっちの穴がちょっと深すぎるので、他の二つの穴と同じくらいの深さにして下さい。青さんと緑さんは今運んできた遺骨を埋葬して下さい。一つ一つ手に取って、割れたり折れたりしないように扱いましょう!」
テキパキと指示を飛ばし、自らも手伝うべく遺骨が満載されたカートの元へ行こうとして足を止め、振り返ると気後れや遠慮のない、尊敬と感謝の念を込められた笑顔でクロウシスの意思を代行する石像に向かって、背筋を伸ばしたまま腰を曲げて一礼をした。
「クロウシス様っ! ありがとうございます!」
そして素早く上体を起こして白を基調とした紋様が描かれ、角に色分けがされた石操兵たちの元へと駆けて行った。
◇◆◇
ほんの僅かに前までは、古き死によってもたらされた生きる者が窒息しそうなほどの静寂に包まれていた洞窟の中は、今は数十人の村人と十数体の石操兵があっちこっちで動き回っていた。
龍洞内に無数に転がっていた戦死者たちの埋葬は今日で目処が付く予定で、今までは村の仕事もあることから交代制で埋葬作業に来ていた村人たちも、今日は村の約半数が洞窟内で作業に当たり、残りの半数は村の仕事をこなしながら今夜行われる予定の鎮魂祭に向けての準備を行っている。
千を越える人間の戦死者と、数はその半分程度だが、モノによっては見上げるほどの巨躯を誇る原生動物の遺骸を僅か七日で片付けられたのは、一重に村人たちの献身的な労働とクロウシスが作り出した石操兵による働きが大きい。
人間では十数人がかりでようやく押せるような朽ちた大砲を、石操兵が一体で軽々と持ち上げて運ぶ様を見た時は、村人たちは一様に呆然としていた。
その上、疲れ知らずで働き続けれる上に、遺骨や遺骸に対しても忌避することなく接し、精神状態の問題すらもなく働く様はまさに理想的な労働力として、『石操兵』の名に恥じぬ働きを遺憾なく発揮していた。
されど村人たちも任せっきりというようなことはなかった。
元々償いをしたいという気持ちがあったからこそ、進んで数百年に渡って放置された兵たちの御魂を労わるべく、蜘蛛の巣や堆積した砂や埃を払いながらの作業となった。
村人の意向を酌んだイーゼルがクロウシスに掛け合い、当初は三百体いた石操兵を半数の百五十体に減らして作業を行い、最初の数なら三日で住むところを七日掛けて行ったわけだが、村人に言わせれば通常なら二月掛けても終わるか分からないものだった。
なので予定よりも速やかに、そして問題なく埋葬が終えられそうなことに人々は安堵していた。
レイテの村に住んでいる者は一日に何度もレーゼ山を見ることになり、その度に先祖を守ってくれていた偉大なるドラゴンが小国の連合国によって討ち滅ぼされ、その供養どころか龍洞への立ち入りさえも許されなかった。
しかも年に何度か抜き打ちで龍洞に対する調査が行われ、村人たちが龍洞に入った形跡がないかを確認されていた。
それ故に二百年ほど前に辺境から流れてきた屍霊術士が龍洞に目を付け、その死者を弄ぼうとした際に当時の近衛兵上がりの村長がその屍霊術士を討ち取り、このようなことが行われないようにと禁を破り、せめて龍洞の入り口部分だけはと埋葬を行ったのだが、それを知った連合国の王たちは激怒し、クリントス王国に対して三国で圧力を掛けて村長を処刑に追いやったとされている。
今その禁を堂々と破る大義名分を得て、村人たちは長年にわたって募らせてきた心の引っ掛かりを取り外し、それによって得られた解放感を満喫するかのように嬉しそうに体を動かしていた。
日々を生きる糧を得る為に、毎日身を削って働いている人々にとって本来の仕事を滞らせることは、生活と仕事に小さくない影響を与えることは間違いない。しかし、それでもレイテの人々は新たなるレーゼ山に連なる龍脈の盟主が帰還――否、誕生したことを喜んでいた。
片付けに関してもっとも手こずり、そして一番主な作業箇所となった場所。
太古に行われた討伐戦――防衛戦における主戦場となった場所であり、龍洞内でもっとも広大な面積を誇っていた大広間。
七日前まではおびただしい死体と屍骸と残骸が所狭しと転がっていたが、今はキレイに整地され直した白亜の石床が広がり、穿っていた床も、崩れていた階段も、全て石操兵たちが補修して禍々しくも黴臭かった古戦場は荘厳さすら感じる美しい広間になっていた。
今はもう呼吸するのに魔法による防護膜を必要とすることもなく、イーゼルは両腕を抜いたローブの両袖を腰で結んだ状態で、インナーである黒いシャツの上で円環の状の不思議なペンダントが歩くたびに揺れていた。
