第十七話 代替管理者候補
「効率的です。旧時代にルール通りの判断を続けた結果が今です」
その言葉を口にしたのは、アオイだった。
黒塔の低い振動が、少しだけ大きくなった。
狭いダクトの中で、康生は思わずアオイを見た。
「…それ、慰めになってないぞ」
「慰めではありません」
「だろうな」
康生は小さく息を吐いた。
目の前には、青白い文字が浮かんでいる。
――管理者代理、石田康生。
――不正運用履歴を確認。
――規約外判断能力を評価。
――代替管理者候補として、適性あり。
何度見ても、嫌な文面だった。
評価されている。
しかも、まともな部分ではない。
康生が昔から怒られ、注意され、規約違反者と呼ばれてきた部分を、この塔は評価している。
「アオイ」
「はい」
「こいつ、俺を褒めてるのか」
「はい」
「最悪の褒め方だな」
「黒塔の現行判断基準において、あなたの行動傾向は高く評価されています」
「お前といい黒塔といい、何で俺のダメなところを伸ばそうとするんだ」
「有効だからです」
「教育方針が終わってる」
ダクトの奥で、文字がさらに流れた。
――既存管理規定、破綻。
――正規管理者、不在。
――上位承認系統、喪失。
――通常手順による復旧、不能。
――例外判断能力を持つ管理個体を要求。
康生は顔をしかめた。
「……こいつ、困ってるのか?」
「その可能性があります」
アオイはダクトの奥を見つめたまま答える。
「黒塔は、命令系統が壊れた状態で稼働を続けています。通常規定では現状を修正できないため、規約外判断を行える管理者を必要としていると思われます」
「それで俺?」
「はい」
「人選が終わってる」
亮太が狭いダクトの中で身じろぎした。
片腕を吊っているせいで、動くたびに金属板が小さく鳴る。
「つまり、黒塔は康生さんに管理者になれと言っているのか」
「そうらしい」
「なれば、止められるのか」
亮太の声は真剣だった。
村を守るためなら、危険な選択肢でも拾おうとする。
康生はそれを理解している。
だからこそ、すぐには答えなかった。
アオイが先に言う。
「代替管理者権限を取得できれば、黒塔の一部機能に干渉できる可能性があります」
「ほら」
亮太が言う。
「同時に、黒塔側の管理規定に拘束される危険があります」
「拘束?」
康生が眉をひそめる。
「何それ」
「思考補助系、判断補正、命令優先順位の書き換えなどです」
「完全に乗っ取りじゃねえか」
「近似的には」
「近似じゃない」
亮太の顔も険しくなる。
「なら駄目だ」
「だろ」
康生は鼻で息を吐いた。
「この塔が俺を管理者にしたい理由は分かった。でも、俺がこいつの椅子に座ったら終わりだ」
「椅子?」
「管理者の椅子だよ。座った瞬間、机ごと爆発するタイプのやつ」
「旧文明には、そういう椅子があるのか」
「例えだよ」
「ありそうで困る」
「本当に困る」
その時、ダクトの中に機械音声が響いた。
『代替管理者候補、応答を要求』
康生はびくっとした。
「うわ、喋った」
『管理規定、更新不能。外来群体誘導モデル、異常継続。村落防衛優先度、最低』
亮太の表情が変わった。
「最低……」
『修正には、代替管理者承認が必要』
康生は唇を噛んだ。
嫌な言い方だった。
まるで、選べと言われているみたいだった。
管理者になれば村を守れるかもしれない。
ならなければ、村はまた襲われるかもしれない。
ただし、なったら自分がどうなるか分からない。
黒塔は、そこを分かった上で提示している。
「脅しかよ」
康生は呟いた。
アオイが答える。
「交渉に近い形式です」
「交渉っていうのは、もう少し選択肢がまともな時に使う言葉だ」
『代替管理者候補、応答を要求』
「うるさいな」
康生はダクトの壁を軽く叩いた。
「アオイ、こいつに返事できるか」
「可能です」
「じゃあ、言ってくれ」
「内容は」
康生は少しだけ考えた。
そして言った。
「検討します。ただし契約書を全部読んでからな、って」
アオイは一瞬だけ黙った。
「そのまま送信しますか」
「いや、もう少しちゃんとした言葉にして」
「了解」
