第六話―レイテ村―
・各話基本的に3000字くらいで文量をユルく書いていきます。
・更新は本編優先なので不定期です。
・本編で煮詰まったり、息抜きしたい時にちょこちょこっと書けるものが欲しくて書いています。
クリントス王国。
大国フェザーリンの数ある同盟国の一つであり、緑豊かな自然とそれを育む穏やかな気候を持つ小国。
国土は行商用に整備された粗末な街道を端から端まで歩いて五日程度の広さを持ち、主な産業は伝統的な毛織物とこの土地でしか採掘出来ない『竜眼石』という特殊な鉱石の宝飾加工。
歴史の表舞台に名を出すようなことはなく、同盟国の盟主であるフェザーリンの要請で僅かな派兵を行う以外には、その国旗に描かれた『花の冠を頂いた宝珠』が他国の目に触れることすらなく、記憶に残ることすらない。
そんな地味な小国ではあったが、一年前に王が病魔によって崩御したことにより、現在はその王妃が王家の取り決めに従って代理王として政務を行っている。王位継承権は本来、先王と王妃の嫡子である王子が順当に継承するべきではあるのだが、嫡子である王子がまだ五歳と幼いこともあり、後見人――摂政を決めるまでの間は王妃がその役目を代行することが許されている。
そんな小国の王都から歩いて一日と半、早馬で半日ほどに位置するレイテ村。
毛織物が盛んで、農地には農作物を栽培している区画とモコモコとした毛に全身を覆われたウルグと言われる動物がノソノソと歩いては牧草をモソモソと食べていた。
クリントスの伝統的な毛織物はこのウルグの毛から作られるもので、比較的気候が安定しているこの時期は牧草の育ちがよく、それを食べているウルグたちの毛の艶も良く、今年も良い毛織物が作れそうだと村人たちは喜んでいた――のだが、もうじき毛の刈り取り時期というところで大きな問題が起こっていた。
村から少し離れた牧場に三人の男が集まり、その前には無残にも首筋を引き裂かれて死んだウルグが横たわっていた。モコモコと育った毛にはベッタリと血が染み付き、腹部を食い破られて千切れた内臓が流れ出た血と共に牧草を朱に染めていた。
「またやられちまったかぁ……」
「もう……もうこれで八頭目だぞっ!」
「かわいそうに、確かこのウルグは先日子供を生んだばかりだったはずじゃろう。乳飲み子を残して死んじまうなんざ、ウルグでもやりきれんわぃ……」
嘆く三人の男達は、このレイテ村で最も多くのウルグを飼っている牧場主たちで、今回惨殺されたウルグは最初に口を開いた壮年の男のウルグだった。
壮年の男が目を見開いて死んでいるウルグの傍らに腰を下ろすと、ゴツゴツとした傷だらけの手でそっとウルグの目を閉じさせてやる。
その様子を見ていた隣の青年が悔しそうに俯く。
「シグ、トイト。とにかく葬ってやろう。血の臭いに引かれて別のがくるかもしれん」
「そうだな、村長」
シグと呼ばれた壮年の男が荷馬車を取りに納屋がある方向へ踵を返した。その後ろ姿を見送りながら、トイトと呼ばれた青年が拳を震わせて村長に向き直る。
「村長っ! シグさんはもう四頭もやられてるんだっ! いい加減こんなこと終わらせないといけないよっ!」
トイトの悲痛な叫びに村長も顔を俯かせるが、その口は引き結ばれていた。その様子に、トイトは苛立って声を荒らげる。
「このままじゃ、この村のウルグは全滅だっ! 何とかしないとダメじゃないか!」
「では、トイト。お前はあの化け物どもに勝てるというのか……?」
「そ、それは……っ」
トイトが悔しそうに俯くのを見て、村長もまた同じように俯いた。
ことの発端は一月ほど前のことで、風の噂で隣国のエイデル王国から魔物の群れが国境を越えて村々を荒らしているという噂が流れ込んできた。
レイテ村は平穏な村で大国フェザーリンと同盟国でもあり、隣国三国との『武宝同盟』を古くから結んでいることによって、およそ戦禍とは無縁な場所だった。魔物の被害もまったく無いわけではないが、それでも稀なことだった。だが、半月ほど前に最初の一頭が食い殺されてからというもの、味を占めた魔物の群れは近隣の山に身を潜め、隙を狙っては夜間に次々とウルグたちを殺していった。
「村長……王様に、いや今は王妃様なのか。王妃様にお願いして兵士を送ってもらえればいいんじゃないか? 俺たちじゃ敵わない魔物でも、王都の兵士たちなら……っ!」
