第三十二話 危険対象能力確認試験
旧資材置き場は、黒塔の北側にあった。
かつて何かの施設を作るために使われていた場所らしい。
割れたコンクリート板。
錆びた鉄骨。
崩れたコンテナ。
用途の分からない円筒形の部材。
それらが、霜の残る地面に半ば埋もれている。
康生はその真ん中に立ち、腕を組んでいた。
「……思ったより、ちゃんと試験場っぽいな」
「旧黒塔保守用の資材集積所と思われます」
アオイが隣で答える。
「試験場ではありませんが、構造物破壊試験には適しています」
「破壊試験って言うな。俺が壊す前提みたいだろ」
「壊します」
「言い切るな」
少し離れた岩陰に、亮太が立っている。
左腕は吊ったままだ。
本人は近くで見ると言ったが、康生とアオイと防衛隊の三者から同時に却下された。
麻生は村に残された。
非公開試験。
神格化防止。
その言葉が効いたのか、渋々ながら納得したらしい。
本当に納得しているかは、かなり怪しい。
無線機の代わりに、黒塔から伸びた簡易通信端末が地面に置かれている。
青い光が点滅し、そこからシラヌイの声が響いた。
『海上防衛隊第二艦、艦載戦術補助AIシラヌイ。監視を開始する』
康生は肩を落とした。
「はい」
『危険対象能力確認試験、第一段階。基礎運動性能の確認』
「その名前、本当に変えてくれない?」
『正式名称である』
「ですよね」
アオイが康生の横に立つ。
「記録補助を開始します」
『A・O・I。記録補助以外の通信接続は禁止』
「了解しました」
康生はアオイを見た。
「本当にやるなよ」
「現時点では行いません」
「現時点を消せ」
「…行いません」
「よし」
シラヌイが即座に言った。
『発言ログを記録』
アオイは無表情のまま、わずかに視線を通信端末へ向けた。
「監視が細かいですね」
『必要措置である』
「軍用AIって怖いな」
康生が呟くと、アオイが答える。
「規律適合性が高いだけです」
「お前の規律適合性が低すぎるんだよ」
「否定材料が不足しています」
「そこは否定しろ」
*
第一試験は、走ることだった。
資材置き場の端から端まで。
距離は約五十メートル。
康生はスタート位置に立った。
「普通に走ればいいんだよな」
『全力ではない。通常歩行、軽走、急停止、方向転換を順に行う』
「学校の体力測定より面倒だな」
『比較対象が不明』
「知らなくていい」
アオイが言う。
「構成体応答、測定開始」
康生は歩いた。
普通に歩く。
次に軽く走る。
それから、シラヌイの指示で急停止する。
足元の霜が砕ける。
身体は軽い。
というより、軽すぎる。
人間だった頃より、ずっと反応が早い。
ただ、その感覚に康生の意識が追いつかない。
自分の身体なのに、自分の身体ではない。
「うわ、気持ち悪い」
『異常か』
「いや、動きすぎて気持ち悪い」
アオイが答える。
「人格ログ側の身体認識と、構成体の運動性能に差異があります」
『危険要因として記録』
「何でも危険にするな」
『危険対象である』
「そうだった」
次は方向転換。
康生は指示通りに走り、途中で直角に曲がった。
曲がれた。
普通なら足が滑るか、膝が痛くなるはずだ。
だが、構成体が勝手に重心を補正し、足裏の接地を調整する。
気持ち悪いくらいに安定している。
「…便利だけど、これ俺がやってる感じしないな」
アオイが言う。
「補助制御が介入しています」
「それ、俺の意思とズレたら?」
「現在はズレていません」
「現在は?」
「訓練不足により、高速行動時は遅延が発生する可能性があります」
シラヌイが低く言った。
『危険要因。高機動時の判断遅延』
「また危険増えた」
『事実である』
「はい」
康生は息を吐いた。
疲れてはいない。
しかし、精神的に疲れる。
自分の身体が、自分の知らない高性能機械だと突きつけられるのは、あまり気分のいいものではなかった。
*
第二試験は、持ち上げることだった。
錆びた鉄骨の束。
割れたコンクリート板。
古い保守機の外装らしき金属塊。
それらのうち、まず一番軽そうなものを指定される。
「これ、何キロくらい?」
アオイが答える。
「推定二百四十キログラム」
「軽そうに見えた俺の目が間違ってた」
『持ち上げろ。ただし投げるな』
「投げないよ」
康生は鉄骨に手をかけた。
持ち上げる。
持ち上がった。
「…おお」
思わず声が出た。
重い。
重いはずなのに、持てる。
腕が千切れる感じもない。
腰が悲鳴を上げる感じもない。
むしろ、構成体が負荷を全身に逃がしているのが分かる。
亮太が遠くで目を丸くしていた。
「康生さん、それを普通に持てるのか」
「俺も今びっくりしてる」
『負荷分散正常。構成体損耗、微小』
アオイが記録する。
シラヌイが続けた。
『次。六百キログラム相当』
「段階が雑!」
『安全距離は確保済み』
「俺の安全は?」
『それを確認する試験である』
「そうだった!」
次は、コンクリート板だった。
康生はしゃがみ、両手をかける。
持ち上げようとした瞬間、手のひらがわずかに沈んだ。
ピコマシンが接触面を変形させ、滑り止めのように噛んでいる。
「うわ、手が勝手に」
「接触補助です」
「便利だけど怖い」
康生は力を入れた。
コンクリート板が、ゆっくり地面から離れる。
持てた。
だが、さっきより明らかに内部の熱が上がる。
胸の奥、腹の奥、どこかに小さな黒い点があるような感覚。
そこから、じわりと熱が広がった。
「アオイ」
「はい」
「今、ちょっと変な感じした」
「中核特異点炉出力が上昇しています。範囲内です」
『出力上昇率を記録。熱拡散正常。ただし継続負荷は未確認』
康生はコンクリート板をそっと下ろした。
「範囲内って言われても、俺には分からん」
アオイが少しだけ康生を見る。
「そのための試験です」
「そうなんだけどさ」
亮太が遠くから言う。
「大丈夫か」
「大丈夫。たぶん」
『曖昧な自己申告は評価対象外』
「シラヌイ、容赦ないな」
『危険対象の自己申告のみで判断は行わない』
「安心するけど傷つく」
*
第三試験は、打撃だった。
資材置き場の奥に、分厚い金属板が立てられた。
黒塔の保守用資材らしい。
アオイが簡易固定し、シラヌイが距離を指定する。
「殴るの?」
『殴打により大型個体を撃破したと申告した。再現性の一部確認が必要』
「嫌な再現性だな」
アオイが補足する。
「今回は外部エネルギー供給なし。軌道送電衛星による制限解除は行いません」
「それは絶対やらない」
「また一基消費する衛星がありません」
「そういう問題でもない」
康生は金属板の前に立った。
拳を握る。
自分の手を見る。
普通の拳。
だが、大型を殴った時の感覚が、少しだけ蘇る。
光輪。
翼のようなマイクロウェーブの光。
村人たちの目。
天輪様。
康生は顔をしかめた。
「…やっぱ嫌だな」
アオイが言う。
「恐怖反応を検出」
「そりゃ怖いだろ。自分がどこまで壊せるか試すんだぞ」
『必要な恐怖である』
シラヌイが言った。
康生は通信端末を見る。
「軍用AIにそう言われると変な感じだな」
『危険を恐れない危険対象は、より危険である』
康生は少しだけ黙った。
「…それは、まあ、そうだな」
アオイがこちらを見る。
「昨日の判断補正と一致します」
「怖がるのも、役に立つってことか」
「はい」
康生は息を吐いた。
「じゃあ、怖がりながらやる」
拳を引く。
殴る。
金属板に拳が当たった瞬間、重い音が響いた。
板が大きくへこむ。
固定具が悲鳴を上げる。
康生は慌てて拳を引いた。
「うわ」
亮太が遠くで固まっている。
アオイが記録を読み上げた。
「外部供給なし。構成体損耗、軽微。打撃部位周辺ピコマシンの瞬間硬化を確認」
『標的損傷、中。大型個体撃破時の出力には遠く及ばない』
「それでいい」
康生は即答した。
『再打撃。出力を上げろ』
「どれくらい?」
『現在比二倍』
「嫌な言い方」
アオイが言う。
「可能です」
「可能かどうかじゃなくて」
「制限内です」
「制限って、俺の精神は含まれてる?」
「昨日の補正により、含めるべきと判断します」
康生は少しだけアオイを見た。
「お」
「ただし試験継続は必要です」
「まあ、そこはそうか」
康生は再び拳を握った。
今度は、少しだけ力を入れる。
中核特異点炉。
自分の中にある、よく分からない心臓。
そこから力を引き出すイメージ。
だが、引き出しすぎない。
怖がる。
止める。
その感覚を意識する。
「いくぞ」
拳が金属板に当たった。
今度は、音が違った。
鈍い衝撃の後、金属板の裏側が裂けた。
固定具の一本が折れ、板全体が斜めに傾く。
康生は反射的に後ろへ飛び退いた。
「やりすぎた!」
アオイが即座に言う。
「損耗率、許容範囲内。熱上昇、軽度。周辺被害、限定」
『制御は不完全。出力上昇時の心理的動揺を確認』
「怖いんだから動揺するだろ!」
『記録した』
「慰めろとは言わないけどさ!」
亮太が遠くから声を上げた。
「康生さん、無事か!」
「俺は無事! 板は無事じゃない!」
「見れば分かる!」
*
第四試験は、耐久だった。
といっても、誰かに殴られるわけではない。
一定時間の連続運動と、構成体損耗の確認。
康生は資材置き場の中を走り、鉄骨を持ち上げ、壊れた保守機の外装を移動させ、崩れたコンクリートを避ける。