かがり火が随所に焚かれて煌々と照らされる大広間を歩いていくと、入り口付近で作業の指揮をしているノソっとした男の姿を見つけて、イーゼルは気軽な口調で声を掛ける。
「シグ。奥の間はほとんど終わったんだけど、こっちはどうよ?」
「あぁ、イーゼル様。こっちも終わりが見えてきましたぜ。盟主様がお貸しくださった石操兵のおかげで、本当ならひとでのいる作業がすぐに終わりましたんで」
「おう、旦那も洞窟内に蔓延っていた悪霊が大人しくなって本を読むのに気が散らないって喜んでた」
「それは嬉しい御言葉ですなぁ」
シグと笑いながらも、イーゼルはクロウシスに感謝していた。
本来なら悪霊如きどんなに騒ごうが、クロウシスが本を読む片手間で、それも一瞬の内に龍洞内にいる全ての悪霊を根こそぎ浄化することが出来るだろう。
だが、クロウシスは敢えてそれをせずに村人たちが献身的に埋葬と供養をすることによって、悪霊たちが自ら浄化、あるいは騒ぐのを止めるのに任せていた。
だからこそイ-ゼルは何の気後れや後ろめたさを持つことなく、シグたちのやったことがクロウシスにとって役に立ち、その結果を喜んでいることを伝えることが出来るのだ。
「それはそうと、今夜の鎮魂祭。本当に俺も言っていいのか?」
「えぇ、勿論でさぁ。我らレイテの者たちと盟主様の橋渡しをして下さっている魔道師様を歓迎しようと、村の者たちも張り切っております。ぜひとも来てやってくだせぇ」
「マジか……いかん、涎が」
そう言って子供のようにシャツの袖で口元を拭うイゼールの姿に、シグを含め周囲の村人たちが和やかに笑った。そのままイーゼルが村人たちとしばらく談笑していると、外へと続く洞窟から複数の重い足音が聞こえて視線をやると、そこから不思議な一団が現れた。
先頭を歩くのは小さな少女。
村長のヨイテルやシグと共に、最初にこの龍洞へと訪れた兄妹の片割れである、トリア=リーデ。
その後ろから、他の石操兵たちとは風貌がまったく違う五体のゴーレムたちが列を為してトリアに従って歩いてきていた。
ある意味、かなり異様な光景であり、シグを含めた村人たちは驚きで言葉を失っていたが、イーゼルだけが目を輝かせてトリアに駆け寄った。
「おいおいおいおい! 何だよこの格好いい石操兵たちはっ! え? 識別が大変だから困ってたら旦那がやってくれた? なんだよぉ……清純で純朴な村娘には甘いのか、あの黒龍御大。いやいや! そんなことがどうでもいいんだよっ! それよりこの専用機的な色分けと、他のゴーレムにはない鮮やかな外観は羨ましいし、実にけしからんな!」
興奮気味に捲くし立てるイーゼルに驚きつつも、トリアが少し誇らしそうに、そして恥ずかしそうに微笑んでいると、五体の石操兵たちを見回していたイーゼルがチラりと背後の村人たちを見る。
村人たちは困惑しながらも、今のイーゼルの言葉で大体の経緯は分かったようで、戸惑った表情でトリアと石操兵たちを見ていた。
そういった視線に気づき、若干戸惑いを見せるトリアに対してイーゼルはポンとその肩に両手を置いた。
「なぁ、トリアちゃんよ。頼みがあるんだけど……」
「……何でしょうか、イーゼル様」
突然のことに驚きつつも聞いてきたトリアに対し、イーゼルは子供のような笑みを浮かべて顔の前で両手を合わせ、お願いとばかりに頭を下げる。
「この石操兵。一体俺に譲ってくれないか? 出来ればその青いのがいいんだけど」
「え……?」
思い掛けない頼みに対し、トリアは戸惑った。
譲るに何も、そもそもトリアは作業の助けとしてこの石操兵たちを任されただけであり、クロウシスによって専用のカラーリングまでしてもたったわけだが、それでも決して自分のモノであるなどと自惚れた勘違いをしてはいなかった。
だが、イーゼルの口振りでは今この石操兵たちの所有権――指揮権が完全にトリアにあるような物言いなのである。
どうすべきか、どうすればその誤解を解けるのかとトリアが困惑していると、イーゼルが悪戯っ子のような表情で口角を上げて片目を瞑っておどけた口調で口を開いた。
「頼むよ。クロウシスの旦那にトリアが持っていたのが格好いいから俺にもくれ! なんてダサいこと言えないだろう? しかも絶対意地悪して出してくれないと思うわけよ」
イーゼルにそう言われて、トリアはようやくイーゼルの意図を察することが出来た。
そもそもイーゼルが頼めば、自分のような取るに足らない村娘にさえ心を砕いてくれる寛大な御心の持ち主であるドラゴンが無碍にするはずがない。
