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規約違反者と監視AI 〜目覚めた未来で、人間扱いされたくて〜  作者: 八汐
第二章 防人村と天輪様

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第十九話 試用期間の管理者

三人は、青白い光の線に導かれるように、黒塔のさらに奥へ進んだ。

足元の光は、床の継ぎ目に沿って細く走っている。

こちらへ進めと言っているみたいだった。

黒塔は、康生たちを誘導している。

その事実が、康生にはひどく気持ち悪かった。

「…これ、完全に案内されてるよな」

「はい」

アオイが即答する。

「罠だよな」

「その可能性があります」

「じゃあ何で進んでるんだ、俺たち」

「他の経路が塞がれているためです」

「選択肢が罠しかない人生、嫌すぎる」

康生は左手を握ったり開いたりした。

さっき鉛片に触れた手だ。

もう何もついていない。

それでも、手のひらの奥に鈍い重さが残っている気がした。

「…まだ気持ち悪い」

「質量補填後の違和感です。数分で低下します」

亮太が横目で康生の手を見た。

「康生さん」

「言うな」

「何も言っていない」

「言いそうな顔をしてた」

「防人でも、鉛は吸わない」

「言った!」

亮太は真面目な顔のまま言った。

「だが、助かった」

康生は少し黙った。

そう言われると、反論しにくい。

助かったのは事実だ。

あのままだったら、隔壁は閉まらなかったかもしれない。

中型個体に追いつかれていたかもしれない。

それでも、鉛は嫌だった。

人間として。

いや、厳密に言えば人間ではないらしいが、心はまだ人間でいたい。

少なくとも、鉛を補填して当然だと思う存在にはなりたくない。

通路は、だんだん狭くなっていった。

資材搬送路のような広さはない。

壁の両側には黒い配管が密集し、ところどころで脈打つように淡く光っている。

天井は低い。

亮太ならまだ普通に歩けるが、康生は少し身を屈める必要があった。

「ここ、本当に保守用深層経路なのか」

「はい」

「保守する人、腰悪くしそうだな」

「旧文明の保守作業は、主に自律機械または遠隔操作で行われていたと思われます」

「人間が歩く前提じゃないのか」

「非常時には歩行可能です」

「非常時って言葉で全部許されると思うな」

床の光が、途中で分岐した。

左へ行く光。

右へ行く光。

そして、正面へ続く光。

だが、正面の光だけが明らかに強い。

康生は足を止めた。

「正面に行けって言ってるな」

「はい」

「じゃあ正面は無しだ」

アオイが康生を見る。

「理由は」

「言われた通りに動くのが一番危ない」

「合理的です」

「お前が合理的って言うと不安になる」

亮太が左と右の通路を見比べる。

「どちらへ行く」

康生は少し考えた。

左の通路は、風が流れている。

右の通路は、機械の低い音がする。

正面は、青白い光が綺麗すぎる。

「アオイ、左右は何がある」

「左は換気中枢へ接続する可能性があります。右は記録復旧区画、または補助演算室へ接続する可能性があります」

「可能性ばっかりだな」

「図面の欠落が多いためです」

「黒塔のくせに、自分の図面もまともに残ってないのか」

「長期稼働と破損により、自己認識領域に欠落が生じている可能性があります」

康生は顔をしかめた。

「それって、こいつ自分の体がどこまで残ってるか分かってないってことか」

「近似的には」

「怖いな」

亮太が通路の奥を見た。

「壊れたまま動いている獣みたいなものか」

「旧文明施設にしては、かなり詩的な表現です」

アオイが言った。

亮太は少し困った顔をする。

「褒められたのか?」

「たぶん」

康生は右の通路を見た。

記録復旧区画。

その響きが気になった。

黒塔の管理規定。

群体誘導モデル。

村落防衛優先度。

そして、自分を代替管理者候補として見ている理由。

何かが残っているなら、そこだ。

「右に行く」

康生は言った。

「正面に行けって言われてるなら、右から回る」

「了解」

アオイが頷く。

亮太も黙って続いた。

     *

右の通路は、途中から床の素材が変わった。

黒い金属板ではなく、白っぽい樹脂のような床。

壁には古い端末が並んでいる。

ほとんどは沈黙していたが、時折、ちらつく画面に文字が浮かぶ。

――記録復旧中。

――管理ログ破損。

――承認履歴不整合。

――例外処理、未解決。

――代替管理者候補、追跡中。

康生は足を止めた。

「追跡中って出てるぞ」

「表示されています」

「俺、指名手配されてるみたいになってない?」