アオイの瞳に光が走る。
『代替管理者候補は、規定内容の確認前に承認しません』
黒塔の振動が、わずかに乱れた。
康生は小さく笑う。
「怒った?」
「処理遅延を確認」
「怒ってるな」
『規定確認権限は、代替管理者承認後に付与』
康生は眉を上げた。
「契約後じゃないと契約内容を見せないって言ってるぞ」
「詐欺ではないか」
亮太が真面目に言った。
「詐欺だな」
康生は頷いた。
「旧文明の施設相手に詐欺とか言う日が来るとは思わなかった」
「承認しますか」
アオイが聞く。
「するわけないだろ」
康生は即答した。
「正規ルートは駄目だ。罠くさい」
「では、どうしますか」
「罠なら、罠を踏まない道を探す」
康生はダクトの奥を見た。
狭い。暗い。臭い。
足元には三百年以上分の埃と錆が溜まっている。
正直、全然かっこよくない。
でも、こういう道の方がまだ信用できる。
正面玄関。
管理者承認。
規定遵守。
そういう綺麗な言葉ほど、この時代では信用できない。
ルール通りの判断を続けた結果、今がある。
アオイの言葉が、妙に頭に残った。
「アオイ」
「はい」
「黒塔の管理規定を外から書き換える方法は?」
「通常は不可能です」
「通常じゃない方法は?」
「端末への物理接続、保守用深層経路、緊急隔離解除、記録復旧用のバックアップ領域への侵入などが考えられます」
「いっぱいあるじゃねえか」
「いずれも危険です」
「危険じゃない道がないのは知ってる」
亮太が言った。
「その中で一番ましなのは?」
アオイは即答した。
「保守用深層経路です」
康生は嫌な顔をした。
「また保守用か」
「旧文明施設は、正規系統が停止した場合に備え、複数の保守経路を持ちます」
「本当に見えない道が好きだな、人類」
「あなたも好みます」
「俺と人類を一緒にするな」
「あなたは人類です」
「そこだけ認めるなよ。都合よく人外扱いするくせに」
アオイは無表情のまま、ダクトの先を指した。
「この先、三十メートルで分岐があります。左は換気中枢、右は資材搬送路、下方は保守用深層経路へ接続する可能性があります」
「可能性」
「図面が破損しています」
「もうその言葉にも慣れてきた自分が嫌だ」
背後から、金属を叩く音が聞こえた。
警備機が、下の制御室にいる。
直接追っては来られないらしい。
だが、赤い光がダクトの継ぎ目から時折漏れてくる。
完全に見つかっている。
「急ぐぞ」
康生が言うと、三人はダクトの中を進み始めた。
*
這う。
ひたすら這う。
ダクトの中は狭く、康生は何度も肩をぶつけた。
金属の粉が服につく。
膝が痛い。
手のひらがざらつく。
前を進むアオイは、ほとんど音を立てない。
後ろの亮太は片腕のせいで苦戦しているが、それでも文句ひとつ言わない。
康生は振り返った。
「亮太、大丈夫か」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃない時も大丈夫って言うだろ、お前」
「防人だからな」
「便利な言葉にするな」
亮太は少しだけ息を整えた。
「康生さんこそ、大丈夫か」
「大丈夫じゃない」
「正直だな」
「防人じゃないからな」
亮太が小さく笑った。
その時、前方のアオイが止まった。
「分岐です」
康生も体をずらして前を見る。
ダクトが三方向に分かれていた。
左へ行く道。
右へ行く道。
そして、下へ落ちる細い縦穴。
下方の穴からは、冷たい空気が上がってきている。
かなり深い。
康生は顔をしかめた。
「絶対下だよな」
「はい」
「分かってた」
「下方に保守用深層経路と思われる空間があります」
「落ちたら?」
「負傷します」
「即答」
「ただし、あなたは軽微な損傷で済む可能性があります」
「亮太は?」
「重傷の可能性があります」
「じゃあ駄目だろ」
亮太が言う。
「俺なら降りられる」
「片腕で?」
「努力する」
「努力で骨折を増やすな」
康生は周囲を見回した。
ダクトの壁に、古いケーブルが束になって走っている。
劣化しているが、太いものもある。
「アオイ、このケーブル使えるか」
