エピローグ その時の地上
その時、地上では何も起きなかった。
空は裂けなかった。
海は沸かなかった。
山も崩れず、風も変わらず、古い街の瓦礫の上には、いつもと同じ薄い光が落ちていた。
かつて道路だった場所を、草が覆っている。
割れた舗装の隙間から伸びた木々が、信号機を抱き込み、傾いた標識を枝で隠していた。
ビルの壁には蔦が這い、窓のない階には鳥に似た小さなものが巣を作っている。
その下を、クリーチャーが歩いていた。
細い脚を何本も持つもの。
背に苔のような毛を生やしたもの。
地面を舐めるように這うもの。
倒れた車両の下から這い出し、また別の瓦礫の影へ消えていくもの。
それらは、人間の言葉を知らない。
三沢も知らない。
練馬も知らない。
天輪も、白い海も、ハチも知らない。
自分たちの上を、どれほど重いものが通り過ぎようとしていたのかも知らない。
ただ、いつものように歩き、匂いを嗅ぎ、餌を探し、影へ潜り、また出てくる。
世界が終わりかけたことなど、どこにも書かれていなかった。
廃墟の広場に、大型がいた。
かつて駅前だった場所だ。
屋根は半分崩れ、案内板は錆び、線路は草に埋もれている。
その中央に、黒い皮膚を持つ大型のクリーチャーが身を伏せていた。
体は古いバスほどもある。
首は太く、背には岩のような突起が並び、長い尾が割れたタイルの上をゆっくり撫でている。
その周囲では、小型の群れが落ち葉を掻き、虫のようなものを捕っていた。
大型は、しばらく動かなかった。
ただ、耳のない頭部を、ゆっくりと空へ向けた。
何かを聞いたわけではない。
音はなかった。
空気の震えもなかった。
地面の揺れもなかった。
圧力の変化も、熱も、光の爆発もない。
それでも、大型は空を見上げた。
雲の切れ間の向こう、昼と夕方の境目のような薄い空に、細い光の線があった。
流星ではなかった。
大気を焼いて走る火ではない。
尾を引いて落ちてくる石でもない。
空を裂く雷でもない。
もっと遠い。
空のさらに外側を、何かが通り過ぎていく。
光は淡く、長く、ほとんど消えかけている。
見ようとしなければ、ただの雲の筋に見えたかもしれない。
けれど、大型はそれを見ていた。
尾を引く光の線は、地平の向こうへ向かっていた。
誰にも触れず、空を越え、風ひとつ乱す事なく、遠い彼方へ流れていく。
大型の黒い眼に、その光が小さく映った。
いつもはその空にない、綺麗な光だった。
やがて光の線は薄くなった。
雲の色に紛れ、空の青に溶け、見えなくなった。
大型は、しばらく空を見続けていた。
それから、ゆっくりと頭を下げる。
小型の群れは、何も知らずに地面を掻いている。
一匹が割れた瓶を転がし、別の一匹がそれに驚いて跳ねた。
大型の尾が静かに動き、草に触れ、露を落とした。
風が吹く。
ただの風だった。
白い海から来たものではない。
空の傷から来たものでもない。
世界の終わりを告げる風でもない。
廃墟の隙間を抜け、草を揺らし、古い看板を鳴らし、クリーチャーの皮膚を撫でて通り過ぎていく。
遠くで、別の個体が鳴いた。
それに応えるように、小型の群れが動き出す。
大型も、重い身体を持ち上げた。
割れたタイルが砕け、草が倒れ、古い駅前に低い足音が響く。
空には、もう何も見えない。
尾を引く光の線は消えた。
けれど、それは大気を乱さなかった。
地上を焼かなかった。
海を白くしなかった。
山は沈黙し、森は揺れ、廃墟には影が伸びる。
クリーチャーたちは歩き、這い、眠り、また目を覚ます。
どこか遠くの地下では、人が配給に並び、機械を直し、記録を残し、壁に絵を描いている。
それらすべてを知らないまま、地上の日常は続いていた。
大型は、かつて駅だった場所を離れる。
その背中の向こうで、空は静かに暮れていく。
その日、世界には昨日の続きが流れていた。
ただ一筋の遠い光が、地球を逸れて、彼方へ消えていった。
そして地上には、何事もなかったように、夜が来た。
途中から息切れした自覚ありながらも、何とか最後までは続けられました。
ペース等含め、勉強になる経験でした。
折を見て手直ししていけたらと思います。
拙い物語に最後までお付き合い頂き、感謝申し上げます。




