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第七話―龍洞とレイテ村―

・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。

・更新は本編優先なので不定期です。

・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。

 新緑の香りに包まれた山道を、一台の荷馬車が登っている。

 荷車を引く馬は通常の騎馬よりも一回り大きな馬で、重量物を運ぶ荷車を引くのに適した種類の馬であり、馬でありながら短距離を速く走ることにはあまり適していないが、馬よりも遅いが馬力が高く、牛よりも速くて力は同等という能力を持っており、クリントス王国を含むウェーテ地方では重宝される存在だった。


 その馬の手綱を引く御者は、レイテ村一の牧場を持つシグという壮年の男。

 野人のようなボサボサの髪に大柄でガッシリとした体型、厳つい顔をしており目は糸目で髭をモサモサと生やしている。農場で働く者らしく、痛んで補修している箇所の目立つ農耕服を着ている。


 荷台には幌が被せてあり、その中には面立ちの似た二人の男女と一人の老人がいた。

 男女は兄妹でその妹であるトリアが不安そうにブヒブヒと鳴く豚を宥め、その様子を穏やかな表情で兄のトイトが見守っていた。

 トイトもトリアも極々平凡な農民然とした二人で、茶色い髪に茶色い目を持っている。

 二人とも農民にしては小奇麗な容姿をしており、それはひとえに妹であるトリアが兄トイトに対して散髪と洗髪を口酸っぱくするように働きかけているおかげだった。

 それは兄が不潔というのではなく、人が良く苦労性な兄の下に良いお嫁さんが来てくれるようにと、その将来を案じる妹の心からの気配りだった。


 トリアは平民が着る一般的な平服を着ているが、今はその数少ない手持ちの衣装の中でも一番綺麗なモノを選んで着ている。それは今向かっている場所が、尋常ならざる相手――それこそ領主に会うよりもよっぽど緊張する相手であり、同時に自分の命を助けてくれた存在が居ると思われる場所なのだ。


「村長。アレからもう十一日が過ぎましたが、レグイア様は僕らの捧げる供物を受け取ってくれないな」


「うむ、やはり盟主様はわしら人間のことを赦されていないのかもしれん……だが、トリアを助けて下さったのは事実じゃ。ならば、わしらはただ出来る限りの誠意を見せ続けるしかない」


「それは勿論だ。トリアを助けて下さった御恩に僕が報いたい。だから村長、もし村の皆が供物を捧げ続けることに反対したら、僕だけでも続けさせて欲しい」


 妹のことが自身の命よりも大事だと言って憚らないトイトは、その妹の絶体絶命の窮地を救ってくれた存在であり、このウェーテ地方の山脈を束ねし盟主である魔龍レグイアに信望を寄せていた。

 村長であるヨイテルもまた、古くから村の伝承を伝える担い手として子供らにその存在を伝えてきた者として、その実際の姿を間近で見ることが出来たことに感動し、同時に魔竜が如何なる理由で再臨したのかを、人よりも事情を深く理解しているだけに悩んでいた。


(――いや、今はあれこれと悩んでも仕方が無い。とにかく戻られた盟主様に誠心誠意尽くすのみ)


 心のうちの葛藤に対し、自分如き矮小な存在が幾ら考えたところで、偉大なる竜族の考えに及ぶことなど出来ないと結論付けると、ヨイテルは白い髭を弄っていた手を止めて村の若者に視線を返す。


「気にすることは無いぞ、トイト。村の皆も小さな頃からレグイア様のことは、よぉーく聴かせてきておるでな。少なくともあの村でレグイア様に供物を捧げることを無駄なことだと言う様な者はおらん」


 確かな自信と共にそう断言するヨイテルに、トイト自身も亡くなる前の両親に、そして両親が亡くなった後も村の老婆や村長であるヨイテルに、夢枕や祈りを捧げる祈祷日などでずっと『死火山の主』の話は聞いて育ってきたので、そのことはよく分かっていた。