「構造材としては使用可能です」
「ロープ代わりにする」
「推奨します」
康生はケーブルを引っ張った。
硬い。
アオイが指先から銀色の粒子を出し、固定具を外す。
ケーブルの束が、ずるりと外れた。
「長さは?」
「約八メートル」
「足りる?」
「下方空間まで六・五メートルです」
「よし」
亮太がケーブルを見た。
「旧文明の腸みたいだな」
「急に嫌な表現するな」
「森の獣を解体すると、こういう感じに――」
「説明しなくていい!」
康生はケーブルを縦穴の縁に固定した。
アオイが強度を確認する。
「降下可能です。ただし、一人ずつ」
「じゃあアオイから」
「了解」
アオイは何のためらいもなく穴へ降りた。
数秒後、下から声がする。
「安全を確認」
「次、亮太」
「康生さんが先じゃないのか」
「俺が下で受け止めるより、アオイが下で受け止めた方が安全だろ」
「それはそうだが」
「それに、俺は最後に行く。後ろも見る」
亮太は少しだけ康生を見た。
何か言いたそうだったが、結局頷いた。
「分かった」
片腕での降下は、見ているだけで怖かった。
亮太は右手と両脚を使い、少しずつ下りていく。
途中で足が滑った。
康生は思わず声を上げる。
「亮太!」
下からアオイの腕が伸びた。
銀色の粒子が亮太の体を包み、落下を止める。
鈍い音と共に、亮太が下へ降りた。
「無事です」
アオイの声がする。
康生は息を吐いた。
「心臓に悪い」
「あなたの心臓は通常構造ではありません」
下からアオイが言った。
「そういう意味じゃない!」
康生もケーブルを掴み、穴へ降りた。
途中で上を見る。
ダクトの奥に、赤い光が見えた。
警備機ではない。
小さな、丸い目のようなもの。
監視ドローン。
それが、こちらを見ていた。
「アオイ、上!」
「確認」
赤い目が光る。
――代替管理者候補、逃走中。
――追跡継続。
「逃走中って書くな!」
康生は慌てて降りる。
足が滑った。
次の瞬間、体が落ちた。
「うわっ」
落下は一瞬だった。
だが、床に叩きつけられる寸前、アオイの銀色の粒子が康生を受け止めた。
ふわりとした感覚のあと、床へ転がる。
「……助かった」
「はい」
「もうちょい優しく置けない?」
「緊急時です」
「毎回それだな」
康生は体を起こした。
そこは、広い搬送路だった。
さっきまでのダクトとは違い、人が立って歩ける高さがある。
床には古いレールのようなものが走っていた。
壁には、かすれた文字。
――資材搬送区画
――保守中枢連絡路
――危険物保管庫 この先
康生は最後の文字を見て、顔をしかめた。
「危険物保管庫」
「保守用深層経路は、この区画の先です」
アオイが言う。
「危険物を通らないと行けないのか」
「はい」
「旧文明の設計、性格悪くないか」
「搬送効率を優先した配置です」
「効率って言葉への信頼がどんどん下がる」
亮太が壁の文字を見た。
「危険物とは何だ」
康生は少し考えた。
「旧文明基準の危険物だ」
「それは危ないのか」
「かなり」
「村基準の危険物とは違うのか」
「たぶん、村基準よりひどい」
「なら、なぜそこへ行く」
「そこを通らないと先に進めないからだよ」
康生は言ってから、嫌になった。
まただ。
まともな道がない。
黒塔は自分を管理者にしたがっている。
正規の承認は罠。
保守経路は危険物保管庫の先。
背後では警備機が追っている。
選択肢の形をした罰ゲームだった。
「アオイ、追跡は?」
「監視ドローンが上方から追跡中。警備機は別経路から回り込む可能性があります」
「どのくらいで来る」
「不明」
「いいよ、もう慣れた」
康生は搬送路を進み始めた。
*
危険物保管庫は、重い扉の奥にあった。
扉には、複数の警告表示が残っている。
――遮蔽材
――重金属資材
――反応炉補修用部材
――高密度質量体
――取扱注意
康生は文字を読み上げながら、途中で止まった。
「高密度質量体」
アオイの動きが、わずかに止まった。
本当にわずかだった。
だが、康生は見逃さなかった。
「……アオイ」
「はい」
「今、反応したよな」
