第十一話 天輪様じゃない
「人の話を聞け!」
康生の叫びは、夕焼けの村にむなしく響いた。
だが、聞いてほしい相手は、地面に手をついて頭を下げたまま動かない。
麻生守。
ついさっきまで、康生を旧文明の残骸と呼び、村に入れることすら渋っていた男だ。
その麻生が、今は康生の前で膝をついている。
「天輪様」
「違う」
「我らをお救いくださり、感謝申し上げます」
「違うって言ってるだろ!」
康生は手を振ろうとした。
だが、腕が重い。
指先すらまともに動かない。
全身が熱い。
それなのに、身体の芯が冷えていくような感覚もある。
力を使い切ったあと、身体の中身だけ空になっていくような、嫌な感じだった。
アオイが康生の身体を支えている。
「構成体過負荷。運動機能低下。会話は可能ですが、不要な発声は推奨しません」
「今、発声しなきゃまずいだろ……!」
「すでに手遅れの可能性があります」
「言い方!」
村人たちは、まだざわめいていた。
倒れた大型個体。
壊れた門。
焼け焦げた防壁。
夕焼けの空から落ちた白い光。
そして、その光の中で大型個体を倒した康生。
村人たちの目が、変わっている。
さっきまでは恐怖と警戒だった。
今も恐怖はある。
だが、それだけではない。
畏れ。
感謝。
理解できないものを見る目。
康生は、その視線を受けて、背筋が冷たくなった。
「やめろ……そういう目で見るな……」
誰にも聞こえないくらいの声で呟く。
アオイだけが反応した。
「周囲の認知変化を確認。あなたへの敵対的警戒は低下しています」
「よかった、じゃないんだよ」
「肯定。代替として宗教的畏敬が増加しています」
「もっと悪いわ」
麻生が顔を上げた。
その目には、もう先ほどまでの鋭い拒絶はなかった。
代わりに、さらに厄介なものが宿っている。
完全に、信じてしまった人間の目だった。
「天輪様。どうか、我らにお言葉を」
「だから天輪様じゃない」
「御身をそう称することをお嫌いになられるのですね」
「違う!」
「では、何とお呼びすれば」
「石田康生!」
麻生は深く頷いた。
「石田康生様」
「様もいらない!」
「では、康生様」
「悪化してる!」
亮太が、折れた左腕を押さえながら近づいてきた。
顔色は悪い。
だが、意識はしっかりしている。
「……村長」
亮太は苦い顔で言った。
「たぶん、康生さんは本気で嫌がってます」
麻生は亮太を見る。
「藤倉」
「はい」
「天輪様は、そう仰る方だ」
「駄目だ。話が通じない」
亮太は即座に諦めた。
康生は、アオイに支えられたまま亮太を見る。
「おい、諦めるな」
「無理だ。村長がこの顔になったら無理だ」
「どんな顔だよ」
「信じ切ってる顔」
「最悪だ……」
麻生は立ち上がった。
そして、村人たちへ振り返る。
「皆、頭を下げよ」
「やめろ!」
康生は叫んだ。
しかし遅かった。
村人たちは、戸惑いながらも一人、また一人と膝をつき始める。
最初は老人たち。
次に、槍を持っていた男たち。
それから、遠巻きに見ていた女たち。
子供たちまで、母親に抱えられながら小さく頭を下げる。
康生は血の気が引いた。
血があるのかは知らない。
でも、確実に引いた。
「やめてくれ……マジでやめてくれ……」
「信仰形成が加速しています」
アオイが淡々と言った。
「実況するな」
「記録しています」
「記録するな!」
康生は立っていられなくなった。
膝が崩れる。
アオイが支えようとするが、康生の身体は思った以上に重かったらしい。
二人まとめて、少しよろける。
亮太が慌てて右腕で支えた。
「無理するな。顔色悪いぞ」
「顔色あるのか、俺」
「少なくとも、今は死にそうに見える」
「もう死んでるらしいんだけどな……」
「ややこしいな」
「俺もそう思う」
アオイが康生の状態を確認する。
「構成体密度、低下中。外部エネルギー供給終了。中核特異点炉、再封印移行」
「さっきの衛星は?」
「旧軌道送電衛星、照射後に機能喪失しました」
康生は目を閉じた。
「壊れたの?」
「はい」
「一回で?」
「はい」
「先に言えよ……」
「使用前に説明する時間的余裕がありませんでした」
「それはそうだけどさ……」
麻生が、その言葉に反応した。
「天の光は、失われたのですか」
康生は嫌な予感がした。
アオイが答える。
「照射に使用した軌道送電衛星は、過負荷により崩壊しました」
麻生は目を見開いた。
そして、震える声で言った。
「天輪様のために、天の星が一つ燃え尽きた……」
「違う! いや、結果だけ見ればそうだけど違う!」
康生は否定した。
だが、否定すればするほど、村人たちのざわめきは深くなる。
「星が……」
「天輪様のために……」
「空から光が……」
「やはり……」
康生は絶望した。
「アオイ」
「はい」