 今でも思い返せば、妹が魔物と化した巨大なファグリムに食い殺されそうになった時、上空に飛来した黒きドラゴンの姿を思い出すと身震いと共に、感動に包まれた。

 小国の片田舎であるヨイテ村に住む自分には世界の大きさなど分からなかったし、頭にあったのは父の残した牧場を守り、母の願っていた通り妹が無事に嫁にいき幸せになること、それらを実現することが村を守るために亡くなった両親に対してトイトが出来る恩返しであり、親孝行であると信じていた。


 だが、あの空を覆うほどに巨大で、恐ろしいほどに惹きつけられる神々しい姿を目にした時、恐ろしさよりももっと深い畏怖と、小さな世界で生きてきた自分の価値観を粉々に打ち砕くような衝撃を受けた。

 魔物の恐ろしさは知っていたが、そんなモノを歯牙にも掛けない存在。

 それは生物でありながらも、トイトにとっては神に等しい存在にさえ思えるほどに、あの時見た光景は今も脳裏に焼きつき、思い出せば背中が粟立つような感覚を覚える。

 それはトイトにとって、今までの自分と芽生えた思いを天秤に掛けさせていた。


 どこか思い詰めた表情でじっと一点を見つめるトイトの姿を見て、トリアは供物であるまだ未成熟な若い豚を撫でながら、今兄であるトイトが何を思っているのかを察していた。


 背中まで伸ばした亜麻色の髪に麦藁で編んだ帽子を被り、村娘らしい純朴な白いワンピースに赤い染料で淡く染め上げた上着を羽織っている。

 十一歳にしてとても器量が良く、トイトが心配せずとももう数年もすれば美しく成長し、恐らく嫁の引く手は数多になることだろう。


 元々両親の手伝いをよくする面倒見のいい自慢の兄だったが、両親が揃って亡くなってからは妹のトリアと父が血を吐くような思いをして切り拓いて残してくれた牧場を守る為に、トリアから見ても心配になるほど根を詰めて働き続け、その努力と父の親友だったシグの手助けの甲斐もあって牧場をこの村で三番目の大きさにまで発展させることに成功した。


 だが、その為にトイトは学舎に通うことを止め、勉強することが好きだったからこそまるでその迷いを振り切るかのように牧場の仕事に精を出していた。

 トリアは自分のあらゆる可能性と選択が許された身分でありながら、自分と牧場のために自らを犠牲にするトイトの姿に心を痛めていた。


 これはトイトには絶対に言わないが、両親の命日に本当に珍しく正体を無くす程に酒を飲んだトイトが、父と母の形見を安置してある祭壇に向かって泣きながら、自らを農奴だと罵っていたことを知っていた。

 後から聞いた話だが、若いながら牧場の発展に成功させたトイトを疎んだ隣村の若者に『学舎に通わず教養もないお前は、まるで農奴だ』だと罵倒され、実際に都で使われている『クリントス聖字』の読み書きをすることが出来なかったことが、トイトの劣等感を増しさせていた。


 だからこそ、自分を救ってくれて兄の心をも救ってくれた大いなる存在にトリアは感謝に尽くせない思いを抱えると同時に、今までただひたすらに牧場の発展とトリアの幸せにだけ心を砕き続けたトイトが、世界の広さのようなものを実感してまるで遥か遠くを見るかのような眼差しをすることに心から喜んでいた。


 馬車の動きが止まるとともに、外からシグの馬を宥める声がしたことで目的地に着いたことが知れた。

 三人が荷台から降りて運んできた供物を外へと出し、シグとトイトがそれぞれに供物を担いで山道を登る。


 龍洞レグイアは死火山であるこのレーゼ山の中腹に古くから存在し、数百年前の『大罪』によって龍洞レグイアの主である魔龍レグイアの死亡によって長らく禁忌の地とされていたが、場所的に最も近く縁深かったレイテ村の人々は、魔龍の死を悼み定期的に洞窟の極々浅い領域ではあるが清掃を行っていた。