「ダメだ、今王都は次の摂政様を決めることで大変なんだ。王子殿下はまだ幼くしていらっしゃる……王妃様は王子殿下をお守りすることで手一杯のはずだ。その心痛を考えれば、わしらの願いを嘆願に行くような真似はできん」
「だけどっ! だけどよぉ……」
悔しそうに涙を流すトイトに村長は複雑な表情になる。
このトイトは若くして両親を失ったが、両親が残した牧場を妹と二人で必死に切り盛りをして、この村で三番目の規模になるまで牧場を大きくしたのだ。そしてそれを無償で手伝い、牧場の運営の仕方を教え導いたのが村一番の牧場主であるシグだった。
そのシグが自分のウルグを四頭も惨殺されながらも、恨みも愚痴も言わずに黙々と自分の牧場だけでなく他人の牧場の柵を増やしたり、夜間に寝ずに番をしている姿を見てトイトは悔しいのだ。
「トイト、お前の気持ちは分かる……だが、隣村では雇った傭兵すら返り討ちに遭ったと言う話だ。下手に刺激すれば奴らの恨みを買いここへ長く留まろうとするかもしれん。そしてそうなれば被害は人間の身にも及ぶことになるやもしれん。お前も大事な妹がいる身だ……分かってくれ」
杖を持った村長の手は真っ白になり震えていた。皆から慕われているこの村長が、村の平穏と財産を奪われて平気でいられるはずがないのだ。その怒りと悔しさで震える手を見て、トイトはそれ以上何も言えなかった。
二人が俯いていると、荷車にスコップを乗せたシグが戻ってきた。
「シグさ――」
トイトが手伝おうと声をかけようとした時、シグが荷車の取ってから手を滑らせて荷車の足が大きな音を立てて地面にぶつかった。
手を滑らせたシグにトイトが、どうしたのかと顔を見るとシグが表情を青くして突然荷台のスコップを手に取ると森の方向へと走り出した。
「シグさん――なっ!!」
シグの突然の行動に驚き、シグが向かった先を見てトイトは目を剥いた。
牧場の奥に広がる森から一人の少女が木編みのバスケット必死に走ってきていた。そしてその後ろから驚くほどデカい猪のような魔物が一頭、少女を追いかけて走ってきていた。
血走った眼で少女を捉え、黄ばんだ牙から涎を滴らしながら鼻を鳴らして少女を追いかけている。その魔物こそが、この村のウルグを食い殺している魔物で名はファグリム。だが、これほどに大きな個体をトイトは見たことがなかった。
そしてその異常成長したファグリムよりもトイトが驚いたのは、ファグリムに追われる少女。
「トリアァァァァァァッッ!!」
叫ぶと同時にトイトは遮二無二駆け出していた。
何故自分の妹があの化け物に追われているのか。
その疑問を思いを起こせば、そういえば今朝、バスケットを持って出て行くのを見た気がした。何処へ行くのかと尋ねると、悪戯っぽい表情で内緒だと言っていた。危ないから絶対に森には入るなと言って、トリアも『はーい!』と返事もしていたのに、何故森に入ったのかトイトには分からなかった。
両親が亡くなったのはトイトが十二歳で、妹のトリアが五歳の時だった。
トイトの両親も今回に似たような状況で、流れ者の魔物が一頭この村の近辺に住み着いた。その際に元々王都で衛兵をしていた父が討伐隊に加わり、その様子を心配になって見に行った母が揃って魔物に食い殺された。
今でもトイトは、あの豪雨の夜。
装備を身につけて家を出る父の背と、外套を着て父の予備の剣を手に家を出て行った母の背、そして村に響き渡った獣の雄叫びを、強い雨が降る度に思い出して震えていた。その震える体を抱きしめて眠ってくれたのが、妹のトリアだった。
兄でありながら情けない姿を晒しても、自分を兄と慕ってくれる妹はトイトにとって自分の命よりも大切な存在だった。それが何故、自分たちの両親同様に魔物に追われて食い殺されそうになっているのか。トイトは憤死しそうなほどの焦燥感に駆られながら、大切なものを目の前で奪われることを防ぐために、足が千切れるほどに走った。
巨大なファグリムはその大きな体と自重から足そのものは余り速くないが、それでも小山のような巨躯で走る姿は威圧感が半端ではなく、走るたびに鳴る地響きが焦りを生む。
兄であるトイトとお世話になっているシグの姿を見て、トリアが辛そうな顔の中に僅かな喜色を浮べて必死に走る。トイトも足が千切れるほどに走り、先に走り出したシグを追い抜く。
「トイトォォォ! 走れぇぇぇぇぇぇっ!!」
