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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(3)用心棒⑦

 新之助が用心棒として佐伯の屋敷に入って六日。


 普通藩邸の中に住むはずの留守居役がこうして独立した屋敷を持っていることにも驚いたが、その金の出どこにも不信を抱くような豪華な屋敷だった。


 その金が国許で起きた一連の事件に関わっているというなら。


(許せない)


 屋敷の中を見廻りながらそのことを考えるたびに、新之助は今すぐにでも屋敷の主のもとに走り寄り襟首を締め上げて問い質したくなる衝動にかられる。しかしそれをしてしまえば元も子もなくなると寸でのところでその衝動を抑え込む。


 新之助はこの六日と言うもの、そのような焦燥と戦い続けていた。


 ほかの用心棒たちは皆新之助よりも年上のようだった。


 若輩者(じゃくはいもの)と軽んじられているのか、真っ先に一番億劫な夜回り組に回された。


 だから彼はこの(かん)昼夜逆転の生活を送っていたのだ。


 だが内偵としてこの屋敷に潜り込んでいる新之助にとっては、むしろその方が都合はいい。


 夜の闇に乗じて、昼間では入り込めないような場所まで入り何かと調べることが出来たからだ。


 まず一日目と二日目は、この屋敷の見取り図を頭に叩き込んだ。


 三日目には屋根裏に上がり、主の部屋を特定。手下と何やらひそひそと話し込む佐伯の声を切れ切れだったが聞くことが出来た。


 四日目は連日続けた目立った動きはすまいと見回りに専念。


 五日目は見廻るふりをして、帳簿棚のある部屋に入ろうと試みたが、家人に行き会い失敗。そして六日目の今夜を迎えていた。


 焦りがないわけではなかった。


 一刻も早く佐伯の不正の証拠を見付け家族の無念を晴らし、この屋敷をおさらばしたかった。


 だが焦ってもろくな結果は得られない。


 一歩一歩確実に証拠へと近付くべきだ。


 新之助はそう自らを律し、地道な内偵を続けていた。

 



 この夜は一旦上がった雨がまた降り出し、雷も伴った激しい豪雨だった。


「梅雨明けの雷だろうか」


 ゴロゴロと腹に響く様な音を雨戸越しに聞きながら、夜廻りで廊下の角を曲がったところだった。


 かさりと音がしたような気がした。


 新之助は暗がりの中で目を凝らす。


 手燭をかざしたが、その灯りは目的の暗がりには届かなかった。


カサッ。


しかしやはり何かいる。


(なんだ?)


刀の柄に手をかけ、そろりと足を踏み出した。


「風間」


不意に後ろから声をかけられた。


その途端前方から感じていた気配が掻き消える。


あの何かは姿をくらませてしまったようだ。


新之助は溜息をつきながら振り向いた。


「なんです。久賀どの」


発した声は自分で思った以上に冷たく響いた。


 そう、久賀だ。


 面接の折に、やけに親しげに新之助に絡んできた、あの久賀だった。


 彼も無事(・・)面接に受かり用心棒として雇われていたのだ。


 彼を見付けた新之助は極力彼と関わらないように努めていたのに。


 こうして向こうからやって来ては避けようがない。


「つれないなあ、風間は。一人での夜廻りは心細かろうと(あと)を追って来てやったのに」


いらぬお世話だ。


「昼間の警備があるのだから、ゆっくり休まれるがいいでしょう」


「そこもとと話す機会がないものでな」


そう言うと、久賀は新之助にピタリと身を寄せた。


ぎょっとして身を引く新之助の手首を久賀が掴んだ。


「なんのつもりだ」


怒気を含んだ新之助の声に、久賀は小さく笑った。


「風間は案外短気だな。まあ若いのだから仕方ないか……」


ふっと耳に久賀の吐息がかかる。


身をよじろうとする新之助の動きをさらに封じる久賀。


(体術か)