「近似的には」

「近似じゃないだろ、これ」

その時、通路の奥で小さな音がした。

かち。

かち。

細い脚が床を叩くような音。

亮太が身構える。

武器はない。

さっき保管庫で拾えそうなパイプを持ってくればよかった、と康生は今さら思った。

いや、そんな余裕はなかった。

「アオイ、何かいる?」

「小型自律機械、一」

「クリーチャーじゃないのか」

「現時点では施設内機械です」

通路の奥から、丸い機械が現れた。

膝ほどの高さ。

細い脚が六本。

上部には古い工具のようなアームがついている。

赤い光はない。

代わりに、青い光が一つだけ灯っていた。

康生は少しだけ警戒を緩める。

「警備機じゃない?」

「保守機と思われます」

保守機は、康生たちの前で止まった。

青い光が、康生を見上げる。

『代替管理者候補、確認』

「また言われた」

『保守用補助機、待機中。命令を入力してください』

康生はアオイを見た。

「命令できるの?」

「限定的には」

「じゃあ、これ使えるかもな」

亮太が保守機を見る。

「武器になるのか」

「ならないと思う」

「なら何に使う」

康生は少し考えた。

保守機。

工具アーム。

記録復旧区画。

限定的命令。

「アオイ、こいつに扉を開けさせたり、端末を繋がせたりできる?」

「可能です」

「じゃあ、直接お前が繋がらなくて済む?」

「一部は」

康生は小さく笑った。

「いいじゃん」

アオイが保守機へ近づく。

「保守補助機を中継端末として使用します」

『命令権限を確認。代替管理者候補、承認待ち』

「また承認か」

康生はため息をついた。

「石田康生の名で承認。ただし、俺はまだ管理者じゃない。試用期間だ」

アオイが一瞬だけ康生を見た。

「試用期間?」

「あるだろ。正式契約前にちょっと使えるやつ」

「旧時代の雇用慣行ですか」

「近いようで遠い」

保守機の青い光が点滅した。

『試用管理者権限を検索中』

康生は固まった。

「あるの?」

アオイが端末を見る。

「類似する規定が存在します」

「あるのかよ!」

視界に文字が浮かんだ。

――緊急時管理候補評価運用。

――正規管理者不在時、候補個体に限定権限を付与。

――評価期間中、候補個体は管理者規定への完全拘束を受けない。

――ただし、行動ログはすべて記録される。

康生は口元を引きつらせた。

「試用期間あった」

「あなたの表現は不正確ですが、概ね一致しています」

亮太が真面目に聞く。

「つまり、康生さんは管理者になるのか」

「ならない。お試しだ」

「お試し管理者」

「嫌な言い方だな」

アオイが淡々と告げる。

「緊急時管理候補評価運用であれば、黒塔の一部機能へアクセスできる可能性があります。同時に、完全な思考拘束は回避できます」

「いいじゃん」

「ただし、候補個体の行動ログは黒塔に蓄積され、評価に利用されます」

「監視されるってことか」

「はい」

「それはもうされてる」

「はい」

「じゃあ、今さらだな」

康生は保守機を見る。

「よし。試用期間でいく」

アオイが止めるように言った。

「危険は残ります」

「知ってる」

「黒塔は、あなたを正式管理者に移行させようとする可能性があります」

「契約書読まずにサインはしない」

「その姿勢は有効です」

「誉めるな」

康生は保守機に向き直った。

「緊急時管理候補評価運用を申請。権限は最低限。拘束系は拒否。記録閲覧と扉の開閉だけ」

保守機の青い光が点滅する。

『申請内容、非標準』

「またか」

『規約外判断能力を確認。申請を受理』

「受理するのかよ」

『試用管理者権限、発行』

康生の視界に、新しい表示が浮かんだ。

――試用管理者:石田康生

――権限範囲:保守補助、記録閲覧、限定扉操作

――拘束規定:未適用

――評価中

康生は、その最後の文字を見て顔をしかめた。

「評価中って書くな」

アオイが言う。

「評価されています」

「知ってるけど、書かれると腹立つ」

その瞬間、通路の照明が一段階明るくなった。

壁の端末が一斉に起動する。

死んでいたはずの画面に、文字が流れ始めた。

――試用管理者権限を確認。

――記録復旧区画、一部開放。

――代替管理者候補、誘導経路を更新。

――適応監視知性体、補助接続を許可。

――防衛対象外生体、未登録。

亮太の眉が動いた。

「俺だけまた未登録だ」

「そこを何とかしよう」

康生は端末へ手を伸ばす。

「亮太を同行者登録」

――同行者登録は、試用管理者権限では制限されています。

「出たよ」

アオイが補足する。

「試用権限では、防衛対象外生体の恒久登録は不可能です」

