第七話の3 ある男の後悔
メイドらが茶や茶菓子を運んでくるのへ仮面の男は「これはこれは」といつものように大げさに頭を下げ、テーブルに置かれたそれらを物珍しそうに眺めていた。
大き目の円形テーブルには王、王妃、アンドレアスにハラルド、そして仮面の男が顔をあわせて座っていた。
ただしアンドレアスだけは苦虫をかみつぶしたような顔で、仮面の男への強い不快感を隠そうともしなかった。
仮面の男の横に座る王妃が出された飲み物を飲むようすすめ、男は恐る恐るカップを手に取る。
「ほおーこれは美味しいですね」
さもびっくりしたような言葉に王らは笑った。
「喜んでいただけて何よりだ」
「この茶菓子もおいしいんですよ」
向かい側にいたハラルドがもらったおもちゃのお礼とばかりに菓子を勧めた。
「うん、うまいうまい」
仮面の男の感想にハラルドは笑顔ではしゃいだ。
「それにしても」
ごほん、とアンドレアスが咳ばらいをした。
椅子の豪華な背もたれに背を預け、足を組んでから
「お前が兵士らをさほど時間もかからずとこしえの眠りにつかせたという手腕は素晴らしいものだな。どういうものであったのかぜひ聞かせてみよ」
その物言いにざわり、と周りがピリついたが、仮面の男は手をあげて気にしていないという風にうなずいてみせた。
「はい、殿下。この笛によるものでございます」
仮面の男はうやうやしく縦笛を手にかかげてみせた。
「あーただ」
アンドレアスが手を伸ばすのへ彼はひょい、と掲げた笛を遠ざけた。
「こちらは下手に触ると危険なものですゆえ、どうか見るだけにとどめていただきたく」
「何をいうか!」
アンドレアスが立ち上がった。
「触られればどうせ何の仕掛けもないインチキなものだとばれるからであろう。見せてみよ」
「あ」
仮面の男が止める間もなくアンドレアスは強引にその笛を奪い取った。
「ふん、何もしかけはないではないか。何かしら魔法のような類も感じぬ」
上から下まで眺めたアンドレアスは笛に口をつけてフーッと吹いた。
しかし音はならず、ただ息が抜ける音が響いただけであった。
「父上、やはりこれは………」
アンドレアスは言葉を失った。
ボロボロのがれきが目の前に広がっていた。
美しいテーブルクロスが敷かれたテーブルは消えてなくなり、朽ちかけた木のテーブルが傾きかけて立っていた。
何より、父も母も、そしてハラルドも消え失せていた。
使用人やメイドたちも。
薄暗い廃墟と化した目の前にただ一人、仮面の男ががれきに腰かけていた。
「だからおやめなさいと言いましたのに」
「き、貴様! 父上らをどこにやった!ただちにか──」
アンドレアスがしゃべるのをやめたのは、ある記憶がよみがえったからであった。
「陛下! 魔物の群れがこちらにやってきます!」
「すでに城門は破られ、突破されております」
「ただちに避難を!」
「国の王たる我が逃げるわけにはいかぬ」
泣きじゃくるハラルドを慰めていた王妃がキッと顔をあげた。
「これ、アンドレアスとハラルドを連れて逃げよ」
「は」
幼い二人にはなぜ父と母が自分たちを遠ざけようとするのか理解できなかった。
「この二人がいればこの国は立て直せます。われらは国を守る者として勤めを果たさねばなりません」
こうして二人は兵士に連れられ、隠し通路から安全な場所へ逃げられるはずだった。
「ちちうえ、ははうえ」
ハラルドが兵士の手を振り切って閉まろうとする扉の先へするりと戻っていってしまった。
あわててアンドレアスは連れ戻そうとしたがもう扉は開かず、兵士らは彼を抱き上げて道を進んだのであった。
「今わの際にここの王に頼まれましてね。あなたが立派な王になるまでどうか、まやかしでもよいからそばにいさせてほしいと」
膝をついているアンドレアスに仮面の男は静かに語りかけた。
「かの王はユスタンの伝承を知っていました」
「……私も……いつか聞いたことがある…国を守る立場のものはみな、知っておかねばならないことだと…」
仮面の男は木札を取り出し、ひっくり返し紋章をアンドレアスに見せた。
「たまたま通りがかったのです。報酬はこの城に眠る財宝を好きなだけ、と。まあそれはまだいただいてないのですが」
「では、此度の来訪は…」
「死してもなおあの王はこの国を守っていたのですよ。あの兵士らだけじゃない、ほかの兵士もまだこの国を守るため戦っています」
アンドレアスは顔をあげて仮面の男を見た。
「では、この国を魔物から守ってくれ。それを俺─私が依頼する」
「ダメです」
仮面の男は冷たく言った。
「あなたにはまだ王たる覚悟がたりません。それを王たちは案じておられた。まずはあなたが成長することです」
アンドレアスの目から涙が流れた。
「この城は幻でも民は存在している。その民たちを守るのがあなたの一番の役割です」
仮面の男は立ち上がり、転がっていた笛を手に持った。
「申し訳なかった」
アンドレアスは深く頭を下げた。
「あなたがまたここに立ち寄ることがあれば、胸を張って出迎えられるよう、この国の名において誓おう」
「ええ、そうして下さい」
仮面の男は笛をしまい、ひょうひょうと歩きだした。
その姿が消えるまで、アンドレアスは頭を下げたままであった。