地味だった。
地味だが、しんどい。
身体ではなく、意識がしんどい。
常にアオイとシラヌイが数値を読み上げる。
「構成体応答、正常」
『熱処理、許容範囲』
「ピコマシン再配列、微小遅延」
『判断遅延、〇・三秒』
「中核出力、安定」
『精神的疲労兆候』
「やめろ。実況されると余計疲れる」
『試験である』
「知ってる!」
やがて、康生は足を止めた。
膝に手をつく。
息は上がっていない。
だが、息を整えたくなる。
人間だった頃の癖だ。
「……疲れてるのか疲れてないのか分からん」
アオイが答える。
「肉体疲労は軽微。人格ログ側の疲労認識が先行しています」
「つまり気持ちの問題?」
「軽視すべきではありません」
康生は顔を上げた。
アオイは続ける。
「精神的負荷は、出力制御の安定性に影響します」
『同意する』
シラヌイも言った。
『石田康生は高出力個体だが、自己認識と実性能に乖離がある。過信よりも不安定な萎縮が問題となる可能性あり』
「めちゃくちゃ分析されてる」
『それが目的である』
「ですよね」
康生は空を見上げた。
黒塔の上に、薄い雲が流れている。
光輪は出ていない。
翼も出ていない。
それだけで、少し安心した。
*
最後に、シラヌイが総評を告げた。
『危険対象能力確認試験、第一回評価』
「第一回って言った?」
『継続評価が必要』
「嫌だなあ」
『石田康生は、外部エネルギー供給なしでも通常人類を大きく上回る運動性能、構造破壊能力、耐久性を有する』
「改めて言われると嫌だな」
『一方で、高出力行使には心理的抵抗があり、出力上昇時に制御遅延が発生する』
「怖いからね」
『恐怖は制御要素として有効。ただし過剰な萎縮は危険』
アオイが頷く。
「康生の自己否定傾向は、暴走抑制に有効ですが、行動不能につながる可能性があります」
「二人で俺の心を分析しないで」
『必要である』
「はい」
シラヌイは続けた。
『現時点で、石田康生を友軍認定するには不足』
「分かってます」
『敵性対象認定にも不足』
「そこは助かる」
『監視対象を継続』
「それでいいです」
『ただし、限定的な現地行動能力は確認した。旧下水浄化・リン回収施設の調査申請について、条件付き審査へ移行する』
康生は少しだけ目を開いた。
「前進?」
『前進ではない。審査段階の変更である』
「軍用AI、そういうとこ堅いな」
『規律である』
「はい」
亮太が近づいてきた。
「終わったのか」
「一応」
「どうだった」
康生はへこんだ金属板を見た。
曲がった鉄骨。
割れたコンクリート。
そこに立つ自分。
「…俺、やっぱ危ないな」
亮太は少し黙った。
それから言った。
「でも、止まってた」
康生は亮太を見る。
「何が」
「途中で怖がって、止めようとしてた。やりすぎたら驚いてた」
「それ、褒めるとこか?」
「俺には、そう見えた」
亮太は真面目な顔で続けた。
「本当に危ないだけのものなら、怖がらない」
康生は言葉に詰まった。
アオイが静かに言う。
「藤倉亮太の評価は、昨日の判断補正と一致します」
「つまり?」
「恐怖と停止判断は、危険性を下げる要素です」
康生は小さく笑った。
「じゃあ、怖がりでよかったな」
「はい」
アオイは即答した。
シラヌイも少し間を置いて言った。
『記録する。石田康生の恐怖反応は、暴走抑制要因として評価可能』
康生は通信端末を見た。
「防衛隊にも怖がり認定された」
『事実である』
「はい」
康生は肩を落とした。
それでも、少しだけ胸の奥が軽かった。
強いから危険。
分からないから危険。
それは変わらない。
だが、怖いと思えることも、止めようとすることも、ただの弱さではないらしい。
それなら、少しだけやっていける気がした。
「アオイ」
「はい」
「今日の結果、防衛隊に全部送って」
「了解しました」
「隠すなよ」
「隠しません」
「バックドアもなし」
「ありません」
「本当だな?」
「はい。今回は」
「今回はって言うな」
アオイは少しだけ首を傾けた。
「次回も、必要がなければ行いません」
「まだ遠いなあ」
亮太が小さく笑った。
康生も、少しだけ笑った。
旧資材置き場には、壊れた金属板と、割れたコンクリートと、朝の冷たい空気が残っている。
そこに立つ康生は、まだ自分が何なのか分からない。
人間ではない。
神ではない。
友軍でもない。
敵でもない。
危険対象で、監視対象で、規約違反者。
それでも、怖がりながら止まれるなら。
たぶん、まだ人間の側に立っていられる。
康生は白い息を吐き、黒塔の方を見た。
その上空で、光輪のない空が静かに明るくなっていた。




