第九話 覚悟する違反者
「アオイ!」
「藤倉亮太が危険です」
「分かってる!」
康生は足元の槍を拾った。
使えるはずがない。
素人だ。
だが、持つしかない。
走ろうとした瞬間、麻生守の声が響いた。
「切れ!」
麻生が、斧を持って走っていた。
老人とは思えない踏み込みだった。
亮太の盾に絡みついた触手へ、斧を振り下ろす。
一撃。
切れない。
二撃。
触手に裂け目が入る。
三撃目で、ようやく千切れた。
亮太が地面へ転がる。
麻生は亮太の襟首を掴み、後ろへ引いた。
「馬鹿者が!」
「すみません!」
「謝る暇があるなら立て!」
亮太がふらつきながら立ち上がる。
康生はその光景を見て、少しだけ息を呑んだ。
怖い人。
厳しい人。
旧文明を憎む人。
でも、麻生守は前に出た。
村を守るために。
亮太を助けるために。
「残り五分二十秒」
アオイが告げる。
大型個体が門へ近づく。
もう小細工はほとんど使い尽くした。
康生は周囲を見回す。
村人たちは疲弊している。
槍を持つ腕が震えている。
弓の矢も残り少ない。
油壺も尽きかけている。
五分。
まだ五分もある。
「……アオイ」
「はい」
「自前解除は」
「推奨しません」
「崩壊する?」
「高確率で」
「じゃあ衛星を早める方法」
「ありません。軌道力学に干渉できません」
「だよな!」
大型個体が、ついに門に体当たりした。
轟音。
門が大きく歪む。
村人たちが悲鳴を上げる。
二度目。
補強の金属板が外れかける。
三度目。
木材が割れた。
「門が保たん!」
見張り台から叫び声。
麻生が怒鳴る。
「後退線を作れ! 門が破られたら中央広場で止める!」
「止められるのか」
康生が呟く。
アオイが答える。
「困難です」
「だよな」
「残り四分三十二秒」
康生は唇を噛んだ。
怖い。
逃げたい。
今すぐ村の奥へ走って、どこかに隠れたい。
この村の人間は、自分を信用していない。
麻生には旧文明の残骸と言われた。
村人たちにも恐れられている。
それなのに、なぜここにいるのか。
なぜ、逃げていないのか。
康生にも分からなかった。
ただ、亮太がまだ前にいる。
麻生がまだ叫んでいる。
子供たちが奥で震えている。
村人たちが、門を押さえている。
その光景を見て、足が逃げる方向へ動かなかった。
「……クソ」
康生は小さく呟いた。
「俺、本当に向いてないんだけどな」
「何にですか」
「こういうの」
「英雄的行動ですか」
「言うな。寒気がする」
「では、非推奨行動」
「そっちの方がしっくりくる」
康生は門へ走った。
「亮太!」
「今度は何だ!」
「門、開けろ!」
亮太が振り返る。
「は!?」
麻生もこちらを見る。
「何を言っている!」
「門が破られたら、こっちが崩れる! だったら先に開けて、あいつの突進を空振りさせる!」
亮太の目が見開かれる。
康生は続けた。
「開けて、入ってきたところを横から支柱落とす! 倒せなくても、引っかけて時間を稼ぐ!」
麻生が怒鳴る。
「村に入れる気か!」
「もう入ってくるだろ!」
康生も叫び返した。
周囲が静まった。
自分で言ってから、康生は少し震えた。
麻生守に怒鳴り返した。
まずい。
だが、もう止まれない。
「門は次で壊れます!」
アオイが言った。
「破壊された場合、防壁破片が内側に飛散。死傷者が出ます」
亮太が麻生を見る。
「村長!」
麻生は歯を食いしばった。
ほんの一秒。
その一秒の後、麻生は叫んだ。
「門を開けろ! 槍組は左右へ!」
村人たちが動いた。
門の閂が外される。
大型個体が突進姿勢を取る。
「今!」
門が開いた。
大型個体が突っ込んでくる。
だが、そこに門はない。
巨体は勢いを殺せず、村の入口を通り抜け、中央へ向かって滑るように進んだ。
「支柱!」
亮太と村人たちが、左右に立てかけてあった補強柱を倒す。
康生も一本のロープを掴む。
「うおおおお!」
自分でも情けない声だと思った。
だが、ロープは動いた。
支柱が倒れ、大型個体の横腹に引っかかる。
完全には止まらない。
だが、進路がずれた。
大型個体は門の内側の土塁にぶつかり、巨体を横倒しにしかける。
地面が揺れた。
「残り三分十一秒」
アオイが告げる。
「まだ三分!」
康生は息を切らしながら叫んだ。
大型個体が暴れる。
支柱が折れる。
土塁が崩れる。
村人たちが後退する。
だが、確かに時間は稼げた。
「弓、残りを全部撃て!」
麻生が叫ぶ。
「亮太、盾組を下げるな!」
「はい!」
大型個体が起き上がる。
その目のような器官が、康生へ向いた。
三つの口が開く。
康生は全身が凍るような感覚を覚えた。
「あ」
狙われた。
そう分かった。
大型個体が康生へ向かって突進する。
速い。
さっきまでの鈍重さが嘘のようだった。
「康生!」
亮太が叫ぶ。
盾を持って走る。
だが間に合わない。
康生は動けなかった。
恐怖で足が固まった。
逃げろ。
逃げろ。
逃げろ。
頭では分かっている。
身体は動かない。
その前に、アオイが立った。
「おい」
康生は目を見開いた。
アオイは康生の前に立ち、右手を上げていた。
「本端末の破壊は、あなたの生存率を低下させます」
「じゃあどけよ!」
「拒否します」
「戦闘用じゃないだろ!」
「はい」
アオイの声は変わらない。
「ですが、遮蔽物にはなります」
「馬鹿か!」
「否定」
大型個体が迫る。
康生は、ようやく動いた。
アオイの肩を掴み、横へ引き倒す。
直後、亮太の盾が割り込んだ。
衝撃。
亮太ごと、康生たちは吹き飛ばされた。
地面を転がる。
肺が潰れたような感覚。
いや、肺が本当にあるのかは知らない。
だが、とにかく苦しい。
「っ、亮太!」
亮太は地面に倒れていた。
盾はひしゃげている。
左腕が不自然に曲がっている。
それでも、意識はある。
「……生きてる」
「よかった!」
「よくはない」
亮太は顔をしかめた。
「左、折れたかもな」
康生の視界が赤くなった気がした。
怒りか。
恐怖か。
それとも身体の警告表示か。
分からない。
アオイが立ち上がる。
「残り一分二十二秒」
「長い……!」
康生は歯を食いしばった。
大型個体はまだ動いている。
門の内側に入り、村の中央へ向かおうとしている。
麻生が村人たちを下がらせる。
だが、もう防衛線は崩れかけていた。
「康生」
アオイが言った。
「はい」
康生は振り向く。
アオイの瞳が、これまでで一番強く光っていた。
「軌道送電衛星、照射準備範囲に入りました」
「来たか」
「ただし、照射可能角度に到達するまで、残り六十秒」
「まだ一分!」
「照射対象を固定する必要があります」
「固定?」
「あなたが照射座標に立つ必要があります」
康生は空を見た。
夕焼けの空。
ねじれた雲。
薄い虹色の膜。
そのどこか上に、三百年前の衛星がまだ生きている。
「そこに立てばいいのか」
「はい」
「危ない?」
「はい」
「どれくらい」
「外部マイクロウェーブ供給により、通常生体は致命的損傷を受けます」
「俺は?」
「あなたは通常生体ではありません」
「傷つく言葉だな!」
「ただし、構成体過負荷の危険があります」
「でも、やるしかないんだろ」
「はい」
康生は立ち上がった。
足が震えている。
怖い。
めちゃくちゃ怖い。
でも、もう他に手がない。
「どこに立てばいい」
アオイが指を向ける。
村の門の外側。
大型個体の正面。
「最悪の位置だな」
「はい」
「はいじゃない」
康生は歩き出した。
麻生がそれに気づく。
「何をしている!」
「分かりません!」
康生は正直に叫んだ。
「でも、あそこに立てって言われたんで!」
「ふざけているのか!」
「俺もそう思います!」
大型個体が康生を見た。
康生は真正面に立った。
膝が笑っている。
手も震えている。
それでも立つ。
アオイの声が耳元に響く。
「残り三十秒」
大型個体が低く唸る。
「二十五秒」
村人たちが叫んでいる。
亮太が何か叫んでいる。
麻生の怒号も聞こえる。
だが、康生の耳には遠かった。
「二十秒」
大型個体が動く。
一歩。
地面が揺れる。
「十五秒」
康生は拳を握った。
「なあ、アオイ」
「はい」
「俺、これで死なないよな」
「保証はできません」
「そこは嘘でもできるって言えよ!」
「嘘は推奨しません」
「正論やめろ!」
「十秒」
大型個体が走り出す。
康生に向かって。
「九」
逃げたい。
「八」
足が動かない。
「七」
いや、動かさない。
「六」
大型個体の口が開く。
「五」
康生は空を見た。
「四」
雲が、割れた。
「三」
夕焼けの空の奥から、白い光が落ちてくる。
その直前、康生の頭上に淡い輪が浮かんだ。
白く、薄く、静かに回る光の輪。
「……なにこれ」
「マイクロウェーブ受信ガイドです」
アオイが淡々と言った。
「今それ出す必要ある!?」
「照射精度の安定に必要です」
「見た目が最悪なんだよ!」
村人たちのざわめきが遠くで膨らんだ。
「光輪……」
誰かが、震える声で呟いた。
康生は聞かなかったことにした。
「二」
光に向けて手を伸ばす。
「外部マイクロウェーブ供給、開始」
「一」
光が、康生を撃ち抜いた。