ここにきて、新之助はにわかに緊張した。


冷たい汗が背中を伝う。


妙に馴れ馴れしいのに腹の底の見えないこの男のことを警戒していたのに。


なのに、どこかで気を緩めていたのか。


「面接の日に、そこもとに話しかけてやめたことがあった。覚えているか」


久賀はそう耳元で囁いた。


記憶をたどれば、そんなこともあったような気がする。


それが今のこの状況とどう結びつくのか。


新之助はなんとかこの拘束を解こうともがくが、大して力を入れているようでもないのに、久賀の手はがっしりと新之助の手首を掴んで離れない。


 それどころか、新之助が動くたびに、いっそう拘束は強くなるようだった。


「そこもとを一目見た時から腕の立つ男であろうと目星を付けていた。どうだ。おぬし、わしと一旗上げぬか」


 耳元で囁く久賀の声はねっとりと絡みつくようで非常に不愉快だった。


「ここの主が秘密裏に天子さまをお守りする志士を集めているらしいのだ。用心棒を雇ったのも、剣術を使えるものを選別するため。志士は京に行き、近頃物騒な人斬りどもを粛清するのだそうだ。どうだ。働きによっては天子さまのお膝元で名を上げることが出来るぞ」


「……」


「京に行くと言えば、まず金十枚下さるらしい。かなり美味しい話だろう?」


「そのようなうまい話。貴公は誰に聞いた?」


 新之助は口元を緩めた。


 手燭の灯りが新之助の秀麗な顔に影を作り、その笑みを一層際立たせた。


 久賀は新之助がその気になったとでも思ったのか、さらに顔を近づけ「実はこの屋敷の用人よ」と声を潜めた。


「他言は無用だ。このような話、あまり大勢に知れて、わしらの取り分が減っては辛いからな」


「……」


 佐伯が志士を集めている。


 それがどういう意味を持つのか、新之助は懸命に頭を働かせた。


 「天子さまを守る」というのは表向きの口実だろう。


 この話が本当なら、佐伯は私兵を作ろうとしているのではないか。


 やがて新之助はそこに思い至った。


 でも、いったい何のために?


「その話信用できるのか?」


「わしらは命の惜しくない浪人者。例え嘘だとしても、いつ果ててもいい身の上だろう。ならば話に乗っかってみるのも悪くない」


 達観したように言う久賀の顔を新之助は見つめた。


 恐らくは中年に差し掛かっていると思われる久賀は、その年齢以上に肌には深い皺が刻まれ、一つに束ねた総髪はゴマを散らしたように白くなっている。これまでの人生で彼の舐めてきた辛酸が思い起こされるような外見だった。


「貴公はもう返事を」


「ああ。聞いた瞬間、二つ返事だった。それで、わしが志士を募る役に任ぜられたというわけよ」


「ふうん」


 用人は久賀にまず目を付けたということか。


 でもなぜ久賀なのか。


 腕は確かなのだろう。こうしていても隙はなく、もし本気で切り結んだら新之助も無傷ではいられないように思われた。


 だが一見軽そうに見えるこの男を用人がどうして最初に選んだのか。


 新之助にはどうしても合点がいかなかった。


(何かある……)


 ならば。


 話に乗ったふりをしてもいいかも知れない。


 そこに佐伯に繋がる何かがあるような気がしてならなかったのだ。


「分かった」


 新之助の手首を掴む力がふっとゆるんだ。


「そうか……」


 妙にほっとした様子で声を出した久賀が刀の(つか)から手を放すのを目の端で捉えた。


 どうやら新之助が断ったと同時に斬り捨てる心づもりだったらしい。


 そのように支持を受けていたのかも知れない。


 となれば、こうして用心棒として集めた浪人者をいずれは“志士”として使う算段だったのか。


 憶測ばかりが広がるが、それは久賀とて知らぬことだろう。


(鍵はその用人か……)


 新之助が調べるべき事案がまた一つ増えてしまった。


 いや二つか。


 久賀が来る前に感じた気配。


 あれはきっと(あやかし)だ。


(これは、とんでもない場所に入り込んでしまったらしい)


 新之助は改めて内偵と言う役目を重く感じ、伯父である近藤の言った“真相”というものが得体の知れない闇を背負っているような気がしてならなかった。


(だけど、そうだ)


 久賀の言うように、いつ果てても悔いのない(おの)が身だ。


 新之助は一緒に夜廻りをすると言ってきかない久賀について歩き出しながら、命を手放すことに微塵も恐れを抱かなくなってしまった自分をまるで別の人間のように感じていた。



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