自覚2
咲希は、森の中の一本道をひたすらに走って、小さな小川の前まで来て立ち止まった。息が上がる…まだ、数分しか走っていないのに。
咲希は、同じ女性で、明らかに自分より年上のダニエラが、これぐらいなら息も切らせず走っているのを、メレグロスの背のカバンに揺られながら見ていた。自分がそこで眠っている間も、ダニエラは走ったり歩いたりしていたが、それでもああして、皆に迷惑を掛けることもなく旅している。それなのに、自分はちょっと走っただけでも息切れがして、少し歩いたら疲れて、眠れなかったらつらくて、食事だって同じものばかりだと進まない。
皆に気を遣わせて、ラーキスに庇われて、悪いなと思いながら、心のどこかでそれが当然だと思っていたようだ。自分は他の世界から来たのだから、分からなくて当然、出来なくて当然…。
でも、それが甘えだったのだ。
こっちへ来て、助けるのだと決めたのは自分なのだ。だったら、もっと努力するべきだった。誰かが助けてくれて当たり前だという意識でいたから、時間がないというのは口実で、本当はいつでもダニエラに魔法を教えてもらえたはずなのだ。
咲希は、自分の手を見た。力があると聞いたが、それでも自覚はない。これを完全に覚醒させるには、自覚が必要だとクロノスは言った。このままアラクリカへ行って、結晶化する力が足りないと言われたら、どうしたらいいのだ。確かに、皆は命を懸けて守ってくれると言った。でも、そうやって皆の命を犠牲に生き残った自分がこんなでは、結局それは無駄になってしまうのではないのか。アーティアスは、それを言っていたのだ。
咲希が、へなへなと膝の力が抜けてしまってその場に座り込むと、ラーキスの声がして腕を掴まれた感触がした。
「サキ!どうした?」
咲希は、びっくりして振り返った。ラーキスは、焦ったように心配げな瞳で咲希を見ていた。
「ラーキス…。」
ラーキスは、咲希がそこに座っただけだったので、ホッとしたように腕の力を抜いた。
「何ぞ、前の小川に落ちるかと思うたわ。」と、咲希の目からぼろぼろと涙がこぼれるのを見て、慌てて自分も咲希の隣りに膝をついた。「サキ…。」
咲希は、ラーキスに抱きついて言った。
「私…私バカだったわ!ラーキスもみんなも優しいのに甘えて、お客さんみたいな感じでいたのが分かったの。私、何も分かってなかった。ここは敵地で、みんな命を懸けてるのに。私、こんな風に旅したことも無いし、命の危険も感じたことなんて一度も無かったの!だから…まるで夢みたいに思っていたのよ。アーティアスに言われて、やっと分かった。これで覚醒しようなんて、ムシが良すぎるわ。」
ラーキスは、飛びついて来た咲希に驚いたが、優しく背を抱いて、頭を撫でた。
「オレも、もっと自覚すべきだったのだ。サキをこんなことに巻き込んでるのに、己の身の守り方も教えておらなんだ。アーティアスに言われて、もしも自分が倒れた時、残されたサキがどうなるのか、やっと思い至ったのだ。オレはサキを守るつもりでいる。だが、オレが倒れないとは限らぬのだ。その時、サキは一人途方に暮れよう。そのことに思い至らなかったこと、謝らねばならぬ。」
咲希は、ラーキスを見上げた。
「でも…私は誰も、私のために命を落としてなんて欲しくないの。だから、少しでもみんなの力のなるように、魔法技を習うわ。ラーキス、私本当に初心者だけど、教えてくれる?」
ラーキスは、微笑みながら咲希の涙を袖で拭い、頷いた。
「いくらでも教えてやろうぞ。しかし、バルクの王城で少し、カツキと練習しておらなんだか?」
咲希は、恨めしげにラーキスを見上げた。
「ええ。短い呪文の物ばかり。使ったことがあるのは、フォトンだけ。」
ラーキスは、顔をしかめた。
「うーむ困ったの。大技は皆、呪文が長いのだ。本気で覚える気にならねば、大きな技は出せぬぞ?」
咲希は、ラーキスに訴えるように言った。
「がんばるから!本当に本気になって呪文を覚えるわ!これでもテスト前の本気の力は凄いのよ。何度だって繰り返して、今度こそ本当に、術を覚える。」
ラーキスは、フッと笑った。
「サキはバカではないのだから。大丈夫、では少しここで覚えておくか?アヒムはまだ戻らぬだろうしな。」
咲希は真剣な顔で頷いて、すっくと立ち上がった。
「ええ!教えてもらうわ。」
そうして咲希は、そこで一時間の間、ラーキスと共に呪文を唱え、魔法を本気で習ったのだった。
一時間も経った頃、ラーキスが自分の槍を下ろして言った。
「思った通り、主の力はかなりのものぞ、サキ。こちらの命の気が強いことを考えても、それだけの技を出せる者はそうは居らぬ。それに、普通は習ったばかりの呪文をあっさりと術として放てるものなど居らぬのだ。それを、主は最初から難なく出すことが出来た。今教えたのは、風火水土の基本的な技と、回復魔法なのだ。普通なら得意なエレメントがあって、それを深く学んで技に磨きをかけて行くものなのだが、主はどの魔法も満遍なく使うことが出来る。珍しいタイプよな。」
咲希は、ラーキスの母の舞から借りた杖を下ろして、言った。
「杖を使うと術が出やすいみたい。手からでも出来るんだけど、こっちの方が狙いが定めやすいっていうか。」
ラーキスは、それを聞いて苦笑した。
「普通は、杖か剣がないと魔法が出ないものなのだ。ショーンも手から魔法を放っていたが、他の術士や術者は必ず杖や剣などを使っておっただろう?」
咲希は、今や遠い記憶になったパワーベルトの暴走を封印した時のことを思い出した。たった数週間前に起こった出来事なのに、何か遠い出来事のように思える。
「確かにそうだったわ。でも、少し分かって来たみたい。」と、杖の先を見た。「術を使うと、体が熱くなるの。下から何かが上って来て、それを押し出しているみたいな。口で唱えなくても、心の中で呪文を唱えたらもう、足の辺りから何かが上って来る感覚がするの。口に出して唱えるのが重要なんじゃなくて、この技を出そうと思う気持ちを呪文で自分の能力に知らせるっていうか。そうしたら、体が勝手にその術を発動させるような感じ。」
ラーキスは、頷いた。
「それだけ、力があるということだ。我らのような普通の者は、自分の体から気を放つので、下から上って来るのではなく、胸の辺りから力が出る感覚ぞ。そして、失った気をすぐに宙から補充する。自分の気が全て無くなってはならぬから、なので我らはそれほど大きな術は出せぬ。ショーンや主のように、直接大気や大地から気を吸収して術を放つ能力のあるものは、この限りではなく幾らでも大きな術を使うことが出来るのだ。これでもオレは、グーラであるから潜在的に持っておる力は強い方ぞ。なので普通の人より大きな術を使うことが出来るのだが、普通の人では無理よな。あまり術を放ち過ぎると、体から力が抜けて、疲れて立てなくなるのだ。」
咲希は、つくづく自分がどうしてなのかは分からないが、大きな力を持っているのだと思った。幾ら使っても、疲れなど襲って来ない。体に力は満ちていて、いくらでも放てそうな気持ちだった。
「ふーん、そこそこやるのではないか。」
振り返ると、アーティアスがクラウスと一緒に立っていた。咲希は、先刻のことを思い出して、俄かに表情を硬くする。ラーキスが、槍を地に付いて言った。
「主の言うことがもっともだと、サキは稽古をつけて欲しいと申したのだ。なので教えておった。これからは少し術を深くして参れば済むだろう。最初からここまで術を放てる者は、そうは居らぬ。」
アーティアスは、ラーキスを見て言った。
「聞いておらなんだか?そこそこやるのだと褒めたではないか。」と、咲希を見た。「では、主に飛ぶ術を教えてみよう。主らならば、恐らく出来る。言うておらなんだやもしれぬが、シャデルは飛ぶ。あれに追われても、逃げ切れるだけの術を主は身につけておく必要がある。我らは足止めは出来るが、それでも倒すことは出来まい。あれに見つかった時、我らが足止めをしておる隙に、主は己で飛び立ち逃げる必要があるのだ。主が逃げれば、我らも逃げる事が出来る。延いては皆の命のためぞ。やるか。」
ラーキスが、慌ててアーティアスに向き合った。
「何を言うておる。今すぐには無理ぞ、まだ基本的な技を覚えたばかりであるのに!」
アーティアスは、ラーキスを睨んだ。
「こんなことに早い遅いはないわ。我らの国では、飛べる者は幼い頃から飛ぶ。そうして慣れて参るのだ。普通の術が使えるのなら、飛ぶ術も力があるなら出来ようぞ。早よう習得して、慣れておかねばならぬ。こうしておる間にも、シャデルが襲って来るやもしれぬのだぞ。あやつの能力は計り知れぬ。どこで気取られて現れるのか予想も付かぬのだ。それまでに慣れておかねば、こやつは逃げ切ることが出来ぬ。」
「しかし…」
「やる!」咲希が、突然に顔を上げて、こちらをしっかりと見た。「やるわ、私。私が逃げるだけではなくて、空から術を放てたら、みんなにとって有利になるじゃない。シャデルって王がいつ来るのか分からないんだもの、まだ早いと言ってられないわ。ラーキス、私、やってみる!」
「サキ…。」
ラーキスは、それ以上何も言わなかった。咲希は、杖を小さくしてウェストポーチへ入れると、アーティアスに歩み寄った。
「さあ、教えて。どうするの?」
アーティアスは、ニッと笑った。
「オレが教えるのではない。クラウス。」すると、クラウスが横から進み出た。アーティアスが言った。「こやつが何事も教えるのが上手くての。オレには無理なのだ、イライラしてしもうて。」
分かる気がする、と咲希は思ったが、何も言わなかった。すると、クラウスが前へ出て、咲希に言った。
「かなりの気を使う術であるので、人には荷が重いが、主は覚悟があるか?」
咲希は、少し不安になったが、それを打ち消すように微笑んで見せた。
「平気よ。死ぬよりマシだもの。」
アーティアスが、クラウスの後ろから声を立てて笑った。
「おお、言いよるの。」と、咲希をじっと射るような目で見た。「口だけでなければ良いが。ただの人ではないと、我らに証明して見せよ。」
アーティアスは、試しているのだ。
ラーキスは、後ろからそれを見ていて思った。本当に、命懸けで守るにたる女であるのか。本当に覚醒し、そしてその力を結晶化させて全ての地に設置することが出来るのか、その可能性を図っている。
「では、まずは力の移し方を。」
咲希は、クラウスを見て目を丸くした。
「呪文ではないの?」
クラウスは、首を振った。
「そんなものはない。感覚だけぞ。それが飛ぶということ。だからこそ、普通の人には無理なのだ。覚えよ。オレの言うように己の中でイメージするのだ。」
アーティアスが、二人から離れてラーキスの横に並んで立って、興味深げに見ている。
ラーキスは、気が気でなく、クラウスと咲希を見つめていたのだった。