「今の説明、訂正してくれ」
「訂正箇所がありません」
「印象の問題!」
「事実を述べました」
「事実が一番まずい時もあるんだよ!」
亮太が額を押さえた。
「康生さん」
「何」
「たぶん、黙った方がいい」
「でも黙ったら認めたみたいになるだろ」
「喋るほど悪化してる」
「そんなことある?」
亮太は村人たちを見た。
全員が、康生の言葉を待っている。
康生が否定すればするほど、謙遜と受け取られる。
康生が慌てれば慌てるほど、人間味のある神だと受け取られる。
康生が黙れば、深い御心だと受け取られる。
詰んでいた。
「……俺、詰んでないか?」
「はい」
アオイが即答した。
「せめて迷え」
「現状、あなたの発言による信仰抑制は困難です」
「じゃあどうすればいい」
「信仰を統治リソースとして活用することを推奨します」
「するな!」
康生の声が裏返った。
「狂信者は有効なリソースです」
「言うと思ったよ!」
「集団統制、労働力確保、防衛協力、情報収集に利用できます」
「人間をリソース扱いするな!」
「生存率は上昇します」
「そういう話じゃない!」
亮太がアオイを見た。
「お前、倫理とかないのか」
「あります」
「あるのか」
「ただし、現在は生存優先設定です」
「倫理、優先順位負けしてるぞ」
「はい」
「はいじゃない」
康生は笑いそうになった。
状況は最悪だ。
身体は動かない。
村人には神扱いされている。
アオイは信仰を活用しようとしている。
麻生は完全に落ちている。
なのに、亮太だけが普通にツッコんでくれる。
それだけが、少し救いだった。
「亮太」
「何だ」
「お前だけは普通でいてくれ」
亮太は怪訝な顔をした。
「俺、普通か?」
「この場では圧倒的に普通」
「それは喜んでいいのか?」
「いい。たぶん」
麻生が再び近づいてきた。
亮太が少し身構える。
麻生は、今度は頭を下げたままではなく、静かに康生を見た。
「康生様」
「様はいらないって……」
「御身がお嫌いなら、表では控えましょう」
「表も裏も控えて」
「ですが、我らは忘れません」
「忘れて」
「今日、我らは救われました」
康生は言葉を失った。
麻生の声は、狂っているようでいて、そこだけは真っ直ぐだった。
村は本当に救われた。
大型個体に門を破られ、中央まで侵入され、もう防衛線は崩れかけていた。
亮太は腕を折り、村人たちは疲弊し、麻生自身も斧を持って前に出ていた。
あの光がなければ、村は壊滅していたかもしれない。
それは事実だ。
「……俺だけじゃない」
康生は、なんとか言った。
「亮太が時間を稼いだ。村のみんなも戦った。麻生さんも前に出た。俺一人じゃ何もできなかった」
麻生は目を伏せた。
「天輪様は、我らの働きまでお認めくださる」
「違う! 普通に事実!」
「なんと慈悲深い」
「だから!」
康生は叫ぼうとして、咳き込んだ。
喉の奥が焼けるように痛い。
いや、喉ではないかもしれない。
音声出力器官かもしれない。
もう何でもいい。
アオイが康生の肩を支える。
「発声停止を推奨します」
「……悔しいけど、そうする」
「賢明です」
「お前、後で説教な」
「記録しました」
「説教を記録するな」
康生の視界が揺れた。
夕焼けの赤が、ぼやけていく。
身体が重い。
いや、重いのではない。
自分の輪郭が薄くなっていくような感覚。
指先が少し透けて見えた気がした。
「……え、俺、消えてない?」
亮太が目を見開く。
「康生さん、腕が……」
アオイが素早く確認する。
「構成体維持率、低下。ピコマシン密度が不足しています」
「それ、まずいやつ?」
「安静状態へ移行すれば回復可能です」
「移行しなかったら?」
「崩壊します」
「すぐ寝ます」
即答だった。
麻生が顔色を変える。
「天輪様の御身が……!」
「御身とか言うな……」
アオイが周囲を見回した。
「高濃度ピコマシン残留地点が必要です」
「どこにある」
亮太が聞く。
「旧文明遺構周辺、または戦闘跡地。現在、最も濃度が高いのは大型敵性個体撃破地点です」
康生は倒れた大型個体の方を見る。
「そこで寝るの嫌なんだけど」
「次点は、村外れの古い祠付近です」
亮太が眉を寄せる。
「祠?」
麻生がはっとした顔をした。
「聖域のことか」
康生は嫌な予感しかしなかった。
「聖域?」
亮太が説明する。
「村の外れに、昔から妙に機械が腐らない場所がある。危ないから普段は近づかない。村では聖域って呼んでる」
「名前がもう駄目だろ」
アオイが頷く。
「旧文明ピコマシンの残留濃度が高い地点と推定されます。あなたの一時修復に適しています」
「つまり、そこで寝ればいい?」
「はい」
麻生が深く頷いた。
「やはり……天輪様は聖域にて御身を癒やされるのですね」
「違うって言う体力もない……」