シグの叫びに後押しされて、トイトは自分に向かって走ってくるトリアだけを見つめて、トリアの元に辿り付いた先どうするかなどは頭にはなかった。
短く刈られた牧場の牧草地を駆けながら、トイトとトリアの距離があと三十メートル程にまで縮まった時、トリアが小石に足を躓かせて体勢を崩した。
前のめりに倒れ込むトリアの驚きに満ちた顔と、その向こう側から迫るファグリムの飢えた顔がゆっくりとトイトの目に映り、声にならない言葉を口でむずがらせてトイトが必死に手を伸ばすが、焦ったトイトも足を絡ませて体勢を崩してしまう。前のめりに倒れ込む視線の先で九割の恐怖と一割の優しさで自分を見つめるトリアの背後で、巨大な口を開けたファグリムの姿を目にして、トイトは絶叫した。
「やめろぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォォォォォォォォォォォァァァァァァァァッァァァァッ!!」
妹を思う兄の悲痛な慟哭が村中に木霊し、トイトは妹が無残に食い殺される姿を直視できず、倒れこんだまま牧草に顔を埋め、無茶苦茶に走ったせいで口内に微かに血の味がして、それが一層妹の死を連想させてトイトは地面を掻き毟って嗚咽する。
喉を痛めるほどの絶叫をして割れた嗚咽を漏らしていると、トイトは違和感を感じた。
止め処なく流れ出す嗚咽が自分の耳に聞こえてくるのだが、他の音が聞こえてこないのだ。そう聞きたくもないが、あの化け物が妹の体を咀嚼する音が一切聞こえてこない。それどころか、妹の悲鳴すら聞こえなかった気がした。
トイトが恐る恐る地面に打ち付けていた顔を上げると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
「トリ……ア?」
ファグリムに食い殺されて、見るも無残な姿に成り果てているはずの妹。その妹が無傷で牧草地の上にポツンと座り込んで空を見上げていた。そしてその後ろでは、ファグリムがまるで何かに怯えるように後ずさり、トリア同様に空を見上げていた。
妹が生きていることに喜びは勿論感じていたが、一体何が起こっているのかが分からずトイトが自分の後ろにある空を仰ぎ見ると、目を見開いて声を失った。
それはあまりに巨大で偉大なる姿をしていた。
伝承や伝説に聞く姿を想像するだけでは、およそ人間にはその真の姿を理解することはできないだろう。
見上げて、その姿を見るだけで心臓と心を同時に鷲掴みにされるような衝撃があった。
全長は長い首の先から尾の先までで三十メートルはある。
その巨大な巨躯はどうすればそれほど見事な輝きを持てるのかと疑問になるほどに、くまなく黒く鈍い光沢のある鱗に覆われている。その背には巨大な翼を持ち、広げた翼は太陽の輝きに陰りを持たせるほどに大きく力強い。背中の堅牢な甲殻は長い尾へと続いていく。
特徴的なのは両腕と胸部、そして頭部で輝きを放つ四つの宝玉。
長くしなやかな首の先にある頭部には、鋭角的な角が禍々しくも美しく生え、見る者見た者の心を掴んで放さない黄金の瞳が、トイトたちを見下ろしている。
青空の中、視界一杯に映りこむほどの低空に、巨大な漆黒のドラゴンがいた。
声を発することが出来ず、ただその黄金の瞳に自分が映っていることが罪であるかのような忌避感が体を駆け巡り、目を背けようとするが何故か眼球が固まったかのように視線を変えることができなかった。
「――」
スーっと黒龍が目を細めると、トリアの後ろにいたファグリムがビクっと体を震わせ、トリアを追ってきた以上の速さで森に向かって走り去っていった。
その姿を呆然と見送ると、トリアが立ち上がってトイトに駆け寄ってその胸に飛び込んだ。
「兄さぁぁぁぁぁぁぁんっ!!」
「と、とりあぁ……トリアァァァァァァっ!!」
抱き合って喜びに打ち震えながら泣き叫ぶ兄妹の頭上で、黒龍は音もなく風もなく翼を羽ばたかせ、村の北東部にある山に向かって飛んでいった。
「……戻ってこられた。死火山の主、龍洞レグイアに連なる盟主がお戻りになられたっ!」
村長は杖を放り出し、村の若者を救ったドラゴンが飛び去った聖地である山に向かって地面に膝をついて祈りと感謝を表した。
その二日後からレイテ村の人々は、帰還を果たした大恩あるこの地の神に供物を捧げるようになる。
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