 当初は魔龍討伐を行った兵士たちの屍が累々と広がっていたのだが、それも山から離れた平地へと移動させて埋葬して弔った。


 龍洞の前に馬車を乗りつけるのは不敬だと、四人は馬車を龍洞の入り口がある場所から少し離れた場所に停めて、そこから供物を手に持って運んでいる。

 そして龍洞が見える位置にまで来たところで、四人は立ち止まり驚きに目を見開いた。


 蔦が伸び苔むした洞窟の入り口と、その前にシグが作った木製の供物を捧げるための祭壇があり、その上には昨日捧げた果物や川魚、農作物が置かれている。

 だが、逃げないように手足を縛っていた豚二頭と近くに杭と紐で繋いでいた牛が、今は自由な身となって豚は祭壇の果物や農作物を食い荒らし、牛は逃げるわけでもなく草を食んでいた。

 それだけならそんなにも四人は驚きはしなかったが、四人を驚かせたのは祭壇の後ろで洞窟の入り口前に佇む高さ二メートルほどある立派なドラゴンの石像だった。


 傷一つなく磨き上げられた質感の黒曜石に似た黒い石で作られ、全体的に細身な意匠のドラゴンであり、地面にお座りに似た姿勢で佇み、長い首を体に沿わせるように引いて、大きな翼も畳んで背中に沿わせていることが余計に見る者に細い印象を与える。

 だがそれでも、人間の身の丈を超える大きさであり、都の彫刻しでもこれほど精巧かつ精緻なものは作れないのではないかと言うほどに力強く美しく、迫力のある石像だった。


「これはいったい……」


 トイトが声を発すると、それに呼応するかのように石像の眼が黄金の輝きを灯す。

 その突然の現象に再び言葉を失うと、そこへ遠雷のような重厚感を持つ声が静かに響いてきた。


『――麓にある村の者か』


 急に発せられた声に一瞬周囲を見渡しかけるが、すぐに四人とも声の主が目の前の石像であることに気付いて、ヨイテルが膝を折りその場に平伏すると、それを見た残りの三人もそれに倣う。


「は、はいっ。私はこのレーゼ山の麓にありますレイテの村で村長をしておるヨイテルと申します。失礼ながら、貴方様はもしや、四百年前にお隠れになられたレグイア様でございましょうか?」


『残念ながらそれは違う。我は遥か遠方よりこの地へ来ただけの存在だ』


 ヨイテルが逸る心を抑えきれずに尋ねると、感情の読み取れない石像は一瞬の間も空けずに答えた。

 否定されたことに驚きつつも、もしかしたら四百年前のことを踏まえて自身の正体を意図的に偽っているのかもしれないと考えた。

 そこでヨイテルは、『もしそうであるならば自分たちに不信感を持たれない様に努めなければならない』と、四百年振りに帰還を果たしたドラゴンの心を察しようとした。

 勿論ヨイテルにも、ドラゴンが本当に龍違いなのかもしれないという考えはあったが、自分が村長である時に再びこの地に姿を現してくれた希少なドラゴンに運命のようなものを感じ、例え本当に違うドラゴンだったとしてもそもそもドラゴンを奉ずる慣習がある自分達にとっては、この地に留まって欲しい存在だった。

 それが人語を解して理性的であるならば尚更だった。


『ここへ以前、別のドラゴンが棲んでいた事は承知している。だが、長らく新たなドラゴンが棲んでいる形跡もない故に、我はしばらくここを根城にしようと思っている』


 その言葉は許可を取るというようなものでは勿論ないが、ここレーゼ山の麓に住む自分達に対して一種の布告をしてくれているのだということを感じた。


「――ははっ。元々は盟主レグイア様が棲んでいらっしゃった場所でございます。もし貴方様がレグイア様でなくとも同族でいらっしゃるならば、きっとレグイア様も喜んで下さると思います」