「恒久じゃなくていい。一時で」

――一時同行者登録、残り枠なし。

「枠?」

康生は嫌な予感がした。

「俺の同行者枠、誰が使ってる?」

アオイが表示を読む。

「適応監視知性体A・O・I」

康生はアオイを見た。

「お前かよ」

「私は補助接続枠として登録されています」

「同行者枠食うな」

「私の処理ではありません」

亮太が苦笑した。

「俺はまた排除対象か」

「させるか」

康生は表示を睨む。

枠なし。

恒久登録不可。

同行者はアオイで埋まっている。

だが、登録区分が一つしかないとは限らない。

「アオイ、他の区分は?」

「検索します」

表示が流れる。

――試用管理者

――補助接続体

――同行者

――保守補助機

――搬送対象

――異物

――廃棄物

――監査対象

康生は目を止めた。

「監査対象」

「使用可能です」

「意味は?」

「管理者候補の判断を外部から観察するための対象、または立会人に近い区分です」

「それだ」

亮太が少し不安そうに言う。

「俺は監査するのか」

「してることにする」

「何を」

「俺が変な管理者にならないか」

亮太は真顔になった。

「それなら、できる」

康生は少し笑った。

「頼もしいな」

「康生さんが黒塔に乗っ取られそうなら、止める」

「槍ないけどな」

「素手で止める」

「やめろ。頼もしいけどやめろ」

康生は端末へ向き直る。

「亮太を監査対象として登録」

――監査対象登録には、評価対象者の同意が必要です。

「同意する」

――評価対象者:石田康生。同意を確認。

――監査対象:防衛対象外生体。名称未登録。

「名前、亮太」

――亮太。

――監査対象として登録。

――排除対象から除外。

――有効時間、二十分。

亮太が息を吐いた。

「また時間制か」

「この塔、時間制好きだな」

アオイが言う。

「制限付き権限のためです」

「分かった。二十分以内に抜ける」

康生は壁の工具ラックを見た。

そこには、古い保守用の棒状工具が収まっていた。

槍ほど長くはないが、金属製で頑丈そうだ。

「アオイ、あれ持ち出せる?」

「試用管理者権限で、保守作業用工具の貸与が可能です」

「亮太、武器じゃない。工具だ」

亮太の目が少しだけ明るくなった。

「工具か」

「工具なら持っていいだろ」

アオイが端末へ触れる。

工具ラックのロックが外れた。

亮太は棒状工具を手に取る。

片腕では扱いにくそうだが、それでも素手よりずっとましだ。

「重いな」

「使えるか」

「槍とは違うが、棒なら扱える」

「じゃあ工具係だ」

亮太は頷いた。

「分かった。工具係として、康生さんを監査する」

康生は何とも言えない顔になった。

「字面がひどいな」

「でも、排除されない」

「そこは大事」

その時、奥の扉が開いた。

記録復旧区画への入口らしい。

中から、冷たい風が流れてくる。

保守機が先に進み、青い光で足元を照らした。

『試用管理者、記録復旧室へ移動してください』

「命令形やめろ」

『移動を推奨します』

「言い直した」

アオイが言う。

「黒塔側が、あなたの指摘に応じています」

「嫌な学習するな」

三人は、記録復旧室へ入った。

     *

そこは、広い円形の部屋だった。

壁一面に、古い記録装置が並んでいる。

透明な筒。

黒い箱。

薄い板状の記憶媒体。

用途の分からない結晶のようなもの。

そのほとんどが割れ、焼け、沈黙していた。

しかし、中央だけは生きていた。

円形の床に、巨大な地図が浮かび上がっている。

日本列島。

康生は息を呑んだ。

見慣れているようで、見慣れていない地図だった。

海岸線が少し違う。

都市名はほとんど消えている。

代わりに、いくつもの赤い点と、青い線が表示されている。

その一つが、康生たちのいる村の位置だった。

青くはない。

薄い灰色。

そして、その横に文字があった。

――村落拠点。

――人口、小。

――防衛優先度、最低。

――誘導障害、許容。

亮太の顔色が変わった。

「誘導障害、許容……?」

康生も文字を睨む。

「何だよ、それ」

アオイが静かに言った。

「外来群体の誘導時、当該村落への被害を許容する設定と思われます」

「許容って」

亮太の声が震えた。

怒りだった。

「村の人間が死ぬことを、許容しているのか」

「記録上は、そう解釈できます」

康生の腹の奥が冷えた。

黒塔は村を知らなかったわけではない。

見落としていたわけでもない。

知っていて、低い優先度に置いていた。

被害が出ても構わない、と判断していた。

ルール通りに。

効率的に。

「……ふざけんなよ」

康生は低く呟いた。

地図の上で、赤い点が動いている。