「高密度質量体という表記を確認しました」
「何に使う気だ」
「現時点では未定です」
「嘘が下手になってるぞ」
アオイは無表情だった。
「あなたの中核特異点炉は、先日の外部供給により一度励起済みです」
「急に何の話?」
「条件が揃えば、制限解除の一部を再現できます」
康生は嫌な予感でいっぱいになった。
「条件って?」
「追加エネルギーと、質量補填です」
「出た」
亮太が康生を見る。
「質量補填とは何だ」
「聞くな。聞いたら後悔する」
アオイは扉へ手をかざした。
「この保管庫内には、補填に使用可能な高密度資材が存在する可能性があります」
「使用可能って、どう使用するの」
「摂取です」
「やっぱりろくでもない!」
亮太が目を見開いた。
「摂取?」
「食べるって意味だ」
康生は苦い顔で言った。
「旧文明の危険物を?」
亮太が素で引いた顔をする。
康生はその反応に、少し救われた。
「そうだよな。普通そういう顔になるよな」
「防人でも食わない」
「ありがとう、普通の意見」
アオイが補足する。
「あなたの構成体は通常生体ではないため、毒性や消化器官への負荷は問題になりません」
「俺の気持ちが問題なんだよ」
「精神負荷は監視します」
「そういうことじゃない!」
扉の向こうで、何かが低く唸った。
三人が同時に黙る。
保管庫の中に、何かいる。
アオイの瞳が光る。
「熱源反応、複数」
「危険物保管庫にクリーチャー?」
「小型から中型。詳細不明」
「最悪の倉庫だな」
亮太が腰に手をやり、槍がないことに気づいて顔をしかめた。
「槍がない」
「置いてきたからな」
「やはり不安だ」
「俺も不安だよ」
康生は扉を見た。
危険物保管庫。
高密度質量体。
中に敵。
背後からは黒塔の警備機。
行きたくない。
本当に行きたくない。
だが、進むしかない。
そして、おそらくこの中に、今の状況をひっくり返す材料もある。
穴を探すなら、まず穴のある場所へ行かなければならない。
「アオイ」
「はい」
「制限解除って、どのくらいできる」
「資材の種類と摂取量によります」
「摂取量を増やす前提で話すな」
「微量であれば、短時間の局所解除が可能です」
「局所解除?」
「腕部出力、脚部補助、遮蔽膜展開などです」
「便利そうだけど、言い方が怖い」
「便利です」
「そこだけ自信持つな」
康生は扉に手をかけた。
「中に入る。敵は避ける。必要なら止める。変なものは食わない」
アオイが言う。
「最後の条件は、状況により変更される可能性があります」
「変更しない」
「生存率に影響します」
「食わない」
「検討を推奨します」
「しない!」
亮太が小さく笑った。
「康生さん」
「何」
「やっぱり、神ではないな」
康生は亮太を見た。
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「だろ」
「旧文明の危険物を食わされそうになって怒っている人だ」
「言い方」
「少なくとも、俺にはそう見える」
「それでいい。それが正解」
アオイが扉のロックに触れる。
銀色の粒子が隙間へ流れ込んだ。
「開放します」
重い音を立てて、扉が動き出す。
内側から、冷たい空気が流れてきた。
金属の匂い。
獣の匂い。
そして、どこか甘い腐敗臭。
康生は顔をしかめる。
「うわ、入りたくない」
「進行してください」
「命令形やめろ」
扉の隙間から、保管庫の中が見えた。
薄暗い巨大な部屋。
積み上げられた金属の塊。
崩れたコンテナ。
床に散らばる白い骨。
その奥で、何かが動いた。
甲殻がこすれる音。
一つではない。
康生は息を呑む。
アオイが静かに言った。
「高密度資材を確認」
康生は嫌な予感しかしない目で、彼女を見た。
アオイは保管庫の奥に積まれた鈍い灰色の塊を見つめている。
その視線が、あまりにも真剣だった。
「……何を見てる」
「鉛です」
「やめろ」
「制限を一部解除する、簡易的な方法があります」
康生は、心底嫌そうに言った。
「絶対、今聞きたくないやつだ」
保管庫の奥で、クリーチャーの影がゆっくりと振り向いた。