 長年にわたりレグイアの鎮魂と慰霊を行ってきたヨイテルは、誠心誠意気持ちを込めて深く頭を下げる。その姿に他の三人は多少驚きながらも、同様に頭を深く下げた。

 そしてトイトが意を決したように顔を上げ、ドラゴンの彫像に向かって上ずった声を上げる。


「ドラゴン様っ! 先日はおれ――じゃなくて、わっ私の妹を助けて下さりっありがとうございますっ!」


「ありがとうございますっ!」


 そう言って地を頭を擦りつけるようにする二人の姿に、クロウシスは十日前の出来事を思い出す。通りがかりの行為であり、特に礼を言われるほどのことではなかったのだが、二人の懸命な様子に水を差すのも無粋に思い口を噤んだ。


「私からもお礼を、前途ある村の若者をお救い下さり感謝に堪えません。つきましてはこれらの供物なのですが、どうぞお受け取り頂きたく存じます」


 そこでようやく、クロウシスが石像を作ってヨイテルたちに接触した目的へと行き着いた。


『いや、その供物のことなのだが――』


 クロウシスが本題を言いかけたところで、『ガラガラ』という何かが回転して地面を進むような音と『ズシンズシン』という重い何かが規則的に地面を踏みしめるような音が聞こえ始め、四人が驚いて周囲を見渡していると、段々と近づいてくるその音が龍洞の深い横穴からだということに気がつく。


「ふんふふ~ん」


 やがて龍洞の中から鼻歌を歌い、上機嫌な様子で一人の男が姿を現した。

 濃紺色のローブの上半身をはだけさせ、長袖がぶらぶらしないように腰のところで結んだ青年は、ローブの下に着ている黒シャツも上から三つボタンを外した非常にラフな格好をしており、手押し車のようなもの押していた。

 その押している荷車には大量の人骨が積まれており、トリアなどは小さく悲鳴を上げていた。


 その異様な光景に四人が口を開けてポカンとしていると、青年――イーゼルも外の様子に気付いて一瞬『?』という顔を浮べるが、すぐに状況を理解して笑みを浮かべる。


「おぉー麓にある村の人たちか。ということは、ちゃんと供物の断りを入れたんだな、さっすが旦那」


 手押し車を下ろすと、イーゼルは石像の横に行くと『パンパン』とドラゴンの姿をした石像の背を叩く。その気軽な様子に鼻白み、最初は墓荒らしの類かとヨイテルは思ったが、その明るく気の良さそうな表情と、レグイア――クロウシスへの気軽な態度に言葉を失う。


『イーゼル、今ちょうどその話をしようとしていたところだ』


「あ、そうなのか。話の腰を折っちまったか?」


『その通りと言えばその通りだが、大したことではない』


 すまなそうな顔をしたイーゼルだが、クロウシスの言葉を聞いて笑みを浮かべる。


「あ、あの……ドラゴン様。こちらの方は?」


 ヨイテルが恐る恐る尋ねると、イーゼルが自分を指差して『俺?』という顔をすると、ヨイテルを含めそれ以外の三人も首を縦に振る。


『縁があってな、しばらくここで共に暮らすこととなった』


「どーも、流しの魔道師をやってるイーゼル=ベレイエだ。しばらくクロウシスの旦那と一緒にここに厄介になる」


「ク、クロウシス……?」


 初めて聞く名前と思しき単語にヨイテルが首を捻ると、目の前にズッシリと佇む龍の石像がその答えを口にした。


『我の名だ』


 レグイアではない名に一瞬虚を疲れたような顔を浮べたが、ヨイテルはすぐに頷いて理解を示した。そしてドラゴンであるクロウシスと親しげなイーゼルにも深々と頭を下げる。


「クロウシス様と、ベレイエ様でございますね? 今後ともどうか我が村をお見守り下さい。村で出来るのはこの程度の供物を捧げることですが、精一杯我らはクロウシス様を祀らせて頂きます」


『長よ。そのことなのだが、我は別段供物を欲してはいない。貴重な食料であるならば、村の者を飢えさせることのないようにするがいい』


 クロウシスの言葉にヨイテルは驚きつつも、再び深く低く頭を下げる。

 力のある魔物や魔族、そしてドラゴンなどが人里に近い場所へ棲みつく理由は、大概その周辺に住む人間や亜人種などに供物を捧げさせるためなので、供物を受け取らないと言う者は滅多にいない。

 だからこそ、このあとにヨイテルが言う言葉は尤もなことと言える。


「お、恐れながら、やはり赤子や娘などを供物に……」


『否。我は一切の供物を要求するつもりはない。ここはあくまで間借りしているようなものであり、我はそう遠くない時期にここを去るだろう。そのような止まり木程度の場所で、無体な要求をするつもりもない。それに我はモノを喰らうことをしない竜だ』 


「え? 旦那何も食わねーの?」


 ヨイテルたちも驚いていたが、もっと驚いた声を上げたのはイーゼルだった。

 だが、思い返してみれば本に書かれている文字でも啜り取ってるんじゃないかというくらい、この巨大なドラゴンは他のことを一切せずに本ばかり読んでいる。


『他者を取り込むことにより、己を維持するという業から抜け出て随分と経つ』 


「へぇーあんだけの図体だし、人間くらい踊り喰いしそうなのになぁ」


『ならば、今頃お前は我に消化されているだろう』


「違いねぇ」


 暢気な口調で恐ろしいことを言うイーゼルに、ヨイテルたちは冷や汗を掻いているようだったが、その後のやりとりを聞いて少し安心したようで、平伏したまま互いに顔を見合わせて苦笑していた。


『そういうわけだ、村の長。今後は供物を捧げる必要はない。お前たちの住む村に干渉するつもりもない』


 不干渉を告げる言葉は言葉は冷たく感じるが、その声音は決して無機質なものではなかった。むしろそれは深い感情が込められたもので、七十年生きてきた中でも初めて耳にする『畏れある者』の声音だった。

 そう感じたからこそ、ヨイテルは下げていた頭を上げる。


「供物がご不要であるならば、それは承りました。ですが、我々はこの地でずっとレグイア様を慰霊し、この根城に新たなる主が来るのをお待ちしていたのです。ですので、どうか我々レイテの者が貴方様に仕えることをお許し頂きとうございます」


 ドラゴンに対し信仰があることは薄々感じてはいたが、些か度が過ぎているようにも感じる。その真意を確かめるべく、クロウシスは石像越しに話を続ける。


『仕えるとは妙なことを言う。我は我に仕えるものなど欲してはいない』


「決して見返りを求めての行為ではございません。数百年前に我々の先祖が犯した過ちを、何とかして償いたいのでございます」


『償うべき相手は我ではないだろう』


「ごもっともでございます。ですが、既にレグイア様はこの世にはおらず、あの御方の血脈は絶えていると聞き及んでおります。ならば、こうしてこの地に現れて下さった新たなる盟主になり得る御方に対して、そのお役に立つ事こそが今の我々に出来ることだと思っております」


 恐れを抱きながらも、老人の言葉に嘘偽りはなく、そして打算的なものもなかった。

 過度な干渉をするつもりは元々なかったのだが、最初に気まぐれで村の人間を助けたのは自分の意思ではあったが、だからと言って何ら責を負うような義理もないのだが……。


 無視することも出来れば、脅しつけて二度と近寄らないようにすることも出来る。

 だが、ドラゴンを敬い奉る心を持つ者を蔑ろにすることは、十二原種六柱血統の一柱を祖に持つ黒龍の末裔として、そして人間たちと神殺しを果たした一頭のドラゴンとして、僅かながら躊躇する部分もあった。


『異界で祀られるとは、我が始祖も思うまいな……』


「お?」


 石像の側に居た為、クロウシスの呟きを聞き取れたイーゼルが反応を示すが、クロウシスはそれに答えることはせずに、代行媒体としている石像に跪く人間に語りかける。


『お前たちの意志が固く確かなものであるならば、我はそれを拒みはしない。だが、我から何かをお前たちに要求するつもりはない。重ねて言うが、供物も不要だ。用があれば、このイーゼルを連絡役としよう。我に用があるならば、この石像に声をかけよ』


「俺が伝書鳩の役かよ。まぁいいんだけどさ」


 絶大な力を持つ割に、人間の頼みをすんなりと聞き入れたクロウシスを不思議に思うと同時に、自分という前例があることを思えば、妥当なものかと思い笑みを浮かべる。


「ありがとうございます。我らレイテの者に何なりとお申し付け下さい」


 役人と話す時以上に丁寧な言葉でそう言うと、ヨイテルは込み上げる涙を拭って頭を下げた。


「ところで、魔道師様は何をされているんですかい?」


 ずっと黙っていたシグが、魔道師らしからぬローブを着崩しているイーゼルに問うと、イーゼルは背後に停めていた手押し車を叩いてニヤりと笑う。


「おう、知ってると思うけど洞窟の中はスケルトン予備軍の団体控え室みたいになってるだろ? それを弔ってやろうと思ってね」


 この龍洞は魔龍レグイアの討伐に関わった周辺国より、長らく禁足地として立ち入りが禁じられていた。

 だが、ヨイテルたちは遂にその禁が破られて、止まっていた洞窟の時が動き出したことを感じ、自然と顔を綻ぶのを感じていた。


「魔道師様、お一人では大変でしょう。村より人を出しますので、どうか我々にもお手伝いさせて下さい」


「あ、僕たちもやらせて下さいっ!」


「お願いします!」


 シグが協力を申し出ると、トイトとトリアも同じように協力を申し出た。

 その熱意にイーゼルは頬を掻いて、一度チラりとクロウシスの方を見たが石像から『否』という意思が感じられないことを察し、彼らに向かって鷹揚に頷いた。


「よーし分かった。実際は俺一人ってわけでもないんだが、細かいことやってもらうならやっぱ人間が居てくれた方がいいしな。手伝ってもらおう」


 承諾を得てトイトとトリアが手を取って喜び、シグは腕捲くりをしつつ手押し車を興味深そうに眺めていた。その光景に頷きつつ、ヨイテルは立ち上がってもう一度石像に頭を下げた。


「では、この者たちを置いていきますので、ここに居る三人を存分に働かせてやって下さい。私は一度村に戻り、このことを村の者たちに伝えて、人を集めてきますので」


『好きにするがいい』


 素っ気無く感じる返答ではあるが、ヨイテルにとっては返答を貰えるだけでも喜びを感じられた。


「三人とも、牧場のことは心配するな。くれぐれもベレイエ様に失礼のないようにな」


「村長さん、あんま畏まらなくていいぞ。俺こそ大した人間じゃないからな」



 その場を去るヨイテルを見送って、シグたちが龍洞の中へ向かおうとすると、それをイーゼルが呼び止めた。


「あーちょっと待ってくれ。一つとても重要なことを聞かないといけないんだった」


 今まで明るい調子だったイーゼルが、まるで別人のような鋭い表情をしたことに、シグもトイトたちも驚き一体何を聞かれるのだろうかと身構えた。

 そんな三人の顔を見渡すと、イーゼルははだけているローブから何かを取り出した。

 イーゼルが取り出したのは、赤く熟れた果実だった。

 自生しているわけではなく、レイテ村で果樹園を管理している農夫が丹精込めて育てたものであり、木からもいで時が経ったことにより甘い芳香が漂ってきそうな果実が、イーゼルの手に掲げるように持たれていた。


「これ供物にあったんだけど、食っていい?」


「……え? あっど、どうぞどうぞ!」


「食べて下さったいいですっ!」


「まじで? ありがとー!」


 トイトとトリアが勧めると、イーゼルは目を輝かせてその果実にかぶりついた。

 シャクシャクという音を立てながら、滴る果汁でローブが汚れることも気にした様子もなく、イゼールは美味そうに果実を食べていた。

 それを見て緊張が一気に解けて、トイトとトリアは子供のように果実の芯まで齧る魔道師の姿に思わず吹き出してしまった。その様子を見てシグは二人を窘めようかとも思ったが、イーゼル自身が気安く接してくれていることを考えて、それは止めておくことにした。

 そしてその代わりに、普段寡黙なシグ自身が話しかけることにする。


「その果実はリーゴというもので、村一番の果樹園を世話しているフルツという男が作っとります」


「こんだけ美味ければ、村一番ってのも頷けるなぁ」


「高名な魔道師様に褒めて頂いたとあれば、あいつも喜びます。ドラゴン様はともかく、ベレイエ様は食物はどうされてたんですかい?」


「あーそこら辺の野草取ったり、動物獲って食べてた」


 わざわざ果実一個を食べていいかどうかの許可を求める辺り、もしかしてとシグも思ってはいたが、魔道師が野人のような食生活をしていたことに対して、自分の持つ魔道師像に良い意味でヒビが入った。

 魔道師とは知の探求者であり、多くは国家に迎え入れられているか、変わり者として辺境に暮らしているというイメージであり、その多くが自分達のような農民を見下している者が多い。

 しかし、この魔道師からはそういった態度や雰囲気が感じられず、むしろ村に居てもおかしくないほどに気安く親しみやすい雰囲気がある。魔法の実力は分からないが、シグにとっては数年前に魔物討伐の際に村を訪れた高慢な宮廷魔道師たちに比べれば遥かに好感が持てた。


「供物の食物は食べてもらっていいですぜ。家畜は村にとっても貴重なので、ドラゴン様がお食べにならないなら持って帰ろうと思うんですが……かまいませんかね?」


「旦那は本の文字を目で食べる御仁だからなぁ。あ、家畜は魔物に襲われない内に連れて帰ってやってくれよ。で、それよりも……本当に他の食べ物もらっちまっていいのか?」


「あぁ、ベレイエ様の飯は今後村で面倒みますんで、遠慮なく食ってくだせぇ」


 シグが鷹揚に頷くと、イーゼルは心底嬉しそうな笑みを浮かべて祭壇にある果実を手に取り、汚れていないローブの内側で表面を拭いて齧りついた。

 そして果実をシャクシャクと咀嚼しながら、イーゼルはシグたちに顔を向けるとニヤっと笑みを浮べる。


「働かざるもの食うべからず。旦那のことは旦那のこととして、俺は自分の食い扶持は自分で賄わないといけねぇわな。ってことで、俺で何か出来ることがあれば何でも言ってくれよ」


「そりゃー頼もしいですなぁ」


 正直なところシグは、果実を齧って幸せそうな笑みを浮かべるイーゼルに対して、魔道師としてどれほどの実力があるのかはサッパリ分からなかった。ただ、そのあまりの親しみやすさから威厳のようなものが感じられず、期待度としては低いくらいの評価を持っていた。


「ベレイエ様、シグさん! 早く始めましょう!」


「そうだよっ! お住まいを綺麗にしてドラゴン様に喜んで頂こうよっ!」


 鼻息荒く勇む兄妹を前に、シグは苦笑してイーゼルはよしきたと、指についた果汁を舐めとって腕を回して意気込みを見せると、それを見たトリアが可笑しそうに笑っていた。


 龍洞へと四人が消えて行った後、洞窟前の広場には穏やかな木漏れ日が差し、鳥たちの鳴き声が響く。


 そんな広場に佇む黒龍の代行体である石像を介し、クロウシスケルビウスは思う。



『我が頼んだわけでは――いや、まぁ……よいか』



 木漏れ日の中、石像の頭に留まった小さな鳥が賑やかに歌っていた。


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