村から離れた山中。

海岸沿い。

そして、黒塔の北側。

複数の赤い点が、青い線に沿って移動している。

アオイの瞳が細く光った。

「外来群体の移動予測です」

「今動いてるやつか」

「はい」

亮太が地図へ身を乗り出す。

「村に向かっているものは?」

アオイは一瞬だけ黙った。

その沈黙で、康生は嫌な予感を覚えた。

地図の灰色の村落拠点へ向かって、細い赤い線が一本伸びていた。

まだ遠い。

だが、確実に向かっている。

「中型群、推定五から八」

アオイが言った。

「到達予測は」

「黒塔の現行モデルでは、四時間二十二分後」

亮太の顔が青ざめる。

「村には、今、防人が少ない」

康生は拳を握った。

四時間二十二分。

遠いようで、近すぎる。

ここで黒塔を止められなければ、村はまた襲われる。

しかも、今度は大型でなくてもまずい。

防人は負傷者が多い。

亮太もここにいる。

村はまだ前の襲撃から回復していない。

「アオイ」

「はい」

「これ、今すぐ優先度を変えられるか」

「試用管理者権限では不可能です」

「じゃあ何ならできる」

アオイは地図の下に表示された項目を見る。

「記録復旧室からは、誘導モデルの入力ログを閲覧できます。書き換えは中枢演算室の権限が必要です」

「中枢演算室は?」

保守機の青い光が、部屋の奥の扉を照らした。

そこには、黒い扉があった。

これまでの扉よりも重厚で、表面に細い光が走っている。

――群体挙動予測中枢

――管理者以外立入禁止

康生は、嫌なほどはっきりと読めた。

「また管理者かよ」

『試用管理者権限では、中枢扉の開放は制限されています』

黒塔の機械音声が響いた。

『正式管理者承認に移行してください』

康生は扉を睨んだ。

黒塔は、まだ契約させる気だ。

村を人質にして。

康生は歯を食いしばる。

「しない」

『村落防衛優先度の変更には、正式管理者権限が必要です』

「しないって言っただろ」

『中型群到達まで、四時間二十一分』

「カウントすんな」

『正式管理者承認を推奨』

亮太が康生を見る。

その表情には、焦りがあった。

当然だ。

村が危ない。

だが、亮太は言わなかった。

管理者になってくれ、とは言わなかった。

それが逆に、康生には刺さった。

アオイも何も言わない。

ただ、康生の判断を待っている。

康生は息を吐いた。

正規ルートは駄目だ。

正式管理者になれば、黒塔の規定に絡め取られる。

でも、扉は開けなければならない。

なら、やることは一つ。

「アオイ」

「はい」

「試用管理者で開かないなら、何を偽装すれば開く」

アオイの瞳が、微かに光った。

「規約違反行為です」

「今さらだろ」

「扉の管理記録には、定期点検用の自動開放ログがあります」

「いいじゃん」

「ただし、直近の点検予定は三百二十六年前です」

「じゃあ遅れてるだけだな」

「非常に乱暴な解釈です」

「点検は大事だろ」

アオイは無表情のまま頷いた。

「定期点検遅延として、保守開放を要求します」

「それで行こう」

亮太が小さく言う。

「それは通るのか」

康生は扉を見た。

「通すんだよ」

アオイが端末へ接続する。

保守機が黒い扉の前で工具アームを伸ばす。

康生の視界に、文字が流れた。

――中枢扉、正式管理者権限を要求。

――試用管理者権限、不足。

――保守開放要求、拒否。

――定期点検ログ、参照不能。

――点検遅延、三百二十六年。

――安全規定により、即時点検を要求。

康生は笑った。

「ほらな」

アオイが言う。

「安全規定が競合しています」

「ルール同士で喧嘩してる?」

「肯定します」

「そこを押す」

黒塔の機械音声が乱れた。

『正式管理者承認を推奨』

『安全点検を要求』

『正式管理者承認を推奨』

『安全点検を要求』

同じ声が、違う命令を繰り返す。

黒塔の低い振動が、不安定に揺れた。

康生は黒い扉に手を当てる。

「悪いな」

彼は、小さく言った。

「ルール通りにやって滅びたんなら、今度はルール同士をぶつける」

アオイが静かに告げる。

「保守開放、通ります」

黒い扉の表面に、一本の線が走った。

重い音を立てて、扉が開き始める。

その先から、冷たい光が漏れた。

青白い。

だが、その奥に、血のような赤が滲んでいる。

『中枢演算室、開放』

機械音声が告げる。

『試用管理者、石田康生』

『規約外判断能力を、再評価します』

康生は、心底嫌そうに顔をしかめた。

「評価するな」

扉の奥で、巨大な何かが起動する音がした。

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