しかしそれが分かるのは、実際にクロウシスと言葉を交わし、イーゼルとクロウシスのやり取りを間近で見ていたトリアやシグたちだけだろう。
そう考えれば、自分が村の人々にとって特別であり、近づき難い存在である『新たなる盟主』に対して距離が近過ぎるという事実が出てくる。
村の皆は誰もかれも優しいが、神と崇めるからには距離は一定であることが望ましい。
しかし一人だけがそうでないならば、そこから様々な軋轢や問題が生まれやすくなる。
イーゼルがそういったことを危惧していることを察して、トリアは自分が存外に気安く接してくれた盟主様に甘えて周りが見えていなかったことを自覚した。
「イーゼル様。この石操兵たちは、あくまで盟主様から村の一員として一時的にお借りしているだけのものです。ですから、私にそのようなことを決める資格はありません。どうか、盟主様にお尋ね下さい」
そう言ってトリアが深々と頭を下げると、自分の意図を速やかに読み取ってくれた聡いトリアにイーゼルは穏やかな笑みを浮かべつつも、残念そうに口を尖らせる。
「そっかぁ……やっぱ旦那に頼まないとダメか。トリアちゃんにお願いして既成事実を作ろうと思ったんだけど、そう旨くはいかんよな」
そう言って後ろを振り向いて肩を竦めて見せると、先ほどまで少々困惑していた村人たちが大笑いしていた。それを見てトリアがほっとしていると、イーゼルが再びトリアの方へ向き直る。
「旦那にはトリアちゃんが手伝いに来た時は、この石操兵たちを貸すように頼んでおくからな」
「あ……はいっ!」
少なからず愛着が湧いていたトリアは、イーゼルの心遣いを察して笑顔で頷いた。
◇◆◇
時刻が夕刻となり、龍洞内の片付けもほぼ全てが完了していた。
まだ壊れた扉などは取り外したままで、今は一続きの空洞になってはいるが、もはや龍洞内に討ち捨てられた死体も屍骸もなく、瓦礫もない。
死者が眠るにはこれ以上ないほどの静寂の中、要所要所に灯されたかがり火が燃え盛り、洞窟内には作業を終えた石操兵たちが待機状態で佇んでいるだけだった。
龍洞の外に広がる山の景色の中で、イーゼルは建ち並ぶ数百の墓石を見ていた。
山の平らな場所を中心に緩やかな山腹へ向けて作られた霊園。
石操兵たちが簡単に加工した墓石の群れが建ち並び、迫る夜に向けて地へとふされた千を超える人だった者たち、獣だった者たち。
敢えて人と獣を分けることなく、その一切合財を共に埋めたのは愚かな行為をしたことに対する罰であり、数百年もの間共にあったのだから、今更互いを呪うべきこともないだろうとイーゼルが判断したからだった。
夕闇の中で静かに佇む墓石には名は無く、代わりに霊園の中心に巨大な碑を建てた。
しかし、その碑にも言葉は彫られていない。
『竜を殺したバカ野郎共、ここに眠る』
そのくらいのことを書いてやろうとも思ったが、あの主の間で今も十日おきに復活しては呪詛と瘴気を吐いているドラゴンと、この地に眠らせた者たちとの間に何があっかの――それをまだ知らないイーゼルには、この碑に彫るべき言葉がまだ決められなかった。
さりとて今の自分には時間が膨大にある。
記憶はまだ戻らないが、内から迫るような焦燥感どころか引っかかりすらもない。
ならば、恐らく自分は大した使命を帯びているような大層な存在でもないのだろう。
であるならば、この世界で知り合ったあの不思議な黒い龍がどのような道を歩んでいくのかと共に見ていくのも一興ではないか。
恐らくだが、それをすればここで何が起こったのかも自然と分かるような気がした。
空の端で沈む太陽の斜光に目を細め、イーゼルは身を翻した。
今日あった出来事についてクロウシスに尋ねなければならないことがあった。
村娘に石操兵を五体。
クロウシスにとっては何気なしのことだったのかもしれないが、やはりあのまだ幼い娘にゴーレムの全ての権限を委譲するのはやり過ぎだ。
自分が諭す振りをしながら、裏で無理矢理に権限を一時的に奪いはしたが、結局外部からの指向性魔力の介入によって防衛機構が働き、五体のゴーレムたちは現在自己閉鎖の状態になって大広間で機能停止している。
ああなってしまっては、創造主のクロウシス以外が再起動させるのは非常に困難だ。
(まぁ、旦那ことだから。何か考えあってのことだろうけど……)
特に心配などはせず、イーゼルは麓から風に乗って届く美味そうな料理の香りに心躍らせながら、龍洞への入り口に向かって歩き出した。
お読みいただき、ありがとうございます。
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