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姫恋華~ひめれんげ~  作者: 藤原ゆう
第二章 暗躍するものたち
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(3)用心棒⑧

 雷が鳴り続ける夜は、不気味で禍々しい気配に満ち満ちていた。


 新之助は形の良い眉をひそめ、ともすればその気配に巻き込まれそうになるのを気迫で押し返そうと試みていた。


「嫌な夜だ」


 そんな時に久賀がぽつりと言った。


「こんな夜にはろくなことが起こらねえ」


「……」


 その時二人は屋敷の者からこれ以上奥に入ることは許さないと言い含められている場所まで来ていた。


 それより先は主人の私的な領域で警備の必要はないと。


 そもそもそこからがおかしい。


 何かの危険に怯え用心棒を多数雇うなら、主が寛ぐ私的な場所をこそ守らせるべきだ。


 それをさせないということは、そこに何か他人には見られたくないモノがあるということではないか。


 新之助はそこに乗り込むことこそ、この内偵の最終目的だろうと心に決めていた。


「なあ、風間」


 久賀は表と奥の境界線のような所でずっと立ち尽くしている。


「この屋敷、少しおかしいと思わないか」


「……」


「これだけの規模の屋敷にしては人がいない。それに女の気配が一つもしねえ」


「女?」


「女中の一人や二人はどこの屋敷にだっているはずだろう?」


「藩邸の台所なら若党がすることもあるだろう」


「それにしたって、だ。こんな男所帯なんだ。酒の酌をしてくれる可愛い娘が一人くらいいてくれたっていいだろう」


 久賀は嘆かわしそうにかぶりを振った。


 そんなことか。


 新之助は呆れて、ひそめていた眉を今度はまっすぐに伸ばしてしまった。


「まあ、それは冗談だが」


「冗談かよ」


「それでも、おかしい……」


 それは久賀の動物的な勘なのかも知れなかった。


「この境界を跨いだ瞬間斬られたりして」


 ははと渇いた笑いを漏らした久賀に、新之助は頷いた。


「ありえないことでもないだろう」


「そうだな」


 久賀のような男ですら、この屋敷の中の不穏な空気に気付くのだ。


 それは隠そうとしても隠せないものなのかも知れない。


「おい」


 その時新之助が短く言って久賀の袖を引っ張った。


 二人は物陰に身を隠すような形になった。


「どうした」


「しっ」


 渡り廊下の向こう。中庭を隔てた先の周り縁を数人の若党が小走りに走って行くのが見えた。


 行ったかと思うと、また戻ってくる。


 心なし顔が引きつって見えるのは気のせいではないだろう。


 何か不測の事態が起きたと考えてよさそうだ。


「手を貸そうか」


「堂々と奥向きには入れんだろう。あくまでも忍びやかに、だ」


 言い終わらないうちに新之助は中庭に飛び降りた。


 植木に身をひそめながら、若党が行き交う周り縁を横目に縁の下に身を滑り込ませる。


 建物の見取り図は頭の中だ。


 主の部屋も特定済み。


 あとは起きていることを把握すればいい。


「おい。風間、お前手馴れてるな」


 こんな時にも軽口を言ってくる久賀がお荷物だったが、新之助はそれを無視して四つん這いで這って行った。


 やがて、頭の上から人の声が聞こえてきた。


 良く聞こえる所まで移動すると男が二人ぼそぼそと話しているようだった。


「案ずるな。クモさまがお守りくださる。すべて、クモさまのご指示に従っておればよいのだ」


「はあ、ですが、ご主人さま」


「今までクモさまの仰るとおりにして間違っていたことがあったか。あの邪魔な稲垣を(しい)したのもクモさまのお告げのおかげぞ」


 それを聞いた途端、新之助の頭にかっと血が上った。


 やはり、この男が我が家を、父母を死に追いやったのだ。


 ぎりっと歯噛みし、今にも飛び出しかねない新之助の肩に何かが触れた。


 ばっと振り返れば、久賀の顔。


「大丈夫か」と声には出さず、口の動きだけで言っている。


 新之助の身から急に発された殺気を案じたのだろう。


 新之助はふっと息をつくと小さく頷いた。


 ここで怒りのままに佐伯を殺しても何もならない。


 まだ何一つ掴んではいないのだから。


 今初めて久賀が一緒で良かったのかも知れないと思った。


 それにしても、クモさまとはなんだ?


 新しい信仰か何かだろうか。


 耳をそばだてれば、床の上の会話はまだ続いている。


「しかし、侵入者とは……。用心棒どもを起こした方がよくはありませぬか」


「あれらは、ただのお飾りよ。いずれクモさまに捧げる生贄だ。物の役に立たん雑魚どもよ」


「はあ」


「とにかく娘たちだけは守らねばならん。人を惜しむな」


「は……」


 そこまで聞いて、新之助と久賀は床下を這い出した。


 植木に身を潜ませ、佐伯の話を反芻する。


「え。俺たち、クモさまに喰われんの」


 久賀がようやく頭の回路が繋がったのかそう言った。


「どうやら、そうらしい。でも、そうなら、どうして京行きの話なんて久賀に持ちかけたんだ」


「知らねえよ。そんなの」


「どうも繋がりそうで繋がらん話だ。この屋敷に女などいないのに、娘を守れと言っていたし」


「そうだよ、それだよ!くっそう、独り占めかよ」


「そういうことじゃないだろう」



 クモさま。


 いないはずの娘たち。


 そして生贄にされるという自分たち、用心棒。



「何なんだ、これ」


 いよいよ不穏な空気も最高潮。 



 その時雷が深川のどこかに落ちたのか、ひときわ大きな雷鳴が轟いた。


「きゃあっ」


「あほ、声出すな!」


 近くの植込みから、女子二人の声。


 顔を見合わせた新之助と久賀。


 がさっと植木を掻き分ければ、そこには見知った顔が並んでいた。


「ゆらさん……?どうして……」


 固まるそれぞれの顔を稲妻の青白い光が浮かび上がらせる。


 唖然として見つめ合う、新之助とゆら。そして仏頂面の宗明。


 ふんふんと楽しそうに髭をぴくぴくさせているキジトラの猫。


 そこに久賀の呑気な声が場違いに投下された。


「うっひょ~。稀に見る可愛い子ちゃん、発見!」


 間を置かず、黙れと言わんばかりの拳が、久賀の鳩尾(みぞおち)に沈んだのは言うまでもない。



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