康生は力なく呟いた。
亮太が短く言う。
「運ぶぞ」
「悪い」
「謝るな。軽そうだしな」
「軽いの?」
「さっきより軽い」
「それ怖いな」
亮太は左腕を庇いながら、右肩を貸そうとした。
だが、折れている腕で無理をしているのが見える。
康生は首を振った。
「お前は駄目だ。腕折れてるだろ」
「このくらい」
「このくらいじゃない」
アオイが言った。
「藤倉亮太の左前腕、骨折の可能性が高いです。運搬行動は非推奨」
「ほら」
亮太は顔をしかめた。
「じゃあ誰が」
麻生が振り返る。
「担架を持て」
村人たちがすぐに動いた。
さっきまで怯えていた男たちが、今は妙に丁寧な動きで布と棒を持ってくる。
康生は嫌な予感を覚えた。
「待って。普通でいい。普通に運んで」
「天輪様を地に触れさせるな」
麻生が言った。
「やめろ!」
「担架を高く。揺らすな」
「やめろって!」
「頭を下げろ。道を空けよ」
「本当にやめろ!」
だが、康生の声は弱かった。
担架に乗せられる。
村人たちが慎重に持ち上げる。
慎重すぎる。
まるで御神体を運ぶように。
「亮太……」
康生は助けを求めるように呼んだ。
亮太は申し訳なさそうに目を逸らした。
「悪い。これはもう止められない」
「止めてくれよ……」
「俺も引いてる」
「引いてるなら助けろ」
「村全体がこの空気になってる」
「最悪だ……」
アオイが担架の横を歩く。
「信仰形成速度、予測を上回っています」
「嬉しそうに言うな」
「興味深い現象です」
「研究対象にするな」
「あなたの社会的影響力が急速に拡大しています」
「社会的事故だよ」
担架は村の奥へ進む。
人々が道を開ける。
頭を下げる者がいる。
手を合わせる者がいる。
泣いている者までいる。
康生は顔を覆いたかった。
だが、腕が上がらない。
「怖い怖い怖い……」
小さく呟く。
アオイが反応する。
「恐怖反応を確認」
「そりゃするだろ」
「原因は敵性個体ではなく、村人の行動ですか」
「そうだよ」
「理解しました」
「本当に理解した?」
「不明です」
「正直だな……」
村の外れに、古い祠があった。
祠と言っても、康生の知る神社のようなものではない。
半分崩れたコンクリートの小屋。
その中に、錆びない金属の柱のようなものが立っている。
柱には、薄く光る線が走っていた。
周囲の草だけが、妙に青い。
枯れた世界の中で、そこだけ色が濃い。
空気中に、かすかな銀色の粒子が漂っている。
康生は、それを見た瞬間、少しだけ身体が楽になるのを感じた。
「……ここ、何かあるな」
「高濃度ピコマシンを確認」
アオイが言った。
「回復に適しています」
麻生はその言葉を聞き、深く息を呑んだ。
「聖域が、天輪様をお迎えしている……」
「だから違う……」
康生の声はもうほとんど出なかった。
担架が祠の中に置かれる。
銀色の粒子が、ゆっくりと康生の身体に吸い寄せられていく。
指先の透けていた部分が、少しずつ戻っていく。
気持ち悪い。
でも、楽だ。
眠気が来た。
ものすごい眠気。
「アオイ……」
「はい」
「俺、どれくらい寝る」
「最低七十二時間」
「三日か……」
「状態によっては延長されます」
「起きたら、神扱い終わってる?」
アオイは沈黙した。
その沈黙だけで、康生は察した。
「終わってないんだな」
「むしろ強化される可能性があります」
「寝てるだけなのに?」
「聖域で御身を癒やされている、という解釈が発生しています」
「もうやだ……」
亮太が祠の入口に立っていた。
折れた腕を布で吊り、複雑な顔をしている。
「康生さん」
「何」
「起きたら、何とかしよう」
「今、何とかして」
「無理だ」
「即答……」
亮太は少しだけ笑った。
「でも、俺は覚えてる。あんた、めちゃくちゃ怖がってた」
康生は、薄れかけた意識の中で亮太を見た。
「……それ、覚えててくれ」
「分かった」
「俺は神じゃない」
「ああ」
「天輪様でもない」
「ああ」
「ただの、規約違反者だ」
「それはそれでどうかと思うけどな」
康生は少し笑った。
「俺もそう思う」
麻生の声が、祠の外から聞こえた。
「聖域の周囲を守れ。何人たりとも、天輪様の眠りを妨げるな」
「妨げてくれ……むしろ……」
康生は呟いたが、もう声にならなかった。
瞼が落ちる。
最後に聞こえたのは、アオイの声だった。
「休眠移行を確認。構成体修復を開始します」
それから、少し遅れて。
「おやすみなさい、規約違反者」
康生は、文句を言おうとした。
その呼び方をやめろ、と。
だが、声は出なかった。
意識が沈む。
銀色の粒子が、祠の中で静かに舞っている。
外では、村人たちが頭を下げていた。
三百二十七年後の日本で。
規約違反者は、本人の意思とはまったく関係なく、最初の聖域に祀られた。




