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ミレー湖

マウ達に揺られて半日ほど、咲希達は無事にミレー湖に繋がる川へと到着した。

そちらは、その近くにあるルース山脈へ向かうスキーヤー達が、肩にスキー板を担いで向かっている。到着したマウの馬車に、一斉に駆け寄って来た。

「ちょうどいいところに!ここから、ルース山脈の麓のホテルまで頼む。」

「こら、オレ達が先に見つけておったのに!」

「何を言っている!オレ達だろう!」

「おい、こっちは1000金貨出すぞ。」

「じゃあこっちは2000金貨出す!」

まだ馬車から皆が降りていないような状況での大騒ぎに、咲希は面食らった。ショーンが、小声で言った。

「おい、治してやったのはいいが、とんでもないぐらいこき使われるんじゃないのか、マウ達は。直に潰れるぞ。」

アーティアスが険しい顔をした。

「…クラウス。」

クラウスは、アーティアスに頭を下げた。

「は。」

アーティアスは、それだけで分かったようで、先に降りようと立ち上がり、外へ出た。シュレー達も慌ててそれに続こうとしていると、御者の男の声が聴こえた。

「ダンナ達、すまねえが今日はもうここで終いだ。こいつらは病み上がりでね。明日の朝なら、行ってもいいがな。」

思いもかけない言葉に、後から降りて来た咲希は目を丸くした。2000金よ?つまりは…二万円なのよ?

寄って来ていた客達は、顔をしかめた。

「明日の朝って、オレ達は今夜から宿を取ってるんだぞ。まだまだ歩けそうじゃないか。稼ぎ時だぞ。」

男は、肩をすくめた。

「残念だが、こいつらは生きてるんでね。足も治ったばかりだし、無理はさせられねえ。他を当たってくんな。」

客の男が、舌打ちをした。

「全く…役に立たないマウだ。」

そう吐き捨てるように言うと、踵を返してまた、他の車はいないかブラブラと歩いて行った。

他の客達も、諦めたようで散り散りになって離れて行く。シュレーが言った。

「いいのか?麓までならここから二時間ほどだろう。それで2000金なら、結構な金だ。」

男は、降りて来ながら苦笑した。

「前なら受けたかもしれねぇ。だが、今日はこれで休ませてやりたいんだ。こっちのマウなんか、今朝復活したばかりなんだし。無理はさせられねえよ。あっちにいい草が生えてる場所があるんで、ゆっくりさせて、明日にでもあっちへ戻る。向こうへ行きたい客が居れば乗せてくよ。それで充分だ。」

アーティアスが、後ろから満足げに言った。

「良い心掛けよ。感心したぞ。」と、クラウスから袋を受け取り、中から金貨を鷲掴みにした。「そら、報酬ぞ。これでしっかり世話をしてやるが良い。」

シュレーも咲希も、ショーンも圭悟も仰天してそれを見た。幾ら掴んだのかも確認していない。しかしアーティアスは手が大きいので、かなりの数の金貨であることは確かだった。

さすがにそれを見た男は、慌てて両手を前にして振った。

「ダンナ、それはいけねぇ!そこまでしてもらう理由がねぇし!」

アーティアスは、眉を寄せた。

「これからしてもらうゆえ、大丈夫ぞ。」と、金貨を掴んだ手をぐいと前に出した。「要らぬのか?」

男は、迷っているようだ。チラチラとアーティアスの手の中の金貨を見ながら、おずおずと聞いた。

「いや、あの…でも、何をすりゃいいんで?」

アーティアスは、頷いた。

「簡単な事ぞ。ファルの様子を聞きたい。何でも良い、主が知る事を教えぬか。」

男は、まだ怪訝な顔をした。

「本当にそれだけですかい?」

アーティアスは、また頷いた。

「ああ。それから、我らがここを通った事は、誰にも申すでない。漏らしたら、返してもらう。」

男は、なぜかそこでやっと合点がいったようで、表情を緩めた。

「なんでぇ…そういうことですかい。」と、キョロキョロと回りを見た。「じゃあ、目立っちゃならねぇな。こっちへ。いい場所がある。これは、口止め料としてありがたく頂きまさあ。」

口止め料か。

咲希も、やっと合点がいった。それにしても多過ぎるように見えるのだが、いったいアーティアス達のディンメルクは、貧しいのか豊かなのか分からなくなった。

皆が同じ感想のようだったが、その男に促されるまま、一行は脇の林の方へと、マウ達を引きながら歩いて行ったのだった。


連れて行かれたのは、脇の森の中に、ぽっかりと開いた草が生い茂る広い場所だった。

気温は低いが、雪は積もっていない。山脈の上の方へ向かわないと、雪は積もっていないようだ。

そこへ着いてすぐに、男はマウ達から手綱を外してやり、二頭のマウはゆったりと歩いて草を食みに行った。

それを見送ってから、男は言った。

「思えば、こんな風にゆったり放牧してやるのも久しぶりだ。オレにも、余裕が無くなっちまってたのかもしれねぇな。」

アーティアスが進み出て、そんな男の脇へと並んだ。

「それで、ファルの様子を尋ねたい。今、あの地はどんな様子ぞ。」

男は、頷いて側の草地を指した。

「お話ししまさあ。とにかく、座ってくだせぇ。」

アーティアスは少しムッとしたように口を閉ざしたが、言われるままに座る。クラウスもアレクシスも、エクラスもそれに倣い、必然的に咲希達も同じように腰掛けた。男は、ため息をついて話し始めた。

「ああ、オレの名前もまだ言ってなかった。オレは、アヒム。元はサラデーナ軍の下っ端兵士で、怪我をしてから退役してこっちへ流れて来て、マウを手に入れてここで荷を運ぶ仕事をしてるんです。もう10年にもなりまさあ。」

メレグロスが、驚いたような顔をした。

「お前、サラデーナの軍に居たのか。」

アヒムは、笑って手を振った。

「いやいや、居たって言っても本当に下っ端で。シャデル陛下のお顔だってまともに見たこたありません。何しろ、あのかたが即位してすぐぐらいの時に怪我して退役したんで、今の軍の上の方のことは、あんまり。」

克樹が、口を挟んだ。

「でも、知り合いは居るだろう。今でも、軍のことは耳にしてるんじゃないのか?」

アヒムは、少し寂しげな顔をしたが、頷いた。

「確かに、友達は多い方だったんで、未だに街へ出掛けて行った時なんかに、そこの駐屯兵とは一緒に飲んだりしまさあ。ついこの間も、ファルで飲んで来たばっかりなんで。だから、ファルのことだったらオレにもお話しすることは出来ます。」

それには、アーティアスが身を乗り出した。

「して?ファルには今、駐屯兵が居るのか。」

アヒムは、頷いた。

「あの、エネルギーベルトが消失した後、陛下の命令でこっちへ結構な数送られたみたいで。何しろ、ここは大陸のエネルギーベルトと近い。消失した後、何がこっちへ来るかわからねぇってんで、ついこの間までサルークにだって大量に駐屯してたんでさあ。」

アレクシスが、頷いた。

「確かにの。だが、それも今は国境の方へ皆参っておって、サルークにはもう兵士は居らぬ。」

アヒムは、頷いた。

「その通りでさあ。で、自分達がファルからサルークへ移動になるかと思っていたらしいんだが、何の命令もなくて、そのままファルに居るんだって言ってたな。」

皆は、顔を見合わせた。ファルに駐屯兵…ということは、ファルに入るのは危ないのかもしれない。

「それで、ファルの兵士達は何をしているのだ?ファルは農業と酪農の穏やかな街だろう。何もすることもないのでは。」

クラウスが言うのに、アヒムは首をかしげた。

「確かにそうなんです。なのに、今ファルには500ほどの兵士が居て、ミレー湖を南へ向かう船の検問やらファルへ入る人の検問やらとしているらしい。確かにもし向こうの大陸からの侵入者なんかが居たら、川を通って来るかもしれねぇし、べルールもアルデンシアもわんさか兵隊が来て守ってるが、ファルまでってぇと遠回りになるし、来ねぇと思うんだけどな。まあファルを抜けてメイ・ルルーにでも行っちまったら、大事なメニッツはすぐ側だし焦る気持ちもわからないでもないが。」

皆が、沈黙して目を虚空に向けている。つまりは、地図を必死に頭に思い浮かべて、地形を思い出しているのだろう。

そんな様子を見ていたアヒムは、突然に声を潜めると、言った。

「…で?旦那達はそんな検問、避けて行きたいってお考えでしょう?何かヤバイことでもしなさったか。メニッツにでも行くのかね?」

それには、メレグロスが慌てて首を振った。

「いや、メニッツには用はない。我らはアラクリカへ行きたいと思うておった。」

すると、アヒムはきょとんとした顔をした。

「え、アラクリカ?あんな田舎に何の用で?」

田舎なのか。

メレグロスは思ったが、アーティアスが言った。

「遠縁がそこに住んでおるから、それを頼って行こうとしておったのだ。我ら、穏やかに暮らしたいと思うておってな。確かに訳あってあまり他人と接したくはないが、別に軍を避けておるのではないのだ。しかし、我らを探しておる奴らも居るし、そやつらに見つかりたくないというのが本音ぞ。」

アヒムは、それを聞いて少し後ろへそっくり返り、とっくりとアーティアスから始まってクラウス、メレグロス、ラーキス、アトラスなどを見回した。そして、言った。

「仲間割れでもしなさったか。」盗賊の一団ぐらいに思われたようだ。アヒムは続けた。「…まあ、いい。どっちにしても、あんたらはオレにとっちゃあいい人だ。マウ達だって元気になったし、オレも人生考え直すきっかけが出来た。誰にも出会わずに行けるルートを教えまさあ。だが、遠回りになる。水路はここのメイン・ルートだから、誰にも見られず進むなんて無理なんだ。だが、誰も通らねぇ道がある。小さい魔物が出るし、面倒だからみんな川を通るんですが、この時期は温暖で進みやすい道が。」

温暖と聞いて、アレクシスがピンと来た顔をした。アーティアスがそれを見て、同じように分かったようで、小さく眉を寄せた。

「…スラル砂漠か。」

え、砂漠?!

咲希は、思わず口を押さえた。砂漠…砂漠って、こんな場所にもあるの。というか、その辺りは冬でも暖かいんだろうか。

アヒムが、アーティアス達の表情を見て腰に手を置いた。

「あのな旦那、人が来ない場所ってぇと、その辺りしかないんでさあ。ここから西へ上って、砂漠地帯の手前で西へ向かえば、ケイ平原からリーリン高原へ出れる。アラクリカはすぐだ。と言っても、歩きじゃ一週間以上掛かるとは思いますがね。」

ラーキスが、口を挟んだ。

「誰も居らぬなら、良いではないか。そっちを行こう。温暖な道なら、今より負担も少なかろうし。」

咲希は、それを聞いてハッとした。そうか、誰も居ないのなら、ラーキス達は飛べる。つまりは、一週間も歩く必要はないのかもしれない。だが…。

「でも…ファルには行かなきゃならないでしょう?」

咲希が言うと、ラーキスが答えた。

「いや、必ずしもそうではない。」と、アヒムの視線に気付いて、付け足した。「長旅で、食糧が心配な気持ちは分かるが。」

そうじゃない、と咲希は思って口を開こうとしたが、先にアーティアスが言った。

「確かに不安になるだろうの。だが、アヒムなら食糧の調達も出来るのではないか?」

アヒムは、片眉を上げたが、息をついて頷いた。

「へーへー、じゃあどこかで食糧を仕入れて来まさあ。」と、マウ達に向かって指笛を吹いた。「マウ達を連れて行くんで、旦那らはここで待っててくだせぇ。ファルからサルークへ向かう輸送ルートがここなんで、分けてもらって来まさ。」

タッタッと駆け寄って来たマウの顔をなでると、アヒムはさっとその背に跨って、もう一頭を横に、森を抜けて行